誰でも救われる「浅見帆帆子」の説の応用法
ごく一部の恵まれた人の説を多くの人が利用できるために
私も、彼女の説を実行し、効果が上がった者の一人だ。ただし、あまりにも、恵まれた立場の視点だけで物を言っているので、お嬢のたわごと、として、一笑に付される場合を見る。浅見シンパの私としては、あまりにももったいないと、嘆くべき事である。なので、恵まれない立場にある人も、このありがたい説を利用できるように、解釈させてもらった。
1彼女はどの程度恵まれているのか?
それは、本の中の情報だけで十分だ。まず、小学校から大学まで青学に行き、留学したという点である。小学校から私立に行ける経済状態というのは、具体的にどんな感覚だろうか?少なくとも、日々の生活だけでなく、旅行その他の娯楽をすることも余裕をもってできる。いわゆるお金の心配をしなくていい感じだろう。その上、恐らく自費の留学もしている位だから、ものすごく恵まれているのは確か。
次に、家族についてだが、両親揃った家庭で、弟が一人。話の中に、パパさん、ママさんっていう表現が見られる。得てして、こういう家庭は、子どもをのびのび育てている所が多いようだ。いくら、経済的に恵まれていても、子どもに変な、古臭い締め付けをする家庭が多いが、その点でも恵まれているようだ。
次に本人について。いくら、エスカレーター式とはいえ、大学まで青学に残れるには、平均以上の知力が必要である。しかも、留学できるだけの行動力があるようだ。いくらお嬢さんでも、臆病な人は、海外に一人で行けない。加えて、健康的にも普通に恵まれていそうであり、掲示板のレスなどを見ても、かわいい子だ、と言う評価が多い。まだ、男尊女卑の日本では、女性は容姿に恵まれただけで、かなり楽に生きられるものである。
これらの事をふまえて、あくまで恵まれた立場で、上から物を言っているように聞こえ、誤解を与える表現を、そうでない人でも利用できるように解釈してみた。
2プラスのパワーを溜める良い行いについて
周りの人に親切にするについて。これは日常生活に支障の無い人にとってはたやすい事。心身障害のある人でも、制限はあるけれども、できる。ヘルパーさんから聞いたのだが、重度心身障害のある人をケアしていると、彼らがお礼にくれる物は、笑顔であるという。その笑顔は、健康とされる人の何倍もパワーのあるものであるという。正に、仏教の言う和顔愛語である。これは、誰でもできる布施の中で、やさしい笑顔を向け、思いやりのある言葉を掛ける事である。ただし、それが難しいのが精神病の時である。その場合、多くの方がケアを受けていると思うので、その時親切にされた事、ケアを受けていない場合は、誰しも親切にされた事があると思うので、これらの事を拠り所として、自分の中に自他に親切になる心を、育つのを待つしかあるまい。
小さな事にイライラしない。という事は、どうであろうか。一番難しい人は、格式の高い店の女将や、高級ホテルを管理する立場にある人であろう。さらに、細心の注意を払わねばならない、医師、技術者など。彼らは、仕事の時は、細かい事にイライラする位でないとできない。ただし、うまくいけば、の話だが、仕事そのものと一体化する事で、小さなイライラは、解消されるようだ。あの、恐ろしいほど、細かい作法のある永平寺の禅僧は、修行そのものと、一体化する事が大切であると言う。また、あらゆる日常動作は、これと一体化する事で、禅たりえると言った。つまり歩く事、食べる事などもである。
次にいつも笑顔でいると言う事について。これも、障害があっても、可能である。それでも、うつ病が重くなると、無理な事が多い。そういう時は、ケアをしてくれる人の、笑顔にできるだけ、接する事である。そうする事で、いつか笑顔が戻る日が近くなる。
素直になる、だが、歳を取るに従って、難しくなるものだ。難しいのなら、こう考えたらどうだろう。素直の反対の、疑り深いってのは、己の判断に自信がないからである。仮に、流行の霊能者の如く、物事を見通せるなら、素直に見ているだけで、何でも見られるだろう。それほど見通せなかったとしても、直感を鍛える事で、素直に見るだけで、物事を正確に見てゆけるだろう。直感を鍛えるには、色んな方法があろうが、一つは、物事を、あらゆる角度から見ることである。一つの面にこだわらずに。そうする事で、自ずと直感は鋭くなるのではないか。
