紅の章 03
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少し時間が戻って、8月3日。大神深翠と山吹蒼香が竹の自宅に遊びに来ていた。
ここのところ、というか学園が夏休みに入ってから、二人は毎日のように竹の自宅に来ていた。
一度、なんで二人して毎日うちに来るのか? と聞いたところ。
二人は揃って「負けれないから」とか「抜け駆けは許さない」とか、竹には理解不能のわけのわからない返答をしてきた。
何を競い合っているのかわからないが、その時思った「そんなに仲が良いのなら二人で遊びに行けば良いじゃないか」という台詞は言わずに飲み込んだ。もといなぜか言えなかった。
ついでに言うとそのことを竹とは別の学校だが同じく夏休みに入り、遊びに来た佐藤 顕志に言ってみたところ「のろけー。幸せかこの野郎」と三分ギレくらいで流された。
毎日のように自宅に押しかけられて、一人の時間が削られていくのに、何が幸せなものかと竹は思ったが、とりあえずその時は反論しなかった。
竹は基本的に一人でのんびりゴロゴロして、本でも読んでる自堕落万歳な時間が好きなのである。
もし竹がヒステリックな若奥様だったら、深翠と蒼香に対して「私の時間を返してっ!!」と叫んでいたことだろう。別に竹はヒステリックでも若奥様でもないので、そんなことはしないが。
だからといってこの状況はあまり好ましくない――のだが確かに考えてみれば、こんな美人が二人も毎日のように押しかけてくる状況は、客観的に見れば幸せなのだろう。
しかしあくまで客観的に観れば、である。
誰もが竹の状況になってみれば、幸せを噛み締めている暇はないだろう。
竹にキレた顕志ですら、この状況を見れば彼が竹にした発言に対して、謝罪して逃げ出すに違いない。
そんな誰もが逃げ出したくなる状況。
張り詰めた糸よりも意図的で、殺伐とした絶対零度も真っ青な空気が、ナポレオンの勝利よりも確実に、ヒトラーの七三よりも陰湿に竹の自宅を支配していた。
しかもその空気は日々増し、緊張の糸はこれ以上ないくらいに張り詰めている。
それでも逃げなかった竹はさすがと言える――実際は逃げた後が怖かっただけなのだが。
だがとうとう8月3日に糸はあっさりとばっさりと切れたのだった。
竹と深翠と蒼香。三人共ソファに座ってそれぞれ本を読んでいた。
竹は推理小説。深翠は古典文学。蒼香はファッション雑誌。
基本的に三人は集まっても特にすることがないのでそれぞれ勝手に本を読み、たまに会話を交わすくらいしかしない。特に今までまともな青春を過ごしてこなかった、深翠と蒼香の二人は娯楽を知らないのだ。
まともな人生を送っていないという点では竹も同じだが、竹は遊びに関しては良くも悪くも人並みに色々やっている。
しかし去年の夏休みは、松田や本多など十三夜のメンバーと海に行ったりして、色々遊び回ったのが今年はどうにも誘いがない。
深翠、蒼香の二人がいる為だろう。
とはいえ竹も外での遊びにそこまで積極的な方ではないので、今のところ夏休みに入ってから外出したのが、深翠と蒼香との買い物くらいしかない事実はさほど気にしていない。
そんなことよりも、竹はこの張り詰めた空気は気にしていた。
胃が痛くなるくらいに。
そしてその日、蒼香がギリギリまで張り詰めていた空気を切り裂くように口を開いた。
「ねぇ。二人って付き合ってるの?」蒼香は明日の天気を聞くように、なんでもない事のように言った。実は本人はこの台詞を大分前から用意していたのだが、切欠と勇気がなく言えなかった。なので周りから(竹と深翠から)はなんでもない風に言ったように見えたが、実際本人はかなりドキドキしていた。
そんなドキドキ蒼香の台詞に一瞬、部屋中の空気が凍り付いて一気に砕け散った。
竹も全ての機能が停止した。
だが竹は蒼香の台詞をありがたく思い、すぐさま機能を再起動させる。
竹がどうして蒼香の発言をありがたく思ったかといえば、5月の半ばから深翠が何かを勘違いしたままで、竹はその誤解を解くタイミングがつかめずグダグダの状態に陥っていたのだった。竹は属に言うチキンだった。
だから蒼香に感謝した。
