紅の章 14
6
命あるものが全て寝静まった、丑三つ時。
深海のような漆黒の森の中。
昼間には静謐だった木々の匂いはそこにはなく、饐えたような、どこか甘ったるい空気に支配されていた。
絵本に出てくる魔女の森に、迷い込んでしまったかのような、
鬱葱とした暗黒の世界を、
赤い女が支配していた。
かつては鬼と恐れられ、
かつては救い主と崇められ、
そして、『赤き秘宝』と閉じ込められた。
今、銀髪の赤い眼をした一人の鬼が、
暗黒で閉じ込められた世界を、真っ赤に染めた。
逃げるものに容赦なく。
向かうものに容赦なく。
赤眼の鬼は艶やかな銀髪を闇に靡かせる。
幾千の炎が黒い森を駆け巡り、
歪な螺旋を繰り返し描く。
愚者達が死を迎え入れて踊り狂う。
死を蝕む生。
生を侵す死。
どちらの糸が焼け落ちたのか。
世界が赤く紅く燃え上がり、
暗黒は偽りの黄昏に染まる。
戦場を焦がした炎は、未だ揺れ動く。
ただ守るべきモノのために、
新たな愚者を求めて、女は戦う。
運命という糸に縛られた心は、動かない。
守るべきモノのため戦った赤い眼は、銀髪に縛られた体は動けない。
炎が消えると、世界はまた漆黒で包まれた。
何も見えない、闇の中。
燃え尽きた、いくつもの命を見下ろして、
赤い眼だけが笑っていた。
囚われの姫は、暗い檻の中で死を幻想して眠る。
*
8月8日の朝、扉をノックする音で目を覚ました。
竹は一度薄く目を開けて隣のベッドを見る。
隣のベッドでは松田が気持ち良さそうに寝息、もとい鼾をかいていた。
基本的に竹は寝起きが悪い。
いや、悪いなんて生易しいものではない。最悪だ。
寝ていられるものなら、二十四時間寝る事だって可能である。
事実竹は、去年の夏休みにやることがなかったので、三日三晩寝ていた。
お陰で全く連絡が付かなかった事に焦った怜が、医者を連れて駆けつけたくらいだ。
そんな思い出に浸り、もう一度まどろみに落ちたかったのが、ここが自宅でなく更に自分がノックで起こされたのだと認識して断念した。
竹は開いた目を閉じずに、のろのろと起き上がり断続的にノックの続いている扉へと向かった。
扉を開けると使用人の少女、八坂真逆が立っていた。
昨日の深夜、まで起きていたためだろう、少し目が腫れぼったい。
それでも平然としているところに職務精神を感じて少し感動した。
メイド万歳。
などと勢いだけの台詞を回らぬ頭の中で呟く。まだ脳の左半分は寝ているようだった。
「おはようございます、天倉様」ぺこりと可愛らしく、頭を下げる真逆。
「おはようございます」竹は重たい瞼をゆるゆると閉じたり開いたりして、挨拶をした。
「朝食のご用意が出来ましたが……どういたしましょう」真逆は竹が眠そうだというのを察して、伺いたてるような口調で聞いた。
「……えっと、その朝食を昼に回すことは出来ますか?」
まだ明らかな寝不足だった竹は、彼女の態度からそれが可能である可能性が高い、と察知して期待を込めて聞いた。
「はい、可能です」
「じゃあそうして下さい。オレはもう一眠りさせてもらいます」竹は欠伸をかみ殺しながら言った。
「わかりました。ではお昼頃にまたお呼びします」八坂真坂は恭しく、頭を下げた。
「お願いします……ところで」
「なんでしょう?」八坂真逆は首を傾げる。
その仕草が年相応でとても可愛らしかった。
なので竹は寝起きという勢いに任せて、普段からは考えられないほどに軟派な台詞を吐いた。本能に任せて。
「一緒に寝ていきますか? 昨日、遅かったから眠そうですよ」
八坂真逆は一瞬「…」な表情をし、二瞬で顔を昔のポストのように赤らめて「しっ失礼したしますっ!」といって早足、殆ど駆け足で竹の部屋の前から去っていってしまった。
ふわりと翻ったメイド服が低血圧な竹の血の巡りを良くした。
「眼福眼福」
ふぁあと欠伸をして竹は扉を閉じる。
閉めた扉の廊下側には、朝食を誘いにきた怜が不機嫌そうな顔をしていた。
先ほどの台詞を軽く後悔しつつベッドまで戻ると、未だに松田が鼾をかいてすやすやと眠っていた。
「……デブだからな」睡眠不足の竹はそう毒付くと、全てを忘れさせてくれる、夢の世界へと向かっていった。
竹が先ほどの発言を激しく後悔するのは、2日後である。
*