目の前の事を一生懸命にやる、だが、これも、日常生活に支障のある人でさえ、ある程度できよう。けれどこれもまた、やり辛いのが、精神病、うつ病の人であろう。その場合でも、必要なケアさえ受けられれば、精神的エネルギーが戻ってきて、デイケアから、やがて日常生活ができるようになり、一生懸命に生きる事はできる。そして、一生懸命するということは、前にも言ったように、行動そのものと一体化すると言う意味で、禅の修業と同じなのである。これこそ、精神レベルを上げることであろう。
行いを良くする、について。これも、ある程度衣食住足りていると、精神的ゆとりもあり、たやすい事である。しかし何らかの困難を抱えた状況の場合はどうだろうか。そんなとき、自暴自棄になってしまうのは、わかる。でも、一歩下がって言わせてもらえば、その中でも、良い事を行なう事自体に喜びを見出す事ができまいか。たとえ、ありがとうと言われなくても、褒められなくても。自分がやったことに満足する、というか。具体的には、部屋をきちんと片付けた後は、気分が良いし、募金をした後は、満足した気分になれる。
自分の行いを振り返るについて。これをすると、危険なのは、悲観的になりがちな人。どんどん悪い方に行ってしまって、元も子もない。ただ、そんな人でも、ちょっといいすぎだったから次は控え目にしてみよう、とか、自分は、今ちょっとムキになりすぎてて、身動きがとれなくなっているぞ、とか、生産的になるような振り返りをしてみる事だ。
3ハプニングをどうとらえるかについて
ハプニングを無駄にせず、明るい面を見ることにする、とある。ごもっとも。しかし、ここに挙げている例は、電車が止まった、だの、風邪を引いただの、些細な事ばかりである。彼女はどうか知らないが、日本の多くの人々は、もっと大変な目に遭っていると思うんだけれど・・・そんな我々に、どんな辛い事があったとしても、プラス面を見ようと言うのは、きつすぎる。ベルサイユのバラで、マリーアントワネットが、「パンが無ければ、ケーキを食べればいいじゃないの。」と言ったに等しい。さらに極端な例だと、教育大付属池田の殺された子らには、一体どないゆうたらええねん?とか思う。こうした事には、おそらく、彼らの魂は、きっと仏に救われて、幸福でいる、とかいう、宗教的な話になってくるだろう。このように、こっち方面に持ち込むと、何か、宅間の罪が軽くなるみたいで、気分が悪いし、宗教や霊にコミットできない人にとっては、ただのたわごとであろう。こう言い出すと、彼らの救われる道はないということになるし、それじゃあ彼らがあまりにも悲惨だということになるし・・。
堂々巡りになって解決なんてできない。だから、浅見としては、こういった深い所まで、踏み込む事をやめておこう、と思ったのかも知れない。そこで、私の立場として言おう。私は、浅見と違う感覚があって、いわゆる、霊感持ちなのだ。悲しいかな、テレビに出てくる霊能者には及ばないが。例えば、普段は会わぬ人のイメージが心に浮かぶと、その人に会ったり、物事の良い・悪い結果も、事前に気分の良し悪しでわかったりする。また、色んな人に会うけれども、その人の出す気が、強い・弱いがわかる。表現しづらいが、五感に置き換えると、部屋の冷房などが、ゆるい・きついと言う感じが、体の感覚としてあるのである。なので、そういう感覚のある人間としては、人智を超えた次元での救済や罰があると信じている。よって、宇宙的な規模で、ハプニングをどうとらえるか、と言う事は可能なのかもしれない。
4プラスのパワーが溜まって精神レベルが上がると起こる事
前に効果があった、と言ったので具体例を言おう。まず、私の場合、外に出て会う人の中で、気分の悪い人が減った事。また、家に来る人で、セールスとかも含めて嫌な人が減った事。転職が4回もうまくいったこと。これは特殊かも知れないが、運命を変える事ができたこと。父方の兄弟は、男女三人づついるが、なぜか父親以外の男が40代で亡くなり、娘婿も40〜60代でみんな亡くなった。そして、父方祖父は、90代で元気だった。霊感のある私としては、ただならぬものを感じた。あたかも、祖父が息子や娘婿の運気を吸い取っているように感じた。そして、2003年父親が生命の危険のある手術をしないといけなくなった。それなのに、祖父はたいしてボケてもいないのに、息子の心配すらせず、私たち家族に心無い事を言った。やっぱりこの人が運気を吸い取ってしまっているんだな、と思って祖父を怒鳴りつけた。その後、幸い手術は成功し、父は元気にしている。そして、その一年たたないうちに、祖父は亡くなった。父親だけが、次々と亡くなる男たちの中で生き残った。
こういった、一族の呪いを跳ね返した。
ただし、祖父もさる先祖の未成仏霊に繰られていたことが、後日霊視で判明。
嫌な事も多かったけれども、気の毒なんだなと、思いました。
一体、何人居るんだ未成仏霊?
