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最強の天使
作:久條 要



【5話】 “俺は俺のままで…”


 夕食後―…。
 ベランダで夜風にあたりながらリビングを見遣ると、カーペットに敷かれた昼寝用布団の上には、すっかり満腹で寝てしまった輝。
 その横で、月華と桜さんが、楓と尋都くんに絵本を読み聞かせていた。
 はぁ〜…、こういうのを平和な光景って言うんだろうな。
 一人しみじみ浸りつつ何気にズボンのポケットへ手を突っ込むと、カサッと触れた紙のような物。
 ん?
 気になって取り出してみると、それは圭兄宛のあの手紙。
「しまった。慌ててたから無意識に突っ込んだのか…。」
 くしゃくしゃになってしまった手紙を開くと、何度読み返しても変わることの無い文章を、もう一度目で追った。
 親…なのに…。
 どうして子供にこんな手紙を平気で送れるんだか…。
 神経を疑うぜ。
 圭兄…、今頃傷ついてるだろうな…。
 初めて母親から届いた手紙が“これ”だもんな…。
 深い溜め息を吐いて手紙を折りたたんだところへ、缶ビールを持って千尋がやって来た。
「拓海、ビール飲むか?」
「あ、あぁ。さんきゅ。」
 さり気なく手紙をポケットに仕舞いこんでからビールを受け取り、プシュッと開けたと同時に、千尋の声が被さった。
「ほんま、尋都も楓ちゃんもあの絵本好きやなぁ。」
 穏やかな眼差しで子供達を見つめ、今更ながらしみじみと呟く千尋がちょっと面白くて笑ってしまった。
「はははっ、そうだな。でも、きっとあの絵本を好きなのは、楓や尋都くんだけじゃないよ。恐らく日本中の子供たちが大好きなんだと思う。だって、優希姉ゆきねぇの絵本には、子供たちへの愛がいっぱい詰まってるから。」
 ふふっと笑って答えた俺に、千尋は『そうやな。』と素直に頷き納得していた。
 
 “優希姉ゆきねぇ”と言うのは、絵本作家をしている圭兄の彼女。
 名前を“山下やました 優希ゆき”。
 俺と同じ31歳だけど、圭兄の彼女だから、俺は“優希姉”って呼んでいる。
 外見は、小柄で童顔の可愛らしい感じ。
 性格は温厚で、一緒にいるとホッと出来る温かさを持ったとても素敵な人だ。
 ただ…、全てを胸の内に秘めてしまう精神的な弱さを持った人…。
 だからこそ、あんな酷い目に合っていても、誰にも言えずにずっと一人で堪えて来たのかも知れない…と、圭兄は言っていた…。 
 
            

「あ、そうや、なぁ拓海、例の沢村とうちの共同開発の件なんやけどな…」
「…え?あ、あぁ…」
 突然思い立ったように話を切り出した千尋に、我に返って適当に答えると、彼はそのまま話を進めた。
「あれな、もうちょいだけ先に延ばしてもらうこと出来へんやろか?今、急ぎの仕事が3件ほど入ってんねん。3ヶ月ほどしたら落ち着くよって。何とか頼むわ。この通り。」
 そう言って両手を合わせたかと思うと、頭を下げて頼み込んだ千尋。
 その姿に一瞬状況の把握が出来なかった俺は、数十秒ほど間を空けてから彼の両肩をそっと掴んだ。
「分かった。じゃあ、延期ってことで。お前の会社も忙しいからな。落ち着いたら連絡くれよ。だからほら、頭は下げるな。」
 千尋の肩をポンポンと叩いてビールを飲むと、千尋はホッとした表情で『おおきに、助かるわ。』と言いながらベランダの柵にもたれた。そんな矢先―…
 俺のポケットの中のケータイが、軽快に曲を奏で始めた。
 ん?メール?
 誰だ?悠斗か?
 ゴソゴソと取り出して見ると、メールの送り主は朋樹。
 朋樹…。
 どうせ、例のパーティーの件だろ…。

