リョホーセン帝国民視点 後編
連続更新3本目です。も、もう書けまへん……。
今回、残酷な描写があります。
~ フラウクン村の農夫視点 ~
「あぁ…畜生……」
村から出て少し行ったところにある丘の上から村の方を眺め、悔しさと絶望が綯交ぜになった声を零す。
広大な麦畑が広がる長閑で美しい村は、今は人間の子供くらいある巨大な虫達に占領されていた。
その光景を、周りの村民達も悔しそうに眺め、あるいは絶望に沈んで嘆いていた。
「お父さん……」
手を繋いだ娘の不安そうな声にハッとする。
隣に視線を下すと、まだ幼い娘の不安に満ちた瞳と目が合った。
(馬鹿野郎!父親が娘を不安にさせてどうする!!)
自分で自分を叱咤すると、俺は無理に笑顔を浮かべて娘の頭を撫でた。
「大丈夫だよエイミー。すぐに兵士さん達がやって来て、奴らを追い払ってくれるからね」
「本当に?またすぐに村に帰れる?」
「ああ、もちろんだ。でも兵士さん達の邪魔になるといけないから、今はここを離れないといけないんだ」
そう言いながら身を屈めると、小さな娘をそっと抱き締め、安心させるように優しく撫でる。
すると、娘は強張っていた身体から力を抜き、少し不安が薄れた声で「うん、分かった」と答えた。
その声に、罪悪感を刺激される。
帝国軍は、来ない。
それは害虫共の襲撃を知らせてくれた兵士から聞いた、確かな情報だ。
その兵は途中で度重なる襲撃を受けたらしく、這う這うの体で村までやって来た。
仲間は全滅したらしく、たった1人で、それでも俺達に緊急事態を伝えなければという使命感から何とかこの村まで辿り着いたのだ。
彼は今疲労困憊の様子で、共に避難した村人達に介抱されている。
彼のもたらした情報のおかげで、俺達は害虫共が村に来る前にこうして避難することが出来た。
しかし、それだけだ。
後続の部隊が派遣されていない、いや、よしんば派遣されていたとして、数時間の内に現れたりはしないだろう。そして、数時間もあれば全ては終わっているだろう。
あの害虫共は雑食だ。
あれだけの群れなら、村に備蓄してある食料はもちろんのこと、厩舎の家畜も、収穫間近の畑の麦も、尽く食い荒らされてしまうだろう。
帝国軍が来るとして、そうなってしまってはもう遅い。
食料も収入源も絶たれた村に、生き延びる術などあるはずもない。
今この時を以て、俺の生まれ育ったフラウクン村は、終わったのだ。
娘を抱き締めながら、愛する村を好き勝手に荒らしまくる害虫共に、憎しみを込めた視線を向ける。
と、その視界に奇妙なものが映った。
霧だ。
今日の晴れた天候に似つかわしくない霧が、村の中央付近から湧き上がり、瞬く間に村を覆い尽くしていく。
あっという間に広大な麦畑も憎き害虫共も、その霧の中に飲み込まれてしまった。
今だかつて一度も見たことない超自然現象に、俺達は一時的に怒りも悲しみも忘れ、皆揃って唖然とする。
その時不意に風向きが変わり、村からこちらに向かって風が吹き付けて来た。
村を包んだ奇妙な霧は、風に吹かれても拡散することなくそのままの形を保っていた。
しかし、風に乗って微かに害虫の上げる音が耳に届いた。
ギギッとかヂヂッヂッとか聞こえるそれは、気のせいでなければ悲鳴のように聞こえた。
するとその時、1匹の害虫が霧を突き破ってこちらに向かって飛んで来た。
しかし、俺達が身構える間もなく、どこか錯乱した様子で飛んで来たその害虫は、天より降り注いだ雷に打たれて墜落した。
(何なんだよ!霧の次は雷?一体どうなってんだ!!)
