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アラタナハジマリ 20
            エピローグ

 殺されるために生まれたのか、
 生まれたから殺されるのか、
 死なないから生きるのか、
 生きているから死なないのか、
 気付いた時には遅かった。

 天才は最後の選択を迫られた。
 解答は決まっていた。
 気付くのが遅かったとしても、
 気付けただけで幸せなのだから。

 竹と秋野紅葉が、全てが終わったのは良いけどこれからどうしよう、みたいな微妙な空気に苛まれていると、ナイスタイミングでメイド二人が駆けつけてきた。
 どうやら先に館に戻った松田が手配したらしい。
 竹は松田のその気配りに関心すると同時に、「空気読めよ馬鹿」と言いたくなったが、どの道あの微妙な空気を打開できた自信がなかったので、結局松田に感謝した。
 自分の情けなさに小さくため息をついて、応急処置を受けている秋野紅葉と、せっせと治療に勤しむメイド二人を眺める。
 よくよく見てみると、メイド二人は微妙に似た顔をしていた。
 後でわかった事だが彼女たちは二卵性の双子で、竹が話した事がない方が姉で八坂真実という名前らしい。
 竹は八坂真実・真逆姉妹の舌を巻くほどの手際の良さに、自分がここにいてもやることがない、というかむしろ自分は邪魔だろうと判断して、二人に秋野紅葉を任せ、とりあえずこの場から立ち去ることにした。
竹は無言で立ち上がり、突き立てていた愛刀を手に取って、単身秋野の館へ戻った。
 全てを終わらせるために。
 右肩から全身に伝わる鋭い痛みに、顔を歪ませつつ来た道を戻る。
 痛みからくる汗なのか、真夏の熱による汗なのか、先ほどの戦闘で殆どボロ布と化していた竹のシャツはびしょ濡れだった。
 夜なのであまりわからないが、元は白い色をしていたTシャツは血と焦げで、どす黒くなっている。
 竹が痛みに耐えながら山道を歩き、豪奢な洋館の前に到着すると、流れていた汗が一瞬にして干上がった。
 漆黒の髪と闇を切り裂く赤い瞳、灼熱の微笑を浮かべて、女は隻腕の死神が来ることを予見していた様に、秋野の館の分厚い扉の前で待っていた。
 竹はその女に夜を照らす月のような、透き通る声で言った。
「――あなたは全て知っていたんですね」
「ええ」
秋野菊代はそう言って儚げに笑い、
「少し歩きましょうか」と竹を促して庭園の方へと歩き出した。
 暗闇でもわかる青々とした木々が揺れ、夜の闇に色彩を奪われたような花々が、大地を包んでいる庭園を歩く。
「あなたは今回で全てが終わることを知っていた。だから毎回用意していた、ダミーの秋野家当主を用意しなかった」
 秋野宗一郎とは本来、『赤き秘宝』のお披露目会後に生き残っているはずだった人物だ。
 彼女はそれをしなかった。
 なぜならそれが無意味だと知ったから。
 もう隠れる必要がなくなったから。
「ええ、それを教えられたのはもう5年前になりますね」
「それは黒? それとも怪物?」
「あなたの想像通りですよ。私に会いに来るのに相応しい方です」
「なるほど。でもなぜ、わざわざ出てきたんですか?」
隠れていればあるいは――竹はその先の台詞を言わずに、横を歩く赤眼の女に問うた。
「わかっている事を、人に聞くことは良くないのではないですか?」
「……確かにそうですね」
「あなたは優しい人ですね」女は口元をゆがめる。
 楽しそうで嬉しそうで、哀しい笑顔だった。
「優しかったらここにはいませんよ」
「それは違います。優しくなければここにはいれません」
「――あなたは優しくないですね」竹は苦笑いして言った。
「そうなのでしょうね。だからこそ平気な顔をして今まで生きてこられたのですよ――あれだけの血を奪ってきたのに」
 淡々とした秋野菊代の言葉には懺悔も後悔も、まして絶望もない。
 むしろやるべき事をやってこられた事に、胸を張ってさえいるようだった。
 それは究極の母性。
 盲目の親心。
「でもあの四人の死は不要だったのでは? いや、全てが終わる事を知っていたなら、彼らを呼ぶ必要はなかった」
「いいえ、彼らは必要でした。いくら終わる事がわかっていてもまだ途中の物語、彼らのような人殺しを生業にしている存在が『秋野の鬼姫』には必要だったのです。まあ今までのように『血』は必要ではなかったので、燃やしてしまいましたが」
「やはりあれはあなたでしたか」
「ええ、まだまだ若い人たちには負けません」女は口元を着物の袖で押さえ、悪戯っぽく笑った。
「でしょうね。彼ら如きではあなたは殺せない」天倉竹は女を讃えるように言う。
「全盛期はとうに過ぎたお婆さんなんですけどね」