『拓海、お前にはセレブな生き方は向いてねぇよ。』

 昼間のあいつの科白を思い出し、ぐっと握り締めたケータイを開くことなくポケットに押し込むと、横で見ていた千尋が声をかけた。
「どうしてん?拓海。メールちゃうんか?」
「え?あ、うん、いいんだ。どうでもいいメールだから。…それより、なぁ千尋…」
 ベランダの柵にもたれ小さく呼んだ俺に『ん?何や?』と、軽い返事をした千尋。
「俺…、向いてないかな…?財閥の人間としての生き方…」
 月華と結婚してから今日までずっと、月華の夫して…財閥令嬢の夫として…相応しくなろうと、自分なりに努力して来た。
 悠斗とともに次期沢村のトップになる為に、仕事だって必死に頑張ってるつもりだ。
 なのに…、いつまで経っても、財閥の人間に成りきれない自分がいる。
 やっぱり朋樹が言うように…、俺にはセレブな生き方は向いて無いのだろうか…。
 トーンの低い声で質問を投げた俺に、『へ?』と目を丸くした千尋は、少し間を置いてからフッと鼻で笑った。
 むっ。
「何だよ、そのバカにした笑いは。」
 俺は真剣に聞いてるってのに。
「バカになんかしてへん。あのなぁ拓海…、誰でも、長年過ごしてきたライフスタイルの方が、自分にはしっくり来るねん。そんなん当たり前や。拓海は、20何年間ずっと銀龍会で6代目の息子やってたんやで?それを、5年やそこらで財閥の生活に染まろうなんて、絶対無理な話や。」
 柵にもたれて俺を見遣りさらりと言ってのけた千尋に、思わず缶ビールを握り締めた。
「無理…」
「そう。無理や。例えば…、考えてみ?もし、お前が沢村に婿入りせんと、月華ちゃんを嫁に貰ってたらどうや?」
 え…。
「月華を…嫁に貰ってたら…」
 千尋の話に鸚鵡返しをし目をしばたかせると、そのまま話を続けられた。
「そや。生まれた時からずーっと財閥のお嬢様として蝶よ花よ言うて育てられて来た月華ちゃんが、いきなり極道の妻として裏社会生活を始めなあかんようになるんやで?今までの生活全部捨てて…。…5年やそこらで、ヤクザの生活に染まれる思うか?無理やろ?それと同じや。」
 きっぱりサクッと尤もなことを言われ言葉に詰まった俺は、ビールを持ったまま俯いた。
 そんな俺の横でふぅっと息を吐いた千尋が、俺の肩をトントンと軽く叩いた。 
「なぁ拓海。今はまだ染まり切れへんでも、時が経てば自然と今のライフスタイルが自分におうて来るようになる。だから、今無理に自分を変える必要なんかあれへんし、セレブな生き方が向くように頑張る必要も無い。拓海は拓海のままでええねん。」
 そう言った千尋は、美味そうにごくっとビールを喉に流し込んだ。
 時が経てば…今の生活が合うように…。
 俺は…俺のままで…。
「そう…だな。俺は俺…だもんな。」
「そうや。」
 にっと笑みを浮かべてVサインをした千尋は、そのままビールを全て飲み干した。
 そうだよ。千尋の言う通りだ。
 俺は、悠斗や月華みたいに、生まれてからずっと財閥の人間として生きて来た訳じゃない。
 だから、そんなすぐに二人に追いつこうなんて…、セレブ生活に染まろうなんて考えなくていいんだ。
 それよりも俺がしなくちゃいけないことは、月華の夫として、輝と楓の父親として、家族を愛して大切にすることだ。
 千尋の言葉に一人頷き納得していると、突然千尋が『あっ!』と大声をあげた。
 びくっ。
「な、何だよ、急に。」
 びっくりした。
 急に声をあげるなよ。心臓に悪いだろうが。
 思わず反射的に身構えた俺を見て『あ、すまん。』と苦笑まじりに謝った千尋は、そのまま言葉を続けた。
「それはそうと、今夜どうすんねん?泊まって行くんか?」
 へ?
 こちらを見遣り真面目に問う千尋に、何を今更…と思いながら首を振った。
「いや、帰るよ。明日も仕事だし。それに、輝も幼稚園だから…。」
「せやけど、あれ…」
 リビングを指差し苦笑いでぼそっと告げた千尋に遅れて視線を向けると、相変わらず爆睡状態の輝。…と、その隣りで、子供達に絵本を読み聞かせていた月華と桜さんも、子供を抱っこしたまますっかり眠りこけていた。
 ぎゃっ。
 み、みんな寝てる…。
 さっきまで絵本読んでたのに…。
 むぅ〜。
「あれみんな起こすんは、かなり至難の業やで。特に輝は、寝起き悪いよってなぁ…。」
 苦笑いで突っ込んだ千尋に、『はははっ』と苦笑だけ返した俺は、はぁ〜っと肩で息を吐いた。
 確かに。
 輝だけでも、難儀しそうだな。
「でも、起こして連れて帰るよ。」
 やれやれとばかりにうな垂れながら言った俺は、早速リビングで眠る家族達を起こしに向かった―…。


「月華、月華、ほら起きて。そろそろ帰るよ。明日出版社の人が原稿取りに来るんだろ?屋敷に帰ろう。」
 月華の肩を何度も揺すって声をかけてみたが、返って来るのは寝息だけで、全く微動だにしない彼女。
 ……。
 ダメだ、完全に爆睡してる。
 無理も無いか。
 一日中子供達の世話と、作家業の掛け持ちだもんな。そりゃ疲れるよな。
 ごめんな、月華。
 最近、帰りが遅いせいで、子育てちっとも手伝ってやれなくて…。
 もっとちゃんと時間作って、俺もいっぱい手伝うようにするからな。
 そっと月華の髪を撫でたところに、遅れてやって来た千尋が声をかけた。
「どうや?拓海。起きそうか?」
「ダメだ。全然起きない。仕方ないから今夜は泊まるよ。いいか?千尋。」
 ちらりと千尋を見上げて問うと、にっと笑んだ千尋が和室を指差し口を開いた。
「たぶんそうなるやろ思てな、既にスタンバイはOKや。」
 へ?
 スタンバイ?
 言われて和室へ目をやると、そこには綺麗に敷かれた布団たち。
 はははっ、相変わらずやることが早い奴。
「さんきゅ、千尋。」
「かまへん。とにかく、ここで寝てたら夏風邪引くよって全員運ぼか。」
 そう言って尋都くんを抱き上げた千尋に『そうだな。』と返した俺は、まず輝と楓を抱き上げた。
 そうして子供達を運んだ後で、桜さんと月華を布団へと運んだ俺たちは、リビングのソファに腰を落ち着けると、仕事の話を肴に缶ビールを数本空け…、そのままソファで爆睡してしまった―…。












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