まとめて供養しているけど、なかなか。
詳細は、後続エッセイに書きます。
5苦手と思う事を無くす事
心の中にマイナスを抱えていると、プラスのパワーが溜まりにくい、とある。さらに、マイナスを無くそうとする事が、難しかったら、無くそうと思うだけでもいい、とある。それも一つの考え方だわな。これは、嫌な事に対する抑圧がそんなに強くない場合に限る。よって抑圧が強すぎて、嫌な事を思い出すだけで、パニックになる場合も考えないと。そんな時は、ひとまず、得意な事を一生懸命やって、そちらの方でプラスのパワーを十分に溜めてから、嫌な事に太刀打ち出来る様になる、と言うのもアリではないか。それなら、具体例を挙げよう。私は、大学生位まで、苦手な人と必要があっても、接する事が、かなりキツかった。ところが、社会に出てみて、なんとかやっていける部分が出てくる、つまりプラスの部分ができると、嫌な人とも何とか、接する事ができるようになった。ちょうど体力があると、病原菌をやっつけられるのと同じである。
6プラスのパワーが溜まってマイナスの事に使われる事
この事は、お金が貯まったら、何かに使えたり、筋力トレーニングをしたら、各種のスポーツの記録が伸びたなどと言う例で説明できる。それが見えるものなので、解りやすいが、精神、運などというものの場合、見えないのでわかりづらいっていうのはある。だから、つい、プラスのパワーを貯める行動を怠ってしまいがち。それでは、目に見えるというか、具体的にわかるようにするには、どうしたらいいだろう?浅見の場合、タイミングが良くなる、と言う事でわかるという。いいバロメーターだ。まあ、これは行動しないとわからないっていう難点はある。行動しなくてもわかった方が便利なので、私はこれを利用している。それは、その時々の自分の気分である。中でも、やる気があるかどうか、ということになる。例えば、朝、スッと起きられるかどうか。日常の動作がおっくうでないか?仕事の能率が上がるか?などである。加えて、健康にしろ、病気にしろ、体調がいい方に向かっているかと言う事も。例えば、健康であっても、化粧ノリが悪かったりすると、ちょっとレベルダウンであろう。また、病気であっても、症状が少し軽くなってきたなら、レベルは上がっている。
7マイナスのことを考えるといけないということについて
マイナスのことを考えると、マイナスのことを引き寄せる。とある。その通り。その上で、世の中もっと複雑なんだよなー。って事を言いたい。河合隼雄が言うには、浅見の様にマイナスのことを心から追い出してばかりいると、我々の気付かぬ心の深み、河合が無意識と定義している所にたまって、思わぬシッペ返しがくるそうな。この心から追い出されて、無意識にたまった内容を、河合はコンプレックスだと教える。コンプレックスは、劣等感と誤解している人も多いが、実は、心から追い出された、複雑な内容らしい。では、どうしたらいいか?マイナスのことを考える心の部分を、それはそれとして、おいておきつつ、プラスの事も考える。そして、いづれプラスの方が、大きくなって、マイナスの部分を喰ってくれる、とした方が現実的じゃないか?浅見が、プラスのパワーが溜まってマイナスの事に使われる、というように。具体例を述べよう。私は、保育園の時から、外へ出て何かをする事が、不安で、不安でしょうがなかった。しかし、昔の(昭和50年代)の、今の子どもからは、信じられない位、抑圧的な大人のせいで、不安を不安とも言えず、目の前の事をするしかなかった。その中でも、私を不安がらせない楽しみがあって、それらを楽しむ事で、不安に太刀打ちできるようになっていったように思う。それは今も変わらない。不安な事は、将来の事であり、楽しみな事は、何かの成果を挙げる事、日常の些細な事で、得られるものである。
8どうすれば、心配せず、前へ進めるか、について。
不安になってしまうなら、考えるのをやめるといい、とある。それは、やめることが出来る人には当てはまる。そこまで器用にできない、というのが人間。それなら、いっそ森田療法のように、不安を抱えつつ、やる事はやる、って感じにした方がいい。なぜなら、何かを行なううちに、不安は、行なう事への、エネルギーになるそうだから。不安を切り捨ててしまうのでなく、物事を進めるエネルギーに変えてしまおう。その方が、うんとプラスの考え方じゃないかな。友人で、大学の勉強についていけるか、不安でたまらなかった者がいるんだが、だからこそ、できるだけの勉強はやろう、としていて、卒業時には、学年で2番。当然国家試験もその年に通った。え?私?国試はその年に通ったけど、成績は良くなかったかも。
9願い続ければ叶うについて
