退屈だった。
フィードニア本軍とボルテン・グイザード連合国軍の戦いは、苦戦しているという情報が入ってきている。一方それと同時に南側ではカベル、若しくはスリアナが攻撃をしかけてくるだろうという当初の予想通り、カベルの国境でも現在両軍はぶつかっていた。
本軍と共に出兵出来ないまでも、こっちの戦いには参戦するだろうと思っていたのに、ジェドは一向に王都から動こうとしないのだ。
女の身でありながらユリアとダーナは戦場へ同行しているというのに、己はこんな所で暇を持て余しているだけかと思うと、そばで守ってやる事も出来ない歯がゆさも含め居ても立ってもいられず、だが現状はせいぜい訓練に身を入れる事くらいしかないのである。なんとも情けない限りだった。
こんな事ならジェドの直属部隊になるのでは無かったとさえ思えてきた。そうでなければ、今頃皆と共に剣を手に戦っていたというのに。
「おい、暇そうだな」
腐りながら一人剣を磨いていたラオに、声が掛けられた。今しがた彼が恨みがましく思っていた、張本人である。
「そりゃあ…一人戦いから取り残されれば、暇にもなりますよ」
このままじゃ体が鈍っちまうと、ラオは不貞腐れたように言う。
「ならば遠駆けに付き合え」
「遠駆け、ですか」
ジェドが誘ってくるなど、珍しい事があったものだ。意外過ぎて一体どんな心境の変化なのかと、訝しむ気持ちさえ沸き起こってくる。
「それは勿論構いませんが…一体何処へ」
ただ単に馬を走らせたいだけでは無いだろう。いや例えそうだったとしても、その行為にわざわざラオを動向させようなどと、この男が思う筈が無かった。
「ついて来れば分かる。暇つぶしに面白いものを見せてやる」
言いながらジェドはにやりと笑った。
ジェドはその遠駆けに、ラオが率いる第三中隊をついでに連れて来いと言った。そして数日程夜営が出来るだけの用意もしておけと指示する。
ひょっとすると戦いに参加する気になったのかと期待したが、彼が向かった先は二つの戦場のどちらとも違う方角だった。どこに行こうというのか、何をしようとしているのか、ジェドの考える事はラオには全く分からなかったが、それでもただ暇を持て余しているよりはましだろうと思えた。
部下達には訓練の一つだと説明し、後はひたすら彼の背に付いて走った。そして数日の後、王城から南東にあるエルウンゴン山の麓に到着した。
「総指揮官殿、一体ここに何が」
この辺り一帯に特に何か変わったものがある訳では無く、この山の向こうはただ海が広がるばかりである。エルウンゴン山自体も、せいぜい近隣に住む村人が野草を摘みに入る位のもので、貴重な植物が生えている訳でも金が掘れる訳でもないのだ。 この地で一体どんな「面白いもの」が見られるのか、見当もつかなかった。
「そう急くな、直ぐに分かる」
ジェドはそう言うと、山から隠れるように、中隊を小高い丘の下に休ませた。
山にやった斥候が戻ってきたのは、それから半日ほど経った頃だった。
「隊長……! 大変です、エルウンゴン山に敵兵が現れました…!」
「何だと……!」
兵士は慌てて掛け戻って来たのだろう、それだけ言い放つと息を整えるのに少しの時間を要し、それからやっと話を続けた。
「旗はスリアナの物です、敵の数は木々に隠れ正確なところは分かりませんが、恐らく一、二万では足りぬ程はいると……」
「馬鹿な」
エルウンゴン山の向こう側は、海岸などない切り立った崖であり、ましてや数万の兵士が上陸できるような船着場など有る訳も無いのだ。しかも山自体が道らしい道などなく、よもやそこから敵が攻めてこようとは思いもしない場所だった。
「やっと来たか」
ジェドが楽しそうに言う。
「総指揮官殿、何故ここから敵が現れると?」
問うラオに、ジェドは愚問だとばかりに片眉を動かした。
「何故もくそもあるか、今王都を攻めようと思ったら、ここしかないでは無いか」
事も無げにジェドは言う。
