アナザーフェイズ.一刀「正義」
遠くの山を眺める。
眺める、というよりは見つめているのかな。
あの山の向こうは荊州か。
その向こうには孫呉の本拠地、建業がある。
そして、その向こうには海があり、倭の国──日本がある。
「黒薙雛斗。一学生だった俺が、この世界で武人になる、ね──」
この世界から見れば未来──元いた世界がどれだけ平和だったか。
もちろん、日本以外の場所では紛争とかあった。
けど日本という国で生まれたから、なおさらこの世界から見たら元いた世界が平和に見える。
平和はかけがえのないものだ。
成都の街を見下ろす。
あそこには万という民たちが日常を生きている。
確かに、この蜀に立っている。
そして俺も。
異世界から、もしくは未来から来た俺がこの世界のかけがえのない仲間たちと共に道を歩んでいる。
「なに黄昏てるんだ。雛斗」
「……一刀」
山から目をそらした。
一刀が城壁を上ってきていた。
「雛斗は今日、休みだったか」
「うん。まあ、最近は騎馬隊の調練も行き届き始めたし、徴兵もしばらくはないから各部隊の報告と警邏の報告、それと」
「仕事の話はよそう。折角の休みなのに」
「そう言う一刀はここに来る暇はないんじゃないの?」
「最近は雛斗が頑張ってくれてるから、仕事がはかどっててね」
「……ふっ。一刀も言うようになったね」
鼻で笑って、また山に視線を戻した。
一刀が側に来る。
「なに見てた?」
「──さて、なにを見てたかと言われると難しいね」
思わず苦笑いした。
俺の本当の素性は廬植先生と氷、星にしか話していない。
それなのに日本を透かし見ていた、なんて言えない。
「強いて言えば、この国のことかな」
「蜀のこと?」
「蜀だけじゃないよ。魏、呉、蜀も合わせたこの国のこと」
「──何で?」
何か悟ったらしい一刀が神妙に訊いた。
「黄巾の頃から三国が立つまで、悪政していた諸侯もいた。賊なんてなおさら。だけど、それから時が経って三国に収まった。その三国は目指しているところは同じで、民たちの安寧を祈っている」
「…………」
一刀は俺の話に耳を傾けている。
「目指しているところは同じ、はずなのにね。一つに集約させようとする──欲望だらけだよね、この国」
「雛斗」
一刀が叱責するように俺を呼んだ。
欲望を悪い意味でしか捉えていないからだ。
元いた世界では、欲望は悪い意味で通ってる。
「もちろん、欲望を否定なんてしない。人間には欲望があって、個人の考えがある。個人個人がぶつかるのは当たり前で、欲望がぶつかり合うのはもっと当たり前。人間として生まれてきた以上、欲望が沸くのは必然なんだ。そしてぶつかり合う……それが戦だ」
「…………」
また一刀が黙り込んだ。
「その戦に民たちを巻き込んで、その戦は民たちのためだと正義を突き立てる。そして、その戦の熱さに快感を覚える人間もいる。──人間は欲だらけな生き物なんだよね。そして、正義に執着している」
「正義?」
「一刀は自分の志を正義と言えるでしょ? 庶人を幸せにする世界をつくる。だけど、曹操は己の道を正義と言うだろうね。孫策も自分の戦いを正義と言うはずだよ。──結局、ホントの正義なんてありはしない」
「雛斗の正義も、か?」
「俺の正義ね。──仲間を守る、ただそれだけだよ。俺自身は正義と信じてるよ」
曹操と孫策にも示した志。
仲間を守り、仲間と共にありたい。
「俺もそう思う」
「じゃあ、曹操の正義は?」
「……たぶん、正義だ」
「孫策は?」
「孫策も正義だ」
「もうわかると思うけど、正義なんて個人の考える理想でしかないんだ。自分の正義の下に、理想の下に戦う。それは他人と共有できる理想。だからこうして分かれて国ができる。ホントの正義は、自身の信じる理想しかないんだ」
「……ものすごく難しいこと考えてるんだな」
疲れたように一刀がため息をついた。
それに苦笑いする。
「嫌でも考えるよ。大将は自分の戦いの意味を誇示しなければならないからね。それに英雄の正義を目の当たりにするとね」
「曹操と孫策か」
「正義同士が争うっていうのも皮肉な話だけどね」
自嘲に似た苦笑いをして、山から目を離した。
城壁から離れる。
「雛斗」
「かたいこと話したら逆に疲れるよね。──最後に言っとくけど」
城壁の階段に足を一歩踏み入れる。
「自分の正義を信じられないようじゃ、この世界で生きていけないからね」
「──正義同士が戦ってるのにか?」
「自分の正義なんて捨てられないよ」
そう言ってから城壁を後にした。
一刀……桃香の方かな。
三国で仲良くできないか、と考えている節がある。
それを否定することはできない。
悪い考えではない。
正義は共有できた方が良いのは当たり前だ。
万人が助かる。
だけど孫策と、特に曹操の正義は他人の正義を受け入れられるのか。
それは考えたことはないけど、一刀たちの正義は他の正義を受け入れられる。
そうした方が良いと、俺も思っていた。
俺も一刀のこと言えないね。
だけど俺は、自分の正義──仲間たちのために戦う。
そのためには、他の正義と相反するのも肯んじる。
それは揺るぎない決意、何にも染まらない漆黒の黒旗の指す道だから。
でも、今は蜀の正義をこの手で、少しでも手伝えれば……。
民が正義の、この国を。
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「……やっぱり雛斗も英雄だ」
雛斗が去ったあとの城壁で呟いた。
去る時のあの背中に、言い知れぬ威圧感を感じた。
思わず息を呑むような雰囲気。
あれを英雄の覇気、というんだろう。
「雛斗も雛斗の正義を捨てられないんだな──俺はどうなんだろう」
空に向かって訊いてみた。
もちろん返ってくる訳はない。
だけど、これだけは言える。
「正義は共有できる」
みんな目指している正義は同じはずなんだから。