闇夜の怪物?
その日、とある事件が王都中を騒然とさせた。
王都内に居を構えるタムズ伯爵が自らの邸宅内で殺害されたのだ。
前日、タムズ伯爵は夕食を食べる際には使用人と常駐する警備の兵にその姿を目撃されており、その後深夜まで自室にて休んでいた。
だが、その深夜、タムズ伯爵の自室がある三階に階下の警備の兵が上がった時、既に事件は起きた後だった。
事件の目撃者である兵が三階に上がる前に、三階の窓の一枚が割れて一人の兵が地上に転落していたのだ。その音で異変に気がついたもう一人の兵は慌てて地上まで向かい、途中の兵には同僚が転落したと伝えている。
兵が地上に降りて同僚の死体を確認している頃、三階の警備をしている者が二人不在となった事に気が付いた二階の兵が一人で三階へ上がったのだが、奥にあるタムズ伯爵の自室の扉が破損していたとのことである。
タムズ伯爵の自室に入ると、そこには悍ましい儀式を行なった痕跡と、大量の血液や肉片があり、奥では頭部の無いタムズ伯爵らしき人物の死体が転がっていた。
これを目撃した兵は慌てて部屋を出ると、すぐに邸宅内の兵達へこの事を伝えている。
更に、日が昇る前頃、隣に住むタムズ伯爵の息子であるボルフライ氏の邸宅がある敷地内でも警備の任に就いていた兵が一人死んでいる。
ボルフライ氏の邸宅では、何者かが侵入した痕跡も多く残されていたらしい。
果たして、この二つの事件の関連性はあるのだろうか。
ボルフライ氏の邸宅での事件はいつ起こったのか。正確な時間すら分からないが、どちらも同じ日の夜の間の出来事に間違いはない。
その僅かな時間で隣接するとはいえ二つの貴族の館を襲撃し、誰にも見つからずにタムズ伯爵を含む数名を殺害した犯人が、まさか単独犯ではないだろう。
あの温厚で大人しいタムズ伯爵が何の儀式の犠牲となったのか。
この衝撃的な事件は文字通り王都中を駆け巡り、貴族や衛兵だけでなく一般民にまで広まった。
様々な憶測が飛び交っていく中、一人の少女が血相を変えて停車したばかりの馬車から飛び出す。
「ウィル!」
見事な赤い髪を揺らした十歳前後に見える少女は、周りの建物より一回り大きな商店の入り口でそう叫んだ。
すると、入り口付近にいた商人らしき若い青年が少女の姿を確認し、慌てて商店の中へ戻っていく。
暫くして、腰に手を当てて苛立たしげに待つ少女の前に、栗色の髪の少年は姿を現した。
少年は、少女の黒いドレスを見て首を傾げる。
「やぁ、アルー。いつに無い御令嬢らしからぬ行動と、いつに無い御令嬢らしい見事なドレスが素敵だね?」
ウィルはそう言ってアルーのドレス姿を眺めた。すると、アルーは顔を赤くさせて顎を引く。
「へ、部屋着で来てしまっただけよ!」
アルーがそう怒鳴るとウィルは肩を竦めて笑った。
「そうだろうね。アルーらしくない服装だと思ったよ。ところで、今日はどうしたの?」
ウィルがアルーに一度頷いてからそう尋ねると、アルーは自分の乗ってきた馬車を指差した。
「乗って」
アルーの有無を言わさぬ目と態度に、ウィルは無言で頷いて商店を振り向き、商店の中からウィル達のやり取りを見ていた青年に片手を振ってから馬車へと向かった。
全体的に黒い馬車で、壁の一部が焦げ茶色である。屋根には丸みがあり、金属で作られた装飾と紋章がある豪華な馬車だ。
ウィルが馬車に近付くと、馭者らしき男が馬車の戸を開けて片手を胸元に添えお辞儀をする。
「ありがとうございます」
ウィルはそう言って馭者に礼を言うと馬車に乗り込んだ。
ウィルに続いてアルーが馬車に乗り込み、馭者が戸を閉めたのを確認して、アルーは壁を軽く叩く。
すると、馬車は走り出し、何の動物か分からない柔らかく白い毛皮の座席の上で二人は顔を向き合わせた。
「それで?」
ウィルが一言そう尋ねると、アルーは眉間に可愛らしい皺を作ってウィルを睨むように見据える。
「タムズ伯爵の件…どこまで知ってる?」
アルーがそう聞くと、ウィルは僅かに表情を引き締めてアルーを見返した。
「どこまで? アルーより多くの情報は無いと思うよ。むしろ、僕の方が詳しく教えてほしいくらいだ」
「いいから、知ってることを教えて」
