紅の章 17
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2時間ほど仮眠を取った竹は、ベッドに後ろ髪引かれつつ松田を叩き起こした。
「行くぞ」
「……うぇ、どこに?」寝ぼけた声で聞き返す松田。
「戦場」竹は嫌そうに答えた。
そんなやり取りをして、二人は館から出て、庭園を抜け、昨夜謁見の為に通った獣道を歩き、少し開けた森の一角に到着した。
ここからもう少し歩けば、『赤き秘宝』のいた洞穴につく。
竹と松田はやや傾き始めた日光を避けるように、木陰に立っていた。
木に背を預けて、松田が竹に問うた。
「それで、どうするの?」
「どうするって?」竹は松田の正面で腕を組んでいる。
微風で木の枝が揺れる度に、隙間から光が抜けてくるので、顔をしかめていた。
「決まってるじゃん。解決の仕方だよ」
「まさか松にそんな事を心配されるとは、思ってなかった」竹は苦笑いしながら言った。
「いやだって、秋野家当主に依頼されたのは『解決士』の竹でしょ。だったら何か解決の仕方があるんじゃないの?」
「……まあそうだな。でも依頼内容が、『赤き秘宝』、秋野紅葉を殺して下さい。だからなあ。仕方も何もない――」竹は色の変わり始めた空を見上げながら、気の抜けたように言った。
「でもそう思ってないでしょ」松田も空を眺めながら言った。
「あ、わかる?」
「竹の考えてることは大体わかる。付き合い長いからね、自然と」
「腐れ縁だな」
「完璧にね」
そんなやり取りをして互いに、あははーと笑う。
それから少しの間、会話が途切れた。
竹が目を瞑って何かを考えているようだったからだ。
松田はそれを、『話しかけるな』のサインだと長年の感覚で見抜いて口を閉じた。
解決の仕方。
竹はその仕方を二つ考えていた。
秋野の鬼姫。
その名に相応しい解決を。
ただ、どちらを取るのか、それを決めあぐねていた。
薄紅色をした雲が早足に流れ、
湿った風が、体を纏った熱を連れ去った。
「あ」
松田が小さく呟いた。
その呟きに反応して、竹は目を開く。
まだどちらを取るか決めていない。
なので、どうにかなるだろ。と流れに身を任せる事にした。
時間は一杯、後には引けず、相手は待たず。
解決は流れの中に落ちている。
傾いた日の光が木々を染める。
夏の森が夕焼けで赤い海となる。
その海を守るは『素戔嗚』の子孫。
竹と松田の見つめる先に、
銀髪紅眼の鬼姫、秋野紅葉が立っていた。
彼女の登場で蝉の鳴き声、鳥の囀り、虫の音色、山全体の喧騒が全て停止したように静まり返った。
竹は松田に少し黙っていてくれ、と視線で制止した。
松田は頷き、二人から距離を取った。
「一つだけ聞きたい」松田が30メートルほど離れたのを確認してから、竹は目の前に立つ少女に言った。
「何かな?」
気だるい虚ろな表情、しかしその口調ははっきりと静まり返った森に響き渡る。
「4人分の死体、あれはお前がやったのか?」
「死体? 何のことだ?」
豪奢な鬼灯柄の着物を纏った少女は首を傾げる。
「知らないのか? 本当に?」
「ああ、知らないな。昨日も言っただろう? 私はあそこから出たことがないと」
「……そう、だったな」
もしあの死体の山をこの少女が作ったのだとしたら、血の匂いの一つもするはずである。
だがこの少女からは血の匂いが全くしない。
「あれはお前じゃなかったのか。なら誰だと思う?」
「さあ? そんな推理は後ですれば良いだろう。まあこの山から生きて帰れたら、の話だがな」
銀の髪が風に揺れる。
「ああ、そうしよう。それならすぐだ」
「私をなめているのかい? これでも私は鬼の末裔だ」
「オレは神そのものだ」竹は不敵に笑った。
その仕草と言葉に秋野紅葉は気分を害した風に言う。
「……ならお前の目的は鬼退治かな。主人公」
「目的は鬼退治だな。まあオレは主人公ではないけど」
「ふうん。まあなんだって良いさ――それにしても生まれて初めて外に出たと思えば、いきなり殺し合いとはね。全く、急展開だ」鬼の姫は笑う。
「人生なんてそんなもんだろ」竹は肩をすくめて言った。
「ああ、損なものだ。だが私は君に退治されるわけにはいかないな」
「どうして?」
「だって、
私は、
もっと、
生きたいからなっ!」
いきなり少女は自らの左手の親指を躊躇いなく食いちぎると、その腕を天に振りかぶって大きく弧を描く様に振り下ろした。
止め処無く溢れる真っ赤な血液の球が、弾丸のように加速して天倉竹目掛けて飛んでくる。
竹はその血液の弾丸を防御するか避けるか一瞬迷ったが、嫌な予感がしたので横に軽くステップするだけで、避けてみせた。
目標を失った弾丸は、そのままの速度で竹の背後に無言で佇んでいた巨木に衝突した。
そして複数の赤い弾丸は巨木に衝突した瞬間に、複数の高熱の炎と化して巨木を焼き払った。
「なっ」竹はその様を見て、小さく驚きの声を上げた。
松田も遠くで同じように驚いていた。
「やはり不意打ちは効かないか」
秋野紅葉は、左手の親指から鮮血を垂れ流しながら残念そうに呟き、続けて竹に問うた。
「何か予備知識があったのか? いや今の反応だと知識よりも経験からくる直感かな? どうなんだい? 後学の為に教えてくれたまえ」
竹は秋野紅葉の質問には答えず、驚きの表情を隠して目の前の少女を双眸で捉えた。
秋野の能力は『血液の搾取』だけじゃなかったのか?
