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ドロップ!

作者:紫水ゆきこ
プラチナブロンドの髪に白い肌。そして生家特有の魔力により発色される紅い瞳孔と薄桃色の虹彩を持つ娘。聖女に妖精。パメラディア伯爵家の特色を濃く現した彼女に人々は様々な二つ名を付ける。

彼女はコーデリア・エナ・パメラディア。齢は18。
四人兄妹のパメラディア伯爵家の末子であり、次女である。

彼女はこの世に生を受けた時から賛美の中育てられ、いつかは次期王である王太子に嫁ぐ可能性も高いのではと囁かれていた。コーデリア本人に一切その気がないなんて事は完全無視で、だ。

そう、コーデリアには王子に嫁ぐ気など一切なかった。この国の貴族、それも指折りの伯爵家の女子として生まれ、それがどれほど名誉な事か教えられているにも関わらず……だ。

自分は普通ではない。その自覚はコーデリアにも有った。しかしそれは致し方ない事なのだと自分に言い聞かせていた。――前世の記憶がある時点で普通の人間とは程遠いのだろうから。

コーデリアが前世を思い出したのは3歳の頃である。はやり病の熱にうなされ、意識が朦朧としていた時に突然『ニホンジン』であった自分の記憶が次々と浮かんできたのだ。結果的にそれが原因で更に知恵熱を出したらしく、一週間程生死の境を彷徨ったのだが……結果として、これがコーデリアを死から救う道筋となった。


なぜなら記憶が蘇った事により自分が前世でプレイしていた『オトメゲーム』の中に出てくる悪役美少女、コーデリアだと知ってしまったのだから。


ゲームの中のコーデリアとは酷く悪役らしい性格をした人物だった。お姫様気質とでもいうのだろうか。だから行動も分かりやすかった。一番多かったのがパメラディアと同格の伯爵家ではあるものの、庶子であり長く市井で暮らしていたヒロインを礼儀知らずの常識知らずと罵っていた様子だ。絵面からは到底想像できない罵り言葉を嬉しそうに吐き出す彼女は酷く歪んでいた。そしてゲームファンからはお嬢様ではなく『シュウトメ』もしくは『女王様』と呼ばれていた。

そんな“コーデリア”はこの国の王子に恋焦がれていた。……王子に恋焦がれるというよりは、王子の妃になる事に恋していたようなのだが。他の名家に王子と頃合いの良い年頃の娘が極端に少なかった事も有ってだろう、王太子妃最有力候補である事は誰の目から見ても明らかで……“コーデリア”は王子が自分以外を選ぶ可能性等考えていなかった。
故に突如現れたヒロインと衝突するのだが、立場に恋する“コーデリア”が王子に選ばれるはずもなく……苛め倒した揚句に退場ルート一直線だ。狂気に満ちて自分で自分を殺めてしまう。……自殺を回避したところで厳罰が下されるのは目に見えているのだが。

コーデリアは愕然とした。なんという転生をしてしまったのだ、と。

だが不幸中の幸いといえば、記憶が戻ったばかりのコーデリアがまだ3歳で純真であったことだ。何処をどう間違えたらシナリオにあった性格に辿りつくのかコーデリア自身分からなかったが、少なくとも生まれてから現在までのコーデリアは貴族としては比較的普通のお嬢様で有る……と思われた。だからこの後高望をしない事、そして王子と関わらなければ最悪の未来は回避できるはずだ。コーデリアはそう考えた。生き抜くためだ。これだけは絶対に守る……そう、3歳のコーデリアは熱にうなされながら決意した。

しかし、それだけに人生全てを賭けるのはもったいない。

早々に王子ルートを放棄……いや、全力回避を決意したコーデリアには、無事回避した後の人生も考え是非やってみたい事があった。

それは――思わず振り向きたくなるほどの美少女になった自分を磨きあげる事である。

まだ3歳という年齢は愛らしくはあれど美少女というには早過ぎる。しかし磨く事を忘れない事は今後の成長に必ず役に立つはずだ。そしてその決意は見事に功を成し……18歳となったコーデリアは見目麗しく利発な令嬢となり時の人となった。ダンスのレッスンがキツイ、コルセット苦しい、優雅に苦手なものでも食べる事は苦行、美しい文字を書くよりは荒くても速記が好き、唯一の特技は魔力のコントロール……そんな事を必死に表に出さず、外面に合う内面を磨いた結果である。お陰で根性もかなり鍛えられた。残念ながら――いや、幸運な事に人々はそこまで知る由もない。ただ聡明で美しい令嬢としてコーデリアはその名を轟かせていた。

しかし脳内がどうあれ、こうして出来上がった完全なる伯爵令嬢に王太子の妃にとの噂が絶えず生じていたのは不思議ではないだろう。だが現在もコーデリアにその予定は一切ない。それは4歳のときに先手を打って父に直談したからだ。

率直にいうとパメラディア家は子供の直談など相手にするような家では無い。だから年の離れた姉と違い、王太子と同年代のコーデリアであれば将来は王子の妃、あわよくば正妃の位を得られるのではないかと一族の期待をかけられる程度には野心にも満ちている。実際先々代の正妃はパメラディアの出身である。

しかし父親からその話を聞いた時にコーデリアは「いや!!」と大きく叫んだ。作法を学んでいたはずが焦りの余り取り乱すコーデリアの様に侍女も慌てたが、その事を話していた父親は激怒した。そしてコーデリアは頬をぶたれたのだが……その時にコーデリアは真っ赤な目をして言ってのけたのだ。

「コーデリアは将来お父様と結婚するのです!だから王太子殿下に嫁ぐのは嫌です!!」

一つだけいうと、これは決してコーデリアの本心ではなかった。

パメラディアの家族仲はさほど良くない。兄妹仲はそれなりだが、それもあくまで“それなり”だ。伯爵夫妻に至っては顔を合わせている様子すらない。コーデリアが生まれたのも王妃が子を身ごもったという話を聞いて娘を欲したから……と言われても不思議だと思わないくらいには家庭内別居を続けている。だからコーデリアもそこまで父に入れ込む想いが有った訳でもなく……どちらかと言えば『あまり見た事ないけど同じ家に住んでいるらしい人』というくらいの認識しかなかった。だが使えるものなら何でも使う。

後々考えれば他に方法は有ったと思うのだが、この時は時間もなかった事もあり他に言う事が思いつかなかった。

だが、この言葉は意外にも頑固なパメラディア伯爵には実に有効なモノとなった。

先程までは怒気を隠していなかった伯爵が表情を失い、丸くした目で呆然とコーデリアを見ている様子は、後にも先にもその時だけだ。

「そ、そうか……」

そう気まずそうに言った伯爵はその後そそくさと姿を消してしまった。これにはコーデリアも侍女も驚いた。いつも厳格な伯爵が対応に困ると言った様子を隠しもしなかったのは初めてだからである。
その行動が初めて自らの子に懐かれ嬉しかった故のものだとコーデリアが知ったのも、「え、この人この歳して何て可愛い考えなの!?」と思ったのもそれから二日程経ってからのことだった。
以来コーデリアは事ある毎に父親に『お父様大好きです』アピールを仕掛けた。実際に可愛かったので。だがコーデリアが父親を可愛いと思う以上にコーデリアは父親に可愛がられた。
少し年の離れた他の兄姉も一緒に居る時はコーデリアの前でも厳格なままの父であるが、二人で話をする時には明らかに言葉が違っていた――具体的に言うといつもの父親からは想像できない、少しおどおどしつつも不器用な笑みを乗せているのである。初めに父親大好きです宣言をした時は決して本心では無かったが、コーデリアは今になって『お父様のような方がいらっしゃったら速攻で結婚申し込みたいわ』と思ってしまっていた。元々コーデリアが生まれるだけあって、両親ともに美形なのだ。そこに好みの属性が加わっているとは完ぺきではないか。

だがそんな『大好きなお父様』フィルターをかけても……この父親は少しばかり私に甘すぎるのではないかと徐々にコーデリア自身でも感じるようになってきた。

一番初めにそれを痛感したのは8歳の時だ。

その頃のコーデリアが一番興味を惹かれるのは薬草であった。
パメラディアの魔力特性には植物の性質を高める能力が含まれている。だからこっそりと下校中の小学生よろしく庭で花の蜜を吸った時、その甘さに驚いた。どうやら触れて念じるだけで簡易魔術は使える程の能力は生まれながらに備わっているらしい。それならばもっと有効な薬草を扱えば、凄い薬が出来るのではないかとコーデリアは考えた。あくまでも『すごい薬ができるかもしれない』という大まかな予想であったのだが、それでも書庫でこそこそと本をあさったり、庭と路地の境界に何らかの野草は無いかと調べたりする程度には興味津々だった。

そんなコーデリアはある日ぽろっと仕事中毒で万年肩こりの父親に『お父様のお体に良いものがあるかもしれませんから将来は薬草の研究をしたいと思います』と話したのだが、その娘の言葉に感動した父親はなんと娘にガラス張りの温室を一棟プレゼントする約束を口にした。流石にコーデリアもこれは冗談だと思った。だが10日後には本当にプレゼントされてしまったのだから驚きである。この国に温室はないはず……そう思ったが、どうやら設計・監修ともに父親であったらしい。温室はありとあらゆる最新技術を駆使し建設された建物であった。そして工期が僅か10日というのも、建築に関する最新魔法を惜しみなく駆使した結果であるらしい。そしてこの建設のために父親は初めて有給休暇と言うものを使ったらしい。あるのか、この世界にも有休。そうコーデリアは遠い目をしながら思ったのだが、流石に想定外の可愛がりっぷりである。そしてあまりに早過ぎる将来の準備である。8歳の子供に対しプレゼントするには余りに高価なものである。

ちなみに電気やガスがないこの世界では魔力を消費し電化製品に似た魔法道具を使う事が出来る。だがその高価さはニホンの電化製品の比では無い。金銭換算すればドライヤー一つで軽自動車1台くらいが相場だろうか。どの魔法道具も耐久力は電化製品どころではなく長持ちするが、それは同時に新型が出ないということである。だから種類も非常に少ない。少しでも変わり種の魔法道具があればその値段は天井知らずだ。故に温室なんて高度な魔法道具を利用した建築物の値段は到底コーデリアの想像が及ぶ範囲ではない。喜ぶより先に立ちくらみがしたのはコーデリア自身の責任ではないはずだ。

だが貰った建物は使わなければ勿体ない。

まだまだ先の事と思っていたコーデリアは急な展開を前にまずは何の研究から始めようと考え……民間療法等の調査協力を父親に仰ぎ、先ずは前世でハーブと呼んでいた野草を取り扱うことにした。それにはこの世界の化粧品事情というものが絡んでいたし、多少なりとも前世で研究を行っていたからということがある。父親のための研究をしたいと言ったのも嘘ではないが、将来の自分が困らない為の布石である。

