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さようなら

作者: 青砥緑

 夕方の公園で少年たちが駆け回っている。

 サッカーボールを追っていく少年たちの中で、先ほどから小柄な一人の少年が遅れがちだった。ボールがどちらに転がっても、いつの間にか最後尾になっている。しかし、ちっともボールに触れられないというのに、少年は目を輝かせていた。

「あっ」

 とうとう、小柄な少年は足をもつれさせて地面に転がった。

 気付いた少年たちはぱらぱらと足を止めて、彼を振り返る。

「悠、大丈夫か?」

「またかよ、悠」

「本当に運痴だな」

 気遣う言葉とからかう言葉と半々に少年たちが声をかける。淳は仲間たちの中から駆け戻って小柄な少年、悠に手を差し出した。

 悠はぐっと唇をきつく閉じて淳の手を握り返し、立ち上がる。

「ありがと、淳」

「うん」

 淳は悠の背中やお尻を叩いて砂を払う。その間に他の少年達はサッカーを再開してしまったが、他の子にとっても、二人にとってももう慣れたことらしい。

 背中側をはたき終わって前に回った淳は、悠の膝に目を止めた。

「あれ、血が出てる。洗っとけよ」

「えー」

 悠は遊んでいる仲間たちの方にちらりと視線をやった。

「すぐ済むから。バイキン入ったら大変だぞ」

 淳は渋る悠を水道に引っ張って行った。片膝を突き出してふら付きながら傷を洗う悠を淳が脇からしっかりと支える。洗いながらも他の子供を気にしている悠を見て、淳はぱっと手を離した。途端に悠がぐらりと揺れる。

「わ、わ、わ」

「ははは」

 淳は悠が転ぶ前に支えてやったが、悠の片足は靴下まで濡れてしまった。

「淳! しっかり持っててよ!」

 淳はしっかりと悠を支えながらケラケラ笑っている。

「もう……」

 ぶすっとしながら悠は蛇口を締める。

「はは、悪かったって。悠は本当にサッカー好きだよなあ」

 淳はポケットからハンカチを取り出して悠の膝と、それから濡らしてしまった脛を拭ってやる。

「自分でできるって」

 小さな子供扱いに悠は不満そうにしたが、淳はニヤニヤ笑う。

「だーめ。悠、こないだこれで転んだだろ。また転んだら洗った意味ないじゃん」

 悠はぐっと黙り込んだ。この小柄な少年は運動の全般が酷く苦手であるらしい。

「はい、おしまい」

 すっかり濡れてしまったハンカチを淳がパンパンとはたくと、悠はぱっと手を伸ばしてそれを掴んだ。

「これ、洗ってくる」

 悠は俯き加減で耳を赤くしながら丁寧に淳のハンカチを畳みなおして自分のポケットにしまった。

「いいのに。ありがと」

 淳が笑うと、悠も顔を上げて微笑んだ。

「うん。ありがと」

「戻ろ」

 二人は並んで、遊んでいる少年たちのところへと戻っていった。



 伊藤カレンは買い物袋を下げて、駅前のスーパーを出た。駅前広場では核兵器根絶を訴える若者が拡声器で何事か繰り返している。日没が近い。家路を急ぐ主婦たちは足早にその前を横切り、子供たちは友達と連れだって塾へ向かっていく。

 カレンは少し遠回りする道を選んだ。バス通りをゆっくりと進むと、その先にこの辺りで一番大きな児童公園がある。公園の姿が見える前に子供たちの歓声が響いて来た。

 カレンは公園に入り、駆け回っている子供たちの中に目を凝らした。それほど時間をかけることもなく我が子を発見する。同じ学年の子供に混じると息子の悠は一際小柄で目立った。

「ゆーうー」

 大きな声で呼びかけると、悠はくるりと振り返った。他の子供たちもちらほらとカレンを見て足を止め、「こんにちは」と挨拶を寄越してきた。言い終わるとカレンの返事も待たずにサッカーに戻っていく。悠は子供たちの輪を抜けてカレンの下へと駆けてきた。