混乱しながら雷の発生した村の上空に目を向け…俺は更なる混乱に見舞われた。
そこには、1つの人影が浮かんでいたのだ。
周囲の村人達も、続々とその人影に気付いたようで、皆その人影を指差してどよめきを上げている。
「お、おい、あれ!」
「はっ…?えっ、人?う、浮いてる?」
「う、嘘だろ?」
「おい、あんた!あれはあんたの仲間か?帝国の神術師様が助けに来て下さったのか!?」
一人の男が、村に危急を告げた兵士に尋ねる。
自然、皆の視線がその兵士に集中するが、その兵士は大きく目を見開いて宙に浮く人影を凝視したまま、ゆっくりと首を横に振った。
「し、知らない。俺の部隊に神術師はいなかった。いや、そもそもあの霧はあの神術師が起こしたものなのか?あんな広範囲で神術を使いながらあの威力の雷属性神術を使うなんて…そんな神術師、帝都でも見たことが……」
最後の方はほとんど独白のようになっていた。
呆然としたままの兵士に、更に男が詰め寄ろうとするが、再び走った閃光と轟音に、ビクッと体を跳ねさせて振り返った。
俺も村の方を振り返ると、ちょうどまた霧を突き破って飛び出した2匹の害虫に、雷が降り注ぐところだった。2匹の害虫は僅かな抵抗も許されずに再び霧の中に叩き落される。
その後も何度か害虫が飛び出し、その度に閃光が空を裂いた。
しかししばらくすると、ぱったりと害虫が飛び出て来なくなった。
風に乗って微かに聞こえていた、害虫共が上げる音も一切聞こえない。
すると、風向きが急激に変化した。
そして、風に乗って若い娘の声が聞こえてきた。
『怪我人はいませんか?』
耳にするりと入り込んでくる落ち着いた綺麗な声に、皆で互いに顔を見合せて戸惑う。
だが、俺は直感的に、この声の主があの人影であることを察した。それと同時に、この質問に答えるべきだと。
「怪我人はいない!全員無事だ!」
聞こえるかどうか分からない。いや、普通に考えれば聞こえるはずもないが、俺は真っ直ぐに宙に浮かぶ人影を見詰めながらそう叫んだ。
周囲の村人の視線が自分に集中するのを感じながら待っていると、間もなく再び声が聞こえてきた。
『そうですか。ならすぐに村へ戻ってください。害虫は駆除しました』
突然告げられた信じ難い言葉に、再び村人達がざわつく。
しかし、その困惑を振り払うように、突如村を覆っていた霧が消え去った。
そこには、物言わぬ害虫の骸が大量に転がる村の光景があった。
民家の屋根に取り付いていた害虫も、麦畑を飛び回っていた害虫も、等しく地面に落ちてピクリとも動かない。
その光景をただ呆然と眺めていると、もう一度声が聞こえてきた。
『さあ早く。そこは危険です』
その声に、しかし村人達はまだ動き出さない。
まだ完全に不安が消えないのだろう。
皆、周囲の人間の顔色を窺って逡巡している。
俺は……
「お父さん…」
困惑したように俺を呼ぶ娘にそっと微笑むと、そのまま抱き上げ、村に向かって歩き出す。
すると、その姿を見た村人達が1人、また1人と付いて来るのを感じた。
皆で並んで、村に向かって麦畑の間を抜けて行く。
後ろに続く村人達は、皆頻りに周囲を気にしているようだった。
今にも麦を突き破って害虫が飛び出して来るのではないかと警戒しているのだろう。
俺だって不安がないと言ったら嘘になる。
だが、同じくらい安心感と信頼感もあった。
たとえ何かあったとしても、今も空から俺達を見守ってくれている少女が必ず守ってくれるという信頼が。
結局危惧したようなことは何も起こらないまま、俺達は無事に村に辿り着いた。
村の中もあちこちに害虫の死骸が落ちていて、正直かなり気持ちが悪かった。
それらから目を逸らすように視線を上に向けると、先程よりは大きく見える少女の人影が、大きく腕を広げた。
途端、その全身から放たれる凄まじい光。
少女の人影は白銀の輝きを纏いながら、その神々しい輝きをどんどん強めていく。
「きれい…」
腕の中の娘が、そっと囁く。
それを皮切りに、周囲の村人から次々と感嘆の声が上がった。
しかし、次の瞬間起こった現象にその声は驚愕の声に変わった。
広大な麦畑の更に向こう側から、一気に地面が盛り上がって来たのだ。