「……どういうことだ?」などと口にしてみたが、竹の中ではもう既に答えは出ていた。
ただ、今まで見たことも聞いた事もなかった能力に遭遇して、動揺した心を落ち着かせるために、声に出して心の整理をしただけだ。
そんな自らに心の中で毒づく。
今の行為は全く意味がない。
こんな事くらいで動揺するな。
本当に動揺しているのか?
そもそもお前は、この能力を見た瞬間に理解出来ただろう?
普通っぽくするなよ。
お前は――違うだろう?
「……っ」竹は何かを拒絶したかのように頭を振った。
勝手に進んだ思考を無理やり呼び戻して、今の状況に意識を集中する。
秋野紅葉の血液が衝突した場所から火の手が上がり、黒く焼け焦げた巨木。
『血液の炎焼』
それが鬼との混血としての能力なのか、それとも秋野家が八百年の間に練り上げた術の類なのかはわからない。
だが、その能力は『赤き秘宝』という名に相応しい能力である事は間違いなかった。
「――答えてくれないのか。まあ良い」秋野紅葉は竹が質問に答えてくれないのだと、判断すると続けて思いがけない事を言った。
「今のは完璧に私のオリジナルだ。まあお陰で私の『搾取』の能力は寿命を奪う力だけに薄れてしまっているがな」
炎を操る鬼を取り込んだ、天才の娘は言った。
竹は一瞬呆気に取られた顔を作った後に、苦笑いして言った。
「わざわざ、説明してくれるなんて思わなかった」
「不意打ちが決まらなかった時点で、隠しておく意味なんてないからな。特に君に対しては」
「……なんだ、知っていたのか。だったらさっきの質問は何なんだ?」
「噂だけだがね。だが先ほどもソレを使った様子はなかった。だからこその質問さ。君のソレは常時発動型なのかどうなのか。それが確認したかったんだ」
「……だからこそ自分から能力をバラしたわけだ」竹は溜息をつく。
秋野紅葉は薄く笑った。
「ここで答えないのはフェアじゃないな――まあ良い。オレの能力は常時発動型じゃないよ。さっきオレが避けたのは、予備知識からの直感だ。今日の昼、黒焦げになった4人の死体を見ていたからな」
「……だがそれは私ではないと言ったはずだが?」
「それを信じろと?」竹は皮肉に言った。
しかし彼女の言っている言葉には嘘がない。
それがわかっているのに、皮肉を投げかける自分が嫌になる。
竹は湧き上がった不快感を無視するように、秋野紅葉へと視線を向ける。
女は竹の皮肉を気にした様子はなく、どこか虚ろな表情を浮かべて、これから消し炭にする世界を眺めている。
口元だけが歪に歪み、恍惚に酔いしれているようだった。
その様があまりにも美しく、あまりにも儚く、あまりにも哀れだったため、竹はやはり不快になった。
体の中で繰り返す
燃えるような鮮血の痛みは
華やかに彩り
鬼の姫を終焉へと向かわせる
「さてな、それは君の勝手だ」
秋野紅葉はそう言って再び右手を振りかぶり、赤い弾丸を繰り出した。
いくつもの赤い珠が斜陽に照らされ輝きを放ちながら、竹に速射砲のごとく向かっていく。
だが、例えそれが触れれば燃える速射砲だと言っても、所詮は直線的な攻撃。
竹はそれをあっさりとかわし、逆に秋野紅葉の懐まで数メートルあった距離を、爆発的な脚力で一足飛びに飛び込んだ。
秋野紅葉はそのあまりの速度に驚愕し、一瞬体が硬直する。
竹は固まった少女の腹に、迷わず反撃の拳を叩き込んだ。
しかし、少女もただでは殴られなかった。
出遅れはしたものの、竹の死を呼ぶ拳に即座に反応し、辛うじて左腕でガードする。
少女の白く華奢な腕からゴキリともグシャリとも取れる不快な音が、とんでもない衝撃とともに秋野紅葉の体内に響いた。千切れていた親指から数滴の血液が飛散し、少女の体が宙に浮く。
秋野紅葉は苦悶の表情を浮かべながら、このまま吹き飛ばされるのを回避するように、瞬時に無事な右手で竹の腕を掴んだ。
否、それは回避の行動ではなく、圧倒的な攻撃だった。
秋野紅葉に摑まれた竹の右腕が、腕の内側から盛大な炎に包まれた。