書庫に有った本で事前調査を行ったのだが、この世界では主にクルミに似た外観をした固い殻を持つ木の実から精油を精製することがとても多いらしい。だがそのままでは刺激が有るため香油や香水には不向きで、魔力を掛け合わせることで肌にも良い効果を与える品物を作り上げられる……と、200年ほど前に発表されて以降ずっとその製法が守られているらしい。

だが製法が発見されてからの200年、それらは進化してこなかった。一番の原因は精製に耐え得る木の実の種類が多くない事、また収穫量も一本の木に対して数キロと極端に少ないこと、その木自体が非常に育ちにくいと言う事等が関わってきている。そして何より、精製にあたり必要とされる魔力注入の難易度が非常に高いことも関連している。

魔法道具を利用する場合と違い、直接魔力を木の実に与える高度な技術が必要である。だが実は香りある木の実と魔力の親和性が低いため、最初の魔力注入のみ魔法道具の利用が不可能で直接流し込むしか手段が無い。従って精製できる人間自体が稀になる。職人になるには創造性云々よりも作れるか作れないかが問題となってくる。故に価格は高止まり。効用も種類も限定的であるにも関わらず、上位の貴族で有ってもなかなか手に入れ難い代物となっていた。一部では『手に入らないからこそ価値が有る』と言われているのだが……そんな状況であるから香水の代わりにバラのポプリを忍ばせ代用している貴族も少なく無い。

だが、そのように手に入りにくい木の実とは対照的に魔力波に癖がないハーブは今まで見向きもされてこなかったようである。魔力との親和性も高いハーブが何故無視され続けたか……その理由は、何と言っても『野草だから』だろう。料理に使う一部のものを除き、この世界ではハーブを『特に改良研究されたこともない雑草』としか認識していない風潮が有った。だからその香りを楽しむ等、貴族は考えていなかったのだ。そもそもこの世界では料理に使うものも含めやや奥まった山にしか香りのあるハーブは生えていない。他では育たないという事はないようなので、料理用のものはふもとでも栽培されてはいる。だが基本的にこの世界の野草は居心地の良い土地の魔力に依存しやすいらしく、人の手が入らなければほぼ単独の土地でしか根付かないとのことだ。

コーデリアもこの世界でハーブを目にできたのは偶然だった。食用のものが有る事は料理に交るものから気付いていたのだが、他の草花があるのかは屋敷の中では分からなかった。なのでこっそりと料理長に料理に使っている香草の事を聞きだし……そのついでとばかりに他に香る草は無いのかとしきりに尋ね、その結果料理長が門外漢の分野を知り合いに頼ってコーデリアのために情報を集めた。それでようやくコーデリアにもこの世界にハーブが有る事を知りえた。そしてこの世界ではまだ食用とされていないミント等を手に入れ、魔力との親和性の高さを実感したのだ。料理長が居なければコーデリアとてハーブの情報を集めるのに苦労しただろう。しつこいようだがまだまだ子供。情報網にも限界がある。

何はともあれ、コーデリアはこれをチャンスと捉えた。扱いやすい薬草での生産に成功すればコストが大きく下がり、ひいては流通価格を有る程度下げる事が出来るだろう。もちろん高級思考を持たせるためには有る程度の値段はキープしなければならないが……それも品質により区別をつければ何とかなるだろう。何より目新しいものが好きなのが貴族と言うもの。コーデリアしか作れない精油を作り上げれば、必然的にコーデリアにコンタクトを取ろうとするのは目に見えている。知り合いは多い方が後々役に立つだろう。例え自分が使わない人脈で有っても、父親が使う可能性だって有り得る。

せっかく美しく生まれた自分を磨く物であり、今後の武器になるかもしれない人脈を作るこの可能性をコーデリアが逃す理由はなかった。

ミントやセージ、レモングラスにラベンダー。比較的邸宅から近い所で多く植わっているこれらをコーデリアは最初の研究対象にすることにした。もちろん形が同じだといえども性能まで同じであるかは分からなかったので――この世界の植物には植物自体に魔力が宿っているので、その組み合わせも見る必要が有った――少数民族の伝統技術の調査結果や、温室に遅れて贈られた研究室を用いての解析をする事にはなったのだが……結果的に少なくとも無毒であり、それぞれ有る程度の落ち着き等精神的に良い効果を与えるようだとパメラディアお抱えの解析魔術師達――ならず者からの魔法攻撃や暗殺者等の動きを解析している人達――によって証明された。こういう時に魔法というものは便利だ。ただ便利だが明らかに職域外の事をさせてしまった事についてはコーデリアも申し訳ないとは思った。魔術師達が『たまには違う仕事をやった方が羽を伸ばせる』と応じてくれたことが本当に有り難かった。ついでに言うと解析魔術師というのは罠を見破る上で薬の成分の知識が必要になるため、成分構成について詳しい者が多いらしいことが分かった。そこから分かった事が、パメラディアお抱えの魔術師達の能力なら精油の精製くらいは問題なく行えるだろうということだ。彼らはそれほどに魔術の扱いにたけていた。良い事を聞いてしまったとコーデリアは脳内にメモをした。

こうして得た場所や植物、何より人的協力でようやく精油を精製できたのは10ヶ月後、そして自信を持って香油として試作品といえるレベルまで達したのは更に一ヶ月後の事だった。

当然協力を得たとはいえ、この世界の常識から離れた事を行うに当たり指揮を執ったのはコーデリアである。初めは少なからずお嬢様のお遊びのお相手といった受け取り方をしていた魔術師も居たが、コーデリアの知識と発想に次第に「面白い」と皆が感じていった。魔術師は新しい知識に対して貪欲である。精油そのものに興味をもつより、その匂いが与える精神的な影響に興味を持ったようであった。そしていつの間にかお嬢様のお遊びが一種のプロジェクトチームだとしっかり認識されていた。

分担作業では魔術師にも多く協力を得たが、最終的な仕上げの段階で一番なじむのはやはりコーデリアの魔力である。パメラディアに生まれてよかった……!と、コーデリアはその魔力に本当に感謝した。

流石に伯爵令嬢というだけありコーデリア自身が第一号の試作品被験者になることは許されなかったが、コーデリアの試作品に対し被験者の募集には全く苦労しなかった。むしろ使用人達の間で立候補が後を絶たなかった。訳も分からないものを塗られるという危機感は殆どなく、代わりに『貴重な体験を無料、いや、むしろ特別給金付きで出来る』という風に捉えられた結果らしい。そして現状の木の実での香油とコーデリアの香油という二度の経験をする訳なのだが……その結果が毎度『どちらもとても素敵でしたが、コーデリア様のものはとてもリラックスでき、素敵な気分になるものでした』と報告されるのだから、回を重ねるたびに被験者の競争倍率は増えたと言う。

そして調子に乗ったコーデリアは柑橘系の研究にも手を広げ、更に10歳の時にはひと月ほど苗の収集の旅に出かけた。もちろん一人ではなく護衛の者を伴ってだが、出発するには多くの苦労を伴った――主に父親の説得で。しかし無理を押しとおしたその旅路ではとても嬉しい収穫が有った。いくつかの植物の発見に繋がったのはもちろんだが、一番の収穫は何と言っても偶然発見した数種類のジンジャーだ。この世界には前世の中世で非常に高価だった胡椒は普通に存在するものの、ジンジャーは全く見つけられていなかった。それを見つけた時の喜びは言い表しようがなかった。しかしその喜びは研究対象としてではなく、食生活にニホンでの懐かしさを見出すため――実は既に豆腐(に似たもの)の試作品は作っているので、それにすりおろしてから乗せて食べたい――という雑念からだったのは誰にも言えない事であるのだが。

もちろん初めから全てうまくいっていたわけではない。はっきり言えば道具をそろえる段階から苦労した。前世で利用していた器具とこちらで利用されている器具は魔法を利用する関係もあってか形状が全く違い、なかなかコーデリアの腕になじまなかった。かといって前世のものと同じにしてしまえば今度は魔力が馴染まない。そのお陰であちらこちらの職人に頼りつつ改良に改良を重ねた器具を揃えるのには随分な時間を要してしまった。予想はしていたが、見たこともない器具を求められる職人たちは酷く困った様子だったし、使うコーデリアとしてもどうすれば良くなるのか分からず完成まで途方に暮れる日々を重ねた。今では良い思い出とも言えるのだが。
しかし出だしでそんな苦労はあったものの、香油のベースとなるアルコールやキャリアオイルの精製は既に確立されていたので予想より幾分か早い段階で試作品の製作に成功したのは間違いなかった。但しキャリアオイルも種類が多くなかったので、アーモンドのものや小麦麦芽で作るものも増やしたのだが、それは外部に対しては絶対の秘密事項だ。現存商品と差別化しなければ意味がない。

ハーブの効用も化粧品としての効用も、この世界で作ったものは前世で使っていたものより余程肌に優しく、それでいて効果を得やすく使い心地がとてもよかった。これが魔力の関係なのかな、と、コーデリアはぼんやり思った。

有る程度効用が確認され、そして使用人達の様子から自分の作ったものがこの世界でも通じる香りである事を確信したコーデリアがそれを世間に披露したのは16歳。

コーデリアの成人のお披露目とも言えるパメラディア伯爵家主催の夜会にて社交界デビューを果たしたその時、コーデリアは自信の研究成果である香りを纏い、人々の視線を独占した。ただでさえも目立つ容貌のパメラディア伯爵令嬢。だがその肩書以上にコーデリアは注目を浴びる結果となった。

その時までコーデリアが研究の成果を決して家の外に漏らさなかった事には意味が有る。まだまだ改良を重ねる余地があった事もその一つだが、それ以上に一番自分が目立つ時に新しい香油はお披露目をするべきだと思ったからだ。注目を集めている時に知ってもらうのが一番早い。そう考えていたのだ。そして人々の反応を確認したコーデリアは再び確信した。これはこれからも使っていける、と。

コーデリアはその日、来場者に対し名刺代わりにと小さなケースに入れた香油、そして使用人達に人気が高かった香りのポプリ等を配ったのだが――もっともこの世界に名刺の概念はないようだが――その結果、コーデリアには貴婦人達からお茶会への誘いの手紙が殺到するようになった。原因は言うまでもない。コーデリアが渡したものを気に入った貴婦人が、その入手元を知りたいと思ったからである。彼女たちはまさかコーデリア自身の研究だなんて露にも思わなかっただろう――後にコーデリアが告白するまでは。そして彼女がそれを告白した際には、既に彼女が優位に立っていたなど言うまでもないことだった。

珍しい、けれど素敵な香りを纏わせる若き令嬢。

社交界デビューしたばかりのコーデリアが貴族女性の中で勢力の一角を担うようになるまで、時間は殆どかからなかった。

以前から木の実の香油を利用していた者にとってコーデリアの香油は『今までよりも肌の調子がずっと良い』と感じる仕上がりになっていた。良いものを知っている彼女らはより良いモノを常に求める。一方で今まで香油など殆ど触れた事のないものには『少量とはいえ全員に配る程の香油を手に入れる事など財力はもとより物資の限界として困難なはず、如何にしてそれを可能にしたのか』という秘密を知りたいと感じていた。もしかすると自分達でも入手できる経路があるかもしれないと思ったのだ。

