紅の章 05
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部屋に案内された後、荷物を整理しているところで怜が竹と松田の部屋にやってきた。
怜が用事もなしに、自分から移動することはありえないので、何か話しがあるのだろうと竹は判断して荷物をいじるのをやめて、ベッドに腰掛けた。
松田も竹の行動に習って自分のベッドに腰掛ける。怜は部屋の一番奥にあった、アンティーク風の机付属の椅子の方向を、二人の方向に向けてから座った。
そして前置きもなしにこう切り出した。
「本当の事を言えば秋野菊代という人物がいることはわかっていた」怜は不敵に笑う。
「え? でもさっきは……」竹が先ほどの事を思い出して言う。松田は黙って二人のやり取りを聞く事にしたようだった。
「あれは嘘だ。ただ秋野菊代が当主だということは、本当に知らなかった」怜はつまらなそうに言った。
「ならそれで驚いていたんですか」
「いや、別の事だ。秋野菊代が本当に秋野菊代なのかわからなかった」
「どういう事ですか?」竹が首を傾げる。
「調べでは秋野菊代は秋野宗一郎の妻という事になっていた。そこは合っていたわけだが……」
「でも秋野宗一郎はいないんじゃ?」竹の眉間のしわが一層深くなる。
「秋野宗一郎はいるよ。それともいたけどいなくなったのかな。まあそれはどうでも良い。退場している登場人物に割いてやる時間はない。それよりも私が驚いていたのはね、私が知っていた彼女と、さっき見た彼女とのギャップだ。そこに驚いた」
「ギャップ、ですか?」
「そうだギャップだ。秋野宗一郎は生きていれば六十三歳なんだ」
「それはまた……随分若い奥さんを貰いましたね……」若干の羨望と呆れを混ぜたような声で竹は答える。しかしその微妙な感情は怜の次の発言により吹っ飛んだ。
「そうじゃない。秋野菊代も調べでは五十八歳だ」
「え?! でもさっきの人はどんな濃い色の色眼鏡をかけて見たとしたとしても、三十歳前半ですよ?」竹が目を見開いて驚きを口にする。
「そうだ。私にもそう見えた。だから驚いているんだ……」
「……そりゃ驚きますよ。ていうかだから不機嫌だったんですね」
「どういう意味だ?」怜が竹を殺気のこもった瞳で睨んだ。
「いや……なんでもないです」
竹が口ごもると、黙って聴いていた松田が半笑いで口を開いた。
「あー、本当ならやばいっすねー。あれで五十八歳だとしたら、若返りの秘薬でも使ってるでしょー」
「そうか若返りの秘薬か……」松田は洒落で言ったつもりだったのだが、怜は思いのほか真面目に考えこんでしまった。
「どうしたんですか?」竹が顔色の変わった怜に尋ねる。「もしかして『赤き秘宝』とやらに若返りの効果でもあるとか? もしそうなら怜さんは絶対手に入れたいですね」
「どうだろうな。昨日までの私だったら(・・・・・・・)、そう考えたかもしれないが、それは違うかな。私は『赤き秘宝』は、若返りの秘薬なんかじゃないだろうと思っている。というか竹、今日は随分言ってくれるじゃないか。まさか自殺願望でも持っているのか?」怜は冗談っぽく言ったが、目は笑っていなかった。
「……きっ昨日までの怜さんだったら、ってどういう意味ですか?」竹は怜の目が本気だったので、少し焦って話題を本線に戻した。
怜はもう一度竹を睨んでから説明しだした。
「君たちには言っていなかったな」怜は一呼吸置いて、「石間山の鬼の伝説を」口角を吊り上げながら石間山に伝わる鬼の物語を話し始めた。
竹と松田は大人しく、ありふれた昔話に耳を傾けた。
「と、こんなところか。これが石間山に伝わる鬼の伝説だ。この秋野神楽というのは、その名の通りこの秋野家の始祖とされている女だ」
怜の結構上手だった語りを聞き終えた竹は、首を傾げながら聞いた。
「えっと、この地域一帯に鬼の伝説が伝わっていて、村の救い主がこの家の先祖っていう事は解りましたけど、それでそのどの辺が、オレの疑問の答えになるんですか?」竹は怜の考えている事が、さっぱりわからなかった。松田も竹の横で首をかしげている。
