蒼いラビリンス : 番外編(4/6)PDFで表示縦書き表示RDF


蒼いラビリンス : 番外編
作:水樹裕



所長 4 「別れ」 最終話


 翌日、一睡も出来ずに考えた末、浩介は、衣笠の申し入れを受けることにした。

 それを伝えた時、衣笠は嬉しいと言うよりは、何故か、申し訳なさそうな複雑な表情を見せた。

「ありがとう、恩に着るよ」
 そう言うと、深々と頭を下げる。

「やめて下さい! さぁ、頭を上げて」

 頭を下げたままの衣笠の背に手を当てた浩介は、その余りの細さに、衣笠の病状が末期状態であること悟らざるを得なかった。 
 
「ただし、ひとつ条件があります。ちゃんと治療を受けること。もし、それを聞いて下さらないのなら、この話はお受けすることはできません。いいですか? 私はあくまで、教授が留守の間の代理の所長です。病気をきちんと治して、早く戻って来て頂かないと、困りますからね」

 そうきっぱり言う浩介に衣笠は、例の「悪戯を咎められた子供のような顔」をして
「はい、分かりました先生」

 右手をちょっと挙げて、おどけて見せた。



 衣笠から、所長の職を引き継いだ四ヶ月後の翌年二月、彼は帰らぬ人となった。 

 何度か見舞いに行った病室のベットの上で、彼は浩介に語ったものである。

「実はね、源一郎の亡くなったカミさんって言うのはね、私の初恋の人でね。その人を、彼と争って、負けたんだよ」

 懐かしむように遠くを見る目に、今はもう、悟ったような穏やかな表情しか浮かんでいなかった。

「あの子供達は、彼女に良く似ているよ……。存外、私はロマンチストでね」

 そう言って、やはり穏やかに笑っていた。 



 あの笑顔が、今も浩介の脳裏に焼き付いて離れない――。



 衣笠の訃報を聞いたその日、一日の仕事を終えた浩介は、珍しく時間通りに自室に戻った。
 その部屋を浩介は、衣笠が使っていた時のそのままの手を入れない状態で、使っていた。

 白衣をソファーの背に脱ぎ捨てると、そこに座り込む。
 疲れていた。
 身体がではない、心が。

 自分が他人の死にこんなにショックを受けるとは、浩介は思いもよらなかった。

 外科医と言う職業柄、患者の死に立ち会う事は、別に珍しいことではなかったのだ。
 十八の時、自分の母親が交通事故で死んだ時だって、こんな気持ちにはならなかった。

「お前は、冷たい人間だな……」
 そう言ったのは、父親だったか――。

 ”酒を飲みたい” 初めてそう思った。
 ――こういう時人は酒を欲する物らしい。

「一番大きな本棚の右上の棚の奥に、とっておきのお酒があるから、良かったら飲んでね」
 いつかの衣笠の言葉を思い出して、そこを探してみる。

 ウイスキーのボトルが出て来た。
 それを手に取ると、指先が何か小さな紙の様な物に触れた。
 ボトルの裏側に小さなメモが貼り付けてある。

『柏木君。余り、飲み過ぎないように』

 そう書かれてあった。

 そしてその言葉の下に、衣笠の似顔絵が描いてある。
 細長い顔にもじゃもじゃ頭、そして目尻の人の良さそうな笑いじわ。

 それは、学生時代レポートの採点と共に良く描かれていた見覚えのある物だった。 

「……また、あの人は、こう言う……」 

 子供のような所のある、ユニークな人だった。
 余り激する事のない穏やかな、人を包み込むような優しい不思議なオーラを持った人。 

 目頭が熱くなる。 

 流れ落ちる物は、もっと熱かった。

 自分は、こんなにもあの人を好いていたのか。

 トントン!
 ノックの音と共にドアが開いた。

 浩介は驚いて振り返る。

 そこには、彼よりも驚いた顔をした「二人の藍」が立っていた。

「先生!? どうしたの!? どこか痛いの!?」
 音声多重放送のような二人の声が響く。

「いや、何でもないよ。大丈夫。ちょっと、目にゴミが入っただけだよ。どうしたんだい?」

 ボトルを棚に戻し、二人をソファーに座らせる。

「二人だけで来たのかい? 前田さんが心配するだろう?」
「大丈夫よ! ちゃんと言って来たから!」
 ね、とニコニコしながら、二人の藍は顔を見合わせる。

「はい、先生! これプレゼント!」
 そう言って二人で一つの、可愛くラッピングされた小さな包みを差し出した。

 ――プレゼント? 今日は何かの日だったろうか?

「開けてみてもいいかい?」そう断って包みを開ける。

 出てきたのは、手作りらしい、ハート形のチョコレートだった。

「は、……」
 思わず笑いがもれる。

 そうか、今日は 二月十四日 ”バレンタインデー”って 奴か……。

「ありがとう、嬉しいよ。先生、初めてもらったよ」

 浩介は、二人の頭を代わる代わる、くしゃくしゃっとかき回す。

 衣笠が、何故いつもこうしていたのか分かった気がした。

「一緒に食べようか?」
「うん!」

 満面の笑みを浮かべる、二人の幼い藍達を見詰めながら、浩介は心の中で呟いた。 

 ――教授、あなたの残した物は、私が守って行きます。
 ご心配なさらずに、ゆっくり休んで下さい。 


 あのいたずらっ子のようなおどけた目をして、衣笠が、笑っているような気がした。






    おわり


 皆さんこんにちは。
 蒼いラビリンスの番外編「所長」。全4話完結です。
 何故「柏木浩介」が主人公の「拓郎」を差し置いて主役を張っているのかと言うと……。
 単に、私のタイプだからです。(笑)

 ここには、のんびりと番外編を単発で、更新して行きたいと思います。
 お付き合い下さると、嬉しいです。











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