コーデリアにとってお茶会というのは少々面倒なものであった。お茶会よりも研究の方が楽しい。だが狙った以上の魚が釣れたのだ。放置するわけにもいかなかった。それにお茶会に参加しながら『今度はハーブティーを普及させたいな』と考えたりもしていたので、流行を知る上では参加をしない訳にはいかなかった。

ご婦人やご令嬢からの誘いを受け、時には香油を譲る――とはいえ有償だが――その立場から、コーデリアは気付いた時には国一番の令嬢ネットワークを築いていた。
本人としても有る程度は注目されるだろうと予想していた、むしろ狙っていたが、正直に言えば此処までの反応は想定外だった。しかしあくまでも嬉しい誤算である。香油や化粧水を販売するためにも種類の選別や作業の効率化を目指した8年間は無駄ではなかったと心から安心してしまった。まぁ、何よりも『色々やっているのは知っていたが、ここまでの事を考えていたとは……』と父親の度肝を抜いたのが一番予想外の展開だったのだが。

ちなみに香り以外の研究もコーデリアはきちんと遂行していた。父親への初めの約束の事もあり、精油や香油の研究の傍らで薬草による薬品の改良にも力を注いだのだ。そして11歳のときにこの世界の概念には無かった『シップ』を完成させた。どうしても臭いを薄めることが難しかったので、女性向けでない商品であるということは確実ではあるが、父親は非常に喜んでいた。それはコーデリアの予想以上の反応だった。それが自信となりコーデリアは近衛で働く少し年の離れた兄にも渡した。二人の兄はとても喜んだが、父親は少し拗ねた。何故だかコーデリアは理解できなかったが。このシップも現在では少しずつ改良を重ね、疲れをとるものとして度々コーデリアは父や兄達に差し入れている。そして兄達は妹を自慢するためにその一部を同僚に譲ることもあるのだが、譲った後で一生懸命妹が作ったものであったことを考え後悔することがあるとかないとか。しかしそのような兄達の行動がきっかけで、コーデリアのシップは一部騎士団にも販売することになったのであるから世の中何が起こるか分からないものである。

またコーデリアはその他にもある程度価格を落とした化粧水やハンドクリームを一般向けとして市場に流通させる事も行った。香りを残しつつも効力重視で庶民でも入手できるそれは主に特別な日の贈り物とされ、爆発的に庶民の間に広がった。それに気を良くしたコーデリアは続けてこの世界にはなかったリップクリームを小さな缶に詰めて売り出したのだが、これもまた良く売れた。コストダウンのためリピータの場合ケースは再利用でその分の価格を下げ、店頭で詰め替えを行う形の販売形式をとったのだが、これもお得感を与えることに成功し、ヒットの原因になったらしい。

もとよりパメラディアの名を知らぬ者はいないとされる王都で、いつの間にかコーデリアは現国王と並ぶ有名人となっていた。

そして幼いころから貴族の間で囁かれていた王太子妃へとの噂はいつしか庶民の間にも流布されるものとなっていた……本人の意図を全く無視する形のまま。

だがこの頃になるとパメラディア家ではコーデリアを王太子妃へとの期待はあまり高く持たれないようになっていた。むしろコーデリアは王子に嫁がないだろうと思われていた。なぜなら今や娘を溺愛しているといっても過言ではない父親がそれを良しとしなかったし、それを抜いても情報網の大きさを考えれば手放すには惜しいという打算もある。また最近ではコーデリアが母方の伯母であり子のいないニルパマ・ウェルトリア女伯からコーデリアを後継ぎとして養女に迎えるという話も本格化してきている。幼い頃から一応のその話は出ていたので、コーデリアも政治や経済に地理歴史と一通りの学問は修めてはきている。だから一般的な貴族の令嬢が修める学問より深い知識をコーデリアは身に付けているが、それは決して未来の正妃への布石では無い――と、パメラディア一門は口をそろえる事だろう。

けれど理由がどうであれ、そのように様々な知識を持ちどのような話題にも涼しげな笑顔で的確な答える彼女の聡明さは香油等の件を除いても夜会では何時も注目の的となっていた。

しかし……ここまで巨大なネットワークを構築し、尚且つ望んだ通りの磨きあげた美貌を引っ提げたコーデリアだが、どうも夜会で自身への賛美を楽しむといった事は出来なかった。

それは元々賛美が欲しくて研究をした訳でも、学問を修めた訳でもないからだ。単に自分が『せっかくこんなに美しい外見に生まれたのだから』くらいの勢いと、後は興味のままに突き詰めただけであり――この様に人の囲まれたかったからという訳ではない。貴族として情報網を持つことの大切さは分かっているし、得られたことは良かったと思うのだが、それでもそれはこの様に夜会で群がられる為に築いた訳ではないと思ってしまうのだ。

これなら香草の研究をしている時の方が余程楽しい。このように人前に出るのは疲れてしまう。

今更本性を表に出したいとは思わないが、せめて駆け引き……いや、取り巻きになりたいと願われる以外の会話も楽しめたらと思うのだが……ここは貴族の集まりだ。情報交換を目的にやってきている人物も多い。大半は己の利益を求めている。そしてそのような者が情報の宝庫とも言えるコーデリアに近づきたいのは言うまでもない。

コーデリアとて利益を求めて夜会に出ているのだからそれを責める筋合いは無い。だが――コンカツの為に出てきているコーデリアとしては『勘弁してくれ』というのが本音であった。

そう、18歳のコーデリアは現在結婚相手を見つくろっている……いわば婚活真っ最中である。王子への話が出ないようにと父親をけん制していた予防線が他の方面へも発揮されたらしいと知ったのは16歳。夜会デビューをした良家の令嬢であるにも関わらず縁談がひとつもコーデリアに聞こえてこないのは『うちの娘にはまだ早い話ですから、もったいないお話ですから』といった調子で父親が片っ端から断っているというのだ。それをこっそり老齢の執事であるハンスが教えてくれたのは幸いだった。恐らく知らなかったら永遠に婚期に巡り合うことがなかっただろう。この世界では女性の場合大体16歳~22歳が結婚適齢期ということである。てっきりファンタジーな事以外は西洋そのものだと思っていたコーデリアは予想よりは長いその期間にほっとした。ほっとしたが……それでも余りに短い話だ。ニホンくらい長くて良いのにと少し世界の常識を恨んだ。2年経っても全くゴールが見えない現状を鑑みるに、楽観視はできない。

出来れば色恋の一つくらいコーデリアとしても経験したい。前世は残念ながら中学以降全て女子校、そのまま研究室に飛び込んだのだからそんな事を考える余裕なんてなかった。しかし現世では違う。幸いにもハンスに教えられた――そうでなければ王子との婚約阻止には努めていても自分が恋愛をするという事を思い浮かべることが出来なかった気がする――のだから、今回は経験してみたい。そして父親が全て跳ね返してしまうのであれば自分でもぎ取ってくるしかないと考えた。

だが男性と話をしたいと願っても女性に囲まれてしまっては話が一向に進まない。コーデリアは何時も通り扇で口元を隠し目だけで愛想良く振舞っていたが、やはり疲れを感じてしまった。結婚相手を探す事が出来なければこの集まりに出てくる意味も全くない。そう考えた瞬間、コーデリアは早々に夜会を辞してしまった。今日も収穫は全くなし。せっかく出てきた夜会も着飾ったドレスもこれでは意味がないと馬車に乗り込んだあと溜息をついてしまった。

(……せっかく今日はあのご令嬢が来ていなかったのに、残念だわ)

そう、思いながら。

元々コーデリアも自分を快く思わない令嬢が少なからずいる事を把握している。しかしパメラディアに堂々と正面から喧嘩を売れる家は早々ない。女性の情報網でコーデリアは突出しているが、それ以前から当主の地位や人脈は深い。だから今までは正面からコーデリアに立ち向かってくる者は居なかった。だが、ここ最近は突如現れた一人のご令嬢が余りに目につく行動を繰り返している。

その令嬢の名はシェリー・クライドレイヌ。クライドレイヌ伯爵家の娘で美しい黒髪と青い瞳を持つ少女。彼女は一年ほど前から時折夜会に顔を出しているが、それまでの彼女を知る者は余りいない。――当然といえば当然である。彼女は庶子として市井で育っていたのだから。

そう、シェリーこそヒロインその人なのである。

コーデリアは彼女の容貌を知っていた。だから彼女を初めて王家主催の夜会で見た時、思わず息を飲んでしまったのだ。ついに現れた、と。

有る程度予想は出来ていた。シェリーはひと月前に夜会デビューを果たしたばかりという事をその時既に知っていた。そして初めて王子と出会うのがこの夜会で有る事はゲームの上で覚えている。だが、もしかすると違う状況が生まれるかもしれないとコーデリアも期待していたのだ。残念ながらその期待は裏切られたのだが。

コーデリアは体調不良を理由としその後すぐに夜会を辞した。元々シェリーと遭遇する事が有ればすぐに退出できるよう、此処2,3日体調が悪いように振舞っていた事が功を奏したと帰路で胸をなでおろした。元々王家の夜会には極力出席したくないコーデリアである。しかし招待状が届いた時点で将来女伯となる可能性があるのならば参加しない訳にもいかないのだ。あとは表向きには病弱となり、実際には父親と不仲である母親の代わりとして父に付き添い出席する必要も出てきている。コーデリアが幼いころは姉がその役割を担っていたそうだが、既に嫁いで家にいる令嬢はコーデリア一人。放棄する事が出来ない役目だった。――例え、開式の挨拶が済むと早々に会場を後にしようとも、出席する事が必要になっているのだ。

それにこれまで王子を避けるべき努力はしているものの、王家主催の夜会以外でも実は全く会話をした事がないという訳でもない。時折王子が学友の主催する夜会に潜り込んでいることは周知の事実である。だからコーデリアも王子が赴く可能性のある夜会は余程の事がない限り不参加に努めようと心に決め、また、参加をしていても極力気付かないふりをしようと思い――幸か不幸か鉄壁の女性陣に囲まれるので『気付きませんでした』の言い訳は十分通用する――ここまで過ごしてきている。が、物事には限界がある。予想が外れ、遭遇してしまう事も少なくないのだ。王子の夜会へのお忍びまでは流石に女子ネットワークでは把握できない。故に完全に避けるのは難しい。それでもまだお忍びの王子にあいさつ等必要ないと無視できるのだが……。コーデリアが王子のご友人であるフラントヘイム侯爵家のヴェルノーと話している最中、王子は直前まで別の人物と話し込んでいたにも関わらずすぐにやってくる事が度々ある。そうなれば挨拶の一つでもしなければ離脱できない。……挨拶一つですぐに離脱するのだが。