「悠。そろそろ帰ろう」

 悠はこっくりと頷いて、友人達に手を振った。

「僕、帰るね。バイバイ」

「おー、またな。悠」

「バイバーイ」

 カレンは悠と手を繋いで歩き出す。息子に手を繋ぐことを嫌がられるとママ友達は寂しがっているが、悠は十歳になってもまだカレンを疎ましそうにしたことはない。今日の出来事を聞けば、笑顔で学校での様子を話して聞かせてくれた。小柄で内気な悠が学校で上手くやっている様子にカレンは安堵し、息子を誇らしく思う。



 カレンが台所で食事の下ごしらえを終えてリビングに戻ると、なぜか悠のTシャツのお腹のあたりがびしょぬれになっていた。

「ちょっと、悠。どうしたの、それ」

「えー、なんか濡れちゃった」

「着替えないとお腹が冷えて、お腹痛くなるよ」

 悠の服を剥ぎ取って洗面所の洗い籠に向かうと、そこには悠がびしょぬれになった原因が待っていた。洗面台と床が水浸しになっている。

「悠! ここで何したの!」

 雑巾で水を吸いながら叱りつけると、新しいシャツを着こんだ悠がしょんぼりと顔を出した。

「ハンカチ、洗った」

「ハンカチ?」

 ざっと片づけを終えてカレンが立ち上がると、悠はまっすぐに母を見上げた。

「淳にハンカチ借りたから、明日返せるように、洗った」

「それは……偉かったけど。でも床をびしょびしょにしたままにしちゃダメよ。気が付かなかったら滑って転んじゃうわ」

「うん、ごめん」

 しゅんとした悠の頭を撫でて、カレンはリビングに戻った。ベランダを覗いてみればきちんと絞れていないハンカチが一枚吊るされている。ポタポタと落ちる雫が床に黒い跡を残していた。

「悠、しっかり絞らないと明日までに乾かないわよ」

 カレンは適当なタオルを持ち出して見慣れないハンカチを挟んで叩いた。

「ほら、こうやってタオルで水を吸ってあげると早く乾くから」

 もうすっかり日は暮れている。後は秋の夜風が薄い布きれを乾かしてくれるのを期待する他ない。


 帰りの遅い父を待たずにカレンと悠は夕食を終えた。食器を洗うカレンの後ろで悠はテレビに見入っている。悠は旅番組が大好きだ。友達にはおじいちゃんみたいだとか随分馬鹿にされるようだが、本人はどうしてもやめられないらしい。

「ただいま」

「おかえりなさい」

 伊藤大我はカレンに歩み寄って彼女を抱きしめた。頬にキスを交換するのは毎日の習慣だ。それが終わると次は悠と同じようにハグをする。

「元気にしてたか、悠?」

「うん」

 返事もそこそこに悠はテレビの前に戻っていく。大我は苦笑いしてその背中を見送った。

「お疲れ様。ご飯まだでしょ? 今日はロールキャベツよ」

「お、いいねえ。食べる、食べる。ラッキーだな」

 キッチンに引っ込もうとしたカレンの耳に、ニュース速報を知らせる音が届いた。テレビの前の悠が「あ」と短い声を上げる。

 足早にテレビに向かう大我についてカレンもリビングへ戻った。テレビ画面にはニュース速報が表示されている。

 ――国連総会にて全首脳、核兵器放棄に合意。

 悠がくるりと大我を振り返った。カレンも夫を見上げる。そして震える手を大我の腕に沿えた。

 全ての核保有国からの核兵器の追放。そのための重要な一歩としての首脳合意。

 それは伊藤大我がいわば人生の全てをかけていたミッションである。この一年と少し、世界中を飛び回っていたのはこのためだった。

「あなた……、ミッション達成、おめでとう」

 カレンは堪え切れず涙をこぼした。大我は力強くカレンの肩を抱く。

「まだだよ。最後の指令が残ってる。今日、帰還命令が出た。今夜、十二時だ」

 カレンは目を擦り、顔を上げた。

「本当に急なのね」

「ああ、署名が行われた時刻から二十四時間以内で一番安定している時間枠だそうだ」

 ソファの上に膝立ちしてカレンと大我の話を聞いていた悠が口を開いた。

「ねえ、どうしても帰らなきゃいけないの?」

 大我は腰を折って悠と視線を合わせる。


「大丈夫だよ、悠。ニュース速報、見ただろう? 核戦争は起きない。だから、もう帰っても大丈夫だ。二十四世紀も空気は綺麗で、水だって汚れていない。外でも遊べるようになってるよ」