意識が考えている事を引き寄せる、とある。ある程度あたっている。表面の意識だけではね。ここに、無意識まで入れ込むと、話はややこしくなる。浅見は、意識される事だけが、心と思っている。でも、それに加えて、無意識も心であることを知らないのだろうか?本当に欲しい物を引き寄せたいのなら、すでにそうなっている自分を想像しようと、しまいが、無意識まで動員しなければならない。それには、2章で言ったように、自らの行いにコミットしてゆくことがたいせつであろう。もしコミットする事が苦手だとしたら、宗教や、占いのたぐいに頼っても良い。なんか、高価な壺とかを買うのでなくてもよくって、お経を読んだり、パワーストーンの安いのを持つだけでも良い。すると不思議と落ち着いて、やっている事にコミットできる。プライバシーもあって、具体的には言えない事だか、叶えた事がいくつかある。
10言霊について
言霊に効果が無い、と思い込んでる人にとっては、未だ説得力に欠けるな。そんなお堅い人に信じさせるには、こうしたらいいだろう。気象の世界でバタフライ現象といって、チョウのはばたきくらいでもそれが何らかの要因で拡大されると嵐になるという理論がある。言葉の意識への影響についても、これを応用して、些細な言葉も、状況が重なれば意識を支配するとは言えまいか。私も自分のしたい仕事や、人間関係を口に出したり、出さなくても、思うだけで、効果があった。
11同じように思っても願いが叶う・叶わないについて
いくら思っても、マイナスの事をしていると叶わない、とある。確かに、理想としてマイナスの行いは無くしたい。でも、ふつうに生きていたら、少なからず、マイナスの事をせざるを得ない。例えば、夫の親戚にすごく嫌な人がいて、憎まざるを得ないとき、どうしたらいいか?浅見は、ミッション系を出ているので、汝の敵を愛せよ、なんて信じているのかもしれないが、普通の人はムリ。そんな時は、マイナスはなくならない、と仏教で言う、明らめをするのである。明らめの本来の意味は、投げやりになる、とかいう意味でなくて、明確な現実認識という意味らしい。そしてその上で、マイナスを制するだけのプラスを作ったほうが、ラクかもしれない。かつて少年犯罪が相次いだとき、河合は、騒然とする学校関係者、思春期の親子にこう言った。「事件の事を心の中に据えながら、それはそれとして、日常生活をきちっとやる中で、いづれ癒しガ訪れる。」と。さらに、私の例を挙げると、嫌な事があったら、キリスト教的に我慢などしない方である。否定的な言葉を吐けば、霊格が下がる事が解っていたとしても。そして、その分、プラスの行いを増やす事にしている。これにも効果はあって、うまく行った事が多くある。ドクターコパの娘のドーターコパも、マイナスの事をせざるを得なかった時の後は、香水をかけたり、楽しい話を見たり、聞いたりして、厄除けすると良いと言っている。
12小さな事も情報と言う事
どんなささ些細な事でも意味があるのは、世の中みんなそう言うもの。そしてその中には、落とし穴がある。これまた河合隼雄が言っていたのだが、意味のある偶然の一致を共時性と言うには良いが、あまりにも共時性にとらわれてばかりいると、あらゆる事にとらわれてしまって、身動きが取れなくなるらしい。では、これを防ぐには、どうしたらいいか?1つ目は、物事にコミットする事で、直感を磨く事である。くどいようだが、そうすることで、無意識から色んな事が、安全な形で流れ込んでくる。そしてそれを的確に判断して利用できるようになる。具体的には、ダイエットしようとしてもやせないが、何か打ち込む事があると、自然と求める物を食べるようになり、やせる。精神状態が良い時は、糖尿病の為の食事、みたいなのを食いたくなる。が、ストレスが溜まると、ファーストフードが食いたくなる。2つ目は、目的意識を持つ事である。別に卑しい物でも良い。モテたい、儲けたいでも良い。1つ目標を強烈に意識すると、なぜか、何が必要か、自ずから解って来る。例えば、私が高校受験を乗り越えたのは、一概には決して言えないが、成績の悪い子にイジメっ子が多かったので、奴らと近づきたくなかったからである。ただし、社会に出てみると、ヤンキー上がりで、ムチャを一通りやったからこそ、味のあるヤツになった例も多く見たが。浅見は、スタートラインが、あまりにも恵まれ過ぎているので、何かにコミットせざるを得ない精神的飢えも、現状から抜け出したいが故に、目的意識を持つモチベーションもなかったのだろう。だから漠然と意味のある事を見つける、なんて表現になってしまったんだろう。
13すべての事はプラスです、について。
