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二部 第二十二話
 薄暗いにも関わらず、そこは荘厳なまでに本の世界が広がっていた。

 本、本、本、本、本――見渡す限りうず高くそびえ立つ本の山。

 そのあまりの高さに、僕たちの体が小さくなってしまったのではないかという錯覚に襲われる。

「暗くても広さは変わらないな……。よし、とりあえず立ち入り禁止区域に向かうぞ」

「え? 知ってるの?」

 兄さんが迷いのない足取りで歩き出したため、僕はちょっとだけ驚く。侵入すると決めた時から下調べをしていた僕ならともかく、兄さんまで知っているとは意外だ。

「帰り際に確認してな。あとは勘だ」

「勘って……」

 それで本命をピンポイントで当ててしまうのだから、兄さんの勘は本当にずば抜けている。剣士ならではのものなのだろうか?

「とにかく向こうだ。ニーナはいつも通り索敵頼む。エクセの考えが確かなら、絶対に何かあるはずだ」

 兄さんの言葉に僕もうなずく。外の警備があれだけ厳重なのだ。中にはよっぽど見られたくないものがあると睨むべきだろう。

「……今はいないみたい。さすがに広いから見回る側にも時間がかかるんだと思うわ」

 でも楽観視だけはしないように、と釘を刺されながら僕たちは立ち入り禁止と書かれた表示の向こうへ進む。

「……なんか、本当に悪いことしてる気分になってきた」

「悪いことしてるんだから当然でしょ。それともここで引く? ……あたしは行くわよ。もう、絶対に逃げてやるもんですか……!」

 僕が弱腰になっているのを見たニーナは妙なやる気をみなぎらせて先に行こうとしてしまう。しまった、まだ引きずっていたのか。

「ニーナ……! チッ、急いで追うぞ。今のあいつは放っておけない!」

 兄さんが鋭く小声で話しながら、僕を促して走り出す。その動作に伴う音は――ない。

「兄さん! 僕じゃ兄さんみたいなことはできないって!」

「なら後から来い! 今は急ぐ!」

 そう言って暗闇の中に消えていく兄さんを僕は見送ることしかできなかった。

「くそっ……」

 僕だってできればニーナを追いかけたかった。しかし、隠れながらこそこそ進む必要のある場所でニーナに追いつくのは至難の業だ。というか向こうによっぽどのミスがない限り無理。

「…………チッ」

 何だか僕一人だけが部外者のような気がしてきて、誰もいない状況であることを確認してから苛立ちの舌打ちをこぼす。

 いや、まったく部外者なんてことはないと頭では理解できているのだ。だが、どうにも納得ができない。

 すでに亡郷である村を思い、一心不乱に仇を追い続けるニーナ。そしてその仇と血の繋がった肉親であるかもしれない兄さん。

 ニーナの精神状態は僕でもわかるほど不安定だが、言い換えれば暗殺者であり、戦闘時は一切心を崩さないニーナがあそこまで心を乱せる何かがある、ということになる。

 兄さんもずっと――それこそ十年も相手を追い続けている。この世にたった一人の弟であれば当然なのかもしれないが、それでも並々ならぬ執念だと思う。



 僕はそこまで心血を注ぐ相手がいる二人が――ほんの少し、羨ましい。



 ……無論、僕だってニーナと同じ境遇ゆえにあいつへ消しようのない憎しみを抱いているのは確かだ。

 でも、僕のそれは二人に影響されて持っているだけに過ぎないのではないか? 本当に、僕自身の心の底からの感情だろうか?

 答えの出るはずのない自問自答。だが、一度湧き出した自身への疑念は留まるところを知らない。

 ……くそっ、戦う理由とか善悪観念なら迷わないで答えを出せるのに、どうしてこんな部分で悩むんだか。

「……っ!」

 無言で下唇を噛み締め、皮膚を突き破って血を出す。少しくらい自分を痛めつけないと冷静になれそうになかった。

「……行くか」

 もう兄さんたちの姿はどこにも見えないけれど、後を追えばすぐに見つかるだろう。

 そう考えて、僕は兄さんたちの消えていった方向へ歩き出した。

 ……もっとも、その目論見は二分後に潰える羽目になったが。





 簡単な問題を出そう。

 あなたは絶対に見られたくないものがあり、そこに到るまでの道には警備兵であれトラップであれ、ありとあらゆる障害を仕掛けることが可能です。そして予算に限度はありません。あなたはどうするでしょう?

 答えは聞くまでもないだろうがトラップも警備兵もありったけ使う、になる。

「し、死ぬかと思った……」

 さっきからの二分間だけで五回くらい死を覚悟した。ハッキリ言ってシャレにならないレベルの罠だ。

 音もなく毒矢が飛んできたり、いきなり天井が落ちてきたり、左右の壁が押し潰さんと迫ってきたり、兄さんたちはどうやってこのトラップを突破したのだろうか。

 ……というか、こんなトラップがあったのでは職員だってうかつに通れないはずだ。

 それなら考えられるパターンは二つ。

 一つ目として、ここは職員の人たちすら中身を知らないブラックボックスとなっているパターンだ。

 ニーナは罠とか毒とかの知識に関しては他の追随を許さないほど詳しい。その彼女が罠を解除していないことを考えると、解除用の仕掛けを発見できなかった場合となる。

 ……まあ、ついさっきまでのニーナは冷静さを欠いていたようだから、自分一人だけ突破して後のことを考えずに突き進んだ可能性も否定できないのだが。

 もう一つは罠の発動条件だ。ひょっとしたら魔法で『女性には発動しない』という条件付けでもされているのかもしれない。もちろん、実際はもっと複雑な条件となっているだろうが、偶然ニーナがそれをくぐり抜けた可能性はある。

