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dreamer

作者:ataru
 実家の父親から電話がかかってきたのは、ちょうど大学の講義が終わった頃だった。
 電話越しに聴こえる父さんの声は、やけに重苦しい口調だった。
「母さんが、亡くなったよ」
 父さんは静かにそういった。
 心臓を患っている母さんだが、この頃容態が悪く入院しているのはかねてより聞いていた。別に何とも思わなかったわけではないが、俺は突然の訃報に対して、まともな返事を返すことが出来なかった。「そうか、亡くなったんだ」と淡々と答える俺に、父さんは一言、
「‥‥‥葬儀には来てくれよ」
 と言った。
 父さんは話題を変えて、俺の近況を訊いてきた。
「ところで、東京での暮らしはどうなんだ。最近仕送りは送ってないが、生活は大丈夫なのか」
「まあ、ぼちぼちって感じ。大学もバイトも上手く行ってるし、特に生活に差し障りは無いかな」
「ふーん、そうか。‥‥‥そりゃよかった。ほっとしたよ」
 ちっともほっとしたようには聞こえない口調で、父さんは俺に言う。
「上京する時は、『父さんたちみたいに凡庸(ぼんよう)でつまらない人間になるもんか』って大口叩いてたが、あれからもう7カ月とちょっとか。ちょっとはマシな生活してるかい?」
「‥‥‥そんなこと言ったっけ」
「言ったさ。自分で言っておいて忘れたか」
「毎日が忙しすぎて、そんなこと忘れたよ」
 俺は突き放すように言う。
 でも、あの時の事はよく覚えている。東京の大学に行こうと思っていた俺は、地元に残ってもらおうと思っていた両親と対立して、大喧嘩したのだ。俺は両親の反対を何とか押し切って、資金や住居を探して上京したのである。
 父さんは最後にこう言った。
「まあ、お前が東京で何してようと、俺は知ったこっちゃないが‥‥‥頑張れよ」
「え? お、おう」
 父さんの口から「頑張れ」という言葉が出てくるとは思わなかった。ひとまず俺は、父さんの言葉を素直に受け取って、電話を切った。
 ――母さんが、死んだか。
 俺はふうと息を吐く。
「待たせたな、(さかき)!」
 ふいに声が聴こえた。振り返ると、友達の水谷(みずたに)がこちらへ走ってくる。
「今まで何してたんだ、水谷?」
「今度の文化祭に、うちのサークルでイベントを開くことになって、その準備してた」
「確かお前、電工研(でんこうけん)に所属してたっけ。今度は何の出し物出すんだ?」
「プロジェクションマッピングの応用さ。基本は部屋の中に映像を投影するんだけど、ただ映像を流すんじゃなくて、人の動きとか音に反応してコンピュータが映像を自動生成するんだ。今回は大学の軽音クラブともコラボして、壮大なイベントにする予定」
「お前んところって、いつもぶっ飛んだのつくるな。同じ電気工学専攻としてうらやましいよ」
「そんな事ねぇよ」
 謙遜(けんそん)しながらも鼻高々に答える水谷。
 電工研とは大学にあるサークル団体の一つで、“電気工学研究会”の略称だ。主に水谷みたいな電気工学専攻の人たちが所属して色々な研究をしているのだが、やっていることがとにかくハイレベルで、大学の中でも注目されている。俺も水谷と同じく電気工学を専攻しているが、電工研で楽しくやっている水谷を、いつも凄いと思っていた。
 俺と水谷は帰り道を並んで帰る。
 大学の近くには神田川があり、中央本線沿いにずっと続いている。電車に乗るには飯田橋駅が一番近いのだが、川沿いを歩くのが気持ち良いからと、わざわざ市ヶ谷駅方面まで歩いて帰るのだ。
「そういえば、もう11月だから秋真っ只中か。今年の夏は早かったな」
「ああ、そうだな」
 父さんも似たようなこと言ってたな。
 俺は冷たい風を肌で感じながら思う。