王子のご友人であるヴェルノーも王子を避けるなら本来避けたい相手であるが、フラントヘイム侯爵家はパメラディアにとって大事な取引相手――主に領地での特産品の貿易がWinWinの関係であるのだ――であることや、彼自身が出来れば王子には清らかな花のように一途に王子を想う女性を迎えて欲しいと考えているようなので、コーデリアは自身が推薦されることは無いと割り切って接する事が出来ている。清らかな花が陰謀渦巻く王宮でやっていけるのか、他国に陥れられるのではと疑問が沸くが、妃を迎えるのは侯爵嫡男ではなく王子なのだから……大丈夫だと一国民としては信じたい。

ちなみにこのヴェルノーも乙女ゲームでは攻略対象者であった。但し彼のルートの場合“コーデリア”はライバルとしては現れない。むしろ名前すら登場しない。だからコーデリアとしては彼がシェリーと結ばれれば一番ありがたいのだが……残念ながら彼自身は豊かな身体を持つ女性が好みらしく、現在のところシェリーは眼にも入っていない様子である。シェリーもヴェルノー等興味のない様子なのだから、これでは望み薄だろう。

シェリーはゲームとは違い、完璧な作法を覚え貴族の世界に足を踏み入れていた。それでいてゲームと同じく周囲に『成り上がり』だと蔑まれようとも、決して屈することなく前を見据えていた。その姿は凛としていて貴族より貴族らしいとも言える誇りを持っているようにも見えた――ただしコーデリアの前以外では、だ。

そう、何故かシェリーはコーデリアの前でだけは必ず窘められるような作法を披露するのだ。

それは何故か分からないが、コーデリアとしては面倒事はごめんである。だからシェリーを見つけても極力避けようと思っていた。だがそう思った瞬間にはシェリーが堂々と挑んできたのだからどうしようもなかった。

そもそもシェリーはコーデリアに対しては初対面の時から酷かった。だからシェリーが他で下手な事をしていないときいた時には嘘だろうと思ってしまった程だ。

初対面時、シェリーは自ら名乗ることなく、いきなり「貴女とても綺麗な人ですね、お名前を尋ねてもよろしいでしょうか?」等とコーデリアに言いだしたのだ。いくら同格の伯爵家の令嬢といえども、そのような言葉は失礼にあたる。名を尋ねるのであれば先ず名乗れ。これが礼儀である。これが街中であれば無邪気な娘として映るのかもしれないが――実際に言われたコーデリアは一瞬頬が引きつりそうになった。扇ですぐに口元を隠したので周囲には気付かれなかったが、今でもそう感じるのだからゲーム内でのコーデリアが怒ったのは当然だなと思ってしまう……だからと言ってシャンパンを相手にかける暴挙にでるのはどうかと思うが。当然今のコーデリアは無駄な争いで寿命を縮めたくなどないので、もちろんシャンパンを掛けるなんて事はしなかった。幸いにもその時周囲に他の令嬢はいなかった。だから騒ぎにもならない。……こんな場面、他に見られたらただでは済んでいなかっただろうと思いながら口元を隠し――余談ではあるがこの世界では夜会の際に扇を開いたまま口元を隠す人が多いらしく、コーデリアも初めて見たときは『西洋みたいなのに平安みたいな世界だな』と思った――、優雅に目だけで微笑んだ。

「私はコーデリア・パメラディアと申しますわ。夜会には不慣れでいらっしゃるご様子ですね。――もしお分かりにならない事がございましたら、何なりとお尋ね下さいな」

コーデリアとしては人生に関わるかもしれない相手だけに無視したいのは山々だが、相手にしない場合もどのような噂がたつか分からない。かといって下手な手を打てばコーデリアも無作法だと思われてしまう。今は近くに令嬢がいないとはいえ、いつ近寄られるかわからない。だから妙な噂が立たないよう、少々の皮肉を織り交ぜながらも何でもないかのように言うのが正解だろうと考えた。『私には関わらないでください』と意思表示をしたつもりなのだが――シェリーの反応は眼を見開くと言うものだった。それは、他の反応を期待していたようにも見えた。皮肉に気付き怒るでもなく、知った名前に対し自分も名乗り返すというものではなく――あっけにとられるというものだ。街娘らしく謝るということもしなかった。コーデリアはその様子に少々違和感を抱いたが、深く関わるつもりもなかったのでそれ以上は追及しなかった。

そして二度目の遭遇は3ヶ月後。魔物退治の遠征から凱旋した騎士団の慰労を兼ねた夜会である。その時はシャンパンをドレスにふっかけられた。人とぶつかった事が原因であったようだが、ゲームの中ではコーデリアはこのシェリーの行動に激怒し、しかしその後『前回同じことをしただろう』と王子に窘められることになるのだが……生憎コーデリアは「あら……」と、ため息こそついたものの怒鳴る事はしなかった。むしろシェリーから離れられるならこれ幸いとばかりに会場を後に出来たので感謝した。騒ぎにしなければ王子も気付きはしないだろう。エンカウントする危険もない。後ろからシェリーの視線を感じたが、気付かないふりをした。あとは政務に追われている父親が夜会に参加していなかった事に感謝した。……見つかっていたらただでは済まなかっただろう。

しかしそれだけでは済まなかった。
三度目、四度目、五度目。常にこの調子で有るとコーデリアは疲れてしまう。

初めはコーデリアもゲーム通りのシェリーであり、単に失敗をしているだけだとも思おうとしていたが、コーデリアのいない場面では普通の令嬢以上に美しく振舞っているらしい。コーデリアは自らの人脈を使い若い令嬢からシェリーの情報収集をしていたのだが……その発言を聞いたときには思わず天を仰ぎたくなった。何故私の前だけ、と。

比較的仲の良い伯爵令嬢が「何故コーデリア様の前だけシェリー様は……あこがれの余りの緊張でしょうか?」と見当違いな事を言ってくれて場は和んだりするのだが――更に数度の遭遇を経験し、コーデリアにもシェリーの行動の理由に見当がついてきた。

コーデリアの前でシェリーが行う失態については一定の条件下でしか起こらない。規則性が有るのだ。そう、ゲーム内で王子や王子の側近となる者が出て来てコーデリア退治を行う場面に限られるのである。そしてそのイベントが起こらない夜会ではシェリーは決してコーデリアに近づかなかった。

……おそらく彼女も転生者なのだろう。

そうコーデリアは予想した。自分もそうであるからという馬鹿げた短絡な思考かもしれないという自覚はあるが、コーデリアの対応に対するシェリーの反応を見ていればそうだとほぼ確信を持てたのだ。ちなみにゲーム内でコーデリアがシェリーに対し直接的な嫌がらせをしたのは三回だけだ。それ以上の嫌がらせは、シェリーが前のいじめられイベントを回収できなかった際に用意される追加イベントだ。だが……それ以降、嫌な予感がしたコーデリアがイベントが起こりにくい状況をわざわざ作り出しても――例えばわざわざ人とぶつからないように壁の花を決め込んでいてもぶつかり、無理に彼女の扇に髪を引っかけられたりするような状況であるのだが、そろそろ限界かもしれないとコーデリアも観念し始めていた。

避けようとしてもイベント順通りに起こるシェリーのコーデリアに対する連続失態。もし仮に転生者でなかったとしても、そろそろ許容できる範囲を超えている。初めから市井出身のシェリーを目の敵にしていた令嬢とは違い、当初はシェリーの味方とまではいかなくとも我関せずといった態度をとっていた中立の者までシェリーを目の敵にし始めている。それはシェリーがコーデリアに関わるせいで、コーデリアを取り巻いての商談――もとい香油の交渉――が毎度毎度邪魔され相当苛立っているのだ。商談だけではない、情報を得たい者達からもシェリーはうとまれ始めている。それにコーデリアは有る意味流行の最先端、あこがれの女性像である。そんな彼女がこの様な目に遭い続けていれば、周囲が大人しくするにも限界があった。そしてこのままではコーデリアが静かにしていたところで、誰かがコーデリアの為と何か事を起こせばコーデリアまで同罪として連帯責任を負う羽目になりかねない。

(……僅かな期間で作法を覚えてくる根性はご立派だけど……私に関わらず王子にアプローチしていただきたかったものだわ)

香油ネットワークから今日もシェリーの情報は入ってくる。シェリーがゲーム上の王子との初遭遇イベントより先に王子に何度か声をかけようとし、失敗している事。その後ゲームのシナリオ通りの初対面の挨拶を交わした事(但し本当に挨拶に限る、のようだった)。例え会話が成立しても、王子が興味を持つ様子がこれっぽっちもない事。そして――その辺りからシェリーはしきりにコーデリアの情報を集めようとしていたこと。

情報をもたらした令嬢は恐らく“憧れの”コーデリアに近づきたいからでしょうと言っていたが、此処までくればそうでない事はコーデリアには分かっていた。恐らくゲーム以上に完璧に仕上げた彼女は何故自分に王子が振り向かないのか理解できないのだろう。そのせいでコーデリアに会わなければイベントが進まないとでも思い無理にでも軌道修正をしようとしているのかもしれない。コーデリアは一瞬そう考えたが、それでは余りに馬鹿馬鹿しい。積み上げた努力をそんな事で無に帰す程シェリーは馬鹿ではないだろう、そう思い直し他の可能性を考えたが……残念ながらなにも思いつく事はなかった。

――そもそも、既にゲームと同じ世界観でも、人々の行動すべてがゲームと同じと言う訳ではないのだ。既にコーデリアの行動も大幅に変わってきていると言うのに……情報を集めていて気付かなかったのだろうか、と、コーデリアは首を傾けた。

(中の人はあまり考えなさらない方なのかしら。それともこれは全て偶然で、本当にこの世界に生まれ恋に盲目になっているだけの人なのかしら)

しかし何れにしてもこの辺りで打ち止めにしてもらおう。これ以上は寛容な心で対応せよと命じられても出来そうにない。そう思いながらコーデリアは次の夜会で決着をつけようと大きくため息をついた。これ以上は私の婚活に差し障る、そう思いながら。

おそらく次に彼女と会うのは来月王城で開かれる星見祭だろうと予想はしている。確か招待状が来ていたはずだ。そして主催は王子のはず。王家主催の夜会でシェリーの挑発に乗ろうと言うのだから、コーデリアもどれだけ不敬な事を考えているのだと自分を罵りたくなるが――仕方がない。これも彼女を招く王子の責任だ、と。きっと彼女に気を使っている訳ではなくクライドレイヌ伯爵に気を使っているのだろうが――そのような娘を送り込んでくる親も悪い。幸いにも星見祭には王子以外の王族は参加しない筈だ。星見祭は貴族も年若いものしか参加しないとの慣例がある。それ以外の貴族は王が主催する月見祭に参加する。だからその環境もコーデリアにとっては都合が良い。若いものほどコーデリアに傾倒している者が多いのだから、自分の立ち位置を明確に示す事が出来るはずだ。