フィードニアはもともとが海沿いの小国であり、大国となった今も王都の移動が成されていない為、結果国の最南端に王都がある形となっている。
その為王都を攻めるには南や西の海岸から上陸するのが一番簡単であるのだが、その一帯は商船や漁船の往来が多く目につきやすい上、他国の軍船には警備隊や海軍が常に睨みを利かせていた。
かといってスリアナから直接王都へ兵を進めれば、直ぐにフィードニアにその進行が知れてしまい、折角分散させている兵が戻って来てしまうだろう。
だが南東にあるこのエルウンゴン山を通る道であれば、この辺り一帯が丘陵が多い地形である為、隊を目立たせる事無く進行する事が出来るのだ。気付かれた時には既にフィードニアの援軍が駆け付けるには間に合わぬ程に王都へ迫っており、敵は手薄になった王都を楽々と攻め落とす事が出来るという訳だ。
少し考えれば分かる事でないか、とジェドは詰まらなそうに言った。
「しかし、どうやってスリアナは数万もの兵士を……」
「切り立った崖しかないと言えど、それが比較的低い箇所もあるだろう。フィードニアの目がボルテンやカベルの戦いに向けられている今ならば、少数の兵であればフィードニアを通りエルウンゴン山に入らせる事も可能になる。あとは兵士に登らせる梯子なりを立ててしまえばいいだけのことだ。この道しか有り得んと思えば、幾らでもやり方など考え付く」
確かにここから攻める事が出来ると考えればその通りなのだろうが、有り得ぬことだと思っていたからこそ、そもそもがエルウンゴン山を超えるルートに警備を置いていないのだ。
であるからにはやはりこれはスリアナの奇襲以外の何物でも無く、それをあっさりと見抜いたこの男の力量の方が驚異なのである。
それを「少し考えれば分かる事」と一言されれば、凡人には立つ瀬が無いではないかと、ラオは苦笑した。
この男は意外に己の凄さに気付いていないのかもしれない。
総指揮官でありながら、総指揮を執らず自由気ままに動く男である。軍法会議でも興味が無さそうにするばかりで一言も口を開かず、さらには戦場でそれを無視する。
剣を持たせれば軍神のごとく、だが無茶苦茶な男である。彼が実際に総指揮を執る事など、誰も望んではいないに違いなかった。 だがそれは彼に総指揮を執る気が無いだけであって、執れない訳では無いのではないだろうか。
事実エルウンゴン山より西側からフィードニアを攻める事は、困難であるいうのが周知の事実であり、故に今回も二陣は東のカナル・スリアナからの攻撃しか想定していなかったのだ。
(クリユスよ、お前はひょっとすると、想像以上にとんでもない男を相手にしようとしているのかも知れないぞ)
己が後を追う男の凄さを知るのは喜ばしいことではあったが、いずれ袂を別つ事になるであろう親友の事を思うと、彼の行動が全てユリアの為である事を知っているだけに、ラオは複雑な心境にもなった。
「スリアナがここから攻めてくるという事が分かったのはいいのですが、相手が数万に対し、我らは千五百余り。 ―――けれど我らだけでこれを食い止めよと言われるのですよね、総指揮官殿」
「無論だ、他に援軍がいるように見えるか?」
聞いてみるだけ無駄なのである。今となってはこの無謀ともいえる行為に一々驚きはしないが、しかし流石にそれ全てを甘受出来るほどの心境には行きついてはおらず、無駄と分かっていても聞かずにはいられないのだった。
「数万の敵とはいえ、山道からの出口を封じてしまえば一斉に攻撃してくる事など出来ん。常に千五百の敵を相手にしていればいいだけの事だ。たいした戦いではないが、まあ暇つぶし位にはなるだろう」
これをあくまで暇つぶしだと言い張るのであれば、確かにこれ程充実した暇つぶしは無いであろう。
事も無げにそんな台詞を吐くこの男を恨めしく思いつつ、だがやはり己が付いていく男はこの男以外には有り得ないと、ラオは改めて思った。
*
男が指揮するスリアナ国王軍第三歩兵中隊は、山道を行くスリアナ軍の後尾に位置していた。彼は歯痒い思いで、軍の先陣を眺める。