これも、日常のささいなことには、あてはまると思う。浅見は、ささいな不都合は、精神レベルが下がったことを知らせる為なので、プラスだ。と言っている。その通りだが、はたまた、大きな不幸には、不幸もプラス、だなんて、そんなきつい事は言えない。では、大きな不幸の場合、どう考えたらいいのだろうか。これは、強い人間にしか、残念ながら言えない事なんだが、不幸でかき乱された心は、ものすごく大きなエネルギーを生むのである。8どうすれば、心配せず、前へ進めるか、について。で、不安はエネルギーになる、と述べたように。例を挙げると、「だからあなたも生き抜いて」の大平光代は、「更生することが、おまえを傷つけた者への復讐になる。」という言葉を糧に、弁護士になったそうだ。そこまでしんどいことは、できないという人は、こう考えたら良い。不幸に見舞われたことからでも、その中で得たものはきっとあるので、それを探す、か、不幸 にも負けず、生きてゆく中で得られるものは必ずあるだろう、と信じる事である。具体例を挙げると、テレビのダイエット企画で有名になった、加藤大である。彼が高度な肥満になったのは、不幸な事である。が、その結果、ダイエットのため、日本を歩いて縦断する道中が、「ちょっといい話。」なのである。野次馬とかも大勢いて、それは嫌なものだが、何人もの人が、心から、激励していた。運動選手や、自衛隊、政治家の人達にも、劣らないくらい。平凡に生きていたら、ここまで、心からの激励を受ける事はなかったであろう。
14直感を信じて行動する、について。
なんとなく思いついたことも直感である、とある。それは、浅見のように、比較的ゆっくりしたペースでフリーの仕事をしている人なんかはあてはまるであろう。問題は、ものすごく忙しい人である。なぜなら、直感というものは、精神的にゆとりのある状態でもたらされるものだからである。湯川秀樹が睡眠中に、中間子論の仕上げをしたように。よって、忙しい人でもゆとりをもたらすには、どうしたらよいであろうか。それは、どんな忙しくても、何もしてない、とか、日常の決まりきった動作をしている事があるはずである。車を運転しているときは危ないが、歩いているときとか。そんな自我がニュートラルな状態のときは、直感がもたらされるであろう。今まで見た人で、すごく多忙な人なのだが、少しでも、何もしていないときとか、ただ歩いている、などというときは。極力ボーっとしている人がいた。
15うまくいかない、何もしたくないときは、どうしたらいいかについて。
何もやらなくていいという情報であるとか、ずっとやる気がないということはないとか、うまくいかせるために待つとかある。ごもっともだ。これらに例外がある。まず、うつ病や統合失調。やる気がなくなる病気なので、必ず治療してくれる医療関係者や、デイケアとのかかわりの中で、やる気が出るのを待つこと。また、病気・貧困などの場合、ともかく、しなければならないこと、治療・職探し・行政保護等をしつつも、やる気がない、とか、うまくいかない、とかいう気持ちを、抱きつつも、やりすごすのである。そうすると、なぜか不思議と、突破口が見えてくる。私の経験でも、それは幾つかあった。
16精神レベルを上げておけば、タイミングがつかめる、について。
精神レベルが高いと、タイミングがつかめる、とある。私も、学業や、仕事、友人関係では、そうだった。ただし、精神レベルの低いと思われる人でも、良いタイミングに恵まれることはある。まるで、低いところにいる人を助けるように。占い師、マリーオリギンは、人生に絶望し、バイクを暴走させるなどムチャクチャな生活をしていた。そんなときに、バイク事故のショックから霊感が芽生え、今に至ったという。もちろん、精神レベルが高い方が、タイミングが良いことが多い。でも、低くても、まるでこれを助けるかのような、良いタイミングに恵まれることを忘れないで欲しい。
17自然の流れに任せた方がうまくいく、について。
人々の気の流れが未熟ながらも見える私にとって、ごもっともな事だ。だが、時には自分から流れを作ってゆかねばならないこともある。とくに、恵まれていないときは。ガン回廊の明日では、40年ほど前は、肝ガンは手術しようがない、という記述があった。しかし、医師たちは技術を開発し、今では、肝臓の手術は多く行なわれている。で、いま、考える事は、北朝鮮の事である。誰かが流れ、を作って、今の体制を倒さないだろうか、と思う。
18本音で行く、について。
