イミオラ・ユーゼイン視点③
それは、互いに絡み合い呑み込み合う無数の蛇の群れのようだった。
わたくし自身、実戦級の大規模行使は初めてとなる原初の御業の1つ。
神罰“蒼き終焉”
その結果を、わたくしは儀式場となったオルミニウス大聖堂を支える柱の間から眺めていた。
まるで、地を這う無数の青い大蛇。
聖地を囲む堀から流れ出した膨大な量の水が、各所で激しく波打ち、ぶつかり合い、渦を巻き、進路上にあるもの全てを驚異的な質量で呑み込み、圧倒的な水圧で圧し潰していく。
その激しく荒れ狂う怒涛は襲撃者の背後から一気に押し寄せ、瞬く間にそこにいる全ての人間を呑み込んだ。
襲撃者も……騎士も、術師も、全て等しく。
等しく呑み込み、圧し潰し、地面に叩き付け、青い水の中に点々と真っ赤な染みを生み出す。
「ああ、ああ……」
「おお、神よ……」
「お許しください、お許しください……」
わたくしと共に神罰を行使した術師達が、その凄惨な光景に泣き崩れる。
わたくしも叶うならそうしたい。今も膝の震えと込み上げる吐き気を抑えるのに必死だ。それは、全身を襲う疲労感だけが原因ではない。
でも、目を逸らすわけにはいかない。指示したのはわたくし。実行したのもわたくし。この光景は、わたくしが生み出したものなのだから。
「イミオラ様……」
「……大丈夫」
心配そうな表情でそっと声を掛けてきた、わたくしの側近にして親友であるソフィに、わたくしは精一杯の虚勢で返す。
本当は大丈夫ではない。でも、部下の前では毅然とした態度でいなければならない。
「わたくしは……神の御許には行けないでしょうね」
それは、ついポロッと零れてしまった言葉だった。
しまったと思い、サッと背後を窺って部下達に聞こえていないことを確認する。
「……イミオラ様が罪人だというなら、わたくしもそうです。イミオラ様が地の底へと堕とされるというのなら、その時はわたくしも共に参りましょう」
「……ありがとう」
そのソフィの言葉に、わたくしはようやく微かに笑みを浮かべることが出来た。
その時、それを維持する術者がいなくなったことで、戦場を照らしていた光球が次々と消えた。それは、さながら戦士達の命の灯が消えるかのように。
そして、暗闇が訪れた。もはや南方の内壁の外には、星明りを反射してうねる水が微かに見えるだけとなった。
「終わった、ようですね」
「ええ」
結界も破壊され、あれだけの乱戦状態になったところで背後から神罰が襲い掛かったのだ。もはや内壁の外に布陣していた襲撃者は誰1人として生き残ってはいまい。
あとは、内壁の内側に侵入した敵の掃討だけだ。
そう思い、背後を振り返って部下に指示を出そうと──
「……ん?」
……したところで、暗闇の中に何かの光が見えて、眉根を寄せる。
荒れ狂う怒涛の中で、一点だけ小揺るぎもせずに光り続ける何かがある。
「あれは……?」
「? なんでしょう? 何か、緑色の光が……」
「……緑色? っ!?」
その時、わたくしは不意に、この大聖堂に流れ込んでいた聖地の力が消えたのを感じた。
この聖地に宿る力は、聖地の各所に設置された専用の神具によって、この大聖堂含む数カ所に集中するようになっている。
その流れが、今途絶えた。
「何が──」
「イミオラ様! あれを!」
ソフィの言葉に慌てて視線を戻すと、そこには謎の光がゆっくりと上空へと浮かび上がっていく光景があった。
それを見て、わたくしはようやくその光の正体に気付いた。同時に、背筋にスーッと寒気が走る。
「そんな……なぜ……」
あれは……緑色の、風。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ぐ、ごふっ」
「あらあら、大丈夫? ゾレフちゃん」
「ぐっ、はあっ、やられたな……まさか、神殿騎士共がここまでやるとは」