 ***


 伊藤大我は二三二三年時点の地球政府からタイムリープ資格を与えられた数少ない歴史調整員である。二十二世紀に勃発した核戦争は多くの命を奪い、終結後も地球の生態系崩壊によって人々の命を奪い続けた。日に日に人口が減り、未来が先細りする中で人類がたどり着いた希望がタイムリープ技術である。その技術は厳重に管理され、慎重を期して運用されてきた。そのすべての努力は核戦争を回避できるように歴史を改変するために注がれてきたのだ。

 そして、膨大な研究データから割り出された第一にして最大の歴史分岐点「二十一世紀の国連総会における核兵器廃絶署名の失敗」がようやく塗り替えられた。歴史はこれからまるで異なる方向に舵を切り、新しい未来を選択していくことになる。大我の所属するチームに与えられていた任務は終わった。

 タイムリープ技術は非常に繊細な技術である。実行に当たっては様々な制約事項があった。ある人間が本来存在しえない時代に長く留まればその分だけ歴史に与えるひずみが大きくなることは判明しているが、それを打開する術は開発されていない。現在の技術では一人一人のタイムリープ期間を最大二年に限定し、予期せぬ歴史の改変を防いでいる状態だ。もちろん、用が済んだ者は速やかに元の時代へ送還することが義務付けられている。時間管理部門が行う帰還の決定に逆らうことは重罪であり、即日の死を意味した。


 突然の帰還命令に沈黙していたカレンと悠だが、先にカレンが立ち直った。

「今日のお食事、ロールキャベツにしておいて良かったわね。大我も悠も大好きだものね」

 改変された未来では、大地も水も放射能汚染から解放されているはずだが調味料にいたるまで二十一世紀の味を再現できるとは思えない。最後に二人の好物を食べさせてやることができてよかったとカレンは微笑んだ。

「ああ、本当に。それは食べないと帰るに帰れない」

 大我もにっこりと笑った。

 悠は、ぼんやりとベランダに揺れるハンカチを振り返っていた。


 夜九時過ぎ。

 夫婦の寝室では大我が荷造りに追われていた。余計なものを残して行ってはこれからの時間の流れにどう影響するか分からない。忘れ物は厳禁だ。

 一方、持ち帰らねばならない荷物が少ないカレンはベッドに腰掛けてアルバムをめくっている。それは二十一世紀に来てから撮りためた家族の写真だ。地下通路以外の方法で家の外に出ることも許されていなかった二十四世紀育ちの三人にとって、青空の下を歩くことも、海に足を浸すことも、どれも夢のような体験だった。どの写真の中でも三人は弾けるように笑っている。

「ふふ。悠、初めて家の外に出たときは怖がって泣いてたわよね」

「そりゃあ、ずうっと外に出たら病気になるって教わってきたんだから怖かっただろうさ。そういう俺もちょっとびびった」

「実は、私も」

 カレンと大我は顔を見合わせてくすりと笑う。

「野菜や果物も全然違うし、何より生肉と生魚。食べるの、勇気がいったわ」

「はじめは何でも分析して、測定結果を確認するまで食卓に乗せてくれなかったもんな」

「それはそうよ。この時代だって戦争前ではあるけど放射能汚染はゼロじゃなかったわけだし」

 カレンはアルバムをめくり続ける。悠が淳と肩を組んでいる写真を見つけると、それをアルバムから抜き出した。

「これは、持って帰りたいなあ」

 大我は荷造りの手を止めて苦笑いで妻を見た。

「おいおい、勘弁してくれよ。下手なものを持って帰ったタイムパラドックスでも起こしたら核兵器どころの話じゃないぞ。過去も未来もまとめてドカンだ」

 カレンは唇を突き出すようにして夫を見返した。

「分かってるわよう。でも」

 カレンは視線を再び写真に戻す。

「悠にとって初めてできたお友達なのよ。こっちにきて、初めて同じ年頃の子供と直接会って、話して、それでできたお友達なの。あなたも覚えてるでしょう? 友達ができたよって言って悠が帰ってきた日のこと。夜中まで興奮して淳君の話ばっかりして」