精神レベルが高い流れであれば、本音で行くと、うまくいく、とある。これは、私が、対人関係で悩んでいたとき、本音で行って見たら、結構うまくいった事がある。しかし、これにも盲点がある。1つはいくら精神レベルが高い人でも、偏った見方が誰しもある事である。以前、仕事も出来、人柄も出来た方が、ある事項について説明しても、どうしてもわかってくれなかった。これを防ぐには、精神をニュートラル、中立にすることである。すると、見えなかった物が見えてくる。例えば、私は霊感持ちの人に接したり、テレビで霊能者を見たりするとき、彼らの顔に注目する。表情筋に力が入っているでもなく、弛緩しているのでもない、中間的な表情をしている。つまり、物事を見極めるには、中立でなければならない、という事である。もう一つは、これも病気で、本音がわかり辛いタイプの人がいる。心身症になる人である。彼らは、何らかの要因で、自分を抑圧して生きていかざるを得なかった人達なのである。だから、心身症になるわけであるし、それでも自分の抑圧のつらさが解消できないときは、誹謗・中傷・いじめに走ったりする。そんな彼らの場合は、難しいかもしれないが、自然と話したり、のんびり休んだりすると、抑圧が取れて、本音が見えてくる。
19迷った時について。
迷った時は、本音と直感で選ぶべきだ、とか、そのレベルにふさわしい選択肢しかこないので、どっちを選んでも一緒、とある。それでも、人生なんて、後悔の連続である。だから、できる範囲で懸命に生きてみる事である。これは免罪符なのかもしれないが、懸命にやっていると、「何を選んだとしても、私なりに生きたな。」と自分の選択に自身がもてて、満たされるときがやって来ると思う。
20嫌な事はやめてしまっていいか、について。
ここでは、どうでもいい遊びについてしかコメントされていない。だから、勉強・仕事のような事について述べる。それには、11で河合が言ったように、勉強・仕事が嫌だな、という気持ちを、心の中で、大切にしながら、目の前の事をするのである。ちょっとわかりにくいので、具体例を述べる。私は数学が苦手だ。でも受験科目にあったので、やらざるを得ない。そこで、苦手という気持ちを否定もせず、肯定もせず、それを抱かえながら、できるだけの事をする。すると、なんとか、一流でないにしろ、マイナーでない理系の大学に行けたのである。そして苦手な事に取り組めたお蔭で、大学の専門科目にも、自信を持って取り組めるようになった。
だから、苦手な事については、そういう気持ちを大切にしながら、するべき事をするのだ。よく、現実逃避する人は、嫌な気持ちからも逃げてしまって、前へ進まない。そうでなく、そういう気持ちを大切にする事で、心が安定し、物事に取り組めるのである。
21素敵な人とめぐり会う事、について。
精神レベルを上げると、それにふさわしい人に会える、とある。私の経験からも、そうである。子供のときより、大人になってからの方が、精神的に豊かな人に会う事が多い。しかし、これも但し書きがいる。同じように、ある人と出会う人、クラスの友人同士なんかがいても、いくら、レベルの高い人がいても、その人の良さに気付かない場合等である。私は、美輪明宏の言う、心眼で人を見る人なので、精神的に豊かな人は、すぐにわかる。でも、外見や見かけのふるまいでしか見えない人は、精神的に豊かな人を見ても、外見がマズければ、猫に小判な状態である。だから、本当の意味で、精神レベルを上げないと、本当に豊かな人がいても、素通りしてしまうだろう。
22縁について
前世や、精神レベルが関係する、とある。私は、霊感があるので、これは正しいと思う。ただ、これに加えて、人間の心の作用のようなものもあると思う。私は、なぜか、自分の考え方、考えた事と同じ様な事を考えている人に良く会う。まあ、これが浅見の言う、同じものが引き合う、ということかもしれない。でも、私の場合は、もっと著しい。それは、ネットで検索するとき、キーワードを入れると、ページが引っかかってくる、という感じ。それは、グーグルよりスピードはないけれど、確実に手元に来るという感じである。さらに、ネット検索では、広告のようなものばかりで、必要な情報が、得にくい面があるが、心で浮かんだ事は、知りたい事が知る事が出来る。それなら、あなたにネットは要らないじゃないの、と言う事になるが、ネットはネットでの使い道はある。
なぜ、心に浮かんだ事が、手繰り寄せやすいかというと、私は、ユングの言う所の、普遍的無意識を、平均的な人よりも強く感じているからかも知れない。
普遍的無意識を解り易くいうと、こうなる。これは中島らもが言っていたのだが、人や、生き物、いや、万物共通の意識というものがあって、あらゆるものが、底の方でみんなつながっている、というものである。
だから、縁と言うものは、精神レベルだけでなく、無意識も含めた、人間が考えていることにより、決まると思われる。
23運命の人について
精神レベルにふさわしい運命の人はいる、とある。だから、精神レベルを上げさえすれば、もっと上の人に出会える、とある。それは、ある一面である。時に、どん底にいるからこそ、光が差すように、巡り会う運命の人がいる。
