3日目、朝
朝起きて、隣には体を丸くするようにほっそりした手足を折りたたんだエリエゼルの姿が。
髪が肌の上を撫でるように流れており、見え隠れする白い肌が美しい。
嗚呼、美しい。
変態みたいだな、俺。
顔を洗って歯を磨き、服を着て食堂に出る。
さて、朝食はどうするかな。
昨日の夜は何となく焼肉定食をエリエゼルと食べたが、朝はさっぱりした物を食べたい。
俺はそんなことを思いながらテーブルの前に立ち、目を閉じてイメージを固め、念じた。
出来た。
あっという間に俺の目の前にはふわふわのオムレツをメインにした朝食セットが並んでいた。
オムレツ、バターが切れ目の中でとろけるパンに、レモン風味のドレッシングがかかったサラダ。そして、カボチャの冷製スープと朝のヨーグルト。
程良い朝食である。
俺が美味しそうな朝食に笑みを浮かべていると、エリエゼルも食堂へ出てきた。
「美味しそうな朝食ですね」
エリエゼルも朝食セットに笑みを零し、そう言った。
俺はエリエゼルと席につき、朝食を口にする。
まずはオムレツ。中はトロトロで上からケチャップをかけただけのオムレツだが、口に入れると至福の時を迎える。
フワッフワである。ふわっトロでも良いかもしれない。タマゴの甘みと薄いが確かに感じる塩の味。そして、トマトケチャップの香りと甘酸っぱい後味。美味である。
そして、パンもバターが染みた、ふわふわホクホクの食感に思わずニンマリしてしまう。二個くらいはペロッと食べれる美味しさだ。
次に箸休めにサラダを食べると、レモンの酸っぱさが爽やかなドレッシングとシャキシャキの野菜の歯応えに、口の中がサッパリとしてくる。
間で飲むカボチャの冷製スープは甘くて美味しいが、それよりもヨーグルトが嬉しかった。
全体的に味がしっかりと主張しているため、冷たい水を飲むと水がいつもより美味しく感じられるのがまた嬉しい。
次はスープをもう少しシンプルなものにしてセットメニューに加えてみるかな。
俺はそんなことを考えながら、食堂を見回した。
「大変美味しゅうございました。…? ご主人様、どうかされましたか?」
エリエゼルは俺が辺りを見回していることに気が付き、そう聞いてきた。
俺はエリエゼルに視線を戻し、腕を組んで口を開く。
「音が無いのも寂しいから楽器を置こうと思う。ピアノとかギターとか弾けないか?」
俺がそう尋ねると、エリエゼルは僅かに口の端をあげて頷いた。
「マラカスでしたら私の右に出る者はおりません」
「なんでマラカス!?」
俺がエリエゼルの衝撃の告白に度肝をぬかれて声を上げると、エリエゼルは少し口を尖らせて俺から視線を外した。
「…冗談です。ピアノなら少しだけ弾けます」
エリエゼルはそう言ったが、エリエゼルの態度を見るに、どう考えてもマラカスが出来るのは本当だろう。
何故マラカスなのかは分からないが、楽器を弾ける者が現れたらマラカスを担当させてやるとするか。
俺はそんな謎の気遣いをしながら食堂を改めて見回し、結局、食堂の真ん中一番奥にピアノを設置することにした。
ちなみに、地下二階への入り口の目の前になってしまうため、それっぽい機材を置いて誤魔化している。
ピアノは真っ黒な光沢のあるグランドピアノ。テレビで見たことがある奴である。
ピアノと、ピアノが設置された舞台の傍に行き、俺は細部を確認する。
見たことがあり、子供の頃に触れたことがある程度だというのに、意外にもしっかりと出来ているようだ。
俺は隣に立つエリエゼルを見て口を開いた。
「エリエゼル。ちょっと弾いてみてくれるか?」
俺がそう聞くと、エリエゼルは何処か嬉しそうに返事をしてピアノに近づいた。
ピアノの前に置かれた座面が丸い椅子に座り、鍵盤に両手を並べる。
エリエゼルの細い指がそっと鍵盤を押した。
澄んだ、美しい音が食堂内に響き渡る。
流れるような旋律に俺は素直に聞き惚れた。聴いたことはある曲だが、タイトルは分からない。
昔行ったことのある市民によるなんたