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この作品には 〔ガールズラブ要素〕 が含まれています。

fell to ground

作者:青白


 頭上を通り過ぎた鳥は、あっと言う間に空に吸い込まれていった。遮るもののない丘の上に、日差しが絶え間なく降り注いでいる。
 彼女はまだ鳥が消えていった方角を見上げていた。空と同じ青い瞳は、何も映していないようにも見える。

「鳥はいいわね」

 羽織っているカーディガンを引っ張って、ぽつりと彼女は呟いた。

「私にも翼があれば、どこへでも飛んでゆけるのに」

 自分の足を拭うようにさする。彼女の足は、もう動かないのだ。二度と羽ばたくことのない翼。
 私は何も言わず、ただ彼女の座っている車椅子を支えていた。返すべき言葉は見つからなかったし、彼女は私に問いかけているわけではないからだ。
 冷たい風が頬を撫でた。秋の訪れを知らせる風だ。そういえば周りにある木々も、少しずつ葉を彩らせている。

「リーナ」

 私は彼女の背中に呼びかけた。彼女は振り返らない。いつものことだ。

「寒さは体に障ります。館に戻りましょう」

 しばらくの沈黙の後、彼女は風に吹き消されそうな声で「そうね、ララ」と言った。
 車椅子を引いて、来た道を戻る。太陽はまだ名残惜しそうに私たちを見つめていた。



 私たちの住む館は、緑の生い茂る山中の中にある。頂に近いこの場所にはめったに人は足を踏み入れず、週に一度、配達の人間が食料を届けにくるのみだ。
 広い館の中で暮らしている人間も、リーナと私だけ。彼女の父は、彼女が幼い頃に、母も心臓の病で亡くなった。私は彼女に仕える使用人のようなものだ。
 ここは下界から隔離された空間だ、と私は思う。いや、下界どころか、世界さえも遠ざけている。それはまるで空高く浮かぶ大陸のように、何者をも受け入れることはない。
 私と、彼女以外は。



 ワゴンに食事を乗せて、食堂へ運ぶ。中に入ると、細長いテーブルの隅にリーナはいた。窓から差し込む光で、金色の髪がきらきらと輝いている。相変わらず顔には、何の表情もない。

「お食事をお持ちしました」

 私は彼女の前に持ってきた食事を並べていく。続けて、そのすぐ横に同じものを置いて席に着く。普通ならば使用人と主人は一緒に食事を共にしないものだが、私たちは例外だった。
 リーナはスプーンでスープを掬って口に運ぶ。唇だけがわずかに歪む。

「お味はいかがですか?」

 横目でちらりと彼女を見て、私は聞いてみる。これは癖のようなもので、食事の度に私は同じことを尋ねていた。

「食べられる」

 と彼女はそっけなく返した。そのまま次の食事を口に入れる。
 一瞬、その動きが止まる。今口に入れたものの皿を、持ち上げた。

「これは口に合わないわ。二度と作らないで」

 床に料理がぶちまけられた。ガラスの割れる鋭い音が冷えた食堂の空気に響いた。

「……申し訳ありません」

 何も言い返さず、私はただ頭を垂れた。
 これもまた、いつものことだった。
 いつからかはわからない。ただ気がつけば、この仕打ちにさえ慣れてしまっていた。
 床に散らばった皿は、ソースにまみれてべったりと赤かった。



 夜の闇を裂くような悲鳴が聞こえた。私はランプの明かりをつけ、ベッドから起きあがる。使用人服は身にまとわず、下着姿のままリーナの部屋に向かった。悲鳴はきっと、彼女のものだろう。
 一応ノックしてから、扉を開ける。彼女はベッドの上で布団を抱きしめながら、子羊のように震えていた。
 きっとまた、あの時の夢を見てしまったのだろう。

「リーナ」

 呼びかけると、弾かれるように顔を上げた。私は近寄って、優しくそっと彼女を抱きしめる。

「大丈夫。全部、夢ですから」

 頭を撫でてやると、胸の中の嗚咽が次第に治まっていった。その間、子供みたいに彼女はずっと私の腕を握りしめていた。
 やがて彼女は顔を上げて潤んだ瞳で私を見た。鼓動がほんの少し、熱を持ったのがわかった。

