マイペースなウスル様
まだ客のいない食堂でゆっくりしていると、ウスルがのっしのっしと帰ってきた。
特に怪我をした様子も無い…どころか、服すら汚れていない。
「おかえり。誰も来なかったのか?」
俺がそう尋ねると、ウスルは軽く左右に首を振った。
「…血と鉄の蛇という薄暗い生き方をする者達の拠点だったが、ボスが夜にしか帰らないから、夜にまた来てくれと言われた」
「え? アポとってきたの? 犯罪者集団にアポイントメントがあるの? というか、後ろ暗い生き方じゃなかったか」
俺が困惑しながらウスルにそう尋ねると、ウスルは浅く頷き、俺の座る椅子に相対するように正面に腰掛けた。
すると、ウスルの方から甘い匂いが漂ってきた。
「ん? 香水でもつけたのか?」
俺がそう聞くと、ウスルは首を左右に軽く振る。
「…こちらの世界にあるモーブという煙草を吸った。中々強い濃い煙が出て良い代物だ」
そう答え、ウスルはその煙草の味を思い出すように遠い目をした。
煙草まで貰ってきたのか?
犯罪者集団とか聞くとゴロツキの集まりのようなイメージが先行してしまっていたが、案外まともなのだろうか。
いや、人を拉致したりしてるのにマトモなんて…。
「あ、そういえば、箱入りのお嬢様はどうした? 外に逃がしたのか?」
俺がふと重要案件を思い出してそう聞くと、ウスルは顔を上げて俺を見つめ、数秒固まった。
そして、眉根を寄せて頷く。
「…忘れていた」
「おい」
ウスルの報告に俺が文句を言うと、ウスルは唸りながら顎を引いた。
俺はソニアとクーヘにピアノを教えているエリエゼルを呼び、尋ねてみることにした。
「貴族のお嬢様が誘拐されてるみたいなんだけど、その場で解放すると後日その周辺に衛兵やら何やらが来るよな? どうしたら良いと思う?」
俺がそう尋ねると、エリエゼルは首を捻る。
「…目撃者は消した方が」
「あ、そっち?」
俺が予想外なセリフに生返事を返すと、エリエゼルが苦笑まじりに首を左右に振った。
「冗談ですよ。貴族のご令嬢が失踪なんて、王都内がまた大騒動になってしまいます。まあ、最終的にはダンジョンのせいになりそうですが」
エリエゼルはそう言うと、咳払いを一つして口を開いた。
「とりあえず、人がいない夜中にでも衛兵の詰所前に持っていきましょうか。昼間にウスルが担いでいくと、まさに誘拐犯ですし。見つからないようにウスルが全力で移動するのも…」
「まあ、普通の女の子がウスルの全力疾走はキツいだろうしな。それじゃ、夜にでも連れ出すか。とりあえず、血みどろの蛇だっけか。そいつらに手を出すなと伝えておいてくれ」
俺がウスルにそう言うと、ウスルは軽く頷き立ち上がる。
「…伝えてこよう」
そして、また厨房の方へと歩いていった。
ウスルの後ろ姿を見送り、俺はエリエゼルに視線を向ける。
「意外と話せる奴らなのかねぇ?」
「地球で言うところのギャングとかマフィアといった組織的犯罪者集団ですから、普通ならばそんなことは無いと思いますが…」
「勝手に隠れ家に不法侵入したウスルに煙草もくれたみたいだぞ。お客さんとして接客されてないか?」
「え? それは…もしかしてウスルが強奪しただけでは…?」
「ああ、そういうことか。何か良い煙草だったらしいからな。モーブとかいう」
「それ、殆ど麻薬ですね」
「麻薬かい」
「麻薬です」
ダメじゃん。
俺はエリエゼルの会話中に出た衝撃の事実に脱力した。
いや、まあ、日本の法律に当て嵌めるわけではないが、ダンジョン内で麻薬が蔓延しても良い事は無さそうだしな。
「…意外とウスルは平然としてたな。まあ、ウスルは例外で外出中のみ許可するか」
「モーブはそれなりのものだったはずですが…薄めてるモノを使用したのでしょうね」
俺達がそんな会話をしていると、少女の一人が不思議そうな顔をして厨房から出てきた。
「あれ? ウスル様が入っていかれたような…」
少女は怪訝そうに食堂と厨房を交互に確認し、居住スペースへ移動する。
それを眺め、俺はエリエゼルに対して口を開いた。
「そろそろ限界か?」
「そうでしょうねぇ」
少女達に此処がダンジョンであると明かす。
なんとなく、それを伝えると少女達の態度が変わりそうで敬遠してしまっていた。
この心地良い関係がずっと続けば良いのに。
俺はそんなことを思い、はたと気がついた。
なんか、中学生の片想いみたいだな。
「…まあ、いずれバレるんだ。こちらから伝えた方が良いよな?」
「そうですね。ご主人様のお人柄はもう充分に伝わっていると思いますし、大丈夫ですよ」
エリエゼルはそう言って、明るい笑顔を見せた。
自信満々だな、エリエゼル。
「…そうだな」
俺はエリエゼルの言葉に、なんとなく気持ちが楽になった気がして、笑って頷いた。
「二十名様でーす」
「いらっしゃいませー」
「うぇーい」
おい、なんかチャラ男の冒険者集団が来たぞ。
厨房から食堂を眺め、俺は入店前からご機嫌なグシオンの様子を窺った。
慣れた様子で一番奥のテーブル席にいって陣取る二十名の冒険者達。
というか、最早皆寝間着かと思うほどの薄着である。
「とりあえず生ビ十。白ワイン三。赤ワイン二。芋焼酎五。あ、芋焼酎はロックで」
「はい、分かりましたー」
いや、慣れすぎだろう業火の斧。
俺は呆れながら談笑する業火の斧の面々を眺め、次に他のテーブルを見た。
若い二人組の冒険者もいるし、非番らしい私服の兵士達も六人連れでテーブルを囲んでいる。
気が付けば、皆がメニューを受け取って一分か二分くらいで注文をするようになっていた。
うん、もうすぐ「いつもの」なんて一言が聞けるかもしれない。
俺がそんなことを考えながら酒を用意していると、ケイティがこちらへ来た。
「ご主人様、お酒の注文が…」
「あいよ」
「はい。では、持っていってきますね」
「お願いねー」
そんなやり取りをして、ケイティが配膳台の上にある酒が倒れないように並べ直す。
配膳台を押して注文の酒を持っていくケイティの背中を見て、俺は短く息を吐いた。
俺がダンジョンマスターと知っても、彼女達は今までのように明るく笑ってくれるだろうか。
少し、不安である。