紅の章 13
*
そこは見たままに牢獄だった。
暗がりの洞穴の地下深く。
竹が今下りてきた道と、3メートル四方の空間を隔てるように、鈍色の鉄格子が固い岩盤に取り付けられていたのだ。
その鋼の牢を挟んで『赤き秘宝』があるはずの場所に、美しい和服の少女が座っていた。
年の頃は竹と同じくらいだろう。
蝋燭の儚い明かりに透き通る白い肌、ぼうと浮かび上がる均一の取れた顔立ち、絹糸のような銀髪、鬼灯柄の和服。
そして隙間から、
紅蓮の深紅に染まった夕焼けのような、
朱色に変わった紅葉のような、
緋色の紅玉のような、
真紅の瞳が覗いていた。
竹は少女の瞳と眼を合わせないように、その周囲を観察する。
少女がいる牢獄の中は和室のような造りになっていた。
座布団、和箪笥、茶舞台、屏風、日本人形、一昔前の列島の生活空間がそこにはあった。
壁がむき出しの黒い岩でなければ、そこは立派な和室だろう。
いや、それよりも冷たい無機質な直線がここを和室でなく、ましてや宝箱でもなく、この場所が地下牢なのだと主張していた。
竹は現状が全く理解出来ていなかった。
道を間違えたのか、とすら思った。
それもそうだろう。
『赤き秘宝』がいるはずのその場所は牢獄。
そしてその場所に、どこか艶かしい少女がいたのだから。
何故、同い年くらいの少女に対して、そんな表現が思い浮かんだのか。
混乱中の竹には答えは出せなかった。
「こんばんは。になるのか、外は」
少女は金属と宝石が優しく擦れたような、甘く尖った声で、問いかけとも挨拶とも取れる風に声をかけた。
その声が洞穴の岩々を震わせ冷たく響く。
未だに混乱中の竹は、少女を見据えたまま返事が出来ないでいた。
少女はそんな竹などお構いなしに、
「どうした? 挨拶もないのか? まあそんな事はどうでも良い。それよりも自己紹介がまだだがした方が良いか? それともそんなものせずに本題に入るか? 時間制限があるからその方が良いかもしれないがな。まあその判断はお前に任せよう。さてどうする? ああ、前もって一つ言っておくが人との会話は久しぶりで、少し舞い上がっているんだ。普段はここまで饒舌ではないから誤解はしないでおいてくれ」
少女は息の途切れる間もなく一気にまくし立てる。
竹は更に少女の勢いに押され、完全に頭が回らないでいた。
少女はそんな竹の様子に気付きつつも、特に何も感じていないように紅い眼を竹に向けた。
妖艶、そんな眼をしていた。
その紅い瞳に直視された竹は頭の回っていないまま、鉄柵で仕切られた、2メートル向こうの少女に呟くように問いかけた。
「……君が『赤き秘宝』、なのか?」
「そう。私が『赤き秘宝』だ」少女は薄紅色の形の良い唇を薄く持ち上げる。
化生の微笑み。
洞穴の温度が下がった気がした。
だがそれは気のせい。
下がったのは洞穴の気温ではなく、竹の体温だ。
ぞくり。
そんな陳腐な表現が竹の背筋を襲った。
「ああ、宝具の類だと思っていたのか? まあそれが普通の考え方だ。何せ『赤き秘宝』は八百年前から存在するのだからな」
少女の言葉に嘘はなく、そしてそれ故にありえない真実だった。
そうだ。
『赤き秘宝』は八百年前から存在するモノ。
なのに、この少女はどう見ても、竹と同じ年頃の人間だった。
「信じるか信じないかは、この場合関係ないぞ」
紅い少女は、竹がこの館に来てから何度も聞いた言葉を言う。
「今この場にあるのが真実ってことか……」竹は強張った顔で言った。
「その通り。お前が信じようが信じまいが、私が『赤き秘宝』であることは揺ぎ無い真実だ。別に理解できなくはないだろう? 『神の複製品』」何が面白いのか、くすくすと、少女は笑った。
「……君は本当に人間なのか? 八百年間、君は生きていたというのか?」
「理解しているのに、何度も聞くな。時間の無駄だぞ。まあ、今回は(・・・)気分が良いから答えてやろう。私は正真正銘人間だ。自動人形など宝具の類じゃない。そして、八百年前からちゃんと存在している」少女は悩ましげな表情で、自身の銀髪を掻き揚げながら言った。