「『赤き秘宝』についての情報?」
「うん。いきなりで悪いんだけど急いで調べてみてくれ」
竹は昼前に目を覚ますと、まだ寝ている松田を横目に携帯を取り出して、脇に電話をかけて用件を伝えた。
「……竹君が急ぎって言うとリミットは三十分くらい?」
「そう。わかってんじゃないですか」
電話越しにため息らしきものが聞こえた。
「わかったよ。頑張ってみる。最近大きな仕事があってそれが片付いたところだし」
「おう。悪いね」
「そう思うんなら……やっぱ良いや。じゃあわかったら連絡するよ」
「よろしく」
竹は電話を切ると、次の行動を開始する。
「おい、起きろ」松田の頭を軽く叩いて起こした。
そして松田が起きたのを確認してから「怜さんの部屋に行くぞ。早く着替えろ」と伝えた。
松田はあくびをしつつ頷いた。
松田が着替え諸々を終えると、二人で隣の怜の部屋に向かった。
「なぁ、何で怜さんの部屋に行くの?」
「まあ行けばわかる」竹はそれだけ答えた。
怜の部屋のドアをノックすると怜がつまらなそうな顔をして出てきた。
「そろそろ来る頃だとは思っていたが、少し遅くないか?」
「寝てました」竹は正直に答えた。
「……まあそうだろうな。夕方にならなかっただけマシか。まあ入れ」
二人は怜に促されて、部屋へと入った。
部屋のつくりは竹と松田の部屋と変わらないものだったので、二人はそれぞれベッドに腰掛ける。机の椅子には怜が座った。
怜はタバコに火をつけて、紫煙で肺を満たした後。
「私はもう帰るが、君たちはどうする」と言った。
「え?」松田が驚いた声を出す。
竹は昨日の時点で、わかっていた事なので何も言わない。
「もうここに用はない。『赤き秘宝』が宝具でない事もわかったしね。全くの無駄足だった。これ以上ここに滞在する理由がない。嫌な奴もいることだし……」
怜はアレクサンドラが既に帰ったことをまだ知らないようだった。
恐らくアレクサンドラは気配遮断にかけては超一流なのだろう。それは彼女がここに来ていた事を自分たちが気付かなかった事をみても間違いない。
「もし宝具だったら奪って、コレクションにしようかと思っていたのに」怜は悔しそうな口調でつまらなそうな顔をしていた。
「奪うって……オレを連れてきた理由って……」竹は、考えないようにしていた事実を突き付けられて少し気分が沈む。
「言っただろう? 護衛だって。もしあれが宝具だったら、私が奪った後に追っ手を任せようと思っていたんだ」怜は当然だろう、という顔をしている。
「追っ手くらい、怜さんの為だったらいくらでも振り払っちゃいますよ」松田が明らかに何も考えていない発言をした。親指まで立てている。
「ありがとう」それに怜は魅力的な笑顔で返す。この場合魅力的とは人を騙す類のものだ。
「松、それは違うぞ……」竹は目を瞑った。すると目蓋の裏に、もしかしたら起きていたかもしれない、光景が浮かんだ。竹は目を開き、それが起きなかった事に心底安堵した。
「違うって何が?」
「この場合の追っ手を振り払うってのは、オレ達に罪を擦り付けて、怜さん一人だけ逃げるって事なんだよ」
「えっ? マジすか!?」松田は必要以上に大きな声をあげた。声が高いだけにかなり煩かった。
横にいた竹は勿論、少し離れた椅子に座っていた怜もボイソプラノに顔をしかめた。
だが怜は「なんの事かな?」と一瞬の早業でしかめた顔を人を騙す笑顔に戻した。
そして松田はその笑顔に騙され、
「怜さんがそんな事するわけないだろ」と一人納得してしまった。
確かに美人のお姉さんに、あんな笑顔で白を切られたら追求どころか、黒でも白と言ってしまいたくなる。
竹も危うくそうなるところだったが、白でも黒でもなくこれ以上追求しないという灰色で妥協した。
妥協した時点で怜の勝ち、という事には気付かない振りをした。
*
竹はなんでも気付かない振りをする。
どうせ最後には知るのだから。
知らなければならないのだから。
*
「それで、君たちはどうする?」怜は吸殻が溢れるほどに溜まった灰皿に、吸っていたタバコを押し付けた。
「どうするって、オレ達は同行人としてここに来たんですから怜さんが帰るなら、一緒に帰るしかないでしょう」と竹は言った。
「まあ、そうなるか」怜は少し含みのある声で言った。
