奴隷が一杯
私は腰布の上にロングコートを着た痴女を連れて館から出た。
と言っても、正規の道順ではなく、廊下から穴の開いた窓を抜けて屋上に出たのだが。
「わ、私が最初に連れてこられたのはあちらの屋敷だと思います」
痴女はそう言って隣の敷地に見える屋敷を指差した。
そういえば、痴女の名はレミーアというらしい。まさに我が主が口にした名であった。私の勘は冴え渡っている。
私はそんなことを思いながら、レミーアが指差した屋敷に向かって歩き出した。
屋上の端まで行き、後ろを付いてくるレミーアに顔を向ける。
「先程言った通り、今の君はもう以前の君とは違う。ここから飛び降りることも簡単だ。だが、恐らくまだ体の変化に慣れていない君は飛ぶ勇気が出ないのではないか」
「は、はい…怖いです」
レミーアは屋上から眼下に広がる庭を眺めてそう口にした。
私はそれに頷き、レミーアの頭を掴んだ。
「そうだろう。だから、私が一押ししてやろうじゃないか。口はしっかり閉じておきたまえ」
私がそう言うと、レミーアは顔だけじゃなく全身を強張らせて私を見上げた。
「え?」
レミーアが間の抜けた声を出すのを聞きながら、私は軽く手を横に振り、レミーアの身体を夜空へと放り投げる。
「ヒッ」
そんな声を残し、レミーアは姿を消した。
頑張ればレミーアも蝙蝠くらいには姿を変えられるかもしれないが、私もそれほど暇ではない。
なので、紳士たる私はレミーアが痛くないように庭の柔らかい地面の部分へと的確に放り投げたのだ。
私は屋上からレミーアの落下地点を確認し、夜空へと身を躍らせた。
ちなみに、私が姿を変えて空を飛ばない理由は簡単である。
歩くのが好きだからだ。
隣の屋敷の近くまで移動し、奴隷がいる部屋を探す中、レミーアは延々と文句を口にしていた。
「怖かったんですからね。本当に怖かったんですよ」
「それはいかんな。慣れるまで高い所から落としてやろうか」
「そんな話はしてません!」
ついには怒り出してしまったレミーアを見て、私は笑いながら庭を進んだ。
奴隷が寝起きする部屋が上の階にあることは少ないだろう。一階か地下のはずだ。
私はそう思って屋敷の周囲を歩き回っているのだが、一向にそれらしき部屋に辿り着かない。
愛の営みに耽る音も聞こえるが、それはどうも奴隷とは関係の無いやり取りが交わされていた。
ただの不倫らしい。許されない愛ほど燃え上がるのだろう。私には心底どうでも良い話だが。
私が立ち止まって唸っていると、レミーアが隣に来て口を開いた。
「あの、奴隷の部屋でしたら、多分屋敷の中にある地下室かと…」
「ほう?」
レミーアの台詞に私が顔を向けると、レミーアは恐る恐るといった様子で私を見上げた。
「私が買われた時、同時に沢山の奴隷も買われてきたのですが、使用人が私以外の奴隷は地下室に入れておけって命じられているのを聞きました」
なるほど。
私はレミーアの説明を聞いて頷き、場所も大方特定した。
屋敷の周囲を歩いたのにそれらしい音がしなかったのは、地下室が遠かったからである。
つまり、庭から遠い屋敷の中心部辺りに地下への階段があるのだろう。
私はそう判断すると、近くにあった窓を指で切り裂いた。
「…窓ってそんな風に切れるんだ」
後ろでレミーアが変なことを口にしていたが、私は気にせずに屋敷の中へ侵入した。
こちらの屋敷は大して警備の兵もおらず、起きている使用人なども少なそうである。
私はゆったりと廊下を進み、屋敷の中心部を目指した。
程なく、屋敷の中心らしい所にある大階段を見つけ、微かに啜り泣くような声が聞こえて階段の後ろへ向かうと、地下室への入り口らしき扉を発見した。
私は扉を力ずくで開けると、地下に続く階段を見下ろした。
恐々付いてくるレミーアに意識を向けつつ階段の下に辿り着くと、細い通路があった。
細い通路は奥で行き止まりになっており、通路の左右に人一人が通れる程度の小さな片開き扉がある。
私は片方の扉に近付き、扉を開けてみた。
