紅の章 18
「よっと」
松田がポケットから一枚の紙を取り出し、それを地面に置くと、地面が地響きを立ててひび割れた。
そしてそのひび割れの下が盛り上がり、神代の玩具が山全体を震わすほどの咆哮を上げて現れた。
「■■■■■■■ーーーーー!!」
『土人形(偽)』
主の命令だけを忠実に実行する、人形師の一つの到達点である自動人形。
ただし松田の呼び起こしたそれは、ただの土人形ではない。
真の土人形を真似た、松田だけが創ることが出来る宝具。
その額は先ほど松田が取り出した紙が貼り付けてある。
それには一つの文字を中心にして、円を描くように様々な文字が書かれている。
「……宝具か」
普通、宝具は自らの能力を上昇、または補助するために使う。
だが、自らの能力が上限にあれば、宝具は自らの弱点を補うために持つ。
前者は凡夫。
後者は天才の定石だ。
無論松田は後者であり、松田の呼び出したそれは、自らの能力が上限にあるからこそ使える規格外。
「しかし、それは……冗談だろう」秋野紅葉は引きつったように笑う。
鬼の姫は、目の前で強固で堅牢な城壁のように佇む4メートルはあろうかという、鈍い土色をした怪物の威圧感に息を呑む。
のっぺりとした顔を持つ、巨人の黒く光の無い双眸が秋野紅葉を射抜く。
「さてと、これだとどっちが鬼かわからないけど鬼退治の再開だ。この人形はオレみたいに優しくないぞ」少し離れたところに移動した竹が楽しそうに紅葉に言った。
どう考えてもこの場で一番、退治されるべき存在はこの男だった。
「あー、じゃあやりますか」
松田は(いやいやあんた全然優しくないから)と竹に内心で抗議しつつ、自らが呼び覚ました、無言の巨人の足に触れて一言命じた。
「攻撃目標、『赤き秘宝』」
額に浮かんだ文字の一つが淡く光り、土で出来た人形は主の命令に「■■■■■ーーー!」と咆哮で答え、自らが壊すべき対象に向かって突進した。
『土人形(偽)』の動きは、その巨体からは想像できないほどに俊敏で、無骨な外見からは予想できないほどに滑らかだった。
土人形が一歩一歩前進するたびに、地面が揺れる。
あまりに馬鹿馬鹿しい怪物の出現に、若干呆けていた秋野紅葉は迫り来る土人形が立てる地響きに我を取り戻す。
巨大な人形は目標人物を射程へ捉え、待ったなしに大きな拳を振り上げていた。
「ちっ」
間一髪で秋野紅葉は横に跳び出し、土人形の一撃から逃れた。
目標を失った拳はそのまま地面へと激突し、暴風を思わせる風圧を上げ、地面が吹き飛び、小さなクレーターが出来る。
吹き飛んだ土は鉄槌を逃れた、秋野紅葉の眼前を覆いつくし目隠しの役割を果たす。
秋野紅葉は、舞い上がって出来た土のカーテンに土の巨人の姿を見失い、土人形は次の攻撃を繰り出す。
鬼の姫は土塊を上げた爆風の発生地点に、じっと眼に神経を集中させ、土人形の攻撃に備えた。
不自然に砂の滝が割れる。
「そこかっ」
その瞬間に少女は、頭で描いていた避けるパターンで最善のものを選びだす。
秋野紅葉は体を半身捻り巨人の拳を紙一重の差で避ける。
爆発的な速度を持つ巨人の一撃を、あの距離で確認して避けるのはこれが限界の動作であった。
「ぐっ」少女の表情が苦悶のものに変わる。
完全に避けきったと思った土の怪物の一撃が微かに彼女の左半身、竹にへし折られた左腕に触れる。
銀髪の鬼姫は小さなうめき声を上げると、そのまま勢いよく吹っ飛び、ゴロゴロと葉っぱと土埃を巻き上げて転がった。
「一時停止」松田が無様に転がる少女を眺めて言った。
『土人形(偽)』の額で先ほどと別の文字が光り、巨人は命令に従い仁王立ちで停止する。
秋野紅葉はゆっくりと立ち上がる。
その表情には憤怒が浮かんでいた。
「……一体これの、どこが『土』人形なんだ。あの硬さ、全然土じゃないじゃないか」
鮮やかな模様だった着物は汚れてボロボロで右肩から袖がなく、艶やかな銀髪はぼさぼさ、左腕はべきべきにへし折れ、右の拳が出血していた。
ただその深く真に紅い瞳だけが、真っ向から『土人形(偽)』を睨み付け、始まりの色を失っていなかった。