 気付けば陽はすっかり西に傾き、夕日が神田川の水面をを紅く照らしていた。道端に落ちた街路樹の葉は風に飛ばされ、どこか遠く彼方の方へ飛んでいく。
 ゆったりと時間が流れる。不思議と、心が無になっていくようだった。
「お前って、どうして東京に来たんだ?」
 ふと、水谷が口にした言葉に、俺はドキッとなった。
「ど、どうしていきなりそんなこと」
「いや、特に深い理由は無いんだが、何となく訊いてみたくなって」
 水谷は空を見上げながら言う。
 どうしてって言われても‥‥‥やっぱり、親への反抗心だろうか。
 俺はとりあえず思ったままのことを言った。
「うーん‥‥‥親みたいになりたくない、って思ったのが大きいな」
「親?」
「うん。うちの親は、何つーかあまりパッとしない人間でさ。取り柄がないって言うの? 面白味がなくて、内気でつまんなくて‥‥‥まあ、ぶっちゃけ言えば〝凡庸な人間〟なんだ」
「ふーん、それで?」
「父さんたちには、小さい頃からずーっと『人並みに生きなさい』とばかり教えられてた。特段人よりずば抜けたものを持っている必要はない。普通が一番幸せなんだって。でも世の中に普通じゃない人間なんてたくさんいるし、普通が一番幸せっていうのはおかしいと思った。俺を『普通の人間』っていうワクにはめ込もうとしている気がして、嫌だったんだ。だから、せめて父さんたちの言う『普通の人間』だけにはなりたくない、ワクにはまりたくないて思ったのが始まりかな」
「へー」
 水谷は俺の話を、目を丸くしながら聞いていた。
「何か意外だな。榊がそんなこと思っていたなんて」
「ああ‥‥‥まあ、そうなのかな」
 俺も内心驚いていた。自分の気持ちを、こんな風に人に打ち明けたのは初めてだった。
 水谷が感心したように呟く。
「しかしお前って結構真面目に考える奴なんだな。でも俺は、別に普通で凡庸でも良いんじゃないか、とも思う」
「え?」
「だって普通の人で、何事もなく幸せな人もたくさんいるだろ。幸せであることに、普通も何もないんじゃないか? 奇抜じゃないと生きていけないなんてこともないし。それに否定するわけではないんだが、普通じゃない人を目指すために、絶対東京へいかないといけない意味なんてないと思うんだ。
 普通の人も普通の人で、悪くはないと思うぜ」
 水谷は多分、率直な意見を言っているだけなのだろうと思う。だけど水谷の言葉は、かつて父さんが口癖のように言っていた言葉と重なった。
『人は特段大それたことをしなくても、普通に幸せに生きてゆける。お前はそれでいいんだ』
『普通に、平凡に生きろ』
 俺は一瞬、自分の考えを否定されたように思えた。カッとなってしまった。
「お前までそんなこと言うのかよ、水谷」
「え? いきなりどうしたんだよ」
 俺の言葉に、水谷が驚いた視線を向ける。それが余計に俺の心を刺激した。
「だって‥‥‥俺はそんなこと絶対嫌なんだよ!」
 俺は思わず大きな声を上げた。水谷が驚いて一歩退く。
 俺は感情のままにまくし立てた。
「普通の人なんてくそくらえだ! 何で他人の勝手な主観で、自分の生き方や価値観まで全部決められなきゃいけねぇんだよ! 父さんたちみたいに、普通が一番だなんて偏狭な考え方しか持てないやつらの方がよっぽど不幸せに決まってる!!」
「おい、榊!」
「水谷も水谷だ! 普通の人も悪くないだなんて、そんな人並み外れた能力持ってて色々なことが出来るお前が言えることかよ! お前にそんな事言われたら‥‥‥俺みたいなどこにでもいる人間が一番いいって言われてるような気がして、嫌なんだよ!!」
「いい加減落ち着け! 一体どうしたんだ!!」
 俺は水谷に肩を押さえられた。
「じゃあお前は、その『普通の人間』とやらになりたくないために何かしたのかよ。普通の人間にならないために、お前は何の努力をしたんだ!