ウィルの台詞の言葉尻に噛み付くように、アルーはウィルにそう言った。
アルーのその態度を半ば予想していたのか、ウィルは肩を竦めて背凭れに体重を預け、口を開いた。
「本当に大したことはないさ。昨日の夜、伯爵様の自宅で伯爵様が殺された。目撃者は居ない。犯人らしき人物が伯爵様のお屋敷に入る時も、出る時も…そして、伯爵様の次男の…えっと、ボルフライ様か。ボルフライ様のお屋敷にも何者かが浸入した痕跡があった…くらいかな?」
ウィルがそう言うと、アルーはしばらく考えるような素振りを見せ、視線を落として口を開いた。
「…ウィルは伯爵家内で起きた事件だと思ってる?」
アルーが呟くような小さな声でそう聞くと、ウィルは首を傾げて唸った。
「そう思ってたんだけど…その言い方だと違うみたいだね」
ウィルが確認するようにそう口にすると、アルーは浅く頷く。
「普通の人間には出来ないもの」
「普通の? どういうこと?」
アルーの言葉にウィルは何処か嬉しそうに身を乗り出した。
それを冷めた目で見たアルーは溜め息混じりに口を開く。
「鋼鉄の扉が素手で破壊されていたそうよ。頑丈な鍵も捻じ切れていたらしいから、恐らく最高ランクの冒険者でも無理じゃないかしら?」
アルーがそう言うと、ウィルは口の端を上げて視線を上に向けた。
「…と、いうことは…これは、もしかしたら、モンスターの仕業?」
ウィルがそんな推測を口にすると、アルーは舌打ちをしてウィルを睨む。
「安易にそんな予想を口にしないで。もしも王都に、それも貴族の館に突然モンスターが現れるなんて事態があったら、それがどういう意味か分かってるの?」
アルーがそう言うと、ウィルは眉根を寄せて怒りを表現した。
「分かってるよ。王都みたいな重要な都市は外からモンスターが侵入したら分かるように、たくさんの魔術士が結界を張ってるんだ。だから、その結界に触れることも無く外からモンスターが入るなんて出来ないとされている」
ウィルがそう言うと、アルーは呆れた顔を浮かべた。
「分かっていて良くそんなにお気楽に構えていられるわね。つまり…」
アルーがそう言いかけると、ウィルがアルーの台詞に被せるように口を開いた。
「つまり、モンスターは街中でヒトがモンスター化したか、召喚されたか…後は、街中にダンジョンが誕生してしまったのか」
ウィルの台詞に、アルーはグッと身体に力を込めて固まった。
そして、俯きがちに口を開く。
「…じ、実は…昨日の昼間に、変な男の子に会ったのよ」
「男の子?」
唐突に告げられた、脈絡が無く思えるアルーの話の内容に、ウィルは首を傾げながらも相槌替わりの返事をした。
アルーはそれに頷くと、ウィルの顔を見て話の続きを口にする。
「…その男の子は、タムズ伯爵の館の場所を聞いてきたのよ」
「なっ!? それって…つまり…」
アルーの台詞にウィルは思わず走行中の馬車の中で立ち上がって声を荒らげた。
アルーはウィルの服の裾を掴み、涙目でウィルの顔を見上げる。
「今思えば、人間離れした美しさだったのよ。まるで人形みたいに…! どうしよう! あの男の子は、私のことも知ってたのよ!?」
喋っているうちに己の言葉に興奮状態になっていったのか、アルーは錯乱気味にウィルに恐怖を訴えた。
その様子に、ウィルも椅子に座り直して唸る。
「アルーのことも知ってたって…そいつはいったい…」
「知らないわよ! 何にしても、タムズ伯爵を殺した犯人かもしれない子供が私の名前を知っていたってこと! なんで私の名前を知っているの? なんで人が沢山いる大通りの中で私に話しかけたの? お、同じ伯爵家だから? タムズ伯爵と同じように、私のことも殺すつもりなの?」
アルーはそう言って肩を震わせた。
完全に取り乱してしまったアルーの肩を軽く叩き、ウィルは安心させるようにアルーに優しく微笑みかける。
「大丈夫。王都を拠点にしてる一流の冒険者に依頼を出そう。モンスター退治の専門家なんだから、すぐに見つけて殺してくれるさ」
ウィルがそう言うと、アルーは奥歯を噛み締めて俯いた。
静かに、声を殺して泣くアルーの背中を片手で撫りながら、ウィルはもう片方の手で自分の顎を摘むように撫でた。