しかし油断は禁物だ。何せこれからの人生が懸かるイベントだ。
どうにか悪役にならないよう用心して、けれど決着がつくように振舞わねば――そう思いながら、コーデリアは戦闘服ともいえる夜会用のドレスを急ぎ一点仕上げさせることにした。普段は自分の虹彩と同じ桃色を多用する事が多いが、次は戦闘だ。そう思って仕上げたドレスは深紅色。この色は瞳孔の色だが、コーデリアは極力避けていた色でもある。ゲーム内でコーデリアが好んでいた色なので、どことなく縁起が悪く思えたのだ。

だが戦闘ならこの色しかないだろう。最後はこてんぱんにやられてしまうのだが、最初の登場シーンをゲームで見たときには、可愛らしい顔立ちながらどこか威圧感を与えるような印象であったのを覚えがある。誇り高く強そうな色合いは、前世を知っていなければ決して苦手にはならなかった色だろう。

前日にはいつも以上に丹念に肌の調子を整えた。ちなみにコーデリアが使っている物は他人に卸しているものより良いものである。製作者の特権だ。言いかえれば改良研究途中の余り物を消費しているというだけなのだが。自分にとって上位の取引のカードをそう易々と相手に与えられない。だから新しい物を世に送るときにはここぞと言うタイミングを見計らっている。しかしその反面研究を続けていれば上位の試作品は増えるのだからコーデリアもせっせと消費する必要がでてくるのだ。

その日のコーデリアが選択したのは赤い薔薇から作った香油だ。ここ3年で完成させた逸品である。そして香油を塗りあげた後は、自身に一つの魔法薬を吹きかけた。

本来夜会では色々な匂いが混じりあう。けれど自分の香りは誰にも邪魔させる訳にはいかない。自分の匂いを他に邪魔させない。その為に作った、香りの支配するための特殊な魔法薬。周囲2メートル程の効果しかないが、この薬を使えば他人の香水の香りは完全に打ち消す事が出来るのだ。他のご令嬢に悪いと思い、普段は使わないが……今回ばかりは特別である。

これで戦闘準備は万端だ。

会場について暫くした時に勤務中の次兄と遭遇したが、彼はコーデリアを見ると『いつになく冷たい笑顔だな』と顔を引き攣らせていた。コーデリアとしては冷たい笑顔を浮かべているという訳ではない。ヒロインを突っぱねようとしているのだから、緊張してしまっているだけなのだ。大丈夫、大丈夫。私は“ゲームの中のコーデリア”ではないわ――。そう思いながらにっこり笑おうとしたが、次兄はよりおびえるだけだった。ごめんなさい、お兄様。あとで菓子折り届けます……そうコーデリアは心に誓った。そう、無事に家に戻れたら、と。

そんな思いを抱きながらコーデリアは会場の窓際でぼうっとヒロインの登場を待っていた。開式の宣言がなされるまではシェリーも来ないだろう。それが分かっているので、静かに外を眺めていた。――しかし、いつ来ても綺麗な庭だ。もし今日決着がつけば、帰る前に散策させてもらおうかしら。そうコーデリアは考えた。

周囲からは話しかけたいと私に視線を受けているが、どうもそのような雰囲気ではないことは察してくれているのだろう。タイミングを探っている様子だ。これは都合が良い。シェリーが仕掛けてきた時の目撃者は多いに越したことがないのだから。

事件が起きたのはそう思った瞬間だった。

横からグラスがお盆と共に飛んでくるなんて、誰が想像していただろうか?グラスが頭に、身体に当たり、そして跳ね返り床に落ちる。グラスが割れる。呆然としたコーデリアがアルコールが滴る髪の隙間から周囲を確認すると、躓いているらしいシェリー、それからその後ろで顔面蒼白になっている給仕の者の姿が見えた。……恐らくシェリーが給仕の者から奪い取ったグラス一式をコーデリアに投げつけたのだろう。躓いただけではコーデリアの頭まで飛んでこない筈だ。

(あの、戦闘服が台無し何ですけど……というかゲームの設定より余程酷い事してくれたわね、随分早い時間帯に……!)

ざわつく周囲の注目は必要以上に集めてしまっている。シェリーは無表情に見えるが、どこか睨みつけられている気もする。コーデリアはその様子を見下ろし、扇をぱちんと音立てて閉じた。
よくよく考えれば王子がまだ会場に姿を現していない今、シェリーに仕掛けられたのは幸運かもしれない。今のうちに灸を据えれば王子に現場を見られる事もなく終わる。そう思ったコーデリアは立ったまま膝をついているシェリーの方を真っすぐ見降ろした。

「これが何度目になりますか?クライドレイヌ伯爵令嬢」

思った以上に底冷えする声が出たことにコーデリア自身驚いた。周囲から緊張が走るのも感じ取れる。無理もないだろう。とうに怒りの限界値を越えてもいてもおかしくなかったコーデリアがついにシェリーと対峙するのだ。笑み以外を浮かべた事のないコーデリアが人前で初めて不快だとはっきり意思表示をしたのだ。人は噂話でも興味惹かれるのに、その現場が見られるとなるなら注目しないわけがないだろう。

「『いい加減礼儀を弁えた行動を覚えてみては如何でございましょう?』」

そう言いながら扇を口元に寄せ、ばっと開いた。そしてコーデリアは言葉を続ける。
そして冷めた目でシェリーを見続ける。シェリーの目は……僅かにだが、喜びが滲み出ていた。ああ、やはり私に罵られたかったのか。シナリオ通りのセリフだったことが功を奏したのだろうか?ただしこれは決して最初にコーデリアがシェリーに怒りを伝えるセリフでは無い。二度目のコーデリアがシャンパンを被った時に言うものであるのだけど……シェリーにとってはそのような事はどうでも良いことだったらしい。

そう理解した瞬間、コーデリアの脳内はよりクリアになった気がした。それなら、手加減はもう要らない。

「も、申し訳ございませんッ……!」

飛び込んできた声はシェリーのものではない。給仕の男の声だった。
コーデリアは『ここであまり苛めすぎるとこの男の胃が悲鳴を上げるかもしれない』と思ったが……まぁ、短時間なので許して下さいと心の中で思いながら、男の方を向いた。

「この件は私の不手際が招いた事です!!何なりと処罰下さいませ……!」

青ざめ膝をつき僅かに震える男の姿に、シェリーが驚いたようだった。どうやら彼女は何故この給仕がコーデリアに謝っているのか一瞬把握できなかったらしい。
しかし何か思いついたのだろう、シェリーは立ちあがると給仕を背に庇うようにコーデリアの前に立ちふさがった。そして両手を広げて堂々と言い切る。

「こ、この方は悪くないわ!私が手伝おうとして……少し躓いてしまったことは、謝ります、だから……!」

それはまるで、コーデリアが冷徹無慈悲とでも言わんばかりの声色だった。
そんな彼女の言葉をコーデリアはあくまで表情を動かさずに見ていた。
じっと対峙する双眸。ああ、このような強い瞳なら何故この様な道をこの人は選んだのだろう。コーデリアは残念だとばかりに目を伏せた。もっともそれはシェリーには別の様子に映ったようだが。

「そもそも割れたのはグラスよ、貴女の持ち物じゃない!処罰するべき権限は貴女にはないわ!!」

それは、私がこのような姿になると言う事は大したことが無いと言っているのですか。そう尋ねたい気持ちをコーデリアは抑え、冷静なれと自分に命じながら言葉を選んだ。

「……ええ、この方が悪くないのは私も良く分かっておりますわ。しかし貴女が彼の仕事を奪った……いえ、この言い方だと貴女には分かりませんね。問題は、彼が自分の仕事を全うしなかった事により招待客に被害が及んだと言う結果なのです」
「……え?」
「貴女は彼が混乱を起こした責任を取らされる可能性があることが分かっていますか?グラスだってそう。――このグラスひとつでもどれほど高価なものか」

 コーデリアのもの言いにシェリーは少し戸惑ったような表情を見せた。『私に指図出来ると思っているの、平民上りが』と言われる事を期待していたんだろうな――そう思いながら、けれどそんな言葉はシェリーに与える訳もない。混乱しているだろうシェリーににこりとコーデリアは笑いかけた。

「貴女がどれほど考えなしのご令嬢なのか、私もよくよく理解する事が出来ました。『以降私の前に姿を現さぬよう、お気を付け下さいませ?それを守って下さらないと言うならば……コーデリア・エナ・パメラディアを完全に敵に回すと覚えておいて下さいな』」

再び“コーデリア”のセリフをかぶせながら、コーデリアはシェリーの横を通り過ぎた。そして未だ下を向き震える給仕に横から声をかける。

「貴方はいつまでそうしているつもりですか?」
「は、はい……いえ、あの……!!」
「この片づけ、それから報告が必要でしょう。騒ぎの責任を問われ、万が一城を辞すことになったら我が家が迎えいれましょう。ですから――堂々と見たままに報告して下さいな」

そう言いながらコーデリアは自分の扇を閉じ、給仕に渡すとそのまま会場を後にした。パメラディアの紋章が入った扇を渡された。この様な場面で紋章の入った持ち物を渡される、その意味は『責任不問』。また紋章を渡すという事はいわば相手に『いつでも訪ねて下さいな』という意味を伝える――面会の許可を与える事を意味する。それはコーデリアの言葉が口約束でないことを示すものだ。

呆然とする給仕、そしてシェリー、ざわめく周囲。
それらを全て背に感じながらコーデリアは真っすぐ歩く。そして建物から一歩外に出、隠すものが無くなった口元からは小さく言葉を零した。

「つっかれた……」

それは心からの言葉である。
王子が出てこなかったお陰で、恐らく死ぬ事は今後ないはずである。騒ぎの中心にいた当事者であるから多少のお咎めはあるかもしれないが、余り重い処分にはならないだろう。むしろ重い処分になる可能性に比べれば処分なしになる可能性の方が余程大きいと踏んでいる。

身体にかかったアルコール臭さも時間が経てば元の薔薇の香りが戻ってきた。前世ならこんなことは起こらなかったのだろうが、やはり香りの支配の魔法は偉大であるようだ。流石私の魔法薬とコーデリアは少し笑ってしまった。真っ赤なドレスには濡れた跡が付いているが、ややもすれば多少は乾くだろう。髪だってそうだ。そう思いながらコーデリアはふと足を中庭に向けた。

このまま馬車に戻ってもかまわないが、あまり酷い状況で帰った場合父親の怒りがかなり怖い。しかも上手く隠しているつもりだったシェリーからの行為の数々は既にコーデリアが言わずとも父親の耳には入ってくるらしい。最近ではクライドレイヌ伯爵と以前にも増して火花を散らせているとの噂も聞く。だからせめて髪が乾くまでは留まろうと思ったのだ。政務に悪影響を与えることは本意ではない。