「ララ……」

 と彼女は私を呼んだ。甘えるような、ねだるような声で。

「キス、して。……お願い」

 私はじっと彼女を見つめ返す。隠し立てを失った、丸裸の彼女の姿が、そこにある。
 私は目を閉じて、彼女の唇を奪った。柔らかい感触は、まるで夜の空に浮かぶ黒い雲のようだった。



「ねえ、足に……」

 艶めいた声で、彼女は私に囁きかける。二人とも何も身に纏わず、生まれたままの姿だった。
 私はベッドに腰掛けた彼女の前にひざまずき、足を持ち上げた。親指、人差し指、中指、薬指、小指。全ての指を一本一本口に含み、優しく舌で愛撫する。彼女はとろけそうな顔で、私を見下ろしていた。
 月明かりが、彼女の両足を照らす。唾液で濡れたそれは、まるで雪で作られたかのように美しい。彼女の中で私がもっとも好きな部分だった。何度でも、触れたくなってしまう。
 だが、この足は、もう二度と動くことはない。それこそ雪像の如く、自由を奪われてしまっているのだ。
 私の手によって、彼女はもう歩くことはできなくなった。
 私の、せいで。



 いつもの丘の上には、周りの樹木から舞い落ちた枯れ葉がいっぱいに散らばっていた。捨てられたものの絨毯だ、と私は思った。ここから見える下の世界もまた、古びた緋色に染まっている。
 リーナと私の周りを、ひらひらと蝶々が飛んでいた。空を飛べることを心から楽しんでいるように、羽ばたいている。
 ふとリーナが、人差し指を何もない空中に立てた。すぐに飛んでいた蝶々はそこに止まる。
 ゆっくりと羽の速度を落とし、やがて完全に静止した。
 リーナはその片方の羽をつかむと、容赦なく引きちぎった。放り投げられた蝶々はゴミのように放物線を描いて落ちた。

「あなたもあのとき、羽を失えばよかったのに」

 前を見据えたまま、彼女が言った。

「そうすれば何のわだかまりもなく、一緒に地べたにいられたのに」

 引かれた線をただなぞったような声だった。そのわざとらしさが、引っかかる。彼女の言葉の真意は、わからなかった。
 ただ、と私は彼女の後ろ姿を見つめる。これだけは、いえる。口を開いた。

「私は、あなたと共に死にたかった」

 それなのに。こうして、生き延びてしまったけれど。
 彼女がこちらを向いた。見開かれた青い瞳は、私の姿を鮮明に捉えている。だがすぐに無表情に戻り、珍しく不機嫌そうな声色で言った。

「館に戻るわ。さっさと連れていって」

 はい、と私は彼女の方角を変えて、押していく。
 あんなに感情的なリーナの顔は、久しぶりに見た。何かが気に障ったのだろうか。そうだとしても……わからない。私には、何も。
 地面に捨てられた蝶々は、必死に飛ぼうともがいて、落ち葉の中に埋もれていった。



「リーナ、ご入浴の時間です」

 ノックをすると、中から短い応答があった。扉を開けると彼女は車椅子ではなくベッドに腰掛けていた。私は彼女を背負い、バスルームへと向かう。
 脱衣所に着いて彼女をスツールに座らせると、その服をボタン一つから丁寧に脱がしていく。
 少しずつ彼女の素肌が露わになっていくのは、ただの石が削られて彫刻へと変化するのに似ている。触れれば折れてしまいそうな華奢な体つき、真っ白な肌の色、さらさらと流れる金色の髪。私しか見ることのできない芸術品。
 私も同じように服を脱いで、彼女をバスルームへ。今度は彼女の体の隅々をゆっくりと洗っていく。
 その間、彼女の視線はずっと私の腹部に注がれていた。そこには大きな傷跡が残っている。丁度真ん中に、丸くぎざぎざな傷跡が。
 彼女の胸に、泡だらけの手で触れる。ここは皮膚が弱いから、私は手のひらで洗うことにしていた。
 豊かな膨らみに、ゆっくり手を滑らせていく。吸い付くような感触だ。私は鼓動が速まっていくのを、必死にこらえた。
 自分の欲求はわかっている。だけど、それは許されない。それを許しては、いけないのだ。