―――この俺が先陣におれば、たかが一個中隊などにこうも手間取りはせぬものを。
エルウンゴン山を越える今回のスリアナの奇襲は、トルバ国の宰相が考えたことだという。同盟を結んでいるとはいえ、他国の人間が指図してくる事に腹立たしさは感じたが、確かにこれは盲点であり、フィードニアなどに見破られる筈も無かった。
だというのに山道の出口にフィードニア兵が待ち構えているという報告を聞いた時、男は酷く驚愕したが、だがそれもよくよく聞いてみれば一個中隊程の兵しかいないのだという。恐らくたまたま訓練で遠駆けでもしていた所で、運よくスリアナの旗を発見したのであろう。
だがスリアナの進行を知ったところで、一個中隊が三万の軍を相手に何が出来るというのか。そんなものさっさと捻りつぶしてしまえばいいのだ。
しかし先陣にいる第一歩兵中隊は、何故だかその一個中隊などに手間取っているようなのである。
「ハリスめ、突如現れたフィードニア軍に、まだ動揺でもしているのか」
言い捨て、男は舌打ちをする。
第一歩兵中隊長であるハリスは、まだ三十にもなっていない若造である。五十も半ばにしたこの男にしてみれば、まだまだハリスなど子供に毛が生えたようなものだった。先陣を任せるにはまだ経験というものが足りないのである。
「どうやらフィードニア軍を指揮する男が、中隊の将にはそぐわぬ強さを見せているようです」
部下の一人が言った。
それもその筈、様子を見に行った別の部下の一人が、その顔を見知っていた。その男は元ティヴァナ国王軍副総指揮官であったのだ。
「間違いはありません、私は以前ティヴァナに書状を届けに行き、間近で副総指揮官殿に拝謁致しましたから」
「なんと……」
確かに一、二年程前に、ティヴァナの副総指揮官が国外追放され、更に今はフィードニアにいるという噂を聞いた事はある。ならばそれが本当だったという事か。
あの大国ティヴァナの副総指揮官である。ハリスごときでは敵わぬのも当然といえよう。
だが幾ら指揮官が優れていようとも多勢に無勢である。我が三万の兵を打ち崩すことなど、出来る訳がないのだ。
――――これは、好機だ。
元とはいえ、ティヴァナの副総指揮官を倒したという事実は手柄として申し分が無い。更にこのままフィードニア王都を攻め落とせば、大隊長の座も近いものとなろう。
「このまま黙って待っていれば、フィードニアは疲労して自滅するわ。我らはそれを叩けば良いだけの事、軽いものよ」
ハリスの首位くれてやる。せいぜい勇んで戦い続けるがいい。
後尾にされた事に憤懣を感じていたが、それが逆に幸運だった。
男は顔に蓄えた髭を扱きながら、高らかに笑った。
「――――さて、それはどうかな」
突然見知らぬ声が頭上から降ってきた。
見上げると、そこには彼らを見下ろすように木の枝に立つ、黒い髪の男が居た。
「これ位の兵を倒せぬような男なら、この俺の直属部隊などと認めるものか」
面白そうに男は言う。ハリスより更に若年者であろうに、居丈高な物言いが気に食わなかった。
「何者だ、そこから降りて来い……!」
男は怒鳴ったが、木上の若造はそ知らぬ顔である。
「だがこんな詰まらん戦いで兵を無駄に減らすのも勿体ない。―――お前達、死にたくなければここから引け、そうすれば今回は生かしておいてやる」
「何を訳の分からぬ事を…! もうよい。誰か弓を貸せ、あやつを打ち落としてくれる…!」
部下の持つ弓をひったくるようにして奪うと、男は木の上へ向け弓矢を引いた。
何者か知らぬが、これ以上このおかしな輩に付き合ってなどいられなかった。
「そうか、では仕方が無いな。お前の死は、お前の責任だ」
言うと黒髪の若造は剣を引き抜き、木から飛び降りた。
男は狙いを定めた弓を放つ。
―――――男に認識する事が出来たのは、そこまでであった。
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