「言っておくが、そうやって特定の価値観を持った人を『偏狭だ』って理由で安直に不幸せだって決めつける方がよっぽど偏狭だと思うぞ。さっきも言ったが、普通が幸せだと思う人間はたくさんいるんだ。普通が嫌だ云々はお前自身の話だろ? お前こそ個人的な観念を他人に押し付けんじゃない!」
「‥‥‥‥」
 水谷の叱咤(しった)を、俺は何も言わずに聞いていた。
 普通の人間にだって幸せな人はいる。それはその通りだった。普通の人が嫌だと言っておきながら、結局は周りの奴らと大して変わらない――普通の人間でしかない。ろくな努力もしていないのも分かっていた。
 だけど俺の心の中には、『普通が一番』とばかり言っていた父さんたちへの下らない反抗心が、未だに渦巻いていた。
 水谷が俺の肩から両手を離し、息を吐く。
「お前が自分の親父(おや)っさんみたいになりたくないのも分からなくはない」
「‥‥‥‥」
「でもだからって、そんなに普通じゃないことにこだわる必要はあるのか? 何が一番幸せかなんて――」
「もういい、うるさい!!」
 俺は思わず叫び声をあげ、そのままその場から走り去った。水谷が俺を呼び止める声が聞こえたが、耳に留めなかった。
 我ながらなんて子供っぽい心だろう、と自分を難ずりながら、俺は走り続けた。

 不貞腐(ふてくさ)れながら家に帰って来た時には、時刻はもう6時近くになっていた。今日がバイトの日じゃなくてよかった。夕食を買い忘れたのは痛いが。
 でも俺は何もする気になれず、カバンを乱暴に部屋に放り投げ、そのまま倒れるように横になった。
「‥‥‥‥」
 俺は天井を見上げる。
 冷たい蛍光灯の光。畳の感触。古臭いけど今は慣れた部屋のにおい。それら全部が、初めて来たときのままだということに気付いた。
 ――ホント、俺は何しに東京へ来たんだろうな。
 狭い六畳間の部屋の真ん中で、ふとそう思った。
 ふいに、父さんの顔が思い浮かぶ。家を出る俺を見送るときの、あの面倒くさそうな顔。つっけんどんな言い方で「まあ、せいぜい頑張ってくれよ」と言っていたのを思い出す。
 複雑な気持ちになった俺は、唇をかみしめた。
 明日地元に帰って、葬式場で父さんと会わなければならないのかと思うと、たまったもんじゃない。それでも、行かなかったらまたずけずけと文句を言われるのだろうと想像して、やはり行くことを決めた。
 俺は深くため息をつきながら、やるせない気持ちに頭を抱えた。

 翌日。俺は新幹線に4時間近く乗りながら、実家へ向かった。
 久しぶりに会った父さんは、少しほうれい線が深くなった以外は、特に何も変わった様子はなかった。俺に向かって「長旅ご苦労様」と、相も変わらずぶっきらぼうで愛情のない言葉をかけられたときは、正直本気でイラッと来たが。ただでさえ東京で嫌なことがあって機嫌が悪いのに。
 そんな負の感情をずるずると引きずりながら、俺と父さんは母さんの葬式に臨んだ。
 棺桶の中で目を閉じて横たわっている母さんを見る。静かに、そしてどこか不思議な美しさをはらんで眠っている母さんの周りには、花が供えられていた。
 声を殺してしくしくと泣いている親族たちの中で、俺は何とも言えない気持ちに襲われていた。
 父さんと一緒になって、俺に「普通に生きろ」と強要していた母さん。だが実際のところ、母さんは俺の事をどう思ってたんだろう。
 人生の中で、実は母さんより父さんと接していた時の方が多い。母さんはいつも家族に食事を用意したり、父さんと世間話していたりするだけで、俺と話すことは意外にも少なかった。父さんと一緒に(ののし)られたことはあったけど、母自身から俺に何か話してくれたことはなかった。
 母さんがあまりにも俺に無関心だったのか。それとも俺の方が母さんに無関心だったのか。それは分からない。
 だけど俺は、珍しく微笑むような表情を見せて眠っているのを見て、ものすごく胸の奥が苦しくなるのを感じた。こんな気持ちに駆られるのは、初めてだった。
 葬式が一通り終わって、俺は父さんと二人になった。
 すっかり陽が落ちた空を見上げて、「日が短くなったな」と父さんは言う。俺はむすっとした表情で「あっそ」と突き返す。二人の間には、何ともよどんだ空気が立ち込めていた。
 早く葬儀を全部終わらせて、東京の自宅に帰りたいと、切に思った。父さんだって、無理してここにいて欲しくないみたいだし。
 その時だった。父さんが、不意に話し出す。
「今まで、悪かったな」
「‥‥‥へ?」
 突然の思いがけない言葉に、俺は思わず間抜けな声を上げた。
 父さんは無表情で、何を思っているのかよく分からない。だけど、父さんの言葉には、明らかに今までとは違う重みがあった。
