ご立腹のダンジョンマスター
奴隷屋を出て、大通りの対面にある店の入り口に見慣れた人影を見つけた。
見事な赤い髪の少女、アルーだ。
アルーは馬車の側で不機嫌そうに腕を組んでいる。見れば、アルーの側にある馬車は片方の車輪が外れてしまっており、馭者らしき男が汗だくになりながら馬車の修理をしているようだった。
俺はそっとアルーに近付き、声をかけてみる。
「アルーさん」
俺がそう声を掛けると、アルーは胡散臭そうな目で俺を睨んだ。
足先から頭の上まで眺めたアルーは、片方の眉を上げて口を開く。
「誰? 見たこと無い顔だけど」
アルーにそう言われ、俺は不満そうに見えるように口を尖らせる。
「忘れちゃった? 酷いな」
俺がそう言うと、アルーは少しだけ戸惑うような様子を見せ、こちらに向き直った。
「…本当に思い出せないわ。ごめんなさい。誰だったかしら?」
と、アルーは意外にも素直にそう言って、俺の素性を尋ねた。
まあ、こちらは正直には話せないのだが。
「あ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど! タムズ伯爵の次男のボルフライって人に用事があるんだけどさ、家の場所を忘れちゃったんだよね。アルー知ってる?」
俺が早口にそう言うと、アルーは眉根を寄せて俺の顔を凝視した。
「それは知ってるに決まってるでしょ? 同じ伯爵家なんだから…それよりも、貴方の顔何処かで見た記憶があるわ。確かに、知ってる人みたいね」
アルーにそう言われ、俺は慌ててアルーの肩を掴み、顔を寄せた。
「知ってる!? ボルフライって人何処に住んでるんだっけ? ほら、早く教えなさい!」
俺がそう言ってアルーに早く教えるように急かすと、アルーは顔を真っ赤にして俺から離れた。
「ち、近いわよ! 何するの! ボルフライ邸は中央通りの北区よ! 隣にはタムズ伯爵の屋敷があるからすぐ分かるでしょ!?」
アルーは怒鳴るようにそう叫ぶと、肩で息をしながら俺を睨んだ。
俺はアルーに言われたことを覚えると、すぐにダンジョンに向かって走り出す。
「ありがと! アルー大好き!」
「はぁっ!?」
俺が最後までアルーを弄って遊ぶ発言をしていくと、アルーが後方で怒鳴る声が聞こえた。
ダンジョンに帰った俺は、食堂で座って休むエリエゼルの下へ走った。
「どうされたんですか? ご主人様。そんなに慌てて」
エリエゼルは目を丸くして俺を見ると、そう聞きながら首を傾げている。
俺は元の身体に戻ることもせずに、エリエゼルの前まで移動して口を開く。
「タムズ伯爵の息子のボルフライとかいう奴に奴隷を買われてしまった。何とかならないか?」
俺がそう聞くと、エリエゼルは難しい顔で顎を引いた。
突然意味の分からないことを言い出した俺に、エリエゼルは真摯な態度で話を聞き、頭を働かせてくれた。
そして、考えに考えたエリエゼルは目を閉じて、口を開き小さく何か呟いた。
魔法陣と一緒に現れたのはあのモンスター図鑑のような魔導書である。
そして、その本を手に取ったエリエゼルは本を開き、俺に見せるようにテーブルに置いた。
開かれたページには、俺でも分かる有名なモンスターが記載されていた。
「ヴァンパイアと、ワーウルフです」
エリエゼルはそう言って、図鑑に載る絵を指差した。
そこには黒いマントに身を包む白髪の男が描かれている。
「ヴァンパイア…大丈夫なのか?」
俺の血を吸おうとしたりするんじゃないだろうな。
俺がそんなことを考えながらエリエゼルに不安を伝えると、エリエゼルは笑みを浮かべて頷いた。
「ヴァンパイアには等級があります。それも、まるで別のモンスターになったように格差のある等級です。その等級が高いほど知能指数は高くなり、戦闘能力も高くなります」
エリエゼルはそう言って絵の下にある文字のようなものを指差した。
読めませんて、エリエゼルさん。
俺は心の中で突っ込みながら本を眺め、表のようなものを見る。
字は読めないが何となく理解した。
ブランド牛みたいなもんだな。