ヘレンケラーのサリバン先生、大平光代が出会った父の友人、パッチアダムスの入院先の仲間たち、のように。精神レベルが高いほど、こうした、運命の人の、レベルの高い方に出会えそうだが、どんな時でも、その人を見捨てない、何かが使わせる、運命の人もありえる。
キリスト教で、人は平等、と習ったはずなんだが。こういうところこそ、人が平等であることが現れていると思われる。どんな人にも、運命を好転させる強い人は現れる。
24恋の終わりについて
精神レベルの成長のズレによって、別れが来る、とある。それだけでなく、男の人というものは、浮気するようにできている生き物だと思われるので、これが最大の原因。で、どうしても、恋を終わらせたくなかったら、その人にとって、ウザがられない、つかずはなれずの、心の支えになるしかないだろう。
25片思い、失恋について。
と題しつつも、片思いについては、書いていない。よって、片思いについて述べたい。いつも道中で見かけるから、というのは、たいがい外見だけしか見ていないので、私の言う所では、恋ではない。よってここでは、学校や、会社で接する人としておく。男の人の方に外見の好みはあったとしても、もし精神レベルがつりあっていたとしたら、引き合うはずである。私にも、良しにつけ、悪しきにつけ、そういう経験はある。そして、精神レベルに加えて、22で述べた様に、似た事を考えている人と会う事が多いとつくづく思う。
失恋については、精神レベルが上がれば、もっと素敵な人と出会える、とある。それもあるが、事態はもっと複雑だと思う。なぜかというと、好きになった人が、実は、自分にとって、運気を下げてしまう、「さげちん」なので、浅見の言う、守ってくれている存在、が、そちらへ行くな、と阻止している事もあるかもしれない。こう考えると、人間なんてものは、パペットマペットみたいに、何か見えない事に繰られているだけかも知れない。
だから、表面上は、失恋と思われても、水面下では、かなり複雑な事が起こっていると考えられるので、細かい事にとらわれる必要はないだろう。もちろん、長く付き合える異性がいずれ見つかる、という事を前提としての話。
26気持ちを伝えるには、について。
心の中で心底思った事は伝わると言う事には、同意する。友人なども、本当に、会いたいなどと思うと、向こうから連絡が来たり、偶然会えたりする。だから、新たに解説を付け加えるなら、よく恋愛などで、告白などと言っているが、同じ職場等なら、自然に伝わるので、必要が無い。
悪い例だと、親子などで、うわべだけで、子どもをかわいがりながら、「親にとって都合のよい子以外いらない。」と思っていると、それは、物心つかないうちから子どもを蝕んで、とりかえしのつかないことになりかねない。
例えば、佐世保の加害女児は、中学受験のためにバスケットを取り上げられ、心が荒んで強行に及んだとされる。もちろん、女児の責任能力や、脳の異常については、議論が必要だ。それが充分に行なわれたうえで、女児の親が、「都合のよい子以外いらない。」と思った事が、女児に伝わった事について、考えて欲しいものである。
27好きになった人に恋人がいた場合について
うまくいく場合は、恋人がいようがいまいが、うまくいく、というのと、結婚していたらまた別というのがある。
前者については正しいと思う。しかし後者は少しちがうと思う。従来の婚姻制度は、未だ、自営業が圧倒多数だった故の、固定的なものである。つまり、結婚によって女性は他家に労働力として入り、仕事を覚えて、というイメージである。
しかし、今は勤めている人や、フリーで仕事をしている人も多い。だから、必ずしも仕事を覚えこんだ共同作業者がいるわけではない。よって、その事が、結婚を固定的なものではないようにしている。
だから、結婚していても、場合によってはあきらめる必要が無い。ただし、相手に子どもがいたら、きちんと養育費を払わせるか、引き取るべきであるが。
先日、周囲がみんな結婚したとぼやいていたら、「そろそろ中古が手に入りますぜ。」と言われてしまった。離婚率の増加は、昔のような適齢期の焦りを消しつつある。そしてこのセリフを言った人は、ディンクスで、ヨメに徹底的にフェミニストに育てられている。
28人と知り合う意味、自分がどう見られているかについて。
精神レベルによって会う人が決まると言う。そういうタテの見方に加えて、22にあるように、同じ事を考えている人に出会ってしまうことはある。私は霊感持ちなので、どうしても、そういう事に関る人に出会ってしまう。