「さすがだな、鬼の姫」
竹は彼女のここまでの一連の動きを見て素直に感想を述べた。
「特に最後の行動なんて鳥肌がたった」
片腕でなければ拍手を打ったことだろう。
それほどに彼女の格闘センスはずば抜けていた。
蒼色の天使と互角……いや秋野紅葉の方がやや上か。
秋野紅葉は、『土人形(偽)』の一撃がかわしきれないと判断するやいなや、すぐさま方針を変更。
土人形の唸りを上げた拳の衝撃を少しでも回避するために、捻った半身を更に回転させて、右拳で巨人の腕を殴りつけ、その反動で後ろに飛んだのだ。
その為、鋼鉄のように硬い土人形の腕を殴った拳が出血した。
派手に転がったようだったが、そのダメージは殆どない。
竹は抗議の声を上げる秋野紅葉を見て愉快そうに微笑んだ。
初めての戦闘で、これだけの動きが出来る秋野紅葉の天稟は、天岩戸が無くなってから竹が見てきた人物の中でダントツである。
久しぶりに天賦の才というものを目の当たりにした竹は、少しだけ嬉しくなり、彼女に多少の回復の時間を与えるために松田に説明することを促した。
このままワンサイドでは面白くもなんともない。
「あー、それは土で作ったものだけど……えーっと、やっぱ竹が説明してよ」
松田は自分で説明するよりは結局適任の竹にバトンを渡した。
「オレに変なキャラ付けするなよ……まあ良いや。これのオリジナルである神代の土人形は金属で出来ていたが、松の使うこれは間違いなく土で出来たものだな。お前も松がこいつを創り出す瞬間を見ただろう。現にこいつが出てきた地面の周辺は、材料分へこんでいる」
確かに『土人形(偽)』が現れた地面一帯がやや陥没していた。
「……それがこの周辺の土で出来ているなら、尚更硬さの説明にはならない」
「まあ焦るなよ。すぐに結論を出したら、休めないだろ?」
「っ……」秋野紅葉は竹がその為に説明を始めた事を知って、屈辱に唇を震わせたが、感情を押し殺して竹の説明を聞き続けることにした。
吹っ飛んでからのダメージがないといっても、巨大な拳が接触したダメージ自体は残っている。
竹は秋野紅葉の賢しさに満足そうに頷いて説明を続ける。
「この周辺の土が原材料になったとはいっても、これは『創生の絡繰師』が創り出した宝具だぞ。ただの土を鉄の硬度に上げるくらいわけない」
「あの地面に貼り付けた紙はそれを呼び出すものじゃなくて、それを創り出すものだったというわけだな」
「その通り。あの羊皮紙には、土人形を構成する術式が全て刻み込まれている。まあ偽物だからこそ出来る方法なんだけどな」
竹が呆気らかんと言ったのに対して松田が反論した。
「っておい、俺のとっておきを普通に偽物とか言うのはナシだから!」
「でも偽物は偽物だろ。本物がある以上は」
「……まあそうだけど」松田は納得いかないという顔を浮かべたが、秋野紅葉から放たれる敵意が吹き返したのを感じて、それ以上は何も言わなかった。
「……よくわかった。まずはそれを壊そう。お前たちを葬るのはその後だ」
多少回復した秋野紅葉は右手で着物の左袖を肩口から引きちぎる。
病的に白い両肩がむき出しになる。
「ボロボロの奴の台詞じゃないな」
少しだけ目のやり場に困りつつ、竹は皮肉に顔をゆがめる。
「ただでボロボロにされたわけじゃない」
「言っておくが、こいつはお前の炎じゃ焼き尽くす事なんて無理だぞ。偽物なんて言ったが、土人形としては最上位の宝具だ。せいぜい焦げ付かす事くらいしかできないだろう」
「焦げ付かすことが出来れば十分だよ。もうこの玩具のカラクリは見抜いた、というよりこれがあくまでもゴーレムである事を認識出来た。時間をくれて感謝する。そしてお前らは後悔しろ」
「うげ」
「うわ」
「「最悪じゃん」」
竹と松田の声がハモって悲壮な声をあげる。
秋野紅葉は『土人形(偽)』のカラクリに気付いた。
鬼の姫は与えられた時間で回復だけでなく、解答まで弾き出した。
竹は天才を目の当たりにして、戦慄しながら口元だけで笑った。
赤い天才は鬼の力を得て、
『赤き秘宝』を生み出した。
『赤き秘宝』は、