「今の昔話をね、私は昨日知ったんだ。いや、正確には知っていたが、さほど重要視していなかった。だが昨日、今の昔話が重要であることを知った」
「昨日ですか? なんでまた?」
「秋野家から昨日届いた、招待状に紙が二枚入っていただろ。一枚は招待状、そしてもう一枚がその伝説が書かれた紙だった。何も考えないで読んでしまえば、ただの昔話、せいぜいお家自慢だ。だが少し考えたらわかるだろう? わざわざ『赤き秘宝』のお披露目会の招待状に同封しているんだ、この昔話と『赤き秘宝』には、何らかの関係があると考えるのが妥当だ」
「ああ、そういう事ですか。怜さんは昨日、その話を重要だと考えて、そこから『赤き秘宝』がどういうものなのかを理解したんですね?」
「うん」と頷き、怜はシャツの胸ポケットからタバコを一本取り出すと、それを器用にクルクル指で回しながら、「これはあくまで私の推測なんだが――私はね、今の昔話には『赤き秘宝』が登場していると考えているんだ」とまるで講義をする教師のような口振で言った。
「え? でも……」松田が反射的に反応する。
今聞いた話に『赤き秘宝』などという名前は一言も出てきていない。
「確かに『赤き秘宝』という名前は一言も出てきていない。だがそれは秋野家にとっての宝だ。いくら昔話とはいえ、重要なものの名前をほいほい出すわけにもいかんだろう。現に私だってそんなものの名前を聞いたのはつい最近だったからな。だがこの昔話には『赤き秘宝』の名は出ていなくとも、それを暗示させるものが出てきただろう?」
「……赤い眼?」松田がつぶやいた。
怜はその呟きに満足そうに頷いて、持っていたタバコに火を点けた。
竹はそれを見て、この部屋って喫煙OKなんだろうか、なんて事を考えながら怜の話の続きを黙って聞く。
「そうだ。赤い眼を持った女だ。これは直接記述することの出来ない『赤き秘宝』を暗号化したものだと考えられないか? 秋野家の先祖である秋野神楽は村を荒らす鬼を殺した。さらに秋野神楽は都から来た鬼を退治する陰陽師だという。そこから考えると『赤き秘宝』とは秋野神楽が持っていた、鬼を殺す為の何らかの道具であると考えることが出来るのが自然じゃないか?」怜は体を捻って、机の上から灰皿を引き寄せて、灰を捨てる。
どうやらこの部屋は喫煙OKだったらしい。
「だから私は『赤き秘宝』が若返りの秘薬的なものではない、と思っている」
「えーっと、そうかもしれないっすね。でも赤い眼がそのまま赤い眼だったって事はないんですか? というかそっちの方が自然じゃないですか」松田は竹も考えていた意見を言った。
だがその考えは竹の中では、とりあえず否定されていた。
なぜなら――
「確かに私もここに来るまでは疑っていたがね。しかし松田、君も見ただろう? 秋野神楽の子孫、秋野菊代を。彼女の瞳は多少赤み掛かっていたが、赤というには程遠い。あれくらいの色をした人間なんていくらでもいるさ。というか赤い眼をした人間なんているわけがないだろう」魔法使いは紫煙を吐きながら言った。
「でも銀色になる人は横にいるじゃないっすか。ここに」松田が竹を見ながら言った。竹は二人の視線を感じながら、眉間に皺を寄せて考え事をしていた。
その表情を見て、怜と松田は竹が自分に話を振るなと暗に言っている事に気付き、二人で話を進めることにした。
「む、まあ確かにそういう特殊な例もあるから、さっきのは撤回しよう。だがもし、秋野神楽が本当に特殊な赤い眼をしているような人間だったとしたら、それはどんなことをしても確実に子孫に遺伝させているはずだろう」
「あー、さっきの鬼退治の昔話が本当にあったこと(・・・・・・)であれば、秋野神楽はそういう事をする側の人でしょうね。でも当主の人の眼は、そんなのを遺伝している雰囲気はなかったんですよね? 俺は見てないっすけどね」
「そうだ。次会ったときに見てみると良い」
「了解です。そうしてみまっす」
怜は一本目のタバコを灰皿に押し付けて、二本目のタバコを取り出した。
「吸うか?」怜が取り出したタバコを松田に差し出しながら聞いた。
