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カルマの坂
作:嘉納秋


 大体私がどうしてこいつと付き合わないといけないのか、根本的におかしい気がする。
 確かに自分の容姿が特別優れているとは思わないけど、どうしてこんなひょろひょろとしていて弱々しいのとこんな関係になってしまったのか、今でも分からない。


 何となくほっとけないというか。
 私は束縛されるのが大嫌いだ。だから会いたいと思った時にしかこいつには電話しない。
 下手すると一ヶ月は連絡をしない時もある。


 ただ、久しぶりに会って手をつないだ時に感じる温かさが嬉しくて、そして反面凄く辛い。
 こいつ馬鹿だから、一ヶ月もほっとかれて怒らない。
 会うと「あ、元気そうだ。よかった」と笑う。
 アホか、と本気で思う事がある。


 今までだって何度も浮気したし、それがバレた事だって何度もあるのに、それでもこいつは別れようとしない。
 こうなると意地の張り合いみたいになる。
 こいつが呆れて怒って、「お前みたいなアバズレなんか知るか」とキレさせてみたい。


「ねえ、どこ行くんだ?」
 私がそう尋ねると、こいつはにっこりと笑ってこう答える。


「タマには僕に付き合ってよ。君はいっつも僕を引っ張り回すけど、僕に引っ張り回された事ないでしょ?」
 言われてみるとそりゃそーだ。
 私からしかほとんど連絡しない上に、下手したら一ヶ月以上放置するんだから。
 ただこういうのって付き合ってるって言うのか?


 秋口の風はとても心地いい。
 つないでいる手が温かいのは、こいつが無駄に優しいからだと思った。
 今思い出しても馬鹿らしい。
 こいつが私に告白した時の台詞は、いきなり「結婚して下さい」だった。一瞬で思考が固まったのを覚えてる。出会ったその日に普通言うかそういう事。


 つないでいる手をそっと見てみた。
 よく見てみるとなんて大きな手だろう。そしてなんて優しく握ってくれているのだろう? 包み込むように、私の手が害意から傷付かないように、いつもこうやって握っていてくれた。


 不思議な関係になって、付き合ってからもう一年になる。
 でもその間に浮気相手とセックスはしたけど、こいつとはキスすらしていない。
 ……何て言ったらいいんだろう? これってプラトニックなのか?


 でもどうしてだろう? ひょろひょろしていて弱々しいこいつの手からの温かさは、浮気相手とのセックスよりも心地いい。
 歩道の横に公園が見えた。
 子供達が楽しそうに遊んでいる。それをこいつは嬉しそうに見ていた。
 何てお人よしの顔だろう? なんて間抜けな顔だろう? でも……なんて優しい表情をするんだろう?


「……僕さ」
「あ? どうしたの? この公園、何かあるのか?」
 顔を見ていたら胸が締め付けられた。
 こんな切なそうな顔をしているこいつ、初めて見た。
 一年間、キスもセックスもない不思議な関係で付き合って、私が浮気しても一度だってこんな表情してくれた事なかった。
 ……な、なんでこんなに嫉妬しているんだろう? ち、ちょっと待ってよ、私は束縛されるの大嫌いだし、性格は男勝りだし、セックスだって気持ちいいからしていただけだし、そんなのスポーツとかゲームと一緒だから、ピュアな感情なんてないし、だからこいつを裏切って浮気したって言ってもそれは……その……こんなの……最低の言い訳だよ。


「……小学校の頃、この公園でいつも遊んでいた女の子がいたんだ」
「小学校の頃? それって初恋ってヤツか?」
「うん」


「……あっそ」
 なんか無茶苦茶ムカツク。それは私へのあてつけか。確かに私は純粋な恋愛なんてしてないよ。あんたとの関係だってこんな微妙な関係だし。浮気の言い訳する最低の女だよ。
 でもこんな遠回しに嫌味言わなくてもいいだろ?


 ああそうだよ、あんたは私を絶対に裏切らないから安パイだと思っていたんだよきっと。どんなに裏切ってもあんたは笑って許してくれるから、それが安心できて温かくて裏切ってはバラして戻ってきたんだよ。
 好きって感情があったとしたら、もしかしたらこんな感じかもしれないと思うよ。
 愛しているって感情とは違うけど、少なくともそうだと思うよ。


 でも、初恋を私に語ってあんたどうしたいのさ?
 私がそれで感動して「ああ貴方一人に尽くします」なんて言うと思っているのか?
 いい加減ムカツクよあんたホントに。


 その時、つないでいる手が、私の手を包み込んでいるこいつの手が小さく震えていることに気付く。
 驚いて視線を向けた。


 ――初めて見た。こいつのこんなに悲しそうな表情――
 心臓を鷲掴みにされたような感覚。どうしてこいつにこんなに苦しい想いを抱いているのだろう?


