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彼女のうわさ
 次の日、高橋はとてもどんよりと暗い雰囲気を漂わせていた。なんだか、僕はとんでもなくひどいことを彼女にいってしまったんじゃないだろうかという気がした。北原にもう一度話を聞きたかったが、休みだった。
 休み時間、トイレに行った時、良介に話しかけられた。
「昨日、調に聞いたけど、高橋の噂のこと」と良介は小声でいった。「あくまでも噂だから、本当だとは限んないぞ。ていうか、俺はいまいち嘘くさい気がするぞ」
「そうなの?」
 僕の胸に後悔の念が湧いてきた。
「來さぁ」と良介はいった。「高橋のこと好きなんだろ?」
「え……」
「昨日、仲良さそうに話してたじゃん。來に噂を教えた人間も高橋を好きかもしれないぞ。來に高橋をとられたくなかったのかもよ」
「そうだとしても、もういいよ」
「なんで?」
「もう、高橋には嫌われたと思うし」
「本当にそれでいいのかよ? せっかく好きな相手と付き合えるかもしれないのに、悪意のある奴に邪魔されて、せっかくの恋が終わっちまって、本当にそれでいいのかよ。そんなんじゃ、一生恋を邪魔されるぞ。そういう奴らはうんざりするほどいるんだからな」
 チャイムが鳴って、僕達は慌ててトイレを出た。
 
 昼休み、僕は一人机に座って、良介にいわれたことを考えていた。噂は嘘なのか? でも、火のないところに煙は立たぬって言うし……。
 ふと、教室の端の方に座っていた女子4人組が近づいてきた。
「山田君」とその内の一人、中井まさみがいった。「のぞみちゃんの噂知ってる?」
「遊んでるって噂?」
「あ、知ってるんだ」ともう一人の女子がいった。
「山田君も気を付けなきゃだめよ」と、またもう一人がいった。
「ひどい目に遭うからね」と、さらにもう一人がいった。
「本当なの、その噂?」と僕はきいた。
「もちろん」と中井。「私、あの子が高校生の男達に囲まれてるのも見たし。ありゃーやばいね」
「嘘だ……」
「私達が嘘いってるっていうの?」
 僕は何もいえなくなった。その時、廊下から高橋が教室に入ってきた。中井達は僕から離れようとした。
「ちょっと待って!」と高橋がいった。「今の話、何?」
「別に、本当のこといっただけじゃん」と中井はいった。「あんた、男と遊んでるでしょ」
「遊んでないわよっ。いつどこで遊んだの?」
「北原とデートしたんでしょ?」と中井グループの一人がいった。
「してないよ。デートに誘われたけど断ったの!」
「ほんとかなぁ」
「高校生の男達にも囲まれてたし」と中井はいった。
「え、それは、お兄ちゃんとお兄ちゃんの友達で」
「えー?」と中井達。
「ま、本人にいっても仕方ないか」と中井。「否定するに決まってるし」
「遊んでないって」と高橋が泣きそうな声でいった。「っていうか、あんたらどうせ山田君のことが好きなんでしょ。それで山田君に私の悪口いってるんでしょ、インッケンなやつら!」
 中井達は黙った。教室内は静まりかえった。高橋は涙を流していた。いつの間にかギャラリーが廊下に増えていた。
「もうやめよう」と良介が教室に入っていった。
 中井達は高橋から離れた。廊下からぞろぞろとクラスメイト達が入ってきた。

 次の日は、バレンタイン・デーだった。もし、この日に高橋が、誰かのためにチョコレートを持ってきたからといって、誰が校則違反だとかいうことができるだろう。僕達の学校は校則で、バレンタインにチョコを持ってくるのがちゃんと認められているのだった。
 一限の授業が終わって休み時間に、「今日、部活だよね?」と高橋が僕にきいた。
「うん、そうだけど?」
「それじゃ、交差点の所で、待っててくれないかなぁ?」
「……うん、わかった」
 理由は聞かなかった。
 部活が終わって、僕は少し急いで交差点に向かった。ふと、背後で「山田!」と呼ぶ声がした。振り返ると、北原だった。
「どうだった、今日高橋にチョコもらったか?」
「ううん、もらってないよ」
「そうか、よかったな。あの女、ほんと最悪だからな。チョコなんかもらったら何入ってるかわかんねー。マジでキモイからな、あいつ。近づきたくもねぇ」
「高橋をデートに誘ったって聞いたけど」と僕はいった。
 北原はギクリとして、いった。
「別に、ちょっとからかってやっただけで……」
「俺に高橋を悪く言って、俺が高橋と付き合わないようにして、自分が高橋と付き合おうとしてるんだろ」
「はぁ? 何いってんだ、いきなり。憶測でものをいうな。俺があんなクソと付き合いたい訳ねーだろ。あんなキショイ、臭い奴と」
 よくここまで言えるなぁとさすがに驚いた。
「ごめんね? 北原君」といつの間にか近くに高橋がいた。
 北原はビクリと震えた。交差点は十数メートル先にあったのだけど、高橋は先に僕よりそこにいたのだろうと思った。たぶん、僕達の声が聞こえたんだ。
「チョコ、いらなかったら返して」
 北原は顔を赤くして、鞄からチョコを出して、高橋に渡し、去っていった。
「北原、チョコ、貰ってたのか」と僕はいった。
「自分からくれっていったんだよ?」と高橋はいった。
「……そうだったんだ……」
「あ、そだ」と高橋は鞄を開けた。「はい、これ……よかったら」
 高橋はそういってチョコレートを僕に差し出した。僕は受け取った。
「……ごめん、いらないとかいって」
「うん……気にしないで」
「ありがと、とても嬉しいよ」
「よかった」