竹はこの時ばかりは、マジに蒼香が天使に見えた。
そして竹は蒼香の問いに対して、こんな事はなんでもないという風に見えるように答えた。
基本へタレの竹は、内心はかなりドキドキしていたが。
「いや」と短く言い、首を横に振った。いきなり長い台詞だと緊張しているのがバレる危険性があった。竹は読みかけの小説に付属のしおりを挟みテーブルに置く。とりあえず一呼吸。ゆっくりとした動作をとり落ち着きを取り戻した。
横で深翠が睨んだのがわかったが、気付いていない振りをして言った。下手に観てしまっては戦意を喪失する恐れがあったからだ。
一度落ち着いてしまえば、そういう演技は得意だ。
「深翠とは付き合っていないし、誰とも付き合ってない」
これからも誰かと付き合うつもりはない。と竹が続けて言おうとしたところで、蒼香が口を挟んだ。
「良かった。じゃあ私にもチャンスがあるのね」蒼香はかなり、心の底から安心して言った。自然と笑顔になっていた。
「はい?」竹は自然と珍妙な顔をした。
「え?」深翠は自然とどっちを先に殺そうか考えた。
竹が見ていたのは天使ではなく、やはり悪魔に近かった。
そして戦いの火蓋は切って落とされた。
深翠と蒼香がそれぞれ読んでいた本をテーブルに置き、立ち上がり竹を挟んで対峙する。
「さて、竹さんに色々言いたい事はありますが、それにはまずあなたが邪魔ですね」
「初めて意見が一致したわね。私もあなたが邪魔だと思っていたの。彼女でもないのに竹の部屋に通うなんて、いい加減やめて欲しいもの」
「それはこちらの台詞です」
「あっそ、じゃあその台詞が言えないようにしてあげるわ」
「上等ですね」
「身の程をわからせてあげる」
「こちらこそ」
月夜見が夜を招き影の狼が低く唸る、それに対して天使が羽根を広げ殺戮を開始せんと駆け巡る。
竹の自宅の一室は一瞬にして戦場となった。
緑翠の瞳と青蒼の瞳が真正面からぶつかったのは、竹が慌てて間に入った為一瞬の事だったが、それでも竹の自宅は凄惨な状態になっていた。
竹も必死で二人を止めた為、散々な状態だった。とはいえ竹はそこにあまり文句はない。
傷の一つや二つ……では済まないが、そんなものはそのうち治るからだ。
それよりもこんなところで、二人が力を行使したことに対して竹は大いに憤慨した。
この部屋に遠藤 涼也に防御の結界を張っておいて貰っていたから、部屋の崩壊程度で済んだものの、もしそれがなければ、今の一瞬の激突でこのマンション自体が崩壊してもおかしくなかった。そんな力を二人は感情に任せて使ったのだ。
なので竹は本気で二人に怒った。
盛大に、これでもかと言うくらいに怒った。
二人にもう二度と、あんな力は使ってほしくなかった。
竹は二人を叱りつけた後、処分として当分出入り禁止にして部屋から追い出した。
「……」
「……」
追い出された二人は泣きそうな顔をした後、無言でとぼとぼと帰路についた。
「……」
二人を帰した後、竹は自宅の惨状を見てため息を付き、修理業者に電話した。
竹は自宅の修理が完了するまでの間、宿無しとなった。少しだけ泣きそうになった。
といわけで現在竹の自宅の冷房器具やら部屋の壁やらは修理中。
一度は廃墟と化した自宅で寝泊りしても構わないと思ったのだが、それは結局半日で断念。
このクソ暑い季節を冷房器具なしで乗り越えられるはずもなかった。
そういうわけなので、竹は部屋の修理が完了するまでの間、誰かの家に厄介にすることにした。その辺のホテルでも良かったのだが、お金が勿体なかった。
――だがその誰かの家、を選択するのも難航した。
思案している最中に元凶二人が、出入り禁止にしたにも関わらずに顔を出したのだ。これに関して付け加えておくと二人の理論は室内には入っていないのだからセーフだそうだ。こんな時だけ団結する二人だった。
竹の部屋を破壊した二人は反省しつつも、まさかこれが狙いじゃなかったのだろうかというくらいの勢いで、自らの自宅に来ればよいとプレゼンを延々と開始し、どちらも一向に譲る気配もなく、竹もそんな殺気立っている二人のどちらかを選ぶという、命を棒に振る行為は出来るはずもなかった。
妥協点を探った、三人一緒にという折衷案は双方のプレゼンの最初に却下されていた。
