Contact.0-2 暗中模索
人によっては若干グロテスクに感じる表現があるかもしれません
こんな状況になって改めて思うことがある。家族と何年も顔を合わせず引き篭もりを続けられる人達は、実は相当に精神力が高いのではないかと。
明くる日の朝、簡単な朝食をキッチンのテーブルに置いて、心配するメッセージを僕の携帯に残して仕事へと発つ母。僕は母の後姿をカーテンの隙間からそっと見送り、昨日から数えて3桁を達成する勢いの溜息を吐いた。申し訳なさで心がへし折れてしまいそうだ。
おんらいん☆こみゅにけーしょん
Contact.00-2 『暗中模索』
高らかに悲鳴をあげ続ける良心を押し殺し、気配を探りながら母の作ったサンドイッチを胃の中に詰め込むと、そのままダイニング横にある和室へ向かい部屋の押入れを漁る。両親は思い出だからと僕と姉の子供の時の服をこの部屋に保管しているのだ。もう二度と着る事はないと思っていたこれを感傷に浸るためではなく実用的に使う為に引っ張り出す事など、果たして誰が想像出来ると言うのだろうか。
軽く埃を払いながら、透明な保管ケースの蓋を開けて服を確かめていく。どれもこれも僕が小さい頃に着ていた洋服達だ、懐かしい気持ちはこの際置いておく。多少古くなってはいるが幸いにも虫食いや酷いレベルの損傷は無いようだった。サイズがあって綺麗な物を適当により分けて抱えると、ケースを同じ位置に戻して自室に戻る。
なんで自分の家でこそこそしなければいけないのか、情けなくはあるがこの姿で堂々と歩き回れるほど胆は太くない。下着までは流石に無かったので、運動用に買ったボクサータイプの下着を身につける。これも相当にぶかぶかだが殆ど半ズボン状態のトランクスよりは下着として機能している。
続いて先ほど和室で選別した比較的男らしくないデザインの衣服を着込み、携帯をズボンに突っ込み身繕いを終える。八歳児くらいの時期に着ていた服がピッタリという恐ろしい事実は適当に投げ捨てておいた。考えたら負けの気がする。
最後に長い髪の毛を纏めて帽子の中に突っ込んで、ついに出発の準備は整った……。
◆
あれから一晩、寝て起きても身体はもどっていなかった。結局家の中で考え込んでいても埒が明かないと、僕は原因と思わしき神社へ向かう事にしたのだった。だけど当然元の格好のままでは目立ちまくる、考えた末に出した方法は先ほどの行動の通り、保管してある子供服を利用するというもの。これならば異様さは何とかカモフラージュできるはずだった。
姉の服もあるにはあるが、流石に女の子の服を着るには抵抗がありすぎるし、姉の子供の服を着る高校生の弟って変態ってレベルじゃないだろう。別に姉が嫌いという訳ではないが人として変な道には堕ちたくない。何よりも元に戻った時、僕自身がその事実に耐え切れそうになかった。
従って鏡に映るこの男の子ルックな美少女が誕生した訳だが、マシになったと言っても目立つ外見には変わりないという事実に早くも僕の心は挫折寸前である。家で寝ていたら時間切れか何かで戻ってはくれないものだろうか。
当然、そんな都合の良い奇跡が起こるとは思えず、仕方無しとまるで鉄アレイを括り付けたかのように重い足取りで玄関へ向かう。夏休みにはまだ早くリスキーではあるが、周囲を警戒しながら移動して人に近付かないように気をつけよう。
自分の家でこそこそしなければならない理不尽を耐え抜き、外界へ通じる門へと辿り着いた僕がやけに重たく感じる扉を開けると、今日も今日とて晴れ渡る空から降り注ぐ夏の日差しが肌を焼いた。
「…………」
思わず自分の腕を見る、瞳が緑色って事はアルビノと言うわけではないだろうが、今の身体の肌は白人のように白い。対策無しで太陽光に当たっても大丈夫なのだろうか? 紫外線がどうとかいう単語が脳裏を過ぎる。
いや、大丈夫だ。そんなに肌を露出させる格好ではないし、日が高くなる前に帰ればきっと、多分、おそらく。意を決して家を飛び出ると、足早に神社へと向かう事にした。
見慣れたはずの街並みがやけに新鮮に見える。視点が違うとこんなにも印象が変わるものなのかと状況にそぐわない暢気な感想を抱いて、それでも人の気配を避けながら確実に神社へと向かっていく。それにしても近いはずの目的地が随分と遠い。
「……、……」
四〇分は歩いただろうか、やっと神社のある丘が視界に入った。身長が縮むという事は歩幅も狭まるという事な訳で、すっかり失念していた僕は暑さも合わせて見事に体力を消耗しきっていた。ふら付きながらも階段脇の自動販売機に携帯を押し当ててペットボトルのお茶を買う。
階段に腰掛けながらキャップを外し、結露して冷たいボトルを両手で持って口を付ける。お茶が喉を潤おしてやっと人心地ついた。何気なく周囲を見てみるが、誰かが大怪我をした痕跡らしきものは見当たらない。確か倒れたのはこの辺だったと思うのだけど。