銀糸の一本一本が蝋燭の火に反射して、一層少女を艶やかに見させる。
竹はその少女に釘付けになった。
少女の仕草・発言・声色、その全てに、この少女の十七〜八の外見では到底獲得できない、悠久の時を感じさせるものがある。
竹は漸く、この少女が八百年間の時を過ごしてきたのだと納得した。
「漸く納得したな。しかし、少し時間が掛かりすぎだ。残り時間はあと7分24秒しかない。これ以上無駄な質問はするな」紅い眼を細めて少女は言った。
「君から質問はないのか?」
「ない。今のも無駄な質問だ」少女は冷たく即答した。
竹は次に何を質問すべきか、目をぐるっと一周させて考えた。その行動に効果があったのかはわからないが。聞きたい事がいくつか浮かんできた。
「百年に一度しか謁見を許されない意味は?」
「答えられない」
「……石間山に伝わる鬼の話との関係は?」
「答えられない」
「…………秋野神楽と君の関係は?」
「答えられない」
「………………」
竹は閉口した。
「気を悪くするな。これでも秋野家の秘宝なんでな。答えられない事が多いんだ」
ならなんの為の謁見なんだ、竹は突っ込みを入れたかったが我慢した。
そして腕を組んで、次の質問を考える。
「どうした? あと6分と8秒だ」
焦らすなよ、と竹はじろりと少女をねめつけた。
すると奇妙な慨視感が浮かんできた。
そうだ、あれは確か――
「今日の夕方、庭園にいたか?」
夕方に見た、赤い着物を着た銀髪の鬼。
それはこの少女に良く似ていた気がした。
しかし少女は口元に細い指を当てて否定する。
「いや? それはないな。私は生まれてから八百年間、この洞穴の外に出たことはない」
「八百年間……マジか」竹は少女の仕草、一つ一つに眼を奪われながら驚きの声を上げる。
「マジ? ああ、本当かという事だな。本当だとも。私には嘘をつく理由も必要もない。私の役目はここで一生を過ごし、朽ち果てるだけだ」
まるで他人事のような言い方だった。
「自分だろうが私にとっては他人でしかない。君にとっての君がそうであるように。そうだろう? 『神の複製品』。いや、『筆記者の奴隷』よ」
『赤き秘宝』は楽しげに口元を歪める。
「……君はどこまで知っている?」
「私は何も知らないよ。ただ、君たちが来る少し前に来た怪物から話を聞いただけだ。言っただろう? 私は今までここから一歩も外に出たことがないんだ。だから何も知りようがないし、知りたいとも思わない。君たち、いや、君とは違った意味でどうでも良いんだ」
「怪物?」
「ああ、君はよく知っているんだろう? あの女はそう言っていたが、知らないのかな」
「……知ってるよ」竹は奥歯が砕けるくらい歯を噛み締めた。
あいつが絡んでいるなら、確実に何かが起きる。
最悪に近しい何かが。
「そう怖い顔をしてくれるな。久々の人との会話だ、楽しくしようじゃないか」
「確かに、こんな美人と楽しく話しをしたいのは山々だけど、この状況でそれは無理だ」
「なんだ、案外つまらない男だな」少女は蔑むように言った。
「……」竹は心に会心の一撃を受けた。
「……それで、あいつからは何か言われたか?」致命傷を受けつつ何とか、会話を進める。正確には誤魔化した。
「言われたが教えるつもりはない」
「どうして?」
「どうしても、だ。知ったところでどうしようも出来まい」
「出来るとしたら?」
「出来るはずがない」
「……まあそこまで言うなら良いさ」竹はむっとして言う。
「どうしてそこで不機嫌になる? 私は何か勘に触る事を言ったか? 事実を言っただけのつもりなのだが、何か不手際があったのなら謝ろう。さっきも言ったが久しぶりの人間との会話なんだ。それが相手を怒らせて終わった、なんて事は出来るだけ避けたい」
『赤き秘宝』は正座をしたまま鉄柵越しに頭を下げた。
「いや、君が悪いわけじゃない」
たかが他人の意見で感情を乱すな。
冷静になれ。
驕りは捨てろ。
受け流せ。
風のように。
水のように。