しかしそもそも竹には、女の子と一つ屋根の下で暮らすなんて考えは更々なかった。
だから誰か『十三夜』の誰か仲間の自宅に転がりこもうかと考えていたのだが、二人は何を思ったか、それに自分も一緒についてくると言い出し始めた。
竹の中でそれは更に駄目だった。
年頃の男子である仲間の自宅にこんな美人を泊めたりしたら、例え自分がいるとはいえ何が起こるかわかったものではなかった。
信頼関係で結ばれているようで、結ばれていないのが竹たち『十三夜』の関係なのだ。
なので、仕方なく二人の頭を冷やす意味も込めて、竹は絶対に二人が自分から近づこうとはしない怜の自宅に転がり込んだわけである。
ただそれを二人を目の前にして言い出す事が出来なかったので、怜の自宅に転がり込んだ後に怜から二人に連絡を入れてもらった。
その際二人ともから怜は竹宛に言伝を頼まれたそうだが、竹はその言伝を聞いていない。
これも一種の防衛機構だろう。
*
「……しかしこれ以上うちにいるのも、さすがにまずいだろう。私もこれ以上二人に恨まれるのは御免だからね」
「そうですよね……」竹はがっくりと肩を落とした。
「しかし他に行く当てもないのだろう?」
「はい」他に行く当てがあったら、女性の家に泊まったりしない。
数日とはいえ、色々と気を使って大変なのだ。
「修理が終わるのは後5日だったか?」
「……そうです」
何か猛烈に嫌な予感が全身を駆け巡った。
「ふむ。なら明日から一緒に旅行に行ってみないか?」
怜は宝物を目の前にした子供のように表情を輝かせて言った。
「旅行、ですか?」
「そうだ。旅行だ」怜は更に楽しそうな笑顔になる。
「どこへですか? ……ってまさか?」
「ご名答」怜は意地の悪そうな微笑みを浮かべた。
「『赤き秘宝』のお披露目、ですか?」
「その通り。もしもの時の為に誰かに付いてきてもらいたかったんだ」
「もしもの時って、怜さんには護衛なんて必要ないでしょう。それとも何か危険な場所なんですか?」
「必要ないって、これでも私はか弱い女性なんだがね……旅先では何があるかわからないだろ
う?」怜はじろりと三白眼で竹を睨んだ。
竹はか弱い女性ならそんな目はしません。という言葉を飲み込み別の言葉を言った。
「……それで護衛にオレについて来いと? それって二人でですか?」
「え? ああ、そうだな。私としては別に二人でも良いんだが……しかし、それだと深翠と蒼香から襲撃を受けるのは間違いないな。でもあまり大人数では行けないし……よし、竹。あと一人誰か君の仲間を一緒に連れて行こう」怜はこれは名案だ。と殊更明るく言った。
竹としては二人の方が良かったので少し残念だった。
ん? どうして残念がっているんだ? と竹は自分の感情に首を傾げる。
ああ、そうか。オレはオレが原因で、あいつらがこっちの事にまた関わってしまう事が嫌なんだ。
と、よく考えないで結論を出した。
実際はよく考えていないというよりも、答えに気付かない振りをしたというのが正解であるのだが、竹はそれにも気付かない振りをした。
「というか……オレが行く事は決定なんですね」そして無意識に意図的に、今の考えを忘れえるために声を発した。
「当然だ。どうせ君は宿無しだろう? 私がいなくなったらどこに行くんだ? それに今は夏休みで暇だろう。別に良いじゃないか、君ともう一人分の旅費はこちらが持つよ」
「やけに気前が良いですね? 何か企んでるんですか?」
「勿論だ。私の半分は悪巧みで出来ているんだよ」怜は口元を歪めて笑う。
「後の半分は?」
「優しさだ」怜は無表情になり言った。
「……」
何も起きない事を祈りつつ竹は小さくため息をついた。
そうして竹は怜と共に、『赤き秘宝』のお披露目へ向かうことになった。
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その時、竹は聞いておくべきだったのだ。
普通では一切の情報すら入手出来なかったであろう、『赤き秘宝』の情報を怜が誰からもたらされたものなのかと言うことを。
怜が宝具を収集している蒐集家である、という事を知っていたために竹はその確認を怠った。