それと、人にどう見られているかについては、あまり触れられていない。私としては、人は偏見の塊なので、そんな事を気にしてもしょうがないと思う。ま、献血はいいことだし、ゴミのポイ捨ては良くないだろう、と言う見方ぐらいはできるが。
しかし、浅見も青学で習ったように、神はすべてを見ているのだろう。
29苦手な人とつきあわねばならない時。
相手の嫌な面を見ない、深入りしない、とある。でも、凡人には難しい。ではどうすればいいのだろうか。それには、人を相対化してしまう事である。よく、「あの人はあんな人だから。」という言葉があるように客観視してしまうのである。これが得意なのが、超高齢者と、キツイ仕事をしている人であろう。前者は、一世紀近く生きているので、もう目の前の人を見る感じが、神や、霊が、現世の人を見る感じに似てくるようである。なんか、まるっきり私的な見方がなくなって、ただ眺められている感じがする。後者は、取り組んでいる仕事があまりにも大変なので、人間が小さく見えているのだと思われる。
浅見は、出た学校が、宗教の学校なので、神の事は学んでいるので、そういう視点を持っているのかも知れない。
30人を許す事について
腹立たしいと感じる事は、精神レベルが低いからであるとか、人を許すとプラスのパワーがたまる、とか書いてある。
これも3にあるように、些細な事にはあてはまるが、深刻な事にはそうはいかない。これも、3で言ったように、浅見はあえて触れなかったのだと思うが。
そりゃ、腹立つのは精神レベルが低い、と言われたら、余計エスカレートするわな。だから、これも腹立ちをもう、しょうがないものとして明らめて、なるべく早く腹立ちを治めるようにした方が現実的。そして腹立ちによる精神レベルの低下を防ぐのだ。
許す事は、大きなプラスのパワーだと言う。これまた、青学で、「右の頬を出されたら左の・・・。」と習ったのだと思うが、深刻な事にはムリだろう。イエスのような超人にはできるかもしれないが。
だから、ここは、我々凡人に出来る方法を考えてみよう。まず、腹立ちを、とにかく爆発させてから、嫌な事を忘れる為、建設的なことを行なうのである。私の場合は、怒りを静めるための儀式が、幾つかあって、それを行なってから、身の回りの事をしたり、仕事をしたりしている。それと、因果応報を信じているので、私だけが、やり逃げされたと思わないのである。小さい頃、ガキだと思って、心無い事していた大人が、大変な事になっている。別に遭わなくてもよい災難を蒙っている。
そのことを、たまに会う精神科医に言ったら、「という事は、あなただって、因果応報の中にいるのですよ。」と言う意味のことを言われた。なので、ますます、浅見の言う所の、プラスの行いの、信憑性を感じるようになり、行動を慎むとまでいかなくても、少し気にするようになった。
だから、やられっぱなしではないと思うと、少しは人を許せる。
31単調な毎日について
楽しい事を見つけよう、とある。私の見た例では、2で、永平寺の僧についてふれたが、彼らは、修行と一体化することで、「昨日できなかった事が、今日できる。」ということが、楽しいそうである。
また、浅見が、プラスのパワーを貯めるといいことがある、と言ったが、日々楽しいと思う事は、プラスのパワーを貯めることであろう。
私は、ちょっとした日常で感じられる楽しいことを増やしてゆくと、非日常の楽しい事が、生まれる事を体験する。
32行動に移せないことについて
考えすぎて行動に移せないなら考えない方がいいし、精神レベルが高ければ、それは成功するとある。
ここで、抜けてると思うのは、精神レベルが高かろうが、そうでなかろうが、自分に自信がないと、どちみち行動できない。だから、結果がどう出ようと、やってみよう、という、いい意味でのわりきりが必要だと思われる。そして、こういうときこそ、浅見の言う守ってくれる存在を信じる必要がある。すると、失敗したとしても、それがプラスになるような考えができるだろう。人は、失敗が怖くて、行動できないのだから。
あとがき
浅見帆帆子も含めて、ポジティブシンキング本はあふれている。本屋のそういうコーナーは人がつっかえて、新しい浅見の本を見つけるのも、横から割りおまねばならない。
しかし、こうやったらいいよ、と書いてあっても、最初の第一歩を踏み出すには、説明不足の教科書みたいなのが多い。
だから、パソコンの立ち上げから教えるような解説書を書いてみた。どんな人でも救えないと意味がない。
もし、これが浅見の目に止まって、彼女が文句を言いたくなったら、大阪まで来るといい。こうして、一度出した本は一人歩きするんだから。それとも、こんな精神レベルの低い話は、無視されるかな。
」
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