「そうねぇ、神殿の戦力なんて“名剥ぎの罰”を頼りにした集団だから、それが通用しないアタシ達にとっては恐るるに足らないと思ってたんだケド」
「……まさか、捨て身の特攻を仕掛けるとはな。どうやら、奴らの覚悟を見誤っていたらしい」
傀儡に治療をさせながら、俺は先程の光景を思い出した。神罰を前に、最後の攻勢に出る騎士達の姿を。
すぐ目前まで迫る死を前にして、奴らは一歩も引かなかった。
口々に神への祈りや聖杯公、聖杖公への祝福を口にしながら、最後の最後まで果敢に立ち向かってきた。
その姿はさながら狂信者のようにも見え、しかしその瞳には一片の狂気も存在しなかった。ただ、隠し切れない恐怖とそれを上回る覚悟があった。
宗教と言えば、その中枢に近付けば近付くほど生臭さを増していくのが世の常だと思っていたが、どうやらこいつらは違うらしい。ここは……本当の意味で、この世の聖地なのだということがよく分かった。
もっとも、それが分かったところで俺がやることに変わりはないのだが。
「ちょっと一旦上に避難するわね? この風の防壁を維持してるのも大変だから」
「ああ」
ミッティーベールがそう言ってその手に持った羽扇を振るうと、足元から上昇気流が発生し、俺達を上空へと浮かび上がらせた。
(チッ、かなり数が減ったな)
傀儡共と繋がっているパスを頼りに周囲を探り、俺は内心舌打ちする。
助かったのは、俺達の周囲に護衛として置いておいた精鋭9名だけで、他には──
「……ん?」
その時、眼下の戦場に1体だけパスが残っている傀儡がいるのに気付いた。これは……
「ふっ、流石にしぶといな……おい、ミッティーベール。あそこだ。あいつも助けてやれ」
「うん? あそこ? ……ああ」
ミッティーベールが羽扇を振るうと、眼下で荒れ狂う怒涛の中から1つの人影が浮き上がり、こちらに近付いて来る。
先帝フェイグン・リョホーセン。流石に重傷を負っているようだが、異常なタフさを持つこの男のことだ。急いで治療すれば助かるだろう。
「ん? アラ?」
「む……どうやら、別動隊とエンガイが上手くやったらしいな」
「ふぅん……これが聖地の力? ふん……たしかに、いつもより少ない神力で大きな力が使えるわね」
一部の場所にのみ集中していた聖地の力が、それをコントロールしていた神具が破壊されたことによって聖地全域に拡散している。これで、俺達も聖地の力が利用できる。
「それで? これからどうするの? 今のアタシならまだしばらく飛んでられそうだけど、神力が尽きたら下の荒波に呑まれて死んじゃうわよ? とりあえず内壁の上にでも移動する?」
「……いや、手っ取り早くこの原初の御業を止めるとしよう」
「アラ? ってことは……」
「ああ」
俺は小高い丘の上に立つ大聖堂。そこにいるであろうイミオラ・ユーゼインの姿を思い浮かべながら、容赦なく命令を下した。
「神罰には神罰で返す。あの大聖堂をその周辺ごと叩き潰せ」
「いいの? 聖杯公と聖杖公は生きたまま傀儡にする予定じゃなかったかしら?」
「ああ、もういい。最低限、聖杯と聖杖さえ確保できればそれでいい」
「ふぅん……じゃあ、ここにいる傀儡の……そうね、3人くらい使い潰しちゃうけどいいかしら?」
「構わん、やれ」
「りょーかい。ンフ、楽しみ」
ミッティーベールは嗜虐的な笑みを浮かべると、その手に持つ羽扇……《ケルケイオスの扇》を、大聖堂へと向けた。
この聖地は、かつて七大神器が生まれた始まりの地。その力を借りて、《ケルケイオスの扇》がその真の力を発揮する。
大聖堂上空に、突如として緑色の嵐が吹き荒れた。
「ンフフ、アハハハッ! なんって快感! 素晴らしい高揚感だわ!! さあ、存分に泣き叫んでちょうだい!!」
周囲で鳴る風音を圧するように、ミッティーベールの哄笑が響き渡る。
そして、その手が大きく振られ──大聖堂に、嵐が竜巻と化して降り注いだ。