会場から見た中庭はぼんやりとした輪郭だけだ。だから恐らく誰もこの場所に気がつかない。例え派手な色のドレスを身にまとっていようとも。きっと今頃は開式の挨拶がなされているはず、だから皆会場の内部に夢中だろう。

中庭の木々は綺麗に計算されて造られている。パメラディアの屋敷の庭も壮大なのだが、やはり王城となれば格が違う。コーデリアはそんな事を考えつつ魔法で小さなか明りを灯した。そして庭を歩き、やがて噴水の周りに辿りついた。噴水の周りには小さな球体状の魔法灯がいくつも浮かび、水が幻想的に輝いている。昼の噴水よりこちらの方が好きかも知れない、と、コーデリアは感じた。
そしてその噴水の周りは草花で彩られていた。普段の仕事の習性からか、コーデリアはすぐに草をまじまじと見てしまい――気付いた。

「……これは、マジョラム?こちらはペパーミント?」

何だろう。王城に植えるには少し似合わないと思われるハーブがどうしてここに。
コーデリアは首を傾けたが、そのハーブが自分が育てている物に比べ葉の色や形状が少し異なる事に気がついた。品種が全く違うと言う訳ではなさそうなのだが、随分元気そうなのだ。パメラディアの目には草木の魔力が映るが、明らかにその光は今まで見てきたものより多く、穏やかで惹きつけられた。

興味をそそられたコーデリアが膝を折り曲げ低くなった体勢でもう一度確認すると、香りもかなり良好だった。栽培方法が違うのか?それとも庭師の腕前?そう疑問に思いながら手を伸ばした所で、遠くから足音が近づいてくる事に気がついた。
夜会中に庭に立ち寄ることは禁止されていない。ただこんな早い時間に庭に出てくる人間もいない。だが見張りの兵士の巡回はよくあることだ。だから自分が不審者でない事を示す為、初めから相手が自分を確認しやすいようコーデリアはゆっくりと立ち上がらりまっすぐ相手を見据えたのだが……そこで、ふと気がついた。


何故此処に入るのですか、本日の主役様。


今日の空は雲ひとつなく、そして月が出ていないため、星は何時もより輝いて見える。
王子はそんな今日の空と良く似ている。黒い髪に金の瞳。星が多く輝く空に良く似ているとコーデリアは思った。

しかし出てくるのはそれに見惚れるという感情ではなく、引き攣る笑みだ。
しかし今はそれを隠す扇もない。だから何としても表情を引っ込めなければ、そしてまずは挨拶をしなければ。そう思ったコーデリアが膝を折ろうとすると、何故か王子が急に走って近づいてくるではないか。

え、と思った時には既に王子の姿は見えなかった――近すぎて。びっしりと装飾が施された正装の一部しか目に入らない。これはパーソナルスペースを完全無視した、抱き合う距離である。

「?!」

何でこんな状況に?!そうコーデリアは固まり、挨拶云々は完全に頭から消えてしまった。しかし王子はそんなコーデリアを無視する形でばさりと布を広げ、コーデリアを包み込んだ。布?そう疑問に思いながらコーデリアは「あの……」とりあえず挨拶も出来ないので距離をおいてくれませんか。そう願い出ようとしたが、それよりは早く王子は一歩、二歩と後ろへ下がった。

「あの、殿下……」
「挨拶はかまいません。それより……騒ぎの事を聞きました。すまない事をしました」
「……申し訳ございませんが、何故殿下に謝罪頂いているのか分かりかねます」

コーデリアとしてはシェリーからの喧嘩を買ったに過ぎない。騒ぎも大した被害は無く……とは言えないかもしれないが、想定よりはマシであった。そして無事夜会から去る事にも成功した。確かに王子が招待状を自身かシェリーのどちらかに送らなければ騒ぎが今日起こるということはなかっただろうが、それを王子に予測せよと言うのは無理な話だ。

それに騒ぎは仮に今日起こらずとも、どこかで起きる事は回避できなかったのだ。王子に責任は無い。

仮に騒ぎを一つも起こさずにコーデリアとシェリーの仲が解決できる手段があるとすれば、それは王子がシェリーに好意を示す事なのだが……シェリーの様子を見る限り、王子がシェリーに興味を示さないからこそこの騒ぎが起こるのだ。それに彼女の本質を知ったコーデリアとて王子にシェリーを薦めることは到底できない。将来の国が心配になる。だからもう終わったことで謝罪されるようなことではない。そう思いながら、コーデリアは真っすぐと王子を見つめた。一瞬王子が息を飲んだような気がした。

しかし、そんな事はコーデリアにとっては比較的どうでも良いことだった。
そんな事よりも王子が掛けてくれたこの布はどういう意味なのだろうとの疑問の方が余程気になる。もしかしたら騒ぎで濡れた事を聞いて持ってきて下さったのだろうか。しかしそんなことは王子の仕事ではないだろう。主催者だといえども開式前の乱闘、しかも王子がわざわざ後を追いかけて来る程の騒ぎではなかったはずだ。使いをやればそれで済む話である。そしてそう考えているうちに肩からずり落ちそうになった布を留めようとしたのだが……そこでコーデリアは気がついた。これは布なんかではない。王子のマントそのものではないか。

その事実に気付いたコーデリアはぎょっとした。アルコールの汚れが移ると非常にまずい。そう考えるより早くコーデリアはマントを肩からはずそうとした……が、王子は腕を伸ばしてそれを阻止した。

「あの、殿下、私は平気です。ですがこのままではお召し物が汚れてしまいます」
「構わない」
「なりません」

しかし王子の力の強さはコーデリアの比では無い。指先ではずそうとしてもマント越しに肩に置かれる手の力は強すぎる。避けに避けてきたのに、何故こちらに近づいてくるのですか王子様。コーデリアは内心舌打ちをしたい気分だったが、目が合った王子は実に真剣にコーデリアを見ていたのだから、彼女は思わず息を止めた。
まさか心のうちが漏れてしまったのか。そう思うと非常にまずい。相手は王族だ、心を読む事にはたけているはずだ……そうおもったの、だが。

「貴女は……もう帰ってしまったのかと思っていました」

正解です、帰ろうとしていました。そう言いたいが、主催者相手に言いづらい。開式の挨拶に居なかったのだから言っても言わなくても結果は同じなのだが、王子は決して責めている様子では無かったのでコーデリアは何も言わなかった。何も言わずとも、王子は言葉を続けた。

「会場で目を凝らしても、貴女を見つけられず……騒ぎの事を聞いた時には驚きました」

しかしその言葉にコーデリアは耳を疑った。その言い方だとまるで騒ぎを聞くより先に私を探していたみたいではないか。そう感じたからだ。しかし王子はそのような事を気にした素振りは無い――いや、気付いた素振りが無かった。

彼はそのまま強く抑えていたコーデリアの肩から手を離した。そして少し眉を下げながら新たに言葉を紡いだ。

「素敵なドレスが台無しになってしまいましたね」
「え?いえ、お気になさらないで下さいませ。勿論私とて職人には申し訳なく思いますが……。それに赤を身に纏うのは最初で最後の予定でしたから」
「よく似合っているのに?」
「あ、ありがとうございます」

良く似合っていると言われても、あまり明るくないこの中、彼の視界はどこまで自分を捉えているのだろう?しかもほんの一瞬しか見ていなかったではないか――つまるところ、お世辞だろう。しかし……王子の語り口が何故かナンパみたいに聞こえるのは気のせいだろうか?そうは思いつつもまさか王子相手に「ナンパですか」などと聞けないのでコーデリアはまたも尋ねたい言葉を飲み込んだ。尤も相手が王子でなくともこの言葉は令嬢として言えない言葉であったのだが。
しかし王子はそのコーデリアの詰まった言葉にすら別の原因を推測したらしい。彼はややあってから納得したように、コーデリアが想像すらしていなかった事を言ってのけた。

「でも……そうですね。確かにいつもの淡い色のほうが貴女には似合っている」
「………」

私、そう多く殿下にお目見えした覚えはありませんが、いつの私を御存じなのでしょうか。
コーデリアはそう思いつつ、けれど今度は微笑んで誤魔化した。その際に少しだけ眉を下げたのは意図的だ。褒められ照れる令嬢だと思われればそれで良い、しのげさえすればそのままこの場を後にできるだろう。そう踏んでいた。
だがこんな時に限って王子はコーデリアの本心を読み取ってしまったのだ。

「貴女はいつも多くの人に囲まれていますからね。城内以外で私に気付いた事等、殆どないでしょう?」
「も……申し訳ございません」
「いえ、責めている訳ではありません。ただ、本当に貴女の視界に入るのは難しいと常々思っていただけですから」

そんな事を少し寂しそうに言う王子は、きっとそれがコーデリア以外の相手ならばすぐにときめいたと思われる。しかしコーデリアはそんな事など全くない。――むしろ焦っている。
殿下、違います。私の謝罪は気付かなかったからではなく、避けていたからです。言いませんけども!!そう思いながら、けれど困ったように微笑むに留める。
はやくこの悪夢とも言える時間が過ぎ去らないか、王子が会場にもどってはくれまいか。ただひたすらそれを願っているのだが、王子には戻る様子は全く見られない。むしろ噴水に一歩近づききらきらと輝くそれを見上げた。

「私は一度、落ち着いて貴女と話をしてみたかった。今日は来て下さった事が、とても嬉しい。そして不謹慎な事を言うようですが――このような場で、貴女と話す機会を得られた事、幸運に思います」
「…………コウエイですわ」

あまりに真っすぐに言う王子に向かって失礼だとは思うが、すでにコーデリアの言葉には感情と言うものが乗らなかった。引き攣った笑みこそ堪えたものの、言葉はカタコト。そして思い浮かぶのは「これは何の罠なのだろう」という疑問だけだ。死亡危機は回避したはずなのに、別の罠にかかろうとしているのだろうか?ゲームになかった事だからと油断して見過ごした?そんなつもりはないはずなのに……そう思いながらも、真意を探るべく王子を見る。だが王子の様子からは裏が見えない。だったら、何故?コーデリアには王子がまるで宇宙人のようだと感じた。

「私は殿下にご満足いただけるようなお話は何もできませんが……」
「ご謙遜を。そういえば香油で得た利益の一部を使い、領地の農村を中心に教師を派遣し、子供に文字を教える教室を開いているそうですね。学びに来た子供にはパンを配っているとか」
「……ええ。農作業には人手が必要ですから、色々問題はございましたし、今も改善途中ですが……読み書きが出来る事は記録をとる上で大切ですから」

実現するのは容易ではない。しかし文字が読め、書けるということは将来必ず役に立つ。そう思ったコーデリアが積極的に働きかけを行い始めたのが3年前だ。農村が中心だけあり農作業の要員である子供を一日教室に預けるということを殆どの家庭が渋ったが、教室に通った日には家族の夕食を賄える程のパンを配り、そして教室自体も3日に1度のペースに落ち着けさせれば何とか理解を得ることに成功した。