たちまち村全体が土の壁にぐるりと包囲され、更には細かい格子状に分岐したドーム状の屋根にすっぽりと覆われてしまったのだ。
「あ、ありえ、ない……」
兵士の男が喘ぐように漏らした声が、やけに響いた。
誰もが度肝を抜かれて立ち尽くす中、やがて村長を務めるこの村の最高齢の老人が、ゆっくりとその膝を折り、跪いて祈りを捧げ始めた。
「おぉ、神よ…」
それを見た村人達も、次々と跪いて祈りを捧げ始める。
「神よ…」
「感謝します、神よ…」
「聖女様…」
俺もそっと娘を下すと、同じように跪いた。
「エイミー、感謝を捧げるんだ。この町を救って下さった聖女様と、その聖女様を遣わしてくださった神様に」
「うん、分かった!」
そう言うと、娘もその小さな手を組んで静かに祈りを捧げ始めた。
フラウクン村に、村人達の静かな祈りが満ちた。
~ キレクン村の村娘視点 ~
村の大きな空き倉庫に、苦しそうな呻き声と悲嘆に満ちた泣き声が響いていた。
「お父さん!しっかりして!!」
粗末な筵に横たわる父に必死に声を掛ける。
父は私の声に微かな呻き声で応えるが、その声はさっきまでよりも明らかに弱々しくなっていた。血を流し過ぎて意識が朦朧としているのか、言葉になっていない声しか出さない上、視線も定まっていない。
「あぁそんな…おばあちゃん!!」
藁にも縋る思いで、この村唯一の薬師である老女を呼ぶ。
しかし、老女は他の怪我人を手当てしながらチラリとこちらを見ると、無情な一言を放った。
「あたしに出来ることはもう何もないよ。後は本人の気力次第さ」
「そんな…」
分かってはいたことだが、それは事実上の死の宣告だった。
この村にはお医者様がいないのだ。薬師である彼女に出来ることなど、簡単な傷の手当と薬の投与だけだ。
父も、害獣に裂かれた腹に傷薬を塗って布を巻かれているが、一行に血が止まる様子がない。
「あぁ…おねがい、止まって…止まってよぉ……」
布の上から傷口を押さえ、少しでも血が流れるのを止めようとするが、自分の手が血で汚れるだけで全く血が止まる様子はない。
父の命が、少しずつ流れ出していく。
必死に両手で押し戻そうとするが、その手をすり抜けて容赦なく零れ落ちて行く。
「あぁ…誰か、お父さんを助けて!…神様……っ!!」
もう、どうしようもなかった。
非力な私には、もう誰かに縋るしかなかった。
傷口を押さえる両手に額を押し付けるようにして、ただひたすらに祈った。
誰か助けて下さいと。
誰も助けてくれないならせめて神様、お父さんを連れて行かないでと。
ただ、祈った。
ただ、祈るしかなかった。
そして、その祈りは奇跡的に届いた。
倉庫の入り口が騒がしくなり、私は何かに導かれるように顔を上げ、そちらを見た。
そこには、光を背負って立つ1人の女性がいた。
うっすらと銀の輝きを纏う白装束の彼女を見て、私は自分でもよく分からないまま、ただ直感的に、救いが来たのだと悟った。
その女性は真っ直ぐに私の元に歩いて来ると、そっと父に手を翳した。
その瞬間、父の身体を温かな光が包み込んだ。
そして私は、両手で奇跡を体感した。
流れ出した血が、零れ落ちた命が、父の身体の中に戻って行く。
そしてもう2度と零れ落ちないよう、しっかりと傷が塞がる。
私はそれを両手の下で確かに感じた。
「あぁ………」
それが安堵の声だったのか、それとも感嘆の声だったのか、自分でもよく分からなかった。
ただ、もう大丈夫なのだということだけははっきりと分かった。
しばし気が抜けてボーっとしてしまったが、唐突にお礼を言っていないことに気付いて慌てて顔を上げた。
だが、その時にはもう彼女はそこにはいなかった。
慌てて周囲を見渡すと、彼女は他の怪我人を次々と治療しながら、奥へ奥へと歩いていた。
私や薬師の老女、その他の救われた人達が言葉もなく見送る中、彼女はやがて倉庫の一番奥に辿り着いた。
一番奥、既に亡くなった人達が横たえられている場所へ。
怪我人の苦しむ声がなくなった今、遺族の嘆く声がやけに響いた。
誰もが亡くなった大切な人の側で涙を流し、その遺体に泣き縋っていた。
彼女は、その光景を前に立ち尽くしているように見えた。
