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怪談集

怪談:三百円

作者: 下降現状

まぁ、夏だし怪談の一つでも。

 公共交通機関というものが恐ろしく思えたことはないだろうか?

 行き先が明示してあるし、そこから外れることは無いのだろうが、自分の行動を明確に他人に委ねていることには違いない。

 自分の意志とは無関係に動く乗り物に、何処か見知らぬ場所に連れて行かれてしまう――

 そう思ったことはないだろうか。

 一駅寝過ごしてしまった、などという問題ではなく。どこでもない見知らぬ土地へと連れて行かれてしまう。

 そう思ったことはないだろうか。

 私はある。

 いや、これには語弊がある。私は、連れて行かれそうになったことがあるのだ。

 数年前――私が大学の一回生だった頃の話である。

 私は実家から大学へと、電車通学していた。区間はほんの数駅、一回の電車賃は三百円にも満たないが、当然のごとく通学定期を買って利用していた。

 その日、私はサークルの飲み会で酷く酔っていた。飲みなれぬ酒を、勢いに任せて浴びるように飲み、食らい、血液が全てアルコールに置き換わったのではないか思うほどだった。

 サークルの友人達と別れた後、私はふらつく足で駅に向かった。季節は春。暖かくなってきては居たが、路上で寝たりなどしたら風邪を引きかねない。タクシーを使うのは、貧乏学生には辛い。となれば、電車に乗って帰るしかない。

 駅まで行って、定期入れを取り出そうとして気付く。定期入れが見当たらない。おかしいな、などと呟きながらポケットを弄ったりしてみるが、やはり見当たらない。

 何処かで落としてしまったのだろうか。運が悪い。舌を打って、携帯電話で時間を確認する。終電まで時間があまり無い。もっと念入りに探せば見つかるかもしれないが、酔った頭はそこまで回転してくれない。私は急いで実家までの区間の切符を買って、改札に駆け込んだ。

 転がり込むように電車に乗り込むと、すぐに扉が閉まった。危ないところだった。社内を確認してみると、乗客の姿はあまり見当たらない。私は空いている席に座ると、電車に間に合った安心と酔いから、すぐにうつらうつらとしてしまった。

 どれほどの時間が経ったのだろう。お客さん、お客さん、という女性の声と、身体に感じる揺れで私は目を覚ました。

 とは言っても、酒が抜けない、半分寝たような状態は維持されたままだ。

 私に声をかけているのは、どうやら車掌らしい。と言っても、顔をろくに見ていないので、声からそう判断しただけなのだが。

 辺りに他の人の気配はない。どうやら、皆降りてしまったらしい。

 窓の外には、川が見える。どうやら川に架けられた橋を、電車は渡っている最中のようだ。

 私はそこで、違和感を覚える。毎日の通学で、橋を渡っている光景など見たことがない。乗り過ごしてしまったのだろうか。

「お客さん、切符を拝見します」

 女性がそういうので、私はのそのそとした動作で、手に持った切符を見せた。

 それを見たであろう女性の声が、曇る。

「なんだ、足りないじゃないですか。これじゃ乗れませんよ」

 ああ、やはり乗り過ごしてしまったのか。これじゃあ家に帰れないな。次の駅で降りてタクシーで帰るしか無いか。そんなことを思いながら、私はまた微睡みに沈んでいった。

 次に目を覚ましたとき、私の目に入ったのは白い天井だった。

 おや、どうしたのだろう。電車に乗っていたはずだったのだが――そう思って私は身体を起こす。起こすということは、私は寝かせられていたということだ。

 私が寝かせられていたのは白いベッド。飾り気のない部屋の様子や、漂う薬臭さから判断するに、ここはどうやら病院の一室であるらしい。

 はて、一体どういうことだろうかと首を捻っていると、部屋の扉が開いて、白衣を着た壮年の男性が入ってきた。

「おや、気が付きましたか」

 男性はそう言うと、ベッドの側まで歩いてきた。灰色の髪を後ろに撫で付け、眼鏡をかけたその男性は、おそらく医者だろう。

「ああ、まぁ。すいませんが、私はどうしてこんなところに居るんでしょうか?」

「あなたは電車の中で急に倒れたんですよ。そして乗り合わせた乗客の方からの電話で、ここ――病院に運び込まれたというわけです」

「えっ……」

「この時期の学生さんには非常に多いんですが……お酒の飲み過ぎは良く無いですよ。貴方だって、電話が遅れたりしていたら命が危ないところだったんですからね」

 先生は笑みを崩さないままそう言った。

 結局、渡しはその日のうちに家に帰された。学校へは一日休んだだけで、すぐに復帰した。

 先生から話を聞く限りでは、私が倒れたのは大学の最寄り駅と実家の最寄り駅の間であるらしい。つまり私は、寝過ごしてなど居ない。

 大学を卒業するまでその路線には乗り続けたが、女性の車掌を見ることはなかった。いや、それ以前に、その路線は自動改札機が全ての駅に設置されている。車掌による、切符の拝見も行われていない。

 不思議に思って私はその路線を終点まで一度乗ってみたが、終点まで川を渡るようなこともなかった。

 これは一体どういうことなのだろう、と友人や家族に話してみたりしたが、不思議がられるだけで誰も心当たりは無いようだった。

 しかしある日、私は気付いてしまった。

 私がその日偶然使った切符は三百円に満たないものだった。そして、三百円とは、五十円玉――つまり、穴の開いた硬貨六枚である。

 そして私は、切符が三百円に満たなかったから、これじゃ乗れませんよ、と言われたのではないだろうか。

 もしも三百円以上の切符を買っていたら、私はちゃんとあの川を渡ってしまっていたのかもしれない。

 俗に、三途の河と呼ばれる、彼岸と此岸の境界を。

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