「そうは見えませんけどね」
 麗しい美貌を持つ、老婆に竹は本心から言った。
「お世辞でも嬉しいですね」秋野菊代は竹に微笑んで続ける。
「黒澤怜を呼ぶ事も必要でした。彼女が来なければ、あなたが登場しなかった」
「アレクサンドラは?」秋野菊代の微笑みに見惚れていた頭をよそに、竹の口は反射的に一番の疑問を投げかけていた。
 秋野菊代は首を横に振りながら言う。
「彼女の登場は、私は知りませんでした。そうですね、恐らく彼女は私とは関係のない物語の登場人物なのでしょう。だから教えられていなかった」
庭園に到着して秋野菊代は歩みを止める。
竹もそれに同調して歩くのを止め、二人は改めて対峙した。
「――それでこれからどうする気ですか?」
「オレのやることは決まっていますよ」
 竹は左手に握られた得物を見て言った。
「そうでしょうね。それでなければここには来ない」
「そういう手はずでしたか?」
「ええ、歴史は何も変わっていません。あなたは運命の螺旋から逃れられていない」
「元々、逃れるつもりはありません」竹はつまらなそうに言った。
「ならどうするつもりですか?」秋野菊代は意外そうな顔をして聞く。
「やりたいようにやって、守りたいものを守るだけです。『歴史』が気に喰わなければ、捩じ伏せて、書き換えて、ぶち壊す」
 竹は声高らかに、世界中に対して宣言するかのように、目の前の女に言った。
「――そうですか。そんな事、出来るとは思いませんけど」
「かもしれませんね。でも何もしないよりは……」
「面白い?」
「はい」
二人は顔を見合わせて笑った。
「最後に一つだけ、あなたに聞きたい事が」
「なんでしょう?」
「その右腕はどうしました?」
「ああ、それはあなたと同じです」
「中々良い義手ですね。オレのはまた作らなきゃいけなくなりましたが」
「ええ、全てはこの日の為に作らせたものですから。高かったんですよ」秋野菊代は可愛らしく苦笑いした。
「皆をここまで騙せたのだから元は取れているでしょう」
「おつりが来る程度には」
 二人はもう一度笑った。
「私からも一つ。あの子に伝言です」
「?」
「もう少し女性らしい言葉遣いをするように」
 その伝言を聞いて竹は苦笑いした。
「さて、それじゃあ、おしゃべりはこれくらいにしましょうか。私はもう疲れました」
 周囲をざらりとした熱風が舞う。
 ちりちりとした粉塵が舞う。
「八百年、ですからね」
 女の黒髪が呪われた銀色に変わり、赤い瞳が煌々と輝きを増す。
 これこそが失われた『素戔嗚』の姿。
 もはや伝説となった、鬼の力を手にした赤き大天才は言う。
「殆ど寝ていましたけどね。ではこれから最後まで頑張ってくださいね――そして紅葉を、娘をどうかよろしくお願いします」
 女の最後の台詞。
 彼女はこの言葉を言う為だけに、歴史の表舞台に戻ってきたのだ。
 最愛の娘を託す為に。
「はい。さようなら、秋野神楽」
天倉竹は銀色の刃を一閃して女の首を刎ねた。
八百年間、鳥籠に捕らえられていた女は、音も無く崩れ去る。
首の先から吹き出る鮮血は、
ただただそれは鮮やかに。
燃える上がる炎のように。
紅く、
丹砂の朝日で、
茜色に染まった雲のように。
辰砂の夕日で、
緋色に埋まった空のように。
朱色に変わった紅葉のように。
真紅のルビーのように。
彼女の瞳のように、
綺麗な赤色だった。

菊の代わりに、神の楽を。
天倉竹は、地に伏した赤い死体を前に、
静かに、八百年の鎮魂歌を謡った。
大地に滴る血の色は、
秋に色付く紅葉。

            *

古い運命を破壊して
新たな運命を形成する
その運命もまた
歴史書には記述されている。

             *

「この大嘘吐きめ」
電話から聞こえてきた自分をなじる声を聞き、黒い魔法使いは一人微笑む。
そして何も言わずに電話を切った。
約一年後にある蒼と翠の死に様について、魔法使いは嘘をついた。
約一年後にある紅の死に様について、怪物は嘘をついた。
約一年後、三人を殺すのは白銀の夜月ではなく、黒金の朝日。
それは世界が終わるとき。
その時、
――生き残るものは一人もいない。
 黒い魔法使いと白い怪物は、祝杯たる葡萄酒を片手に微笑んだ。
その微笑は扉の向こう側の少女にだけ伝わった。


                           (了)
お読み頂きありがとうございます。
『蒼の章』から比べるとエピローグっぽくないエピローグですが、『紅の章』の終わりは八百年の終わりにしたかったのでこういう形にしました。
ラストまであと2つ、お付き合い下さい。


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