紅い鬼の姫となり、
その天稟を持って、
神代の巨人を破壊する。
その事実に銀色の少年は背筋を凍らせて、
密かに楽しそうに笑った。
その微笑は、
どこかの金色と同一のものだった。
秋野紅葉は答えを得て凶暴に笑った。
この怪物を召喚する際に貼り付けた羊皮紙に一際大きく書かれた文字。
『emeth』
神代より土人形を起動する際に使用した、一つの神言。
『土人形(偽)』の額でその文字だけが、常に黄色の光を放って浮き出している。
ならば話しは簡単だ。
羊皮紙に書かれて額に貼り付けられた『emeth』の一文字を消して『meth』にしてやれば良い。
そうすれば土人形は自壊する。
それが土人形に定められた、決して逆らえない戒律。
それをやっと思い出せた。
この少年たちははっきりと、この巨人の事を土人形と明言していたはずなのに。
秋野紅葉は人外の巨人の出現によって圧倒され、思考の大半が停止していた自分を情けなく思った。
ただ、どう遠回りをしようと答えは得た。
この圧倒的な破壊者を相手にして、答えを得る前に自らは死ななかった。
普通ならそれで勝利。
勝ち方を得た時点で『赤き秘宝』の勝利になるはずなのだ。
だが、勝ち方を得てやっと五分なのが現状。
方法がわかっただけでは、この堅牢な城は落とせない。
それほどにこの巨人は圧倒的だ。
成功すればこちらの勝ち。
失敗すればあちらの勝ち。
生か死か。
生が死を奪い。
死が生を奪う。
生と死が奪い合う、一か零の遊戯の舞台。
秋野紅葉は笑う。
こんな事なら表に出なければ良かったのに。
『赤き秘宝』は嗤う。
こんな事なら早く表に出ておけば良かったのに。
鬼の姫は破滅へと歩きだした。
「起動再開」松田が少し慌てた口調で『土人形(偽)』に命じた。
額の文字が光り、土の巨人は再び動き出し、秋野紅葉を捕まえようと巨大な腕を振り回す。
それをまともに受ければ『赤き秘宝』は、人としての形状を保てないほどにぺしゃんこにされるだろう。
これは捕まったら捕まえる側になる鬼ごっこではない。
捕まった瞬間に終わる。
そういう遊びだ。
『赤き秘宝』は巨腕を舞うようにかわし続ける。
ちょこまかと動く秋野紅葉を、ただ自動的に追い続ける土人形。
木々がなぎ倒され、地面がめり込み、土塊が舞い、騒音が響き森が姿を変えていく。
そして何発目かになる巨腕の鉄槌が鬼の姫に打ち下ろされた。
秋野紅葉はそれを軽いバックステップで避ける。
巨人の腕は目標を見失いつつも、勢いに任せたまま地面へ何度目かの激突をする。
爆発。
轟音。
地面の土が盛大に宙へ舞い、秋野紅葉の姿を隠す。
寡黙で獰猛な巨人の一撃はハンマーどころが、ミサイルのそれであった。
『土人形(偽)』の振り下ろした拳の地点に、一際大きなクレーターが出来上があった。
その場所は『土人形(偽)』が現れた、周囲よりもややへこんだ場所だった。
『土人形(偽)』は舞い上がる土埃の中、振り下ろした腕を元に戻す。
するとその瞬間、タイミングを計ったように後ろに避けたはずの秋野紅葉が、勢い良く飛び出してきた。
秋野紅葉はそのまま土人形の引いた腕に飛び乗り、巨腕の上を疾走する。
赤紅眼の回転数を上げる。
赤い瞳が紅く光った。
上腕部で跳躍、血で濡れた右手を巨人の額に当てる。
ボンッ。という鈍い破裂音とともに『土人形(偽)』の額が燃え上がった。
しかし、その程度燃えただけでは土の巨人は止まらない。
巨人は自らの額に今なお手を翳す秋野紅葉を、鬱陶しそうに払おうとする。
少女は巨大な手のひらが迫っているのを確認していながらも、巨人の額から右手を離さない。
更に火力が上昇する。
炎は額から頭部全体へと燃え広がる。
土の体が熱によって、真っ赤に変化していく。
「はあああぁーーーーっ!!」
秋野紅葉が力を振り絞るように雄叫び上げる。
その声に今まで、『土人形(偽)』が上げた咆哮や地響きにも反応の無かった、鳥たちが一斉に鳴き叫び山から飛び立った。
まるで、底知れぬ異形に恐怖するかのように。
まるで、山の主が戻ってきた事を歓喜するかのように。