「うおわっ!?」
竹はその事象に驚きつつも、自信の右腕が少女の手の平から燃え始め、現在進行形で内部から燃焼部位が広がっている状況を理解し、繰り出した拳よりも素早い動作で少女の掴んだ手を蹴り飛ばした。
そして更に踏み込んだ速度よりも素早くその場を離脱した。
離脱した竹と少女の間には十メートル以上の距離が開く。
しかしその距離を置いて尚、竹の燃え始めた右腕は広がる速度こそ衰えつつも、着々と燃焼し続けている。
「『血液の炎燃』。まさか、自分の血だけじゃなく、触れた対象の血まで炎燃させる事が出来るなんて……さすがに驚いた。こんなことなら、夜月を持ってくるんだった」竹はぼやきつつ、燃え続けている右腕を眺めた。
燃え広がった炎は既に竹の二の腕あたりまで来ている。
このまま何も手を打たなければ、この炎は全身を焼き尽くすだろう。
「まあ今更後悔しても仕方が無いか」
竹は自身の右腕が燃焼した臭いに顔をしかめながら、冷静な声で言って考える。
このまま戦闘を続けていくことも、手負いの彼女を倒すことも可能だ。
だがその場合、確実にこの炎は全身を満遍なくこんがりと焼いてくれる事だろう。
そんなのは御免だ。
それに自身が攻撃を受けたから分かったことだが、今は彼女との距離を開いたからこそ炎燃速度が衰えているのだと思われる。
下手に近づいたら炎焼速度は増すはず。
もしもう一度摑まれでもしたら、即座に天倉竹の丸焼きの出来上がりになる事は請け合いだ。
竹は「やっぱり夜月を持ってくるべきだった」と二度目になる台詞を呟いた。
秋野紅葉は、そんな竹の様子を見て追撃もせずに悠然と佇んでいる。
まるで既に勝ちが決まったかのように。
勝ちを確信したように。
その態度を見るに、この能力は対象物の血液が無くなるまで、炎燃をやめないのだろう。
現に、あらゆる神秘に対して耐性を持っているはずの竹の肉体ですら、それは燃える速度を遅める程度にしか役立っていない。
これはなんとかしなければ。
このまま手を打たなければ死ぬ。確実に。
こんな時、頼りになる仲間が助けに来てくれれば。
現実は非情だった、なんて笑えない選択肢を選ぶつもりはない。
竹は遠くから傍観している松田を見た。
ただ松田は竹の様子を見ても表情を変えずに、相変わらず傍観中である。
まるで助けようとする気がない。
いや、その表情はまるで、竹が自分でこの状況を打開出来る手を持っている事を知っているから、自分がわざわざ助ける必要がない、とでも言っているようだった。
竹は松田から視線を外す。
確かに今の竹の頭の中に、この状況を打開する策がある。
『夜月』を持ってくれば良かった、と言ったのはその策を実行するのに一番適していたからである。
竹は嫌そうな顔をして深呼吸した。
覚悟を決めたように。額から右頬に汗が垂れる。
そして、自分の左手を右肩に置いた時、突如竹の目の前の空間が一瞬歪んだ。
「ん?」
竹、松田、秋野紅葉、三人の視線がその歪みに集中する。
するとその歪から、白銀に輝いた刀が現れた。
その突然の光景に銀髪の鬼は紅い瞳をいっぱいに開いて驚き、
『神の複製品』は全てを理解して苦笑いする。
「ああ、これは嫌な借りが出来たな」そのまま竹は現れた愛刀を手にする。
神殺しの刀は持ち手の手の中で、更に輝きを増した。
銀髪の少女は目の前に突如として現れた、綺麗な銀色の刀を凝視した。
あの綺麗な銀色の刀が『夜月』。
神代に神を殺す為だけに創られた神具。
あの刃に斬り付けられれば、あらゆる神秘は神性を剥奪される。
故に神殺し。
ただ、その使い手が『神の複製品』とは皮肉なものだ。
勝ちを確信していた秋野紅葉は、その確信が霧散していくのに苦笑いして、次の竹の行動を見て呆然とした。
『夜月』が現れたのは、十三夜の伝令役たる、大木直也の『空間接続』の能力である。
ただ今この瞬間、竹の目の前に『夜月』が現れたのは彼の自発的な行動ではない。
