紅の章 06
3
時は前後して、竹たちが信州へと旅立ってから一時間ほどした後。
大神深翠と山吹蒼香は二人並んで歩いていた。
その頃、竹たちは電車に揺られている。
二人並んでといっても仲良く歩いているのではなく、二人は偶然歩いているところを一緒になっただけである。
二人ではなく一人と一人。
それでも二人で歩いているように見えてしまうのは、片方が相手の横に並ぶと相手よりも少しでも速く速くと速度を上げていたら、徒歩ではこれ以上上げれないという速度に達してしまった為である。既にその速度は徒歩というよりはほとんど競歩の域に達している。
彼女たちが歩く道に人がいないのが幸いだった。誰かが見たら確実に退くくらいの速度であることは間違いない。
だからといって、二人は決して走ったりはしない。走った時点で敗北であるという共通認識が、二人の暗黙の了解として確立していた。
とはいえ夏真っ盛りの炎天下の中をこれ以上汗だくになってまで、勝敗の付かない無駄な争いをしたくないのも事実だった。なので自然と二人は無言で休戦協定を結び、普通のペースで歩き始めた。
彼女たち二人が向かっている先は同じである。
黒澤怜の住むマンション。
そこが二人の共通の目的地だった。
ただ黒澤怜の自宅に用があるといっても、そのマンションの主に用は全くなかった。
むしろこのマンションは、二人が絶対に近づきたくない場所のベスト3に入っている場所である。因みにベスト3のもう一つはそれぞれ、今隣を歩いている相手の自宅である。
だがそんな近づきたくない場所であっても、今日は行かなければならなかった。
絶対に近づきたくない場所にわざわざ自分から出向く二人の目的は同じ、二人の想い人の天倉竹である。
本来なら二人はまだ、天倉竹と顔を合わせる事が出来ない。
それは二人が喧嘩、というには少々派手な所業を竹の自宅でしてしまい、竹を怒らしてしまったからだ。元々竹の自宅には暫く出入り禁止にされたわけだが、竹自身に会うことは禁止されていなかった。だが二人は竹に怒られた事がとりあえず、かなりショックだったので、自分たちの行為を反省して(自宅を崩壊させた事自体に関してはあまり反省していない)二人は自分たちのプレゼンが失敗した後に、竹の自宅の修繕が終わるまで竹に会わない事にした。ただ単に会わせる顔がなかったというのが正確かもしれないが。
その旨は竹が怜の自宅にいる事を怜が電話で伝えてきた時に、言伝してもらった。
しかし、その誓いは破られようとしていた。
まあ、竹が怜の自宅に転がり込んだ事を、怜自身の口から伝えられて我慢した時点で二人にしてはよくやった方なのだが。
では、二人がなぜ自ら口にした誓いを破ってまで、竹に会うために近づきたくもない黒澤の自宅までやってきたかというと、それは今朝、当の黒澤から伝言があったからだ。
伝言というには少し異色だったかもしれない。
深翠が朝起きると、枕元にヘンテコなおもちゃのロボットがあった。
そして、そのロボットは深翠が目を覚ましてその存在に気付くと同時に、ギギギと鉄が錆びて擦れたような不快な音を発しながら、機械的な音声を発した。
「今日から竹と私と松田は三人で旅行に行く。もしついてきたければ、私の自宅まで来い」
音声自体は機械的なものだったが、声のアクセントやしゃべり方は黒澤怜のものであることはすぐにわかった。
そもそも、このような不可解で不愉快な真似をするのは、深翠の中で黒澤しか見当がつかなかった。
ロボットは言い終わると、電池が切れたようにコテンと倒れてしまった。少し気になって触ってみたが、どこをどう触っても少し古いというだけで普通のおもちゃだった。
どうやらなんらかの魔法を使って、動かしていたらしい。
黒澤怜が魔法使いであることを再認識した、深翠だった。
その事を無茶な速度で歩くことをやめて、隣で歩いている蒼香に話してみた。
蒼香は少し驚いているようだった。
普段はあまり自分からしゃべらない深翠が、それも蒼香に対して話かけるというのは中々まれな事だったからだ。
もしかしたら、決して体の丈夫でない深翠が、この暑さの中、自分と張り合って競歩とも思える速度で歩いてきたのだから、暑さでどこかやられてしまったのかもしれない。と蒼香は納得した。体が丈夫でない事を知っていて、張り合うなんて大人気ない、と自分の中の誰かが言ったが、無視した。
「私のトコにも来たわよ、ソレ」そもそもそんなものが来ていなければこんな状況にはなっていない。「ロボットじゃなくて、変な人形だったけど」
「人形ですか?」
「そう、人形。なんかアンティークドールっぽい奴。あれって気持ち悪いよね」そう言って蒼香は顔をしかめる。
深翠は蒼香の台詞が少し可笑しかった。
アンティークドールを気持ち悪いと言った、蒼香こそアンティークドールそのものの容姿をしているからだ。
黄金に輝く髪を二つに束ね、どこか幼さを残したギリシャ彫刻のような顔立ち、瞳は海のように深い蒼。スラリとした肢体を包む、この空のように真っ青な半袖のワンピースは彼女のモデルのような体型に一層映える。最近の彼女は青い服を好んできているようだった。以前は黒だった。
それに引き換え、と深翠は自分の服装を見る。
蒼香とは違う、時代錯誤な葉をあしらった薄い緑の江戸小紋。
深翠の私服は常に和装だった。
和服は嫌いではないのだが、この格好はあまりにも目立ちすぎる。特にそれはこちらの越してきてから顕著だった。
しかし、だからといって、自分がどの洋服を着れば良いのかというのもわからない。
深翠は小さくため息をついた。
そのあとは会話らしい会話もなく、二人は黙々と歩いた。
五分ほど歩いて、目的のマンションの前に辿り着く。
二人は無言のままマンションに向かいロビーを抜け、エレベーターに乗った。先に乗った蒼香はエレベーターの奥の壁に背を預ける。
後に入った深翠がエレベーター内部に取り付けられている、簡素な6の数字を押すと暫くして扉が閉まり、二人を乗せたエレベーターは低い音を上げながら上階へと昇っていった。
蒼香は浮遊する感覚が曖昧に全身を駆け巡るのを感じ、その感覚に身を任せる。
昇るという行為が酷く不安定で不快だった。
堕ちる方が安定していて、好ましい。
だけどそんな事を言えばあの人は怒るのだろうな。と漆黒に一滴だけ聖緑を落としたような長い黒髪を眺めながら、蒼香は思った。
微弱な揺れとともに浮遊感が終わりエレベーターの扉が開いた。
口を広げた箱から、また別の口がいくつも見える。
二人は迷いもせずその中から、一番奥の黒く閉じた口を選んだ。
蒼香がノブを回す。
扉には鍵が掛かっておらず、ギィっと少し古くなった建築物特有の音を上げて抵抗もなく扉は開いた。
二人は何も言わずに魔法使いの根域への扉をくぐった。
リビングに繋がる廊下を歩きリビングに到着。
深翠と蒼香はそこにいた者を確認するや否や、一瞬にして全身を、そして精神を緊張させた。
なぜなら、魔法使いの根域には本来いるはずの魔法使いの姿はなく、別の魔法使いが鎮座していたから。
それは最強という名の最悪だった。
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