火のように。
守りたい時に、
大切なものを守れるように。
いつかどこかで死んだ爺の言葉が、反復して竹の頭を過ぎった。
「何だ、そうなのか? なら頭を下げて損をした。だから次何かこちらが不手際をしても一回は謝らん。今ので前払いという事にしておこう」
「ああ、良いよ」竹は次など無いと思っているので、快諾した。
「よし。そろそろ時間が無くなってきたな。おそらく次の質問が最後になる。何かあるか?」
「……じゃあ一つだけ。君は、自分の事を知っているのか?」
「生まれた時から知っている。興味はないがな」
紅い瞳をした少女は、無機質に言った。
竹は少女の紅い眼と初めて眼を合わせた。
静寂の中、二つの視線が絡み合い、蝋燭の炎の音が洞穴に響く。
その静寂を崩したのは、第三者の声だった。
入り口から「時間です」と八坂真逆の声が聞こえたのだ。
竹は視線を外して、この場を立ち去る為に、体の向きを変えた。
少し鳥肌が立っていた。
それは外気の低さから来るものでなく、心が震えたためだった。
震えた理由はわからない、しかし原因はわかる。
見つめ合ったのは、刹那の時間だったが、確かに竹は感じたのだ。
少女の紅い瞳に秘められた、八百年の歳月を。
後ろを向いた、竹に少女がどうでも良さそうに声をかけた。
「こちらからも最後に一つだけ良いか? 『解決士』」
「何?」このまま立ち去るつもりだったが、その名で呼ばれたのなら、そういうわけにはいかなかった。なので竹は立ち止まる。
振り向きはしなかった。
「――」少女はここにきて初めて、血の通っていなかった顔に表情を浮かべた。
そしてたっぷり十数秒間をおいて、
「――私を助けてくれるか?」と言った。
「嫌だ」
竹はノータイムで少女の頼みを拒絶し、地下牢という名の鳥籠の前から立ち去った。
*
竹と八坂真逆が軽い談笑をしながら館に戻ると、館の玄関前でアレクサンドラ・ワーナーが待っていた。彼女の中では玄関で待つのがマイブームなのだろうか。
「私はこれで帰るわ」
「は?」
「え?」
驚いた声が二つする。
竹が自分の横を見ると、頭一つ小さな少女が自らの失態に頬を赤く染めていた。
この館に仕える者としてあるまじき行為だったのだろう。
しかし、時刻は既に深夜2時過ぎ、多少の判断力の低下はあるだろうし、普通こんな時刻にこの山奥から帰るなんて言う人間がいたら驚くだろう。
なので、八坂真逆が素っ頓狂な声を上げたのは、仕方ないといえなくもない。
まあそのことを本人に告げれば、本人は更に自らの失態を恥じるだろう事は、館から洞穴までの道程の中で、彼女の人となりを把握した竹には読めていたので、ここは流すことにした。
それよりも今はアレクサンドラだ。
「帰るって今から?」とりあえず当然の疑問を投げかける。
「どうして、ではないのね」アレクサンドラは横顔を月明かりで照らしながら目を細める。
「理由を聞いたら教えてくれるのか?」
「さあ? でもあなたならわかっているでしょう?」
「さあ?」竹は半笑いでと呆けた声を出した。
アレクサンドラは竹の返答に眉間に皺を寄せる。
どうやら竹の受け答えがお気に召さなかったらしい。
「……まあ良いわ。私は今から帰ります」そう言ってアレクサンドラは傍らに置いてあった鞄を担ぐ。
そして竹の横で呆然としている八坂真逆に、
「という事ですので、当主によろしく伝えておいてくださいね」と言って、二人の脇を抜けてすたこら歩いていってしまった。
「……一体あの子は何しに来たんだ」
竹は、深い森の奥へと消えていったアレクサンドラの、もう見えぬ後ろ姿を追うよう視線を向けながら呟いた。
*
部屋に戻った竹は寝ている松田を起こさないように、交換しなかったベッドにもぐりこんだ。
意識が睡眠へと移る瞬間、掛け布団から、先ほど帰った女の子の良い匂いがした気がした。
その瞬間、竹の準変態キャラが成立した。
*
「もうお帰りですか?」
闇から現れた、暗闇よりも漆黒の魔法使いは言った。
「クロスっ……!」