怠ったというよりは、それが自然な事であると決め付けて、認識してしまったのである。
世界の宝具の一割を所有していると謂われる、稀代の収集家たる黒澤怜が、『赤き秘宝』の情報を少しは知っていてもおかしくないと思ってしまったのだ。
だが怜ははっきりと言っていた。
『赤き秘宝』が宝具であるかどうか不確定だと。
宝具でないものには一切の興味を示さず、情報など集めない黒澤怜は、普通ならそんな不確定なものよりも、確実に宝具であるものに興味を示すはずなのだ。
ならばなぜ怜は、『赤き秘宝』について調べようなどと思ったのだろうか。
黒い魔法使いは『黒の書』を片手に笑う。
物語が始まってしまっては、終わりまで進むだけ。
鬼の姫との物語の扉が開いた。
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その日の夜。
怜宛に一通の手紙が届いた。
封筒を開けると紙が二枚入っていた。
8月8日深夜0時。
『赤き秘宝』のお披露目会を開きます。
秋野家当主。
招待状にはたった三行しか書かれていなかった。
時間以外何も明記されていない招待状なんてあるのかと驚いたが、怜に聞くと「場所など必要ない」との事。
なんでもお披露目に応募する者は、場所など全てを調べていることが絶対条件の一つらしい。
それはともかく、竹は怜に付いて行く事が決定したので、連れて行くのを誰にしようか考えて、すぐ結論を出した。
携帯電話の電話帳から十三夜のグループを検索。
その中の一つに電話をかける。
相手はすぐに出た。
「うぃー」
「もしもし、松?」
「何? 竹」
「明日から旅行に行こう」
「は? いきなりっすか」
「急に決まったから」
「えー、明日は合コンがありまして……」
「あらら。旅行には怜さんが一緒なんだけど合コンなら駄目だな。君は切ろう」
「えっ? 怜さんもいるの? 行く行く」
「合コンは?」
「合コンよりも怜さんっしょ。てか俺が行かなかったら、竹と怜さん二人だったとか?」
「いや、お前が駄目だったら他にも何人か聞くつもりだったけど」
「それでも駄目だったら?」
「二人でしょ」
「深翠ちゃんや蒼香ちゃんには? 言っておいた?」
「は? 何も言わないけど。言う必要もないし」
「鬼だな」
「何が?」
「……何でもない」
「じゃあ明日、8時に南八里浜駅前ね。3泊4日らしいよ」
「了解。電車で行くの? 怜さんの車じゃなくて?」
「そう。なんか今回、車は嫌なんだってさ」
「どうして?」
「知らんよ」
「聞いてないの?」
「いや? 聞いとく?」
「うーん、一応。それじゃ明日ね」
「あいよ。明日な」
電話を切ると同時に怜が後ろから声をかけてきた。
「同行者は松田か?」
「そうです。松か本か大木か迷ったんですけどね。怜さんと一緒って言えば一番付いてきそうでしたから」竹がそういうと怜は少し嫌そうな顔をした。
「もしかして松じゃ駄目でした?」
「いや、まあそんな事はない。ただあまり好意を寄せられるのは慣れてなくてね」怜は苦笑いした。竹はあいつは誰にでもそうです、という言葉は飲み込んだ。そんな怜の仕草が珍しくて可愛らしかったからだ。変わりに別の言葉を紡ぐ。
「なら良いですけど。あ、そうだ」
「どうした?」
「今回はどうして車じゃなく電車なんですか? いつもなら移動は車でしょ? てか電車はタバコが吸えないから嫌いなんじゃなかったんですか?」
「ん? ああ、そうなんだがあまり他人を私の車に乗せるのは好きじゃないのでね」
「え? でもオレは怜さんの車乗せてもらってますけど?」
「……気にするな」
「……はぁ?」急に怜が不機嫌になったような感じだったので、竹はそれ以上聞かなかった。
ついでに松田にこのことを話すのもなぜかやめた。
お読み頂きありがとうございます。物語はスタート地点に立ちました。スタート地点に立ったのに、今章のヒロインが出ていないのは仕様です。というかこのままいくと、今章のヒロインは影の薄い子になってしまうような気がします。その辺も含めてお楽しみ下さい。
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