金属の鍵が引き千切れる音と共に、扉が開いた。というか、鍵ごと扉が砕けたのだが。
とりあえず中に入ってみると、真っ暗な室内で身を寄せ合うようにして若い女達が集まっていた。
いや、子供の姿もあるか。
私は室内を見回し、口を開いた。
「この中に、まとめ売りされた奴隷はいるかね? 我が主が買う予定だったのだが、先に売れてしまってね。此処より良い待遇にはなると思うが、付いてきてくれると助かるのだが」
私がそう告げると、奴隷達は顔を見合わせたり首を竦めたりと、中々返事をする者が現れなかった。
と、私の声が聞こえたのか、反対の扉から子供の声が聞こえてきた。
「君達は少し此処で待っていてくれたまえ」
私はそう言い残すと、奴隷部屋を出てもう一つの奴隷部屋の扉をこじ開けた。
「ひゃあ」
扉が開いた途端、気の抜けるような力の無い悲鳴が上がる。
何かと思い悲鳴のあった方向を見ると、扉のすぐ傍にいたらしい奴隷の子供が私から一歩離れた位置で腰を抜かしていた。
「君が私を呼んだのかね?」
私がそう尋ねると、子供は幼い割に力強い眼で私を見上げ、顎を引くようにして頷いた。
なかなか根性はあるようだ。腰は抜けたままだが。
「それで、何の用かな?」
私がそう尋ねると、子供は真っ直ぐに私を見て口を開いた。
「…此処から、出してくれると聞きました」
「おお。君がまとめ売りの奴隷とやらの一人か。よくぞ自ら名乗りを上げてくれた」
私がそう言うと、子供は唾を呑み込み、顔を上げた。
「…先に此処に入っていた奴隷の方に聞きましたが、此処は死の館だそうです。私達だけでなく、地下にいる奴隷全員を助けてくれませんか?」
子供は、子供とは思えない交渉を私に持ち掛けてきた。私は口の端を吊り上げると、子供に顔を近づけて首を傾げた。
「さて、此処が死の館だとして、我が主の館は何であろうか。もしかしたら、拷問の館やも知れぬ…そうは思わないのか? 行きたいと口にするならば連れていこうとも。だが、その先の未来に、お前は責任を持てるのか」
私がそう聞くと、子供は泣きそうな顔になって俯いた。
「…でも、私達には他の選択肢なんて…」
子供が掠れた声でそう呟くと、部屋の奥にいた更に小さな子供が前に出てきた。
「シェリルお姉ちゃんを虐めないで…」
小さな子供は蚊の鳴くような声でそう呟いた。すると、シェリルと呼ばれた子供は顔を青ざめさせて後ろを振り返った。
「ターナ! 静かにしてて!」
シェリルがそう叫ぶと、ターナと呼ばれた小さな子供は身をすくませて一歩下がった。
その様子を見ていたレミーアが、私の後ろから顔を出す。
「…皆、大丈夫よ。多分、此処よりもずっと良い場所に連れていってもらえるわ。だから、一緒に行きましょう?」
レミーアがそう言うと、そこで初めてレミーアに気が付いたらしいシェリルが顔を上げて目を見開いた。
「お姉さん、生きてたの?」
シェリルがそう言うと、レミーアは苦笑して頷いた。
「死ぬ寸前だったけど、助けてもらったのよ」
レミーアのその台詞を聞いて、二つの奴隷部屋は急に騒がしくなった。
同じ奴隷だったレミーア本人から語られた言葉は、奴隷の耳に素直に馴染んでいったようだ。
そこかしこで話し合うような声が響き、そして、皆が私の傍に集まった。
奴隷は全員で大人が十名。子供が十二名。全て女である。
ちなみに、前からいる奴隷という者も二週間ほど前からいるだけらしい。
確かに、奴隷にとってこの館は死の館なのだろう。
私がそう納得して皆を見回し、口を開いた。
「さあ、我が主の下へ戻るとしようか」
私はそう言って奴隷達を引き連れて歩き出し、かなり目立つ二十三名という大所帯で館を脱出した。
途中、流石に警備の兵に見つかったが、私が指を横に振って首を斬り飛ばし、危機を脱した。
まあ、危機も何も無いが。
さて、我が主は喜んでくれるだろうか。
我が主が笑顔を見せてくれたなら、私の初仕事は大成功と言えよう。
 