A5が一番美味しいし高いよ、みたいな。
まあ、個人的にはA1かA2くらいが脂少なめな気がして良いが。
「それで、A5のヴァンパイアだとどれくらい強いんだ?」
俺がそう尋ねると、エリエゼルは首を傾げて目を瞬かせた。
「一番弱いヴァンパイアということですか? それですと、最下級の第三世代のヴァンパイアが最も弱いヴァンパイアとなりますね」
エリエゼルはそう言って表の一番下を指差す。
だから読めませんて、エリエゼルさん。
「一番上は?」
俺が聞き直すと、エリエゼルは表の一番上を指差して口を開いた。
「自らヴァンパイアとなった者、真祖。圧倒的な力を持ち、永遠を生きる故の知識と経験を併せ持つモンスターです。ドラゴンとすら戦える数少ない人型モンスターですね」
「おぉ、そりゃ強そうだな」
俺がそう口にすると、エリエゼルは気分を良くしたのか、嬉しそうに語り出した。
「ヴァンパイアは真祖が突出して強いです。次に第二世代のヴァンパイア。そして、次がその眷族となるヴァンパイアです。ちなみに、ヴァンパイアと人間のハーフは亜人扱いとなるためモンスターとしては召喚できません。尚、真祖のヴァンパイアがヴァンパイアになる前のブラッドマスは別のモンスター枠ですね」
エリエゼルは興奮気味にそう語ると、また魔導書のページを捲った。
開かれたページには、上半身が筋肉質な身体の狼のような二足歩行のモンスターが描かれていた。
分厚い身体は長い毛で覆われ、金色の眼が暗い森の中で光っている。
「おお、強そうだな」
俺がそう言うと、エリエゼルはまたまたテンションを上げてしまった。
「ワーウルフ。俗に言う狼男ですね。満月の夜に正体を現すのではなく、満月の夜は常に狼男の姿になってしまうというモンスターです。狼男の姿になることに制約はありませんが、狼男になるとその頚椎の形状から後ろを振り向くことが出来ません。ただ、狼男は純粋に力が強く、素早く、打たれ強いです。更に、驚くほどの自然治癒力を持っています」
エリエゼルは気分良くそう言うと、期待に満ちた目で俺を見た。
「…夜の街中だが、目立たないか?」
「大丈夫です。ヴァンパイアは夜は影のように暗闇を移動出来ますし、ワーウルフはまず人に捕まらないほどの速度で動けます」
「…変に大事になったりしないか?」
「それも問題ありません。目撃者は全て消しましょう」
「あ、はい」
俺はエリエゼルに押し込まれて頷いてしまった。
エリエゼルが小さくガッツポーズをとる中、俺は苦笑混じりにエリエゼルに頷く。
「まあ、俺から言い出したことだしな。確かに、エリエゼルの案が一番良いのだろう。俺には思い浮かばないし」
俺はそう言って本を指差し、口を開いた。
「…どうせなら真祖にしようか」
俺がそう言うと、エリエゼルは目を輝かせて顔を上げ、すぐに残念そうな顔で顎を引いた。
「真祖は、恐らくご主人様でも二、三日は魔素を溜めないと召喚出来ないと思われます。ですので、第二世代。真祖の子供の世代を召喚致しましょう。まあ、召喚の魔法陣は同じ物で、後は魔素の量だけの問題なのですが」
エリエゼルはそう言うと、椅子から立ち上がって床に跪いた。
「では、早速準備致します」
エリエゼルはそんなことを呟き、地面に人差し指を押し当てて小さな声で何か口にした。
すると、エリエゼルの人差し指は青白い炎を纏い、床の表面を薄っすらと照らし出した。
そして、エリエゼルは人差し指ひとつで丸を描き、中に幾何学模様のようなモノを描いていく。
迷い無く魔法陣を描いていったエリエゼルは何と複雑な図形だというのに三十秒もかからずに描き上げてしまった。
これで普通の人なら黒魔術などにのめり込むヤバい人である。
まあ、エリエゼルもヤバいくらいモンスターが好きそうではあるが。
俺が失礼なことを考えつつ魔法陣を描きながら揺れるエリエゼルの一部を眺めていると、描き終わったエリエゼルが顔を上げた。
「さあ、初めてのモンスター…ご主人様の配下の召喚ですね」
そう言ったエリエゼルの顔は、頬を染めた恋する乙女のようだった。
変態だ。