 なら、兄さんはどうなるって話だが、こっちは簡単だ。



 罠が発動しようが構わず走り抜けてしまえばいい。



 兄さんのスピードなら難なくこなすだろうし、あの得体の知れない天技とやらを使えば僕の想像を遥かに越えた機動を可能にするだろう。

 ……本当、あの天技ってどんな理屈で行われているのやら。本人に聞いても『知らん。師匠からも考えるな、感じろって教わったしな』としか教えてくれなかった。

 とにもかくも、そんなトラップに関しては人外な人たちが後ろにいる僕のことを気遣わず、先に進んだのなら、この状況もあながちあり得ないわけではない。

 ということで、兄さんのように素早くもなく、ニーナのように獣じみた直感で罠を発見することもできない僕は今現在、罠の洗礼を思う存分身に浴びていた。

「ひどいよ二人とも……」

 僕は何とか無傷でここまで来たものの、すでに精神的にボロボロだった。もう、なんていうか泣きたい。

 大体、ニーナはともかく兄さんまでどうして僕の存在を忘れる。後を追いかける人間の身にもなってほしい。

「とにかく追うしかないか……。幸い、道は一本道だし」

 そのおかげで罠が避けにくいったらなかったが。特に毒矢は何かの胸騒ぎに従って後ろを向いていてよかったと心から思った。

 ……ヤバい、心が折れそう。

「……頑張ろう。頑張れ僕」

 自分で自分を励まして心を奮い立たせながら、僕は再び歩き出そうとする。その瞬間――



 床が消失した。



「は――」

 口から気の抜けたような声が漏れ、同時に命がヤバいという情報が脳まで行かず、脊髄で処理される。

「――っ!」

 即座に《風撃(ウインド)》の術式を組み上げ、自分の体を打ち上げるつもりで腹にぶち当てる。

 しかし、腹に伝わったのは拳の痛みだけで、風圧による動きはまるでなかった。

(ウソだろ!? 僕の魔法が発動しなかった――魔法封じ!)

 連鎖的に情報が答えを導き出す。よく見たら壁に模様のようなものが描かれており、それが非常に強力な魔法封じである事実に僕は心の底から震え上がる。

 僕は魔法が使えなければちょっと一般人より腕の立つ人間でしかない。ニーナみたいに獣じみた勘もないし、兄さんのように化け物じみた白兵戦技術もない。

「ひゅ……っ!」

 喉から引きつった声が漏れ、現状を打破できる奇策を練ろうと頭がフル稼働する。

 しかし、魔法を使えないという前提のもとで僕ができることはまったくなかった。

(次善策だけどこの魔法封じが抜けた瞬間に魔法発動! 最悪、即死だけは免れる!)

 もうすでに登ることは不可能なほど落ちてしまっている。ならば落ちた先でも上れる道があることを祈るばかりだ。

 ……というか、いつまで落ちるんだこれは? しかも徐々に下の方が明るくなってきたし――、

「う、うわっ!?」

 明るくなってきた、と思った瞬間に足元の空間が開け、下に地面が広がる。

 なぜ地面? などと思う暇もなく両手に《風撃(ウインド)》の術式を構築し、叩きつけるように発動する。

 今までの落下の衝撃をなくすようにフワリと広がる風。それによって僕は何とか九死に一生を得た。

「ふへぇ……、危なかったあ……」

 落下している最中も下らないことを考えていてよかった。もしあそこで意識を失っていたら僕の命は終了していた。

 なのでしばしの間、自分で掬い上げた自分の命のありがたみをしみじみ実感する。ああ、生きてるって素晴らしい……。

「…………さて、そろそろ現状把握しよう」

 生きている実感を堪能し尽くした後、僕は辺りを見回してみる。

 かなりの距離を落下してきたのは確かだが、広がる空間には柔らかな光が満ちており、踏み締める地面は土と草の感触がする。おまけに視界の向こうには森まで広がるほどだ。

 ドーム状になっている天井さえなければ、ここが地上と言われても違和感なく受け入れられるだろう。事実、地上から落下してきた僕でもここを地上であると錯覚してしまったほどだ。

「ここは……地下、だよな?」

 呆然と見渡し、天井の存在からここが地下であることを確信する。街の地下、という単語から連想される事柄はただ一つ。

「……魔法陣、か? ここにもあるのか? ……いや、あり得ない」

 自分で言ってからそれを否定する。魔法陣は世界規模で円を描くように点在するはずだ。その考えでいくと、ここに存在するのはあり得ない。

 円を壊してしまうことは魔法陣作成において最もやってはいけないことの一つだ。魔力が循環しなくなり、最悪の場合は魔法陣作成に注ぎ込んだ魔力が全て暴走する。

「考えても仕方ない……。とにかくニーナたちと合流できるよう祈るしかないか……」

 思索は無駄だと結論づけ、僕はとりあえず適当な方向に歩き出すことに決めた。

 そして踏み出した第一歩――



 ――足元にいきなり転移の魔法陣が現れた。



「え……?」

 思考の隙間を突かれたそのタイミングに僕はまるで反応ができず、ただ魔法陣が発動するのを他人事のように眺めていた。

 そして僕は、その場から消え失せた。


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