 カレンの目の端には涙が膨らんでいく。

「あの子、友達と別れたくないに決まってるのに。支度をしてても一つも文句言わないのよ。聞き分けが良すぎて、かえって可哀想だった」

 大我はカレンの隣に腰かけ、妻を抱き寄せた。カレンは背を震わせ声を押し殺して泣いている。

「仕方がない。あの子をここに置いていくことも、俺達が留まることも許されていないんだ。それに二十四世紀に帰ればあの子には新しい友達を作るチャンスがいくらでもある」

 カレンは大我の胸の中で頷いた。

「悠はきっと大丈夫だ。ここでも友達を作れたんだ。次もきっとうまくやれるよ」

「そう。そうよね」

「ああ」

 カレンと大我は、持ち帰ることのできない写真を黙って見つめた。



 控えめにノックの音がした。大我が声をかけると手にハンカチを握りしめた悠が立っている。

「どうした? 悠」

「あの」

「うん」

 大我は悠の前に膝をついた。

「あのね。淳君にさよならを言ってきたい」

 大我はちらりと時計を振り返った。時刻は既に十時である。

「でも、もう遅いぞ?」

「手紙、渡すだけでもいい。あと、これ。返したい」

 悠の手にしているハンカチは今日、淳から借りたものだ。

 大我はカレンを振り返った。

 こんな時間に子供が友人の家を訪ね、明日には会えなくなると言えば相手の家族は何事かと思うだろう。不思議に思われるくらいなら良い。どうせ大我たちが去った途端に時間はひずみを修正し、彼らの記憶は抹消されてしまうのだから。だが、夜逃げか、心中かと疑って家に踏み込まれたり、引き留められたりするのは不味い。タイムリープは繊細な技術だ。余計な邪魔が入れば失敗の恐れがある。

 カレンは縋るような目で大我を見た。行かせてやりたい。その気持ちは大我にもよく分かる。大我だって本当は悠を友人と引き離したくはないのだ。

 大我は悠の肩を叩いた。

「会うのは駄目だ。もう出発までの時間がない。何かあったら取り返しがつかない。でも、手紙をポストに入れて、そのハンカチを返すだけなら、いいだろう。悠の大事なお友達だものな」

 悠はぱっと顔を輝かせた。

「うん!」

「ちょっと待ってろ。パパも一緒に行くから」

「分かった。手紙、書いてくる」

 悠はすぐさま駆け出して行く。子供部屋の扉が開閉するのを見届けた大我は部屋に戻り上着を手に取った。

「ごめん、カレン。すぐ帰ってくるから忘れ物の確認、続けてて」

 カレンは夫の言葉にうなずいた。


 大我と共に夜道に出た悠は半ば駆け足で淳の家を目指した。

 二十一世紀に来るまで運動経験皆無だった悠は疲れやすく、体育の授業では何をやらせても嘘みたいに下手くそだった。コンピューター経由以外で子供と接したことが無かったおかげで、わいわいがやがやと喋る人の輪に入ることも苦手で、なかなか友達ができなかった。

 その悠に自分から声をかけ、あれこれと面倒をみてくれたのが淳だった。淳は気管支が弱いのだと言った。調子の良い日は他の子供と同じように遊べるが、悪いときはまるで走れない。

 だから子供たちの輪に入れない悠の気持ちはよく分かると言ってくれた。

 一人友達ができると、その友達の友達が、友達になり、そのまた友達が友達になって悠はやっとクラスに馴染んだ。淳がいなければきっと今日まで悠はずっと教室で俯いていただろう。サッカーに混ぜてもらうこともできなかったに違いない。