「好きにしていいわよ」

 不意に彼女が口を開いた。心臓が一瞬、縮こまるのを感じる。淡々とした様子で、彼女は続けた。

「ララは私を、抱きたいのよね?」

 私はうつむいてしばらく黙った後、ゆっくりと顔を上げて、言った。

「それは、ご命令ですか?」

 彼女の表情が歪むのがわかった。

「リーナのご命令なら、私は何でもいたします」

 突如、平手打ちが飛んできた。見上げた彼女は、怒りに燃える瞳で私を睨んでいた。

「いい加減にして。いつまでこんなこと、続けるつもり」

 こんなこと? と私は頬を押さえて鸚鵡返しをする。

「私が歩けなくなったのは、自分のせいだと思ってるんでしょう。だから、私と一緒にいるのよね」

 吐き捨てるように彼女が言った。
 違う、と言いかけて、私はとどまった。本当にそうだろうか。
 あの日から彼女は、大切なものを何もかも失ってしまった。足も母親も、そして何より幸せだったあの日々を。
 私が奪ったのだ。私があんなことを言わなければ、彼女の翼はまだ空を舞っていたかもしれない。
 私は贖罪のために、彼女に尽くしていたのか?
 ……わからない。あっと言う間に、自分を見失った。どれが本当の自分なのか、私にはわからなくなってしまった。

「……私は」

 そこで言い淀んだ。何も言えない。言葉が出てこない。
 リーナはふと悲しげに瞳を曇らせて、それから無表情に戻った。

「……もういいわ。さっさと流してちょうだい」

 その声には、もう彼女の心は宿っていなかった。



 夜。真っ暗な部屋で、私はベッドにうずくまっていた。考えたくもないのに、昔のことで頭が満たされていく。

 リーナは巷でも名の広い貴族の娘だった。幼い頃に両親を亡くして生活に困っていた私を、拾ってくれたのだ。
 彼女もまた、父親を亡くしていた。だからきっと同じような境遇の私に、親近感を覚えたのだろう。その時は、きっとそれだけだったはずだ。
 この館が山中にあるのは、心臓の弱い彼女の母親の療養のためだ。今でこそ静かだが、あの当時は使用人も大勢いて、それはもう賑やかなところだった。
 人との関わりがないこの場所で、唯一の同年代の私とリーナは、当然のようにすぐ打ち解けた。彼女の母親もまた、そんな私を娘と一緒にたっぷりと可愛がってくれた。誰が見ても、まるで絵に描いたような幸せぶりだったはずだ。
 だが、途中で歯車が狂った。きっかけは、リーナがふと私に唇を重ねてきたことだった。彼女は私を抱きしめて、好きだと言ってくれた。前々から彼女への感情を押し殺していた私は、喜んでそれを受け入れてしまったのだ。
 キスからの関係は、やがて体を重ね合うまでそう時間が掛からなかった。彼女が母親にすら見せない姿は、すっかり私を虜にしてしまった。何度でも、何度でも貪りたいと思った。美しすぎる彼女は、私の心を鷲掴みにして離さなかった。
 だがそんなちっぽけな秘密は、長く続かない。彼女の母親に感づかれた。母親は激しく激怒し、私に罵声を浴びせて、この館から出ていくように告げた。当然の仕打ちだ。主の大事な愛娘を、汚れ物にしたのだから。
 しかし、そんなものは脆い理屈でしかなかった。涙を流しながら私の部屋に飛び込んできたリーナを見たとき、私の心はある決断をした。永遠に、二人で一緒にいようと。

「リーナ、一緒に死のう? そうすれば、ずっと一緒だよ?」

 彼女はただ静かに頷いた。私はただそれが嬉しくて、その先のことなど目に入っていなかった。二人でいる。それだけが、私たちにとって必要なことだったのだ。
 そうして、私たちは館のすぐ近くにある丘から飛び降りた。そう、彼女がよく下界を眺めにいく、あの場所だ。
 だが、神様は時に残酷な仕打ちを下す。絶壁をごろごろと転がった私たちは、結局生き延びてしまった。
 私は体に傷がついた程度だったが、リーナは違った。
 途中の岩に骨を砕かれた彼女の足は、二度と地面を歩くことが出来なくなっていた。
 更に娘が心中を図ったショックで、心臓の弱かった彼女の母親は亡くなった。彼女はたった一晩で、満たされていた日々を失ってしまったのだ。
 私が、彼女から全てを奪った。それなのに痛々しく包帯に巻かれてベッドに横たわる彼女は、私に微笑んでくれた。