『土人形(偽)』は頭を燃やしながらも動きを止めず、秋野紅葉に平手打ちを放った。
その平手打ちをまともに受けた少女は、右手を燃やしながら吹き飛び、巨人は主の命令無くその動きを止めて地に倒れ伏す。
真っ赤に赤くなった『土人形(偽)』の額に浮かび上がっていた神字は『emeth(起動)』から『meth(死)』へと焦げ付き変わっていた。
吹き飛んだ秋野紅葉は細い木を何本かへし折り、巨木に背をぶつけて止まった。
「……っごほ」
赤い唇から鮮血がほとばしる。
右手は焔塵を舞い上げて、いまだ燃え上がったままだった。
「ええぇーーーっ」松田は情けない声を上げて、『土人形(偽)』が崩壊するのを見届ける。
竹はその松田の様子を無視して、巨木を背にこれでもかという程ボロボロになって倒れている女に言った。
「さてどうする? まだ続けるか、大人しく退治されるか選びな。現状を言うと『土人形(偽)』は壊されて、オレは片腕だけど、松はまだノーダメージ、お前は満身創痍なわけだが」
「…ふ、ふふふ……」
「?」
「ふふ、あはっあはははは」
秋野紅葉は体中の骨が折れ、ヒビが入って痛む体を無視して盛大に笑い出した。
竹は彼女がどうしてこんなにも笑っているのかわかっていない。
松田はなんだか「あーあ」みたいなやる気のない顔をしているが彼女が笑っている理由をわかっているようだった。
自分の宝具を破壊されたのだからやる気が出ないのはわかるが、どうして松田は彼女が笑っている理由がわかっているのだろうか。
状況がわかっていない竹に松田が気まずそうにして声を上げた。
「あー、悪ぃけど竹」
「……もしかして」
「そのもしかして、だわ」
松田が竹に背中を向けた。
その松田の背中は服に大きな穴が開き、全体が赤黒く焼け焦げていた。
いつの間にか血液による炎弾が松田を襲っていたらしい。
「……いつ?」
「彼女が『土人形(偽)』から逃げ回っている時だよ。俺の人形が上げた土煙で反応が遅れた。竹にも見えなかった?」
「全っ然。今気付いたんだから」竹はそう冷静に認識した後に「うわー。じゃあオレ、かなり恥ずかしい台詞言ってなかった?」と自らの失態を恥じた。
「ってことになるね。えーっと確か――」
「言うな! 武士の情けだ」必死な顔で松田の発言を止める竹。
「武士じゃないけど、りょーかい。でもこれであの子が笑ってた原因わかったっしょ」
「痛いほどな。やっぱ格好つけると駄目だなオレは」
「俺も背中が痛いけど」松田は傷む背中の火傷をアピールする。
「そこは我慢しろよ」
「鬼か」
「……違うな、今だけは」
竹は松田に近づいて、手を差し出した。
「あ、そういう事ね」
松田は竹の意図を読み、差し出した竹の手を自らの手でパチンと叩いた。
「面倒だけど交替だな」
「頑張ってよ主人公。俺は手当てしてるわ。地味にじわじわと痛くなってきたし、このままじゃ火達磨になって死ぬし。つーか久々にいてー」喚きつつ松田は竹と秋野紅葉のいる場所から少し離れた。
「さて、これからはオレの時間。死にたくなければ逃げ続けろよ」
それを見届けると竹は山の向こうに消え始めた夕陽を見て笑った。
「それじゃあ勝ちの決まった鬼退治を始めようか」
『神の複製品』は『夜月』を左手で握り締め、下段に構える。
鬼の姫は目前に迫った死を拒絶するように、巨木で背を支えながら満身創痍の体で立ち上がった。
「逃げ続けてやるさ。言ったろ? 私はもっと生きたいって」
秋野紅葉の瞳が紅く輝き、天倉竹の瞳が銀色に輝いた。
*
ここで鬼を殺して終わり。
予定調和の物語はそこで終わり。
運命の筆記者はどんな結末を望むのか。
運命の破壊者はどんな終末を嫌うのか。
予定通りじゃつまらない。
予定通りだから面白い。
ここに一つの解決を。
それでは鬼の少女の八百年の物語を解決しよう。
『鬼姫』の炎が螺旋を描いて、隻腕の少年に向かっていく。
『神の複製品』は炎の茨を巻き付けられて微笑み、
優しく死の宣告をした。
「堕ちろ、夜月」
赤い空を切り裂くように、
銀色の月が堕ちてきて、
紅い鬼の姫を押し潰した。
|