「行こう、あっちだよ」
「……あ、そう」
 こいつは何かを思い詰めたようにまた道を歩き始めた。
 私は複雑な気持ちで手を引かれて歩いた。
 つないだ手はとても温かくて、少なくともそれだけは嘘を付かないと思った。





 住宅街を10分ほど歩いた。
 目の前に坂が見えた。真っ直ぐな坂道。





「……いつぶりだろう、ここに来るの……」
「……それ、どういう意味?」


 顔を見て驚いた。悲しいという言葉が軽い。苦しいという言葉が優しい。涙すら流していないのに、こんな悲しそうな顔って出来るんだと驚いてしまう。


「……キスしたんだ」
「……誰と? その初恋の女の子と?」
 訝しげに問うと、手が震えていることに気付く。
 どうして、そんなに傷付いているんだ? どうして、そんなに自分を責めているんだ? あんたはいつでもにこにこしていたじゃない。だから私はあんたにだけ心を許して――


 ――私は、こいつにだけ心を許していたんだ――


「キスした日の夕方、僕と彼女は手をつないでこの坂の上にある彼女の家に向かっていた」
 ――聞きたくない。……聞きたくない! そんな話は聞きたくない!――


「彼女が家族から疎まれているのは知っていた。……家の前で別れる時に、彼女はこう言って笑ったんだ。「ありがとう」って……」
「……聞きたくない!」
 目を瞑る、耳を塞ぐ。こんなの卑怯だ。こんな表情見せられたら私はこいつ以外見れなくなる。
 私は束縛されたくない。私は気ままに生きたい。色々な男とセックスだってしたいし、もっと人生を謳歌したい。
 でも……でも……なんでこんなに切ないんだ?


「……翌日、彼女と遊ぼうと思って訪ねたら、彼女は引っ越したって……。それから一週間が過ぎた頃、彼女が家族からの暴力で死んだって事が分かったんだ……」
「……聞きたくないってば! 私に聞かせてどうしようって言うんだ!」
 気付いた時には涙が溢れていた。
 いつもこいつは笑っていたから、どんなことがあっても笑っていたから、こいつがこんな悲しみと苦しみを背負っているなんて思っていなかった。考えてもいなかった。
 束縛されないのは幸せなのか? 色々な男とセックスしないと死ぬのか? 人生を謳歌するって、それってこいつと一緒にはできないのか?


「僕は彼女が言った「ありがとう」の意味を分かっていなかったんだ……あれは僕に「助けて」って……そんな意味での言葉だったんだ」
 こいつの泣き顔なんて見たくない! 笑ってくれたらいつも安心した。ひょろひょろとしてて弱々しいのに、でもその大きな手はとても温かくて、いつも私を受け止めてくれた。


「ここは僕の、罪の場所なんだ」
「……聞きたくないって……ば……」
 手を強く握る。一年間一緒にいて、キスもセックスもしていない。けどキスしなければ駄目なのか? セックスをしないと結ばれないのか? 
 一年間一緒にいて、こんなに傷付いて苦しんでいるこいつのどこを見ていたんだろう?


 優しいから浮気を許してくれていたんじゃない。失った彼女の時みたいに、私を失うのが怖かったから、だから束縛しなかっただけなんだ。ずっとずっと待っていてくれたんだ。私がこいつの気持ちに気付いて、それから向き合ってくれるまで、ずっと待っていてくれたんだ。


「……私はあんたが大っ嫌い。どうしてこういう事を最初に言ってくれなかったんだよ。裏切り続けた私にこんなの見せたらそれこそ拷問なのは分かっているだろ?」
「……ごめん。……ずっと迷ってた。君に話したら多分嫌われるって分かっていたけど、でも君にしか話せないって思った。……だから……」
 今更気付かせるなよ、あんたが好きだったって。あんたが苦しんでるの、悲しんでるの、分かったよ。
 だから――


「――私も背負うよ。あんたが背負っているその罪ってヤツ」
「……本当にいいの?」
「馬鹿こっち向くな! こんなぐちゃぐちゃの顔、好きな男に見られたくないよぅ」
 愛しいという言葉はとても重い。でもその重さがあるから相手の存在を知って、信じて、感じて、ああ何言ってるんだかもう分からないけど、こいつの事は大嫌いだ。……でも誰よりも大好きで、愛してる。
 間違いは消せないけど、償いは出来る。
 こいつが彼女に償うように、私はこいつに償おう。


 「愛し合う」という行為で。





 だから、二人で歩いて行けばいいんだ。
 この「カルマの坂」を――


相手の事をちゃんと理解するのは、恋愛という行為の一番大切な事だと思います。













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