後ろ姿からはその表情は分からないが、何となく、彼女が心を痛めているのだけは伝わって来た。
やがて彼女はゆっくりと両手の籠手を外すとその場に置き、続いてフードを外した。
薄暗い倉庫の中に、銀の輝きが映えた。
美しい銀髪を靡かせながら、彼女は静かに1人の遺体の元に歩み寄った。
その遺体はこの村の自警団の男だった。
火を吹く害獣に左上半身を焼かれ、凄惨な表情で亡くなっていた。
彼女は遺体の横に膝を下ろし、遺族であるその男の妻に何かを囁いた後、そっとその手を伸ばした。
誰もが触れるのを躊躇うような無残な火傷痕に、迷わず手を触れると、そっと上から下へと撫でて行く。
動きとしてはそれだけ。しかし変化は劇的だった。
その手が通った後の男の肌は、先程までの火傷痕が嘘のように消え、滑らかな肌を取り戻していたのだ。
そのまま全ての火傷を消すと、最後に腰を上げ、遺体の頭の方に回った。
その時、初めて彼女の顔が見えた。
若い。私と同じくらいか、もしかしたら年下かもしれない。
しかし、そんな驚きが霞んでしまうほど、彼女は美しかった。
その横顔は冗談のように整っていて、整い過ぎているが故のある種の冷たさを感じさせた。
しかし、そこに浮かぶ微かな悲痛の表情が、その冷たい美貌に人間的な温かさを与えていた。
誰もが息を呑んで見守る中、彼女はもう一度遺体の顔に手を翳した。
その手がゆっくりと退けられた時、そこには穏やかな表情があった。
それは、さっきまでの凄惨なものとは比べ物にもならないほど穏やかで、まるで眠っているかのような綺麗な遺体だった。
誰もが言葉を失う中、彼女の声が妙に響いた。
「ごめんなさい。これくらいしか出来なくて」
その声はその容姿と同じく美しかったが、やはり微かな悲痛を宿しているように聞こえた。
その言葉に、男の妻は顔を伏せると、絞り出すような声で答えた。
「いえ…ありがとう、ございます……主人もっ、うぅ、きっと、喜んでいると、思います………っ」
そのまま夫の亡骸に縋りつくと、静かに啜り泣く。
彼女はその言葉に少しだけ何かを堪えるように唇を引き結ぶと、そっと立ち上がり、次の遺体の元へ向かった。
それから、彼女は全員分の遺体を綺麗にした。
その間、私達は静かにそれを見守り続けた。
やがて全ての遺体を綺麗にすると、彼女は倉庫の奥からゆっくりと全ての遺体を見渡し、静かに死者への祈りを捧げた。
助かった村人も、大切な人を亡くした村人も、皆彼女に倣って祈りを捧げ始めた。
私も胸の前で両手を組むと、顔を伏せて目を閉じ、亡くなった人達への祈りを捧げた。
やがて、ふっと彼女の気配が消えた。
目を開けて顔を上げると、彼女は既に影も形もなくなっていた。
村人達も続々とそのことに気付き、あちこちでさざめきが起こった。
「う……」
「!お父さん!!」
微かな呻き声に視線を落とせば、父がうっすらと目を開いていた。
「テナ?お、俺は…」
「大丈夫よ。もう大丈夫。神術師様が…ううん、聖女様が助けてくださったから」
「聖女…様?」
「そうよ。とっても綺麗でとっても慈悲深い聖女様」
そう父に満面の笑みで伝えると、私はもう一度祈りを捧げた。
死者にではなく、今度はあの優しい聖女様に。
直接伝えることが出来なかった、この胸いっぱいの感謝を込めて。
~ ルービルテ辺境伯領領軍部隊長視点 ~
「ふん!」
馬上から剣を振るい、熊型の害獣の止めを刺す。
完全に事切れたのを確認してから、ふっと息を吐いて剣を納めると、周囲を警戒していた部下から声が上がった。
「隊長!新手です!」
「何ぃ?全く、休む暇もありゃせんのぉ」
その声がした方を向くと、森の中からここらでは見たことのない牛型の害獣の群れが出てきよった。
体格自体は普通の牛に近いが、角が異常に大きくねじくれておるのだ。
「なんじゃありゃ。誰か知っとるもんはおるか?」
周囲の部下に聞くが、誰も心当たりはないようじゃった。
しかし、その巻角牛の群れはこちらに向かって突進して来る。
「しゃーないのぉ。総員弓を持てぃ!!」
大声で指示を送りつつ、自分も背負っていた弓を外すと、矢を番えて構える。