アレクサンドラは、その黒い闇に飲み込まれることを拒絶するように戦闘態勢を取る。
「そんなに警戒しないで下さい」男は困ったような声を出す。表情は森の闇で読み取れない。
「……用件は何? 私はもう帰るけど」
「いえいえ、僕からは特別には。ただ君がこのままつつが無く帰るのを見守るだけです」
「監視ってわけね」
「そうとも言いますね」
「それなら心配御無用よ。私は何もしないから。自分の命が惜しいもの」アレクサンドラは方を竦めて、警戒を解いた。
「そうですか。それなら安心ですね。まあ見送りくらいさせて下さい」
「そう。別に良いけど」
アレクサンドラは頷き、歩き出した。
黒須蛍はその後ろを、足音を立てずについていく。
静寂の森に一人分の足音だけしか聞こえない、奇怪をアレクサンドラは別段気にしていなかった。
この男であれば、足音を無音にする所業など造作もないことだと知っていた。
「そういえば、もう一人は一緒じゃないの?」アレクサンドラは後ろを歩いているであろう、黒須に聞いた。
「ええ、彼女はいません。僕と入れ替わりで帰られました」
「ならさっきまでいたのね?」
「はい。夕食前まではいたはずですよ。それが何か?」
「別に、ただの興味よ」
「そうですか。それにしても随分この国の言葉がお上手ですね」
くすり、とアレクサンドラが笑った。
「どうしました?」
「やっとその事を聞いてくれる人が現れたと思ったら、あなたなんてね」アレクサンドラは流暢な極東の言語で話す。
「ああ、秋野家では誰も聞いてくれませんでしたか?」
「ええ、全くもって誰もそんな事は聞いてこなかったわ。まあ別に良いけどね」
「それはそれは、お気の毒です。まあ彼たちが少しズレているだけですから、気にしないで下さい」魔法使いの周りの闇が苦笑いをしたように歪む。
「あなたにそんな事を言われるなんてね……それにしても、意味のない登場になったわ。無駄足もいいとこよ」
「それはすみません。しかしこれが――」
「『黒の書』の歴史、でしょう」
「ええ、今回の君にはいくつか役割がありましたが、その中で大きなものは――」
「私と彼が出会うこと。それが私の父がこの国へ来る為の線繋ぎになるから。『赤き秘宝』と出会う事もまあ役割としては大きいけど、こちらは『騎士団』としての役割の方が大きいし。『黒の書』として見るなら、前者の方かな」
アレクサンドラはなんでもないことのような口調で言った。
「はい。話しが早くて助かります。この話しもあと少しで終わるでしょうから、これで残すところは後4つ」
「あと4つか、それを彼はわかっているのかしら? 全然わかっていないみたいだったけど」
「無論わかっているでしょう」
「そうは見えなかったけど……それにもし分かっていたとしても、逆らおうとはしてないように見えたわ」
「それは君たちと一緒ですよ」
「どういうこと?」
「彼は最後だけ逆らうつもりなんですよ。今は最大級の一撃をぶち込むために力を温存している、といったところです」
「……でもそれがわかっているってことは」
「はい。それが『彼女』の選択。書の終わり」
アレクサンドラは立ち止まり、黒須の方に振り向いた。黒須も立ち止まる。
そしてオレンジ色の瞳で黒須を見据える。
「それをバラすって事は余程の自身があるわけね。はぁ……なんだかどう足掻いても駄目な気がしてきたわ」
「やる気を失いましたか?」闇を纏った魔法使いは言った。
「むしろその逆。俄然やる気が沸いてきた。今の話を父に報告して、私たちは作戦を練ることにするわ。定められた運命に反逆するためにね」アレクサンドラは笑顔で魔法使いを睨む。
橙の瞳は爛々とした色に満ちていた。
一瞬、雲の隙間から抜けた月明かりが、男の横顔を照らした。
魔法使いは薄く笑っていた。
「それではまた別の物語で会いましょう」
そして黒い魔法使いは闇へと溶けていった。
物語は収束する為に加速する。
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