調査?
武装した兵士達が店内を見回す中、食堂で食事を堪能していた客達は怪訝な顔つきを浮かべて場違いな来訪者達を眺める。
皆から視線を受ける中、兵士の一人は近くの兵の顔を見て目を丸くした。
「…タイジ、何してんだ。お前」
「いや、こっちの台詞だ。モンド、お前こそなんだその格好は」
どうやら顔見知りらしい二人がそんな会話をしていると、武装した兵士の一人が二人の下へ歩み寄る。
「おい、モンド。知り合いか?」
そう聞かれ、モンドと呼ばれた兵士は首を傾げた。
「あ、はい。村から一緒に王都に来た幼馴染です。こいつが居るなら、ここは別に…」
「馬鹿、それはお前が決めることじゃないぞ」
モンドの言葉に、上官らしいわし鼻の兵士は目を吊り上げて怒った。
モンドはそれに身を竦めると、背筋を伸ばして返事をする。
俺はそんなやり取りを眺めて、慌ててエリエゼルの方向に顔を向けた。
エリエゼルも三人の兵の様子を注意深く見ているようだったが、俺の視線に気が付き、頷いた。
俺が合図を送るまでも無く、エリエゼルはピアノの鍵盤に指を乗せる。
その気配を敏感に察したらしい周囲の客も、物々しい兵士から演奏前の緊張感を持ったエリエゼルに視線を戻していった。
そして、エリエゼルの指が鍵盤を押す。
流れるような、それでいて弾むような旋律。
美しいが何処か可愛らしいその曲は、誰もが聞いたことのあるだろうショパンの名曲、子犬のワルツだ。
その曲が流れた途端、食堂はピアノの音しか響かない不思議な空間となった。
まるで、誰もいない部屋にエリエゼルが一人だけでピアノを弾いているような、そんな世界が構築されていく。
皆が息を呑んでピアノの旋律に意識を傾ける中、俺はそっとよく冷えた日本酒を出した。
素晴らしい生演奏を聴きながら、酒を呑む。
至福の時だ。
なにせ、何かを調べに来たはずの兵士達ですら茫然自失の姿を晒しているのだ。
俺は日本酒の入ったお猪口をそっと口に運び、唇を湿らせるように少しだけ口に含むと、一度お猪口を口から離した。
個人的には、酒の風味も味わいも最初の一杯が一番旨いと思っている。
故に、舌で思い切り味わう前に香りを楽しみ、ほんのりと口の中で広がる日本酒の華やかな味わいを楽しむ。
そして、次からは普通に呑む。
うん、美味しい。
今呑んでいる日本酒は、常温で呑むと少し甘過ぎるタイプの日本酒だが、冷やして呑むとかなり味が締まって良くなるものだ。
俺が冷えた日本酒を楽しんでいると、エリエゼルの演奏はもう終わりを告げていた。
演奏が終わった余韻に浸っていると、食堂内のあちこちから拍手が巻き起こり始め、最後には割れんばかりの大歓声にまで至った。
武装していたはずの兵士達も、自ら持っていた盾を床に降ろして両手を打ち鳴らすように拍手をしている。
俺はそれを眺め、口の端を上げて近くにいたシェリルを呼んだ。
「はい、なんでしょうか」
近くに立って俺にそう聞いてくるシェリルを見下ろし、俺は口を開く。
「あいつらに見覚えはあるか?」
俺がそう尋ねると、シェリルは穴が開くようにじっと兵士達の顔を見て首を左右に振った。
「いえ、見たことは無いと思います」
そう答えるシェリルに、俺はもう一つ質問をする。
「あいつらはお前達を買った伯爵家に関係あるか?」
「いえ、あれは王国の兵士の鎧ですから…伯爵家の兵士や騎士は皆龍と蛇の紋章がついた鎧を着てました。それに、私達のことはあまり公にしたくなかったようで…直接私達が兵士の方々と会う機会はありませんでした」
ふむ。確かに、一回一回人が死ぬような儀式に使われているようなら、あまり公にはしないだろうな。
なにせ、人がどんどん行方不明になるのだ。奴隷といえど、もしも兵士達が顔を覚えていたら噂になるか。
俺はそこまで考えて一時思考を中断すると、いまだにピアノの音色について語り合っている兵士達を見て頷いた。
静かに、食堂から生ビールを兵士達の人数分用意し、シェリルの方を向く。
「これをあの兵士達に渡してきてくれ。お代は二杯目から貰うと言ってな」
俺がそう言うと、シェリルは不思議そうに首を傾げていたが、すぐに頷いて生ビールの入ったジョッキを二つ手にした。
そして、シェリルが生ビールを兵士達の下へ持っていくと、兵士達は顔を見合わせて何か話し合っていた。
が、それを見ていたタイジと呼ばれていた兵が、意地の悪そうな笑みを浮かべて口を開いた。
「この味をまだ知らないんだろ? 知ってたら悩むわけがない。この世で一番旨い酒だぞ」
タイジはそう言うと、自身のテーブルに置かれたジョッキを手に持ち、実に旨そうにジョッキの中の黄金の液体を喉に流し込んだ。
タイジの喉が動き、音を立てる様を見て、勤務中らしき兵士達も喉を鳴らす。
「お、俺は貰うぞ。この店が変なものを出してないか調査しないとな!」
「あ、狡い! なら俺も調査に協力させてもらう!」
タイジの行動に、兵士の二人が我慢出来ずにそんなことを言いながらシェリルからジョッキを受け取り生ビールを口に含んだ。
「あ! お前ら!」
喉を二度三度鳴らす勢いで生ビールを呑む二人を見て、一番年上らしいわし鼻の兵士が怒鳴ったが、二人はそんなことはどうでも良いとばかりに口から離したジョッキを見た。
「な、なんだこれ!?」
「うわ…滅茶苦茶旨いぞ…!」
二人は生ビールの旨さに衝撃を受けて感嘆の声を発した。
キンキンに冷えた生ビールだ。殺人級の旨さである。
「今回は一杯目はサービスしますが、二杯目からは一杯五百ディールですよ?」
シェリルがそう言うと、二人は眼の色を変えてシェリルを見た。
「五百!? 安いな! これだけ旨いんだから何千ディール取られるのかと思ったぞ!?」
一人の兵士がそう叫ぶと、それまでなんとか我慢していた他の兵士達もシェリルに向き直り、生ビールを注文し始めた。
「お、俺もくれ!」
「俺もだ!」
シェリルはそんな声に笑顔で頷き、返事をした。
「はい! 生ビール二つですね!」
シェリルがそう言うと、わし鼻の兵士が唸り声を上げてシェリルを睨んだ。
「…わ、私もいただこう」
わし鼻の兵士がそう呟くと、周りの兵士達は咎めるような目でわし鼻の兵士を見つめる。
その様子に微笑み、シェリルは笑って頷いた。
「はい! 生ビール三つですね!」
俺はその光景を見て、勝利を確信したのだった。