なぜなら大木は竹の今の状況を当然の如く知らないのだから。
なので、『夜月』がタイミング良く送られてきたのは、さっさと退場した魔女が大木に依頼したのだろう。
いや『十三夜』のメンバーに直接依頼する事を竹によって禁じられている、黒澤怜の理論で言えば、依頼ではなく報告か。
竹は心の中で魔女と伝令役に感謝を述べると、『夜月』の出現で引っ込んだ、先ほどの覚悟をもう一度持ってきた。
そして、左手に持った銀色の刀を躊躇無く振るって、既に二の腕の辺りまで黒い炭になってしまった右腕を肩から切り落とした。
その竹の行動に、少女の大きな紅い眼が唖然としたように一層開かれた。
竹はそんな視線を意に介さずに、肩口全体から激しく噴出す血液を止める為に、切り落とされて尚燃え続ける、先ほどまで自らにくっついていた右腕の炎に刃を翳す。
銀色の刃は圧倒的な火力ですぐに煌々と赤くなり、竹は真っ赤に熱を持った刃を傷口へと押し付けた。
瞬間、竹の額に玉のような汗が吹き出た。
秋野紅葉から小さな悲鳴が漏れる。
「いちちちっ」
竹はとんでもない痛みに耐えつつ、それでも止血の為に熱した刀を押し付ける。
肩の断面から、全然おいしそうではない肉の焼けた臭いが、立ち込めだしていた。
「……全く、天才の子孫てのは伊達じゃないな。初めて表に出て初めての戦闘だというのに、戦い方を知っている」
竹は痛みを無理やり意識の底に抑えつけながら、目の前で起こった一連の常軌を逸した行動に唖然としている『赤き秘宝』に、異常な止血方法を続けながら声をかけた。
銀髪の少女は竹の声に一瞬ビクリと肩を揺らしたが、そこでまだ生きるか死ぬかの闘いが終わっていない事に気付いて、弛緩していた精神と肉体を呼び覚ました。
「……狂っているな」
紅の瞳を爛々と光らせて、少女は銀色の少年を睨んだ。
「狂わなきゃやっていけない事もある」
竹は焼けてぐじゅぐじゅになった患部から、漂う臭気に嫌な顔をして言った。
二人の間に再び戦いの空気が立ち込める。
そこで突然、松田が殺伐としたこの状況では若干場違いともとれる高い声を、鬱葱とした森の中に響かせた。
「そろそろ交代ー?」
「そうだね。てか遅いくらい。ほれ見てみろオレの右腕。見事になくなっちゃたし」隻腕の少年は、右腕が無いことをアピールしながら笑って言った。
「最近多いねー。でもその分の収穫はあったんじゃない?」松田は竹の方に近づきながら言った。
「まあそうだな。運よく『夜月』も到着したし、彼女の能力もわかったしな」竹は頷く。
秋野紅葉は、突然繰り広げられ始めた竹と松田の、気の抜けた会話を混乱しながら見ていた。
なにがなんだかわからなかった。
「それじゃオレは負傷退場だから……はい、タッチ」竹は戦場へと到着した松田の肩を軽く叩いた。
「ういうい。本当は絶対喰われる見せ場なんて、やりたくないんだけどねー」松田は首をコキコキ左右に曲げる。
「喰うのはオレの専門じゃないよ」
「俺のでもないから」
「そうでした。でも、こんなんじゃまともに鬼退治はできないのだ」
「のだ、じゃないから。本当は竹の仕事なんだから、ちゃんと最後までやってよー」嫌そうな顔をして松田がぼやく。
竹は風が当たるだけで激痛が起こる傷口を、意識の外に外して肩をすくめる。
「楽が出来るなら、楽したいし」
「ぶっちゃけたよ。てかそれはないわー」
「頑張ってくれ」
「んじゃ持ってかれる事の決まった見せ場だけど、頑張りますか」松田は重苦しいため息をついた。
演者が『神の複製品』から『創生の絡繰師』へと変更される。
彼が奏でる音楽は一人の天才へと捧げる鎮魂歌。
鬼の姫との二重奏が開演される。
お読み頂きありがとうございます。
終わりの時間が始まりました。次話は人形師と鬼姫のバトルになります。
更新ペースが落ち気味ですが、来週中には最後まで更新する予定です。
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