「吸います」松田はベッドから腰を浮かせ、怜に差し出されたタバコを貰って、自分のポケットから取り出した100円ライターで火を点けた。完全に法律違反だったが、この場にそれを突っ込むような清く正しい人間はいなかった。
怜は三本目、実質二本目のタバコを吸い始めた。
「といってもこれはまだ推測の域を出ない話だからな。真相はわからん。まあ焦らずとも今日のお披露目会でわかることだ」
「ああ、そうっすね」松田が頷く。
松田が頷いたのを見てから、怜が竹に声をかけた。
「随分静かだったが、何を考えていた?」
「色々と」竹は短く答えた。
「具体的に言ってみろ」怜はもう一度竹に促した。
あまり喋りたくなかったが、断る理由もなかったので仕方なく竹は口を開いた。
「うーん、じゃあ言いますけど。とりあえずオレは怜さんの考えには否定的ですね。特にさっきの『赤き秘宝』が若返りの秘薬的なものでない、とかいう辺りは全面的に」
「なぜだ?」怜は片眉を少しだけ吊り上げた。
「だって今の話しって、『赤き秘宝』=赤い眼を前提とした話じゃないですか。そんな曖昧な状態で賛同することは出来ないですよ。その前提が間違っていたらどうするんですか」
「だから、推測だと言っただろう?」
「そうですね。あくまで推測の話なんで、否定こそしましたけど、それは賛成する材料がないというだけですから。まあぶっちゃけ怜さんの考えが正しかろうが間違っていようが、どうでも良いです。どっちにしろ『赤き秘宝』が何なのかは夜にわかることですから」
「……そうだな。だったら竹、君は何が不満なんだ」自らの会話を否定された怜は少し怒ったように言った。
「不満ていうか、はっきりさせておきたい事があるんですよ。今のところ二つ」
「……言ってみろ」怜が三白眼で竹を捉える。
松田は、それはなんだろう、と考えつつ、タバコの灰が落ちそうだったので、机に手を伸ばして灰皿に投下した。そして暫く黙って竹と怜のやり取りを聞く事に決めた。
「まず一つは、秋野菊代の事です。さっき言ってましたけど、秋野菊代って本当なら五十八歳なんですよね?」
「ああ、そうだ」
「それは確実に?」
「私が調べた限りでは、確実だな」
「だったら、あの秋野菊代は偽者なんじゃないですか?」
「どうしてだ?」
「だって、どう考えてもあんな五十八歳ありえないですよ?」
「普通ならな。だがこの館は普通ではない。それはこの館に張られた結界を見れば一目瞭然だ。それとも未だに、ここがそういう話のない場所だと思っているのか? 私とお前と松田、こんな普通とはかけ離れた異質なパーティが結成されているのに、それはありえないだろ」怜はつまらなそうな表情で竹を見た。
「……そうですね。実は今の今までそのありえない方に望みを持っていたんですが、そっちは諦めます。でもだからといって、あの秋野菊代が本物なのかどうかは、わからないですよね。怜さんのさっきの口振だと、怜さんはあの秋野菊代を、本物の秋野菊代が何らかの手段、それは『赤き秘宝』ではなく、別のものを用いて若返っている、と考えているんですか?」
「ん、いや別にそういうわけでもないな」
「違うんですか? じゃあ偽者だと思っている?」
「それも違う。この場合、信じるか信じないかは関係ないんだ」
「さっきも言ってましたけど、それってどういう意味ですか?」竹が眉間に皺を寄せて問う。
「だからそのままの意味だよ」怜は面倒くさそうに言った。
「それがわからないから聞いてるんですけど」竹は怜のその態度に少し憤慨したように言う。
怜は一度宙に視線を漂わせた後、呟くように言った。
「例えば――例えばの話だ。ある舞台劇に、A、B、Cという役割があったとしよう。今はその役を黒澤怜、天倉竹、松田聡也という三人が演じている。だが別にその役は私たち三人でなく、別の人間が演じても良い。舞台に招待客A、B、Cが上っていれば物語は破綻しない。そういう意味だ」
「……つまり怜さんの考えだと、秋野菊代という役を演じるのなら、中身が誰でも良いという事ですか」
怜は首肯する。