時間が少ないので、教室では文字や簡単な計算等を教えるにとどまっている。しかし徐々にではあるが、初期に比べ識字や計算の大切さを理解する村人は増えてきている。その原因はいくつかある。その中の一つがとある農村で商人に無茶な契約を要求された文字の読めない村人が、嘘の言葉の説明を鵜呑みにし気付かぬままにサインをさせられかけたところを、その家の子が契約書の言葉が相手と違う事を見破り被害を防いだ事だ。その他にも簡単な計算で今まで農作物を大量に買った時のみ勝手に単価を下げられていたということに気付いたという事もあった。
今まで騙されていた事は不幸ではあるが、早いうちに教育の大切さを伝える事例が出来た事はコーデリアにとっては都合が良かった。いつまでも学びに来た子供に家族の分の食糧まで持たせる訳には予算的にも問題がある、そう思ったコーデリアは一年半で子供に配る食料を子供の昼食のみにしたのだが、反発は殆どなかったと言っても問題なかった。

もちろん未だ教育は無駄だという家庭もあれば、兄弟のうち一人でも通わせたら他は知らなくても問題無いだろうという家庭もある。だから解決したとも言えない現状ではあるが、前進したことには違いが無いし、他の地域に比べ進歩しているのも間違いなかった。

けれどこれも前世の『ギムキョウイク』を覚えていたからマネしようとした結果なんです、そう、自らのアイデアでは無いことにコーデリアは若干後ろめたさを感じなくもない。そもそも伯爵家の後ろ盾が有ってこそ出来る荒業だ。自分だけでは絶対に出来なかった事である。

得た富を自領に還元するのは貴族の誉れ。
しかしこれは自分の手柄というには幾分過ぎたるものであるとコーデリアは感じている。

だから王子を直視できず、視線を逃がしながら言葉に詰まったのだが、王子はコーデリアのその様子にすら興味しんしんと言った具合であった。

「やはり貴女は、素晴らしい人ですね」

そして告げたのがこの一言。
……何処を見てそう言っているのですか。そもそも王子の振りは返答に困る。素晴らしいですねと言われればそんな事はないですと謙遜するのが世の常である。だから本当に心からそう思っていても「またまたー」くらいで受け取るのが貴族の常識。……まぁ、一部皮肉のときもあるのだが。けれど肯定してしまえばただのナルシストだ。それは避けたい。
そうやって『ろくな回避手段がないな』とコーデリアが思っていると、王子は少しだけ目を伏せた。

「9年前、パメラディア伯爵家の温室を視察させていただいたことがあります」
「温室……?」
「あなたの温室が完成した当時、ガラス張りで日光を取り入れる温室など誰も思いついていませんでした。パメラディア伯の発想に母と共に驚かされたのをよく覚えています。しばらくして、私は母と共に見学させていただきました。貴女をはじめて見たのもその時です」
「え?」

コーデリアは知らない事実に目を丸くした。

王子とのエンカウントは少なくなるよう行動を徹底していたし、そもそも9年前といえば王子が10歳、コーデリアが9歳の時だ。その年で王子に会った記憶などない。全力で回避しようとしているのだから、王子に会っていれば覚えているはずだ。だが、伯爵邸に王子がやってきていた、王妃がやってきていたなど全く知らない。

「私に気付かれなかったのは当然でしょう。貴女は薬草に魔力を込めている最中でした。伯爵は貴女を呼ぼうとなさっていましたが、母が止めました。集中を切らせることは本意ではない、と」

そう言われ、コーデリアは理解した。精製途中の魔力を中途半端に放置してしまうと反動が術者と対象物の両方に起きてしまう。術者は火傷程度ですむだろうが、貴族の令嬢に火傷など一大事である。そして対象物は……薬草程度のものなら燃えてしまうだろう。
温室で薬草を育てる様子を見ての配慮だろうとコーデリアは察したが、それにしても王妃様は随分寛大な御心を持たれているのだなと思った。いくらお忍びといえども来訪した王族への挨拶を欠く事は貴族には有りえないことだ。子供であったし、本当に知らなかったのだから礼儀知らずと取られていない事を願うばかりだが、コーデリアは非常に驚いた。

「城に戻った後、私も母の造った温室でいくらかの薬草を栽培しています。主に傷病に関する薬草ですが、改良出来れば良いと思いまして」
「……殿下は、植物にご興味がおありで?」
「ええ。私の魔力は貴女のそれと違い、薬を作ることには向いていません。ですが植物を育てることには向いています。だから栽培方面から薬草の強化を、と思いまして」

王子に関わる気はあまりないはずのコーデリアだが、王子がすぐに去る様子を見せない事、また王子が少し薬草に付いて話したそうにしているように見え、少しだけ話を振ってみた。
ここまで染み付いた習性で出来れば距離を置きたい相手であるが、王子という立場だけあり自由に話せる相手も少ないのかもしれない。そう思いながら水を向けた。

コーデリアから返ってきた言葉に王子は少し驚いた様子を見せたものの、すぐに優しげな笑みを乗せてそれに答えた。そして王子は少しはにかむような笑みを乗せながら、今研究している薬草の特性などをいくつか語り始めた。王子はゲームの中と同じように武にも優れているようで、生傷に効く薬を今は政務の傍ら研究しているらしい。
残念ながら疲労回復系統ならともかく、手当て用の薬についてはコーデリアには殆ど知識が無い。王子の話に興味は惹かれるが、対価となる話を出来ないのが残念であった。……尤も、王子は聞いてもらうということだけで大変満足そうではあったのだが。
流石に王子に女性用の香油の話をしても仕方が無いかと思ったコーデリアはリラックスできるハーブティーの話をいくつか出した。飲み慣れないと少し癖がありものもあるが、安らぐ事が出来ると言えば王子は実に興味深そうにコーデリアの話に聞き入っていた。

やがて会話が途切れた頃、コーデリアはそろそろお開きかなと判断した。

王子が此処に入るのは会場から抜けてきたのだと分かるが、主役があまりに席をはずすのは宜しくない。会場であらぬ噂がたってしまうやもしれないからだ。コーデリアの髪が乾いているとは言い難いが、もう雫が落ちるほどの状況ではない。そろそろ本当に帰ろう。

そう思ったコーデリアが王子に挨拶をしようとした、その瞬間。

「概念に囚われず、しかし伝統を決して捨てない。貴女は強き意思を持った素敵な女性ですね」

王子が不意打ちのようにコーデリアに対してそう言ってのけた。

「あ、ありがとうございます」

唐突に褒められたコーデリアはと言えば、喜ぶでは無く戸惑った。
……何故このタイミングで、そんな事をいうのか?しかもその評価は過大すぎるとコーデリアは首を傾けた。

「ですが、決して私だけの力ではございませんわ」

これは一体何の罠へのイベントなのだろう。
そう変な冷や汗をかきたくなるような王子の言葉にコーデリアは出来るだけ距離をとりつつ、王子の真意を探っていく。けれど相手の思考なんて全くの不明であった。王子の思考パターンを想定できるほど、コーデリアは相手を知らないのだ。

見極めようとするコーデリアの視線など、王子には気にする様子も見せなかった。コーデリアが戸惑っているだろう様子は分かっているように見えるのに、だ。

「この機を逃せば次にいつ貴女と話す機会が得られるかわかりません。ですのでお尋ねしたい事は全て口にしようと思いまして」
「……例えば、どのような事でしょうか?」

後ろめたい事は今は何もない。さぁ、来るなら来い……何を尋問されようとも、全て答えて見せるわ。そう思いながらコーデリアが相手を見た時だった。

「貴女が好む男はどのような者でしょうか?」
「……はい?」

予想の斜め上をゆく謎の言葉を聞き、コーデリアは表情を変えず、しかしながら実に間の抜けた音を発してしまった。え。何。私は言葉を理解できなくなったのだろうか。そう戸惑うコーデリアに、けれど王子はやや眉を下げつつも、綺麗に笑いながら言葉を続けた。

「貴女の目に私が映ってないことは解ります。しかし少しでもその視界に私を映していただきたいのです」
「……あの……?」

この世界の言葉に良く似た、別の言語ってありましたでしょうか。
そうコーデリアが尋ねようとしたその時。

「主催者が抜け出して何やってんですか。ナンパ?」

コーデリアの良く知っている言葉が耳に飛び込んできた。それも良く知る声で、だ。
足音を隠すことなく近づいてきた男は余りにも見慣れすぎていた。

「……ごきげんよう、ヴェルノー様」

フラントヘイム侯爵家の嫡男。
王子の回収に来るにしては遅かったな、そう思いながらコーデリアはちらりと良く知る相手を見やった。相手は自分より格上の侯爵家。だが恋愛に関しては代々純情で純粋なフラントヘイム家のお陰で代々パメラディア家は色々尻拭いをする羽目になっている関係から、もはや両家の間に爵位の壁は無いと言っても問題ない――まぁ、表向きには残っているが、少なくともコーデリアがヴェルノーに気を使う要素は一つも無い程度には気の置けない関係の家である。だから王子が去った後には罵りたいとさえ思ってしまう。来るのが遅すぎる、と。

(けど、流石にヴェルノー様だわ。王子相手に、ナンパって……)

それはコーデリアも一度は言いたくなったが、言えなくなった言葉である。
王家の人間相手にそのような言葉を使う人間は、今生きている貴族の中ではヴェルノーを除いて居ないだろう。そもそもヴェルノーとて人前では一応区別を付けているようだが、少なくともコーデリアの前で取り繕っている事は無かった。普段を知っているだけに、今更ということなのかもしれないが。

彼は王子がやや不服そうにしているのにも関わらず飄々としている。この位図太い精神を持っていないと軽口を叩く等と言う所業は出来ないだろうが。
ヴェルノーは追撃とばかりに王子に言葉を続けた。

「早く会場に戻らないとクレイが後で何するか知らねぇからな」
「……っ」
「ほら、はやく行けって」

そして犬でも追い払うかのように彼は王子を追い払おうとする。コーデリアとしては追い払って貰えた事は有り難いが、あの扱いは余りではないかと思ってしまった。仮にも王子相手だ。いくらなんでも粗雑過ぎるだろう。そう思いながらヴェルノーをちらりと横目で見た。すると彼は心得ているとばかりにコーデリアに女物の扇を投げ寄こした。もちろんそれはコーデリアのものではない……恐らく彼も騒動を見ており、それで調達してきてくれたのだろう。ちがう、コレが欲しくて見た訳ではない。そう思ったが、言うのも疲れるのでコーデリアは何も言わなかった。

そもそも帰る相手に代理の扇は不要ではないか。それに令嬢に対し物を投げ寄こすのは貴族としてあるまじき作法ではないかと尋ねたい。コーデリアだからキャッチできたが、普通の令嬢なら驚いて落としてしまうだろう。……尤も普通の令嬢相手ならヴェルノーも普通に手渡していそうだが。