「ララさえいれば、後はもう何も要らないわ」

 涙が溢れて、止まらなかった。彼女の手を握って、私はある誓いを立てた。

「永遠に、あなたといる。お互いが朽ち果てるその一瞬まで、私はあなたの手を、絶対離さないから」

 にっこりと笑って、彼女は私の頭を撫でてくれた。
 それからリーナは、使用人を全員辞めさせ、私と共にこの館に留まった。こうして私たちは、二人きりになったのだ。
 最初は、ただ純粋に彼女と在りたかっただけだ。それなのに、いつからだろう。彼女がまったく感情を表に出さなくなったのは。彼女のあの冷たい氷のような態度は、彼女への罪悪感から私が一緒にいると悟ったからかもしれない。私に気づいてほしかったのだ。自分自身の行いに。だから昨日、あそこまで心境を露わにした。
 今の私たちを繋いでいるものは、一体何なのだろう。愛? それとも……何?

 窓から見える空は、とっくに白み始めていた。私はベッドから立ち上がる。
 朝食の準備をする時間だった。



 リーナの部屋をノックする。返答はなかった。もしかしたら、まだ機嫌を損ねているのかもしれない。

「リーナ?」

 呼びかけても、返事はない。

「リーナ、入りますよ」

 仕方なしに私は扉を開け放った。真正面にある大きな窓から入ってくる朝日が、やけに眩しい。
 見るとベッドに、彼女の姿はなかった。それどころか、車椅子までもなくなっている。私は血の気が失せていくのを感じ取った。
 駆けずり回って、屋敷内を探す。貯蔵庫まで念入りに調べたが、彼女はいなかった。
 彼女は一体どこへ消えたのだ。いや、彼女が向かう場所なんて、一つしかない。
 私は館を飛び出して、無我夢中で足を動かした。あの丘に向けて、ただ走る、走る、走る。
 飛べない翼が飛ぼうとすれば、結末はたった一つしかないのだ。
 だから、私は走った。



 丘にたどり着いた。上がった息を整えながら左右を見渡すと、崖のところに彼女の姿があった。あと一歩でも進めば車椅子が傾き、体は下界に投げ出される位置だ。私は躊躇なく駆けだした。

「待って!」

 呼びかけると、彼女が振り向いた。頬を涙の粒が滴っていた。彼女は、泣いているのだ。

「来ないで!」

 必死な叫びが、私の足を止めさせた。私を見る彼女の目には、ただ悲痛の色が浮かんでいる。

「ごめんね、ララ。私、ひどい人なの……」

 ぽつりぽつり、と彼女は話す。冷徹な仮面は剥がれ、真実の彼女が現れる。

「罪悪感を利用して、あなたを私だけのものにしようとしてたのよ。負い目があるのはあなただけじゃない。私もなの……」

 そうだったのか。彼女の中にもまた、隠れていた闇の部分が存在していたのだ。彼女に対する私のように。
 ただ、そうだったとしても。
 ……私は。いや、私たちは。

「あなたはもう、私から解放されるべきなのよね」

 彼女の手が車椅子の車輪に掛かった。もうなりふり構っていられなかった。走る。ただひたすら、彼女を目指して。
 車椅子が音を立てて傾いた。その瞬間、私は彼女の体を飛び込むように抱きしめた。車椅子は崖下へと転落し、私たちは地面へと着地した。危ないところだった。

「……どうして」

 胸の中で彼女が私の顔を見上げてきた。放心したように、彼女の瞳は青く澄んでいる。

「私が、望んだの。あなたといることを」

 これだけは、罪悪感に背中を押されたのではない。誓いを立てたのは、私自身なのだ。

「気づくのが遅くてごめんね。私、リーナが好きだよ。ずっと前から、愛していたよ」

 確かに今の私たちを繋ぐのに、贖罪の気持ちはあったのかもしれない。だけれどその殻の奥底にある想いは、そうじゃなかった。この言葉こそが、私の心なのだ。
 だって私たち、最初はこの想いだけで、結ばれたのでしょう? そこには嘘なんて、一つだってありはしない。
 ようやく、そんな当たり前のことを、思い出したんだ。
 私が微笑むと、やがて彼女もにっこりと笑い返してくれた。
 こうやって今から私たちは、やっとお互いと向き合える。

「私もよ」

 そう言って彼女は瞼を閉じた。私は、柔らかな彼女の唇に自分の唇を重ね合わせた。
 彼女のために、生きる。この翼は、彼女のためだけのもの。地面にいる彼女を、優しく包み込むための。
 例え、もうこの大空を飛べなくなったとしても。
 私は彼女と、共に生きる。

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