5分ほど木陰で休憩してから、少しばかり長い階段をゆっくりと登って行く。子供のようになってしまった今の僕にこの傾斜は少しばかり堪える。何とか登り切った後は残りのお茶を飲みながら、再び木陰で休息を取る。酷く非効率的だが無理して倒れでもしたら事態は容赦なく最悪の方向へと転がりだすだろう。注意しなければならない。
神社の境内は大きな樹に囲まれていて、中心に行かなければ直射日光に焼かれる事はない。木の葉の海から零れ落ちる細波のような陽の光が妙に暖かい。都心に近いというのに人通りも無く、静かな森の中を連想させてくれるこの場所が好きだった。
呼吸が落ち着いた頃を見計らって、境内を散策する。姿が違うせいか普段なら気配を感じると寄って来る子猫の姿が無い。最後に確認したときは無事だったはずだ、あいつらに捕まったりしていないと良いのだけど。
ほんの少し違う風景に戸惑いながら本殿の周りをぐるりと回る。神社の裏手には少し大きな石がある。不思議な紋様が彫り込まれていて、神主さんはこの神社の神様に関わりがあるものだろうと言っていた。随分と古い神社らしく正確に伝わっていない歴史や曰くもいくつか存在するのだそうだ。そういう話が好きな僕もここに来ては無闇に弄らない程度に綺麗にしていたものだった。そういえばあの子猫もあの石を掃除している時に懐いてきたんだっけ。
「…………」
神社の裏手にある石の前であるものを見つけて立ち止まる。途端にじわりと涙が瞳の奥から溢れ出て、手が震えて声にならない嗚咽が漏れる。喉が詰まって、僕は力無くソレの前に跪く。ソレは元の面影を残さないほどに、変わり果てたその姿で其処に居た。酷く歪んでしまったソレは、それでも何故か、とても満足そうな表情をしているように見えた。
◆
本来は神主さんに頼んできちんと弔ってもらうべきなのだろうが、僕は石の隣にある土を掘り起こし、そこに埋葬する事にした。何故か無性にそうしなければならないと思ったのだ。自分でもおかしな事を言っている自覚はあるが、もしかしたら子猫がそれを望んでいたのかも知れない。
僕が見つけたのは助けたはずの子猫の亡骸だった。まるで階段を転げ落ちたようにあちこちひしゃげ、身体は酷く歪んでしまっていた。自らの血で斑に黒く染まってしまった、無残な姿で石の前に倒れていたのだ。理由は解らない、昨日から解らない事しか起こっていない。
止まらない涙を肩口で拭うと、ふらつく足取りで手水舎へ行くと土と血で汚れた手を洗う。頭の中がぐるぐるしている、文字通り死ぬような思いをしてまで助けた事は無意味だったのだろうか。何であの子があんな惨い目に合っていたのだろうか。疑問に答えなど出るはずもない。
ハンカチで手を拭うと手水舎の屋根を日除けに借りて柱に背中を預ける。すぐにでも家に戻りたいところだけど今は歩きたくない。涙を堪えるように目を閉じる。しかし浮かぶのは変わり果てた子猫の姿だった。それに、あれではまるで……。
――――身代わり。
いや、この科学全盛の時代にそれはあんまりではないだろうか。第一この幼い姿はどう説明をつけてくれるというのだろう。
――――真っ白な毛並にエメラルドのような瞳の可愛い子猫だった。
髪の毛を掴み目の前に持ってくる、真っ白な髪の毛が滑らかに指の間を零れて落ちた。立ち上がって帽子を脱ぎ、子供用の足場に登り溜まった水を覗き込む。水の中からはエメラルド色の大きな瞳を見開いた、白い髪の少女がこちらを見返している。
「……おや?」
ふらりと、倒れそうになる僕の背後から声がかかった。振り返ると箒を持った着物姿の男性が穏かな表情を浮かべてこちらを見ていた。ここ数ヶ月ですっかり馴染んだ、この神社の管理をしている神主さんだった。
「珍しいお客さんだね、あぁ……日本語わかるかい?」
「…………!!」
どくり、どくりと心臓が早鐘のように鳴り始める。逃げなきゃ、ただそれだけが思考を支配して行く。僕は疲れも忘れ、神主さんの脇を抜けるように思いっきり駆け出す。
「あ! そっちは階段だ、そんなに走ったら危ないよ!」
背後から声をかけられた気がするが、正直頭に入ってこない。僕は目の前にある階段を転げ落ちるような勢いで駆け下りていった。
◆
あれからどこをどう走ったのか覚えていない。気付いた時、僕は自室のベッドの上で蹲っていた。酷く疲れているし脚も痛い。思い返すのはやはり子猫の姿。まさかあの荒唐無稽な考えが真実だとでもいうのだろうか、馬鹿げている。もっとちゃんと弔ってあげるべきだったんじゃないのか? いや、あれでよかったのかもしれない。