部下が素早く隊列を整え、一斉射撃の準備に入ったところで、腹の底から大声を張り上げる。
「射ぇぇぇぇーーー!!!!」
声に合わせ、未知の害獣の群れに向けて一斉に矢が放たれる。
その矢は狙い違わず次々と牛型の害獣に突き刺さった。が…
「ふん。止まらんか」
巻角牛達は矢を受けながらも一切怯むことなく、ぐんぐん距離を詰めてきよる。
未知の害獣を相手に近接戦闘はなるべく避けたいんじゃが、そうも言っていられないかもしれんの。
とはいえなるべく遠隔攻撃で数を減らすに越したことはない。
そう考え、もう一度一斉射撃を行おうとするが、その行動は中断させられた。
森を突き破って出現した、巨大な影によって。
「むぅ!?」
「なっ、牙竜種!!?」
それは巨大な牙竜種じゃった。
凶悪な牙を備えた大きな頭部を前方に傾け、猛然と巻角牛の群れを追い掛けてきよった。
しかもどうやら、木々が邪魔になる森ならばともかく、平地では牙竜の方が速いらしく、あっという間に最後尾の巻角牛がその顎に捕われてしもうた。
「た、隊長」
「撤退じゃあ!!総員、全速力で退けぇぇぇい!!」
副官の指示を窺う声に、迷わず撤退宣言をする。
あんなもん勝てる訳がないわ。
かれこれ40年近く兵士をやっておるが、牙竜種と遭遇したことなど過去に2回しかない。そのどちらも、上級神術師がいたにも関わらず100人以上の犠牲が出たのじゃ。
こんな神術師もいない20人弱の部隊では万に1つも勝ち目などないわ。
しかも…
「なっ!もう1体!?」
森を突き破り、更にもう1体同種の牙竜が現れおった。
「どうやら番らしいのぉ。男女の仲にチョッカイ出すなんぞ命知らずの所業じゃ。それが牙竜なら尚更のことの。ほれ、さっさと逃げるぞ」
見たところあの牙竜は巻角牛の群れを追っているらしい。
進路から外れれば儂らが襲われることはないじゃろう。
そう思い、巻角牛の群れの進行方向と垂直になるように真横に逃走し始めた。のじゃが…
「隊長!奴ら追ってきますよ!」
「むぅ、あの牛共、儂らを巻き込むつもりか」
何と、奴ら進路を変えて儂らに追い縋ってきよった。
最初に弓矢で攻撃したのも不味かったのかもしれん。
とはいえ、今更止まることは出来ん。近くに逃げ込める場所もない以上、振り切れることを期待して逃げ続けるしかないわ。
「振り返るなぁ!全速前進!!」
馬に鞭を入れ、身を屈めて全力で馬を飛ばす。
じゃが、連戦で疲労した馬は思った以上に速度が出んかった。
振り返らずとも、背後から聞こえる足音がどんどん大きくなっていることから、徐々に距離を詰められていることだけは分かる。
「隊長!このままでは――」
「む…」
これはいよいよ覚悟を決めるべきかもしれん。
そんなことを思い出した時、儂の視界に2つの赤い何かが映った。
「む、あれは…」
右斜め前方からぐんぐんと近付いて来る2つの赤い影。
副官もそれに気付いたようで、訝しそうな声でその正体を呟いた。
「赤飛馬…?なぜここに?しかも2騎だけ?」
「阿呆ぅ、そっちではないわ。あの左の騎士の得物を見てみんかい」
「得物?ただの槍では………っ!?」
「ようやく気付いたか。儂の見間違いでなければあれは…“崩天牙戟”じゃ」
「ん、な……」
儂の言葉に、副官が絶句する。
無理もないのぉ。何せあれは帝国の至宝。あれがこの場にあるということは、その持ち主は当然……。
そう考えていると、ちょうどその右側の騎士が速度を上げて儂らの方に近付いてきよった。
いや、儂らにではなく、儂らを追う巻角牛の群れに、というべきか。
「おい!そこのあんた!何やってる!?早く逃げろ!!」
それに気付いた部下の1人がそう警告を発するが、そんなものを意に介することなく、その騎士…いや、そのお方は馬を駆って、儂らとすれ違う。
「馬鹿!何を………っ!!?」
同じ部下が、普通に考えればあり得ないその行動に声を上げるが、その声もすれ違いざまに膨れ上がった圧倒的な力の気配によって呑み込まれた。
「だぁらっしゃあああぁぁぁあぁぁ!!!!」
赤飛馬の上から1つの影が宙に飛び出し、空気が軋むような異様な音と共に巻角牛の群れの中心に突き刺さった。
ドッッッガガァァァァァン!!!!!