 淳の家までの最後の曲がり角で、悠は足を止めた。

「どうした?」

 大我が振り返る。悠はじいっと大我を見上げた。

「パパ。ここで待ってて」

「え?」

「一人でできるから、ここで待ってて」

 大事な友達とのお別れの儀式だから。悠の目を見つめた大我は淳の家を見やってから、もう一度悠を振り返った。

「分かった。でも、あんまり長くいたら迎えに行くからな」

 悠はしっかりと頷いて、淳の家への僅かな距離を駆け出した。


 ポストの前に立ち、悠は目を閉じる。思いは後から後から溢れてくる。

 別れたくない。また一緒に遊びたい。ちゃんとありがとうを言いたい。さようならを言いたい。どれだけ感謝しているか伝えたい。どんなに大好きか知っていてほしい。

 悠はポケットからハンカチと大急ぎで書いた手紙を取り出してギュッと握った。

 ポストに手を伸ばす。

「淳、ありがとう」

 悠の手から手紙がすとんとポストの中へ落ちて行った。


 カレンは何度も時計を見上げながら二人の帰りを待っていた。ソファの上には白いジャンプスーツが並んでいる。タイムリープのための専用スーツだ。下着も含めて全て着替えなければ時代の違う衣類が時を超えた瞬間にタイムパラドックスを引き起こす可能性がある。

 カレンは悠のスーツを広げた。

 悠だけは滞在中に成長することを見越して大きめの服を着させてきたが、こうしてみるときっと今の悠には小さいだろうと思える。

「大きくなっちゃって」

 悠は本当に大きく成長した。カレンは白いスーツをぎゅっと抱きしめた。



 夜、十一時五十八分。

 無事に帰宅した大我と悠、そしてカレンはタイムリープ用のスーツに着替え準備万端で台所にいた。

「よし、帰るぞ。忘れ物、ないな?」

「大丈夫」

 大我はカレンと頷き交わす。その隣で悠はそっと右のポケットに触れた。腿にポケットが押し付けられ、ほんの少し湿り気を感じる。

 大我は冷蔵庫に銀色の機械を取り付けた。スイッチを入れると冷蔵庫がぐにゃりと変形し大きな扉が現れる。扉の上には2323.03.22の文字が刻まれている。大我たちが出発した翌日だ。

 大我は携帯電話をかけた。二十一世紀には存在しないはずの言語で電話の向こうの同僚に出発を伝える。

 電話を切った大我は全データ消去を実行すると、携帯を流しにおいて扉の前に戻った。

 もう一度、家族を振り返る。カレンと悠は手を繋いで大我を見つめる。

「行こう」

 大我は扉を押し開いた。光が溢れ、それが消えると扉の向こうには懐かしい二十四世紀の伊藤家のリビングが広がっている。

 大我は扉を越えた。部屋の中は出発した時の記憶とほぼ変わりがない。微細な変化は、例えば置きっ放しになっていた新聞や雑誌の見出し。大きな変化は嵌め殺しになっていたはずの窓が両開きに変わっていること。そして、外に広がっていたはずの砂漠の景色が美しい街路樹と空を横切る空中回廊になったことだ。

 大我はふらふらと窓に近づき、街路樹の間を飛ぶ鳥たちを見た。そして空中回廊を行き交う人々を見た。

「地球は、生きてる」

 大我は慌てて雑誌をめくった。最新号であるはずの雑誌の表紙は美しい海の写真で飾られ、どこにも放射能の減少見通しの話や、都市の消滅予想の記事は無かった。

 大我は堪え切れない涙を拭い、扉を振り返った。

「おいで、カレン。悠。もう、大丈夫だよ」

 両手を広げるとカレンが飛び込んできた。勢いのまま床に倒れ、二人は泣きながら笑う。

 カレンは床に座ったまま、悠に手を伸ばした。

「悠! 見て!」

 悠は恐る恐る扉に近づいてくる。そして左足を一歩踏み入れた。

 首を伸ばすと悠にも二十四世紀の窓の外が見える。その明るさに、豊かさに悠は思わず息を飲んだ。

 顔を前に戻せば、大我が立ち上がり、悠に手を差し伸べていた。

 悠はさらに一歩を踏み出した。


 右腿のポケットに入った淳のハンカチが一緒に扉を越えた。


突然のSF。やってみました。

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