あぁ、駄目だ全然考えが纏らない。酷く悲しくて、顔を枕に擦り付けながら泣く僕のポケットの中で何かが震えた。疑問に思って手をやってみると、携帯が着信を知らせる震動を起こしているようだった、今は少しでも気を紛らわせるべきだと画面を見ると、親友である『矢島 栄司』からリアルタイムメッセージが届いていた。
『おーい起きてるかー、夏休みまで後三日だと思うと授業に全然身が入らねぇ
そっちはゲームのキャラ、もう決めたか?』
どうやら授業中に送ってきているようだった、それはどうかと思うが今は暢気なメッセージが有難い。涙を拭いてキーパッドのケーブルを繋ぐと文章を入力して送信する。
『うん、一応決めた。魔法系のエンチャンターってのにしようと思ってる』
『エンチャンターって……あれか、またコアなとこ選ぶなお前
俺はやっぱり剣士系だな、男なら剣だろ!』
彼は幼い頃から剣道をやっていて、中学のときは全国大会で優勝まで果たしている。何度か練習に付き合わされた事があるが恐ろしく強くて手も足も出なかった、彼も完全体感型のゲームならその実力を遺憾なく発揮する事だろう。対する僕は頭脳派と言う訳じゃないが、あまり運動は得意じゃない。
『相変らずの脳筋思考で安心した、骨は拾ってあげるから遠慮なく突っ込んでくるといい』
『ひでぇ、っとやば日向、また後で!』
どうやら教師に見付かったようだ、乱れた文章の直後に通信が途切れる。彼は運動が得意な反面、勉強はやや苦手なようだった。とりあえず夏休みまであと少しなんだし、変な目の付けられ方しない為にも真面目に授業を受けるべきだと思う。去年も似たような理由で補習を食らっていたのだから。
でも、そんな彼の不真面目さのおかげで少しばかり気分転換が出来た。取りあえず今日わかった事、鍵を握っているのは間違いなくあの神社だろう。神社の成り立ちを調べれば何か手がかりがあるかもしれない。ベッドから飛び降りると勢いのままパソコンを起動し、椅子に腰掛ける。
ブラウザで検索エンジンを開いて、平間神社と入力し検索を始める。
思えばあまり深く調べた事はなかったが、やはりというか、あそこは相当古くからある神社らしい。大元は伏見とも春日とも言われて定かではないが、大体一二〇〇年ほど前に建てられたそうだ。正式な歴史は残っておらず何の神を奉っているのかもハッキリとしていないとか。神主さんに聞ければもっと色々わかるのだろうが、顔を見られてしまったしもう迂闊に近づけない。
だが流石に地方のマイナー神社だけあって、地域の図書館の電子書庫にアクセスしてもそれ以上の情報は出てこなかった。精々が某巨大掲示板の神社関係やオカルト系のスレッドの情報。奉っているのは動物の神だとか、実は本殿の中にある御神体は偽者で本物は別の場所にあるとか、大昔に死んだ悪霊を封じ込めているとか……そんな眉唾ものの話ばかりだ。都市伝説レベルの、境内のどこかに願いを叶える宝物が隠されているというものまであった。
僕は静かにマウスから手を離す。どう進もうと最後に行き着くのはオカルトのようだった。まぁ実際に起こっている事はオカルト以外の何者でもないのだから、当然といえば当然なのかもしれない。僕は一体どうすればいいのだろう?
もしも本当にあの猫が身代わりとして僕を助けてくれたというのなら、こんな風に引き篭もっていていいのだろうか。どんなに悩んでも僕の問いに答えを返してくれる人はいない。最近やっとネガティブな思考からポジティブに戻ってこれたというのに、この有様とは我ながら情けない話だ。
少しばかりの自己嫌悪に打ちひしがれていると再び携帯が震えた、画面を確認すると栄司からだった。
『指導室なう(´・ω・`) 昼飯が遠のく』
どうやら回避には失敗してしまったようだ、今は指導室でお説教中なんだろう。左近という教師は面倒見が良い反面、説教くさい所があるとよく愚痴られていたのを思い出す。夏休みを目前に控えて浮かれる生徒は多いようだ。彼はその槍玉に挙げられてしまったのだろう。
『がんばれ、あと携帯いじんな』
また携帯を弄っている事を悟られたらさぞ大きな雷が落ちる事だろう、忠告を兼ねて返信をすると充電器に携帯をセットして部屋を出る。
彼のメールのおかげですっかりお昼を忘れていた事に気付いたのだ。家族が居る時は迂闊に部屋から出れない事を考えると、食べれる時に食べておいて、軽く保存の効く食べ物や飲み物を部屋に常備しておくのを心がけるべきだろう。こればかりは長期戦になりそうだ、備えておくに越した事はない。
全てを明かす勇気が僕にあれば、それが一番なのだろう。どこまでも暢気な友人達の事だ、心配なんて必要はないと心のどこかから声がする。一歩踏み出せばきっと大した事はないんだろう、ちょっとばかり驚かれて、騒がれて、一緒に元に戻る方法を探してくれるに違いない。
解っている、解っているんだ。だけど今の僕にはその一歩があまりにも遠く、何よりも重過ぎた。
★2012年11月23日/誤字、表現の修正