「俺と母さんは、お前に――自分勝手な理想像を押し付けていたかもしれないな。普通に生きることが、俺達にとっても、お前にとっても幸せなんだとばかり思っていて。頭が固かったよ」
「‥‥‥‥」
「ちょっとは、お前の気持ちも汲んでやりゃあ良かったな」
 父さんはうつむいて、顔を隠した。
 父さんがこんなことを言うとは正直思いもしなくて、だから俺はどう反応すればいいのかわからなかった。その日、父さんはそれっきり何も話そうとしなかった。
 お通夜や初七日は、びっくりするほど慌ただしく過ぎていった。やっとのことで帰る日になった時には、もうすでに火葬も終わり、お骨を引き取っていた。ちなみにお骨の引き取りは父さんが要望した。
 父さんのあの謝罪の言葉が、今でも心の奥に残っている。
 今まで俺に高圧的な態度をとってきた父さんが、初めて俺に謝ってきた。俺からすればあまりにも唐突すぎて、心の準備が出来ていなかったから、あれからすごく動揺していた。
 でも、父さんの俺に対する気持ちが変わっていたのは、少し読み取れた。
 だからこそ、俺は父さんにどう返せばいいのか、分からずにいた。あんなに誠意を見せられて謝られると、逆にこっちが申し訳ないような、歯がゆいような気持ちになってくる。
 想いをなかなか伝えられないまま、俺は東京に帰ることになった。
 父さんは何も言わずに、俺を駅まで見送ってきてくれた。
 父さんが「これ」とだけ言って、弁当箱らしいものを渡してきた。
「‥‥‥何だこれ?」
「つまらないもんだが、弁当だ。俺が作った」
「ふえっ!?」
 さらに驚くべきことを言われ、俺は声が裏返った。
「弁当って、父さん料理できんの!?」
「嫌なら食うな。これでも料理本見ながらなんとか作ったんだ」
 いつもながらの鼻につくセリフだったが、父さんの顔が少し赤くなっていた。
 ‥‥‥父さんが料理するなんて、本当に意外だった。
 でもこれを貰って、何て言うか、少し嬉しいような気持ちになった。
 俺は父さんに言った。
「父さん。なんか‥‥‥ありがとな」
「‥‥‥おう」
「この気持ち、忘れないから」
「え?」
 自分でも、こんな言葉が口に出るとは思わなかった。
 俺は何だか恥ずかしくなって、父さんの方を振り返らずに走り去った。何かがこみ上げてくるような気持ちだった。

 新幹線の中。俺は父さんが作った弁当を食べながら、何も言わずに、泣いた。

 数日後。
 俺達の通う大学で、文化祭が始まった。
 文化祭は初日から大盛り上がりだった。キャンパスには様々な団体の出し物やイベントが催され、大勢のお客さんで賑わっていた。
 確か、電工研のイベントがあるのは、6階の会議室だったか。
 俺は水谷に教えてもらった通りに、イベントのある場所へ向かう。
 あれから俺は水谷にあまり会っていなくて、少し気まずい気持ちだった。あの喧嘩をまだ根に持っているんじゃないかと、下らない不安を抱いている。
 あそこだ。
 階段を上がって右手方向の突き当たりに、『電工研フシギコーナー』と題された派手な看板が見えた。見ると、たくさんのお客さん、特に若い女性が多くて、イベントは盛況のようだ。
 白衣を着て大声で宣伝している水谷の姿があった。水谷は俺に気付くと、「榊ーっ!」と大きく手を振って場所をアピールした。
 俺は水谷のもとへ駆け寄る。
「電工研のイベント、大人気みたいだな」
「まあな、出し物も好反応みたいだし。汗水垂らして頑張った甲斐があったよ」
 そう言って、水谷は得意げに笑っていた。
 見た様子だと、根に持っている感じはしないとわかって、俺はとりあえずホッとした。
 水谷に勧められ、『電工研フシギコーナー』の中へ早速入ってみる。
 暗い会議室の中には何人か人がいて、出し物を楽しんでいるようだった。見ると、お客さんが壁や机などに触ると、それに合わせて色とりどりの図形やアニメーションが動いている。部屋の中をよく観察すると、部屋の随所にカメラが設置されているのが見え、頭上には投影機らしきものが見えていた。カメラで人間の動きを感知して、それに合わせて投影機が映像を映し出す仕組みなのだろう。
 水谷に話を聞くと、人の動きと映像を連動させるのはかなり大変だったらしい。
「なかなか機械が思うように動いてくれなくてさ。人の動きとタイミングが合わないし、リアルタイムで莫大な情報を整理させなきゃならなかったし。今みたいにちゃんと動きに反応して映像を映せるようになるにはかなり時間がかかったよ」
「だろうな。こんなに完成度高く仕上げるのは大変だったろう」
「次何かイベントやるときは、もうちょっとハードル落としてやろうと思う」