必要ないとは思いつつも、しかし一応コーデリアはその扇を開いてみせた。するとヴェルノーは満足そうに頷いたが、コーデリアとしては『一体何がしたいの』と疑問が増えてゆくばかりだ。ちなみにこの世界に男が女に扇を贈るという行為に何らかのメッセージが込められていると言う事は無い。おまけに今回の場合恐らく借り物だ。何に満足したのか皆目見当がつかないのだが、謎の行為を前に満足したらしいヴェルノーとは対照的に王子の眉間にはしわが寄っている。

しかし王子は何も言わなかった。

ぐっと口を引き結んだあと、ヴェルノーをたっぷりと睨んだ後にコーデリアに視線を異動させる。表情は硬かったが、コーデリアの顔と相対したときにその表情はふと和らいだ。

「失礼します。またお目にかかる機会を、是非」

そう言うと王子はコーデリアの返答も待たずに歩きだした。
やや歩みが早いのは、本来の場へ急ぎ戻らねばならないからだろう。本来ならもっと早く戻らねばならなかったはずなので、あの速度でどれほど挽回できるかは分からないものであるが。

王子の姿が完全に見えなくなった後、コーデリアは扇で口元を隠しながら「宜しいのですか?」とヴェルノーに尋ねた。ん?と首を傾けるヴェルノーに、コーデリアは淡々と言葉を続ける。

「殿下の護衛はよろしいのですか?貴方は彼を呼びに来たのでしょう」

全く変える様子を見せないヴェルノーに尋ねると、彼は「ああ王子のマント羽織ったお姫様を一人には出来ないからな」と、表向きの理由を言った後に「俺だっていい加減疲れてんだよ、抜け出した王子の代わりにご令嬢に愛嬌振りまくのは」そう言いながらあくびをしている。
とはいえ、ヴェルノーが万が一のために護衛をしてくれるのは有り難いことだ。王子のマントが肩にかかるこの現状、“お相手”だと勘違いされるのは極力避けたい。

「……これ、どうしましょう」

いっそ脱ぎ捨ててしまいたい借用品だが、そういう訳にもいかないだろう。全く困る事をしてくれる王子だと思いつつぽつりと漏らすと、ヴェルノーは何を迷う必要があるとばかりにあっさりと言い切った。

「そのまま返せねぇだろ。後日城に持ってくれば良い。そう嫌そうな顔をするな」
「嫌そうではなく、嫌なのですが」
「言うねぇ」
「ヴェルノー様相手ですからね」

王子に対し相当な不敬だとは思うが、散々不敬をやってのけたヴェルノーの前だ。そもそもヴェルノーもコーデリアが王家と距離を置きたがっているのを知っている。だから全く問題は無い。今更過ぎるのだ。

「――しかし、殿下相手に『ナンパ』とはヴェルノー様も相当仰いますね。ナンパをしなければいけないほど、王子は婚姻を焦っていらっしゃるのですか?」

これ以上ここにいても余り意味はない。そう思いながらコーデリアは足を進め始めた。ヴェルノーもコーデリアの反応を見、同じく移動をし始めたが、彼の顔は非常に微妙なモノだった。

「……何故、そう思った?」
「ヴェルノー様が仰った事を私も最初に感じてしまいましたので。確かに言葉だけを見れば王子に口説かれたようでしたわ」
「いや、そうじゃなくて……何処からどう見ても口説かれただろ。誰のためにわざわざ殿下がお前の好みを聞くんだ。自分のため以外の何者でもないだろ、わかんなかったのか」
「……一体どこから何処から盗み見てらしたのですか?ということはお尋ねしないでおきますわ。ただ、殿下はよく女性に囲まれてるではありませんか。いつもああ言った事を言われているのかと思いまして」

家格でいえばパメラディアやクラドレイヌには劣るものの、他の娘がいないわけでもない。
唯一の公爵家と数少ない侯爵家には年頃の娘がいない(乳児クラスの幼女ならいるのだが若いにも程が有るので王子が全力で拒否したとの噂がある。王子も大変だ)。ライバルが居ない今、娘を嫁がせたい伯爵家は多いのだ。

かといって自分には関係ない話。コーデリアはそう思いながらはらはらと扇を揺らした。
そして「まぁ、どちらにしても関係ないか」と自分の中で結論付けた。

「で、王子の質問であるお前の好み、答えて無いだろ。伝言してやろうか?」

嫌な事を言ってくれる……そう思ったコーデリアは、しかし諦めたように息をついた。

「……そうですね。もしよろしければ殿下にお伝え下さいませ。私は噴水の傍で青々としている草花を育て、愛する心を持つ殿方を好むとお伝え下さいませ。きっとこの城の庭師は素敵な方なのでしょうね」

実に適当な発想だと思ったが、疲れているコーデリアは特に深く考えること無く、適当な、それでいて今思う率直な感想を伝えた。そういえば王子も薬草すきだったっけ、と思ったが、あまり頭は回っていなかった。ただ王子の事は別に好きではないと伝わればそれで良いと思ってしまった。
ヴェルノーはそんなコーデリアに少し驚いたようだったが、すぐに了承を示した。

「わかった。まぁ、今日は本当にもう帰った方が良い。そろそろ恨みのこもった視線に俺が殺されそうだから」
「?」

何故ヴェルノーが殺されるのか。そしてヴェルノーが何処を見ているのか、その視線の先を追ってもコーデリアには特に何も見えなかった。ただ、夜会の会場の窓から明るい光が零れているとしか分からなかった。

意図を図りかねたコーデリアだが、ヴェルノーがそれ以上答えてくれなかったのでその理由は分からないままだった。その後特に話すことなく道を進んだが、コーデリアが馬車に乗り込む時になってようやくヴェルノーは閉ざしていたその口をゆっくりと開いた。

「一つ教えてやろう。噴水の一角は庭師ではなく王子の実験スペースだ」
「……」

しまった、とコーデリアが思った時にはもう遅い。ヴェルノーは実に楽しそうであったのだから。彼はきっとコーデリアが別の事を伝えてほしいと頼んでも、このままの答えを伝えるだろう。コーデリアの表情が少し歪んだのを、ヴェルノーは見逃さなかったようだった。それがまた悔しい。……何より考えなしに言ったことではあるが、あの噴水の一角の草花は生き生きとしており、きっと素敵な人だろうと思ってしまった事が本当だったことを悔しく感じたのだ。

「あとはもう一つ。これはお前にとってとても有益な話だ」
「……それは何かしら」
「殿下がめちゃくちゃお前と話をしたがっていると言う話は若い貴族の男の間じゃ有名だ。……どうにかしないとお前の婚期は来ないからな」

おらよっと、との掛け声とともに乱暴にドアが閉められる。
何をこいつは言ったのか。そうお思ったコーデリアが窓に手をつくのと同時、ヴェルノーはにやりと笑った。

「一度殿下と話してみな」
「……ヴェルノー様はお妃様には別の方を推して下さると思っていましたが」

ヴェルノーのその言葉に裏切られてしまってはこれまでの計算が狂うのだが。
そう引き攣った笑みを浮かべながら尋ねるコーデリアにヴェルノーは実に清々しい笑顔で答えてくれた。

「だってお前、俺がお前で良いんじゃねって思ってるなんて知ったら、極端に俺避けるだろう?そうすりゃ殿下が接点を持つなんて出来っこないしな、あのヘタレが」

コーデリアは衝撃を受けた。
ヴェルノーは初めから志を同じくしているはずだった人間だ。その相手がこんなことを言うのなら……自分の計画は随分身近な所から崩れていたということではないか。

完璧ではないにせよ、それなりに情報網を築いていたつもりだ。だが……噂になる程度の事を当人が知っていなかったというのは重大な過失だ。自身を過信したつもりはなかったが、悲しいかな……恋愛方面での可能性を考える事にはスキルが足りていなかったのだとコーデリアは初めて気がついた。そしてその衝撃に打ちひしがれていた。

「あぁ、でも殿下は普通の交渉事だと普通に上手いぞ。外交も心配ないレベルにはな。恋愛に関しては初恋こじらせた結果だから生温かく見てやってくれ」

そうヴェルノーがフォローするが、そんな事はコーデリアには関係ない。というか、耳に入ってこなかった。

ちょっと待って下さい。確かに死亡フラグ回避は出来たようですね。
私は死亡フラグ回避を目標にここまでやってきて……恐らくこの後も平気だと思われる所まで来たけれど、王子の顔を見ると条件反射の如く逃げなければと思うのですが。

「い、いやあ、きっと気の迷いでしょうから別のお嬢様を紹介して下さいな、そして私は素敵なお婿様を探したく……」
「まぁ、とりあえずマントは返しに来い。門番には俺に連絡が来るよう言っておいてやる。別にお前の兄上でも大丈夫だろうが……殿下に連絡がつく前に帰ってみろ、凹むぞ、あいつ」

このマント……ガラスの靴のつもりですか。
この世界にはシンデレラのお話なかったし、そもそも靴を落とすのは王子ではなかったはずだけど。

そのような事しか考えられなくなっていたコーデリアはヴェルノーへの挨拶もそこそこに御者を促し馬車を出発させる。そして馬車はまるで何事も無いかのように進み始めた。

その馬車の中でコーデリアは両手で自分の頭を抱えた。有る程度砕けた会話が出来るとはいえ、ヴェルノーにも流石にこの姿は見せられない。完全なる伯爵令嬢を見せてきた意地からだろうか。ようやく緊張が解けたのにひどい課題を押しつけられたものだ。これからどうしたら良いのやら。

ひとまず最優先の課題はこのマント。
家に帰ったら父親に見つかる前に部屋に戻らないと。そして絶対に見つからないようにしないと……。可能であれば兄達にも見つからないようにしたいと思う。手入れは侍女に任せたら良いと思うが――そんな事が父親の腹心ともいえる筆頭執事の目をかいくぐる事が出来るのだろうか。

(死にたくないが故に回避していた王子様。――どうやって迎撃しろっていうのよ……!!)

この時のコーデリアはいかに回避するかで必死に頭を回していた。
王子の事は好き嫌い以前に回避対象として20年弱生きているのだ。だから彼の事等回避対象以外の何物でもなかった。

だからコーデリアは全く想像していなかった。

――この後コーデリアが自身の想像を超える王子の一途な想いを知り、恥ずかしさで彼を直視できなくることを。そして王子の気配を察知すると同時に優雅さなど捨てて逃げ出すことになることを。しかしそれでも諦めない王子が意を決してパメラディア伯爵家の温室へお忍びで訪れることを。そしてその後、コーデリア自身が回避しようとすることをやめ、受け止め、やがて受け入れる結果になることを。

そして何より。

へそを曲げたパメラディア伯爵の機嫌を戻すのに大変な労力が必要になる事を、この時はまだ知らなかった――。



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