「ごめん!」
 次の日、教室で調が僕に謝った。
「噂を本当みたいにいっちゃって」と調はいった。
「いいけど。俺が勝手にそう思っただけだし」と僕はいった。
「調は率直にものいうから、かえって本当っぽいんだよ」と良介が調の頭をなでながらいった。
「なんだよぉ、この手は」と調は少し迷惑そうな顔をした。
「もっと僕達、解り合えるといいね」と僕はいった。
 一瞬間をおいて、「うん、そうしよう」と二人はいった。
 
 僕は人生に絶望していた。幸福になれる人間とそうでない人間がいることに気付いていた。でも、今ではもうそれは、昔の僕の考えだ。もし、目の前に大きな水たまりがあっても、それが虹に変わる時は、確かにあるんだ。それは、特別な奇跡ではなく、きっと誰にでも起きる奇跡。

 1年の月日が流れた。僕は2年生で、3学期に入っていた。
 昼休み、机に座って僕は小説を読んでいた。
「山田」と声をかけられた。クラスメイトの成瀬京介という男子だった。「ちょっといい?」
「うん」
「山田さぁ、高橋と付きあってんの?」と成瀬は穏和な表情できいた。
「え、付き合ってないけど」
「あ、そうなの? 仲良さそうだったから」
「うん、別に、ただの友人っていうか」
「そっか。じゃ、いっか」
「うん。え? いっかって何が?」
「いや……山田、高橋のこと好き?」
「え? なんで、いきなり」
「いや、好きじゃないなら、聞かなくていいかと思って」
「え、どういう事?」
「いや、気にしないでいいんだ、ごめん」
「え、ちょっと待って、一体何の話?」
「いや、余計なこと言って、変な噂になったらやだし」
「え、どういうこと?」
「俺も、ちゃんと知ってる事じゃないのに、誤解させるような言い方するのも、良くないし」
「……そっか、でも、大丈夫だよ」
「俺の言うこと、正しいかどうか分からないって踏まえて聞くなら、言うけど」
「うん、オーケー、教えて」
「高橋さぁ、もしかしたら彼氏がいるかもしれない」
「ほんとに?」
「あくまでも、可能性だけど。相手は北原」
「北原? それはちょっとないんじゃないかな……」
「俺もそう思う。ま、北原は高橋が好きだろうけど」
「うん、そうだろうね。でも、どうして高橋が北原と付き合ってるって思ったの?」
「去年のバレンタインデーの時、高橋が北原にチョコをあげたの知ってるか?」
「知ってる。けど、あれは北原が自分で欲しいって頼んだって聞いたけど」
「それにしても、嫌いな男にわざわざチョコあげるか? 高橋も少し気持ちが動いていたのかもしれない。なにせ、ほんとに自分を好きな男なんだし、北原は見た目も大人びてモテるタイプだからな。口は悪いけどな。ただ、あくまでも俺の推測だから、結論を急ぐなよ」
「うん」
「つい最近、北原のやつ、こんな事いってたんだよ。最近、高橋が可愛くて可愛くて仕方ないって。で、俺に正しい避妊法を教えてくれっていうんだよ」
「ヒ、ヒニン?」
「ああ。やばいだろ? まだ中学生なのに。北原のやつ、のぞみは俺を愛している! のぞみは俺を愛している! って相当熱くなってたよ。ま、夢想か本当かは分からないが」
「そっか……」
「もし北原と高橋が付き合ってるなら、山田もあんまり高橋の近くにいると北原に殴られるから気をつけろよ。あいつは本当に殴るからな」
「うん、わかった」
「それじゃ」
 その時、教室に北原が入ってきた。
「よ、北原」と成瀬がいった。
 北原は急に成瀬の胸ぐらを掴んで黒板にドシンと押しつけた。
「なにすん――」
「くだらねぇ噂流してんじゃねえよ。俺は他に彼女がいんだよ、誤解を招くだろうが。俺がお前にいつ避妊法を聞いた?」
 北原は手を離して、成瀬から離れた。成瀬は苦しそうに咳をした。
「てめぇだって同じことしてたろうが」と成瀬はいった。「お前が高橋にしたことだろうが」
 北原は成瀬の方を見なかった。

「なんだか、生きていくのが恐いな」と僕はいった。
「どうして?」と調はきいた。
 僕と良介と調は帰り道を歩いていた。
「世の中、攻撃してくる人が一杯いる気がする」
「う~ん」
「お互い攻撃し合って生きていくなんて、悲しいな」
「大丈夫だって」と良介はいった。「來は優しいじゃないか。優しい人間の周りには優しい人間が集まるもんだよ」
「ありがと」僕は恥ずかしかった。「でも俺、頭の中じゃ時々、北原みたいに暴言吐いちゃうんだ」
「俺もだよ。普通だよ。な、調」
「え、まぁ、うん……」調は恥ずかしそうに答えた。
 夕日が僕等の前で光っていた。

「山田君のこと、來君って呼んでもいい?」
「うん、いいよ」
「じゃ、來君。私はのぞみでいいよ」
「え。高橋は高橋だよ」
「……なんで?」
「だって、名前で呼び合うなんて変だよ、付き合ってるわけでもないのに」
「……」                

                              完               
調のエピソードは『クリスマス・キャロル』で読めます。
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