「……でもわざわざ残るかどうか聞いてきたって事は、オレ達だけ残れるようにしてあるって事ですよね?」怜のその声から竹は怜の思考を読んだ。
「ああ、そうだ」
思考を読まれたのが気に食わなかったのか、怜はどこか突き放すように言った。
「やっぱり……どうしようか、松」竹はとりあえず松田に話しを振る。
「ん、でも俺等だけ残っても仕方なくね」松田は反論のしようのない的確な事を言った。
「私もそう思うな。それとも竹、君は何かここでやりたいことでも出来たのか?」怜は、竹にだけわかるように皮肉な笑みを浮かべる。
竹は怜のその顔を凍ったような無表情で睨みつけて、
「いえ、別に。オレ達も怜さんと一緒に帰りますよ」と言った。
「りょーかい」松田がすぐさま同意する。
「そうか。まあそれも良いだろう……ただ一つ問題がある」怜は殊更真面目な表情になった。
「……なんですか?」竹が怪訝な表情で聞く。
「翠と蒼への対応は考えておけよ。弁解でも言い訳でもどっちもでも良いが」怜はニヤリと肩をすくめた。
「……それはこっちの台詞ですよ。下手すれば怜さん、二人から殺されますよ」竹は眉を寄せて肩をすくめる。
「その時は君も一緒だ」
「冗談」
「なら返り討ちにしてやるさ」
本気でありそうで嫌な気分になった。
「そうしたらオレが怜さんを殺します」竹は嘘のない声で言った。
「む、君は私ではなく二人の味方なのか?」怜の片眉がピクリと持ち上がる。
「当然でしょう。約束もしていますし」
「そうだったな……」怜は考えるような素振りをしてから「ならここで私とも約束しろ」と言った。
「は? なんの約束ですか?」
「無論。君が私を守るとい約束だ」
「嫌です。こっちにメリットないし」思いも掛けない提案に驚いたが、竹は即答した。
しかし本当に思い掛けない提案はこれからだった。
「メリットがないと言ったわけじゃないぞ。勿論それも考えてある」怜はつまらなそうに言った。
「……どんなですか?」
「私が君にめろめろになる」
怜は普段と変わらない口調で、普段からは絶対に考えられない言葉を口にした。
「はい?!」
「うぇ!?」
竹と先ほどまで黙って、二人のやり取りを静かに聞いていた松田が同時に、どの声帯から出せるのか不明な素っ頓狂な声で驚いた。
「なんだその間抜けな顔は」怜は片目を半目にして竹を睨んだ。
「……いや、ここは笑っていいとこですか?」竹は恐る恐る聞いた。やや顔が引きつっている。
めろめろとはいつの時代の言葉だ。
いや、それよりも何だその提案は。
キャラじゃないですよ、怜さん。
盛大に突っ込みたかった。
「駄目だ」
駄目らしい。
ならば手詰まりだ。
こういう時の対処など考えたこともない。
人としての経験不足だろうか。
最も、こんな状況の経験値を稼げるモンスターなんて聞いた事もないが。
「えっと……いや、どうしましょう」
松田が羨望と憎悪の眼差しで睨みつけているのを感じながら、竹は冷や汗を流して最善の手を考える。
しかし、中々答えは出ない。
そんな竹に呆れたように怜が「冗談だ」とため息交じりに言った。
「……冗談ですか」竹はがっかりしたような、安心したような、なんともいえない気分になった。
松田の視線が緩くなる。
しかし話は、
「まあ、今は答えが出ないようだったから冗談という事にしておくさ。だが、次にもし聞いたときは答えを出せるようにしておけよ」という怜の発言で占められた。
横からの視線が再び厳しくなった気がした。
竹の頭の中はそれどころではなかった。
時限爆弾を設置された気分だった。それも最大級の。
怜は呆然とする竹と、主人公補正を恨めしそうに睨んでいる松田に、
「さて、じゃあお前らも帰り支度にかかれ。支度が済んだら帰るぞ」と言った。
「……了解です」
二人はそれを号令にして、立ち上がった。
お読み頂きありがとうございます。物語的にはそろそろゴールが見えてきたんですが、自分の立てたゴールにたどり着けるか微妙になってまいりました。
ついでに終わりが見えてきたので、次作の構想も練っております。今のところ2つ章のどちらを書くか悩み中です。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。