奴隷少女、ケイティ
凄く豪華な服装の男の人に連れられて、私達は私達を買った貴族の館から出ることが出来た。
兵士の人達に見つかった時はもうダメかと思ったが、フルベルドと名乗った男の人が目の前から消え去り、次の瞬間には兵士の首が落ちていた。
まるで冗談のように簡単に死んだ人の死体よりも、誰かを殺めたことも気にせず軽い足取りで歩くフルベルド様が気になった。
この人はどんな人なんだろう。
多分、私が見たどんな人よりも強いとは思う。けど、何を考えているのかはさっぱり分からない人。
私がそんなことを考えていると、フルベルド様は大通りから外れ、細い道の方へと入っていった。
てっきり、大通りに面しているような大貴族の御屋敷に向かうのかと思っていた私は戸惑いながら後に続く。
すると、更に細い…いや、もうただの路地裏といった細い細い道へと滑り込んでしまった。
これには、流石に他の皆も怪訝な表情を浮かべて顔を見合わせていた。
フルベルド様は路地裏に急に現れた綺麗な階段を降りていき、真新しい扉を手の甲で叩く。
暫くして開いた扉の向こう側には、驚くほど綺麗な顔立ちのお兄さんと、同じく息を呑むほど美しいお姉さんの姿があった。
そして、驚くべきことに、どうやらその綺麗なお兄さんがフルベルド様の主人らしい。
「とりあえず飯を食うか」
お兄さんはそう言って奥へと歩いていった。
言われるがまま、私達は中に入り椅子に座った。
食べ物屋さんのような広い部屋。座り心地が良くてずっと座っていたくなる椅子。何か、見ていて優しい気持ちになる不思議な色の灯り。
不思議で魅力的な物ばかりの空間だった。
私よりも小さな子は、今にも室内を走り回って近くで室内の物を見たい気持ちになっているのだろう。そわそわと椅子の上で体を動かしている。
そんな中、お兄さんは料理が出来たから取りに来いと私達の方を見て言った。
ご主人様が食べた残飯を頂けるのかと思ったが、料理が出来たと言われたのだ。
そんな信じられない言葉に、私達は誰も動けないでいた。
子供達は動かない私達を見て不安そうな顔をしながらも、料理という言葉に我慢出来ずに立ち上がろうとしている。
「あ、あの、私達の、料理でしょうか…」
私は慌てて立ち上がると、お兄さんに確認をとった。大変な無礼だ。下手をしたら鞭を打たれるだけでは済まないだろう。
でも、そのお陰で間違っていても子供達は叩かれずに済む。
私があの子達を守らないと、手足の指の一部を切り落とされただけの私とは違って、腕や目が無い子は間違い無く殺されてしまうはずだ。
私は痛いくらいに音を立てる胸に手を置いて押さえつけ、お兄さんの顔を見た。
しかし、お兄さんは私の心配を笑うように軽く頷いて、早く来いと言ってくれた。
「ありがとうございます!」
温かいスープの入った食器を貰い、私達はそれぞれの椅子にまた座った。
「あったかい…」
「凄い。良い匂い…」
皆の口から漏れるそんな言葉に、私は無言で何度も頷いていた。
スープには、茶色の光沢のある何かが乗っているけれど、まさかこれは肉なのだろうか。
鼻を近づけると甘い匂いがした。
その匂いを嗅いだだけで我慢が出来なくなりそうになるが、それだけはいけない。
勝手に食事を始めるなんて、間違い無く処罰されるだろう。
私は目で空腹を訴えている子供達に我慢するようにと首を左右に振って応えた。
と、私達がスープを凝視したまま動かないことに気がついたお兄さんが口を開いた。
「ああ、食器が無かったか。フォークでいいな。受け取った者はどんどん食べるんだぞ」
お兄さんはそう言って美しいお姉さんにフォークを手渡した。
お姉さんが直接私達にフォークを配ってくれたことには驚いたが、それよりもフォークを受け取ったら食べて良いという言葉である。
この言葉で、もう我慢の限界を迎えた。
いつもは捨てる骨についた肉の破片があれば良いくらいなのに、沢山のお肉らしきものが入った温かいスープだ。
我慢なんて出来る筈が無い。
食器を手にして、私はすぐに口を近づけてスープを口に含んだ。
「…っ! ぁ…」
スープを口に入れた途端、私は殆ど声にもなっていない驚きの声が口から出たのを自覚した。
温かい。そして、一口しか飲んでいないのに、様々な味が一気に口の中に広がったのだ。
美味しい。信じられないくらいに美味しい。
私は更にスープを飲み、感嘆の声を上げた。
「美味しい…」
そう呟いた時、スープの上に何かが落ちた。
気が付けば、私は涙を流していたのだ。
いけない。こんな、間違い無く世界で一番美味しいこのスープの味が変わってしまう。
「う…ひっく…」
「ふ…ふぐ…うぅ…」
嗚咽が聞こえて顔を上げてみれば、皆が同じように涙を流して俯いていた。
そして、奥ではお兄さんが困ったような顔で首を傾げていた。
「少し辛かったか? とりあえず、麺をしっかり食べてもらいたいんだがな」
お兄さんはそう言って私の方へ歩いてくると、私の隣に来て私のフォークを取り上げてしまった。
「あ、ああっ」
私は思わずお兄さんの腕に縋り付きそうになり、何とか自制した。
なんてことだ。何か、大変な失礼を働いてしまったのだろうか。それとも、先程の無礼な態度に対する罰なのだろうか。
私は声を上げて泣き出しそうになりながら、お兄さんの手の中にあるフォークを目で追った。
すると、お兄さんはフォークを片手に口を開いた。
「ほら、こうやって食べるんだ。皆も真似してみろ」
お兄さんはそう言って、私のスープから白くて長いものをフォークで引っ張り上げた。
それを、私の口の前まで移動させる。
目の前にあるその光景に、私は何が起きているのか分からなかった。
助けを求めるように周囲を見たが、皆も固まってしまっている。
「ほら、口を開けろって」
「は、はい!」
お兄さんに急かされた私は、思わずそう声を上げて口を開けた。
口の中に入れられるフォークの先端と柔らかくて弾力のあるほのかに甘いもの。
噛むと、スープの味とよく合う程よい甘さを感じた。
美味しい。
私が信じられ無いほど美味しかったスープが更に複雑な旨味になったことに驚愕していると、お兄さんは今度はフォークでお肉らしき食べ物を持ち上げて私の口の前に持ってきた。
これは、凄いことなのではないだろうか。
フルベルド様の主人であるお兄さんに、奴隷の私が食事の補助を受けている。
もう、胸が破裂しそうなほど音を立てているし、顔も熱い。何も考えられない。
そんな混乱の中、私はフォークに乗った肉を食べた。
衝撃。
私は食べた瞬間、衝撃を受けた。
食べたことの無い甘くて辛い濃い味付け。そして、口の中で解けるような肉の柔らかい食感。
何という美味しさだろう。
肉とはこんなに美味しかったのだろうか。
私は口の中で溶けて消えてしまったスープや肉の味を思い出し、思わずお兄さんの顔を見上げてしまった。
すると、お兄さんは苦笑して、フォークでまた肉と白いモノを一緒に私の前へ運んでくれた。
そして、口の中で広がる幸せを噛み締める私を見て、お兄さんは優しい笑顔とともに口を開いた。
「意外に甘えん坊だな、お前」
「ぶふっ」
私はせっかくの料理を吹き出してしまった。
そんな私を、お兄さんは笑いながら綺麗な布で拭いてくれた。
その瞬間、私は死ぬ時はこの人の為に死のうと決めた。
 