建物が崩落したのかと思うような轟音が鳴り響き、派手に土煙が舞い上がる。
その土煙に紛れて、血飛沫と肉塊が辺り一面に降り注いだ。
そして訪れる静寂。
いきなり仲間の3分の1近くを吹き飛ばされた巻角牛も、それを追い掛けておった2頭の牙竜も、そして儂らも、等しく動きを止めて、その惨状の中心に立つ人影を窺っておった。
ぶぉんという風切り音と共に土煙が吹き散らされ、その人影が露わとなった。
その人物は儂らに背を向け、真っ直ぐに牙竜種を見上げると、傲岸不遜そのものな言葉を放った。
「ハッ!ようやく歯応えがありそうな奴が出て来たじゃねぇの」
人間が…いや、たとえ神術師でも身の程知らずという誹りは免れないであろう言葉。
しかしその後ろ姿には、その言葉が無知から来る戯言ではないと思わされるだけの、圧倒的な強者としての覇気があった。
その覇気に圧されたかのように、周囲の巻角牛が僅かに後退りし……突然、5頭の巻角牛が力なく倒れ伏した。
その周囲にいた巻角牛が、突然倒れた仲間に動揺する。
「雑魚は私がやる。牙竜は任せたぞ」
「最初っからそのつもりだっつーの。こいつらは俺の獲物だ!」
声が上がった方向を見ると、先程近付いて来た赤飛馬の片割れがすぐ近くで止まっておった。
その騎乗者の顔を見て、流石に儂も驚いた。
「ツァオレン皇子!?あのお方まで来ておられたのかっ!?」
儂の声を聞き、部隊全員からどよめきが上がった。
「ではあちらは皇太子殿下!?」「なぜここに!?」「ほ、本物か?」などなど声が上がるが、それも皇太子殿下が全身に光を纏い出したことでやんだ。
空気がびりびりと震えるような威圧感。
2頭の巨大な牙竜に比べれば遥かに小さなその身体が、一気に膨れ上がったかのように思われた。
そのあまりにも暴力的な戦意を正面から叩き付けられた牙竜が、耳を弄するような咆哮を上げる。
それに対して殿下も大きく息を吸い込むと、
「来いやぁぁぁぁぁ!!!」
牙竜のそれと勝るとも劣らない咆哮を上げ、猛然と2頭の牙竜に襲い掛かった。
あっ、イェンクーの戦闘シーンはカットです。
べ、別に梨沙の戦闘描写で力尽きた訳ではないですよ?
単純に、主人公を差し置いてがっつり活躍の場を用意してあげる程、この章での彼らの重要度高くないので…(ヒドイッ!)。
読者様から熱烈な要望があれば、後でチョロッと書きますけど…まあ、ないでしょう。2章登場キャラで1番人気あるのって、ローランさんでも皇子兄弟でもなく赤鬼さんっぽいですし(作者がそれを言っちゃう!?)。
まあ彼らは彼らで頑張っているんだよってことでここは1つ。
それにしても今日更新した分、合計で2万字越えですよ。
これだけ頑張ったんだから、来週はバレンタイン短編だけでいいですよねっ?
…まあそのバレンタイン短編も、1万字越えの気配がぷんぷんしてるんですけどね…(白目)。