 水谷はそれでも爽やかな笑顔を見せていた。
 少し経って、ライブをやる時間になった。
 一体どんなパフォーマンスを見せてくれるのかと楽しみにしていると、水谷がマイクを持ってステージの上に立った。
「皆さん! 今日は僕たちのフシギコーナーに来て頂き、ありがとうございます。ただいまから、今回のイベントに協力して頂いた軽音クラブのライブを始めようと思います!」
「わーっ!」
 水谷の呼びかけに、お客さんたちから歓声が上がった。続いて、ステージ全体にスポットライトが当たり、バンドの人たちがステージに現れた。会場内はますます歓声に包まれる。
「ヘイ、みんな! 今まで待たせたな! これから俺達のライブを始めようと思う。今回は電工研の奴らとも協力して、素晴らしいライブをみんなに体感してもらおうと思う。準備はいいか!」
「おーーーーーっ!!」
 ボーカルのキザな叫び声に、皆が掛け声を上げた。
 バンドが演奏を始める。すると音楽に合わせて、会場内が色とりどりに光り(きら)めきだした。
「いぇえええええいっ!!」
 ボーカルが豪快なエールを送ると、映像がぱあっと明るくなり、会場は鮮やかな光と熱気に包まれた。
 ギターが激しく暴れ、ベースがうなり、ドラムが力強く鳴り、そしてボーカルが歌う。それに合わせて、赤や青や緑や黄色の光が会場内を駆け巡る。その様はまるで万華鏡のように美しかった。音楽や光に乗って、現実ではない別の世界に飛んでいくようだった。
 神秘的な空間に、俺はすっかり息を呑んでいた。
 勢いに乗ってライブを楽しんでいる水谷たちを見て、これがあいつらのやりたいことなんだなと思った。自分のやりたいことを、精一杯楽しんでいるんだと思った。
 そう考えた時、俺は急に普通か否かの事が全部どうでもよく思えてきた。
 普通だとか普通じゃないとか、幸せとか不幸せだとか。そんな事は関係ない。今自分が何をやりたいのか、それをいかに全力でやり遂げるか、楽しむか。それが大事なんだと俺はふと思った。自分がやりたいことを全力で楽しめることが一番の幸せで、一種の生きがいでもあると俺は痛感した。何だか、世界が一気に広がったような解放感を味わっていた。
 俺も、自分のやりたいことをやってみたい。精一杯楽しんでみたい。そう思えるようになった。
 俺は高揚感の波に乗って、楽しい時間を過ごした。

「へええ、疲れた疲れた。まだもう一日あんのかと思うと気が重いぜ」
「お前らしくないぞ、水谷」
 帰り道。今日の工程がすべて終わり、俺は水谷と談笑して帰っていた。辺りはすっかり暗くなり、空はどんどん蒼が深くなっていた。今日のぶんは全部終わったんだなと、改めて感じさせられた。
「そういや、先日はちょっと言い過ぎたよ。水谷にあんなこと言ってごめんな」
「別に気にしてないから、大丈夫だよ」
「そっか、ならよかった。‥‥‥そうそう、ちょっと折り入って話があるんだけど」
「何だよ、いきなりそんな改まった口調で」
 俺は、今まで考えていたことを言った。
「俺‥‥‥電工研に入ってみようと思うんだ」
「えっ!?」
 俺の告白に、水谷は驚いた顔をした。「どうしていきなり!?」と訊いてくる水谷に、俺は話した。
「今日の文化祭で、何が幸せで何が楽しいのか、少し分かった気がするんだ。別に普通か普通じゃないかなんてどうでもいい。自分が今何をしたいか、それを一生懸命やり続けられるか。それが生きてく上で一番大事なんだと思って」
「お、おう。そうか。なんかいきなり変わったな、お前」
「それで思ったことだけど‥‥‥俺も水谷と一緒に、電工研で頑張ってみたいんだ。自分自身も電気工学専攻だけど、正直あれだけ楽しいものを作れるとは思わなかったから、前と比べてすごく興味を持って。もちろん道は平坦(へいたん)じゃないことは分かってるけど、だからこそ俺は精一杯努力したいって、思うんだ」
「‥‥‥‥」
 俺の話を、水谷は黙って聞いていた。やがて話を聞き終わると、ふうと息を吐いた。
「榊って、根は本当に真面目だな」
 水谷は笑う。
「榊の気持ちはよく分かったよ。――別に、電工研に入るのは自由だ。辞めるのも自由だけどな。俺は、精一杯歓迎するよ」
「ありがとう、水谷」
「よろしくな」
 そういった後に、水谷は挑戦的な笑みを見せた。
「ただし、電工研の活動は超ハードだぜ」
「‥‥‥分かってる」
 俺はふっと笑って、暗くなっていく夕焼け空を見上げた。
 一陣の風が、俺の横をすっと吹き抜けていった。
ここまで読んでくださり、どうもありがとうございました。

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