「そうだ。だから私はあの秋野菊代が本物でも偽者でも、どうでも良いんだ。まあこの場合、A、B、Cなんて適当な役柄じゃないから、秋野菊代を演じるのにはある程度、しっかりした役者じゃないと駄目だろうけどね。まあこれはあくまで私の考え方だけどな」
竹は何かとんでもないことを言われた気がしたが、それが何かはわからなかった。
それよりもその考え方は、竹の一番嫌いな人物の考え方に似ていた。
そんな個を蔑ろにするような考え方を怜がしているのが、不愉快だった。
しかし、竹はそんな考え方を嫌悪しつつも否定は出来ず、そんな自分に愕然とした。
怜はショックを受けている竹に、いつも通り話しかけた。
怜の辞書の中に励ますという言葉はない。
「落ち込むのは後にしておけ、それよりも二つ目はなんだ?」
竹はぐるぐるとした頭を、怜に言われた通り通常業務に戻す努力をしながら、言う。
「……もう一つはっきりさせたいことは、さっき怜さんが話してくれた石間山の鬼の伝説についてです。怜さん、あの話は信用して良いものですか?」
「む……ああ、竹が言いたいのはそういう事か」怜も竹の考えに至ったらしい。松田だけが何の事かわからないという顔をしていた。
「そうです。もしそこに書かれていた伝説が、秋野家に都合の良いように改竄されていたとしたら」
「したらどうなる?」
「わかりません。ただ、『赤き秘宝』のお披露目会に来たいという人間はわんさかいたでしょう。でもそのお披露目会に来ることが出来るのはごく僅か。そのごく僅かの人間はとてつもない苦労をして、今回のチケットを手に入れたわけです。そして苦労の末、チケットが手に入った時、その人間はどういう精神状態になっていると思いますか?」
「……」
「そりゃ喜ぶでしょ。かなり浮かれるちゃうんじゃない」怜が何も言わなかったので、代わりに松田が答えた。
どうやら怜は自分がその状態になっていたことに反省しているようだった。
「そう、喜ぶ。かなり喜ぶだろうね。そんな精神状態の中で招待状には、もう一枚紙が入っているんだ。それも秋野家に纏わる伝説を書いた紙がだ。贈り物、ご褒美の如く。普通だったらそれをどうする?」
「ああ、そりゃあ――」松にも漸く飲み込めたようだ。「無条件で信じるっしょ」
「そう。もしかしたらそこに書かれていたものは本当なのかもしれない。でも嘘かもしれない。嘘じゃなくとも、どこか改竄されているかもしれない。秋野家の都合の良いようにね。本物か偽者かわからないけど秋野菊代も、怜さんも信じるか信じないかは関係ない、とは言ったけどね。その辺がはっきりしないと、オレはまだ何も信じれない。情報が少なすぎる。まあそれでも夜にはわかるんだけどね」竹は硬い声で言って、伺うように怜をチラリと見た。
「――全く、竹の言う通りだ。どうかしていた。私もまだまだ修行が足りんな」怜は自嘲にも似たため息をついた。そしてそのまま何か考えこんでしまった。自分のポカを後悔しつつ、もしそうだった場合を想定して色々と考えているのだろう。
「じゃあ結局、今までの会話って意味ないってこと?」松田が竹に聞いた。いつの間にかタバコは吸い終わっていた。
「ぶっちゃけて言えば、そういう事」
「ひでー」松田は嫌そうに笑った。
「全くだね。まあ今日の夜には『赤き秘宝』が何なのかって事はわかるんだから、まあ良いだろ」竹は肩をすくめて答えた。
「まあそっか。てかさ竹、正直なところどうなの?」
「どうなのとは?」
「『赤き秘宝』の事」
「まあ言っちゃうとー、今んところ、どーでも良い」
「あはは、ハイきたそれ。竹はどーでも良いらしーです」松田が怜を見ながら言った。
しかし、怜は松田のフリには答えず、無言で何か考えているようだった。
松田と竹は、そんな怜の態度を見て、この話題を打ち切った。
二人にはこの話題を持ってきた本人不在のまま、この話題を続けようとは思っていない。なのでそれから暫く、二人は結局何もわからないまま、いつも通りの与太話に花を咲かせて時間を過ごした。
アンティーク調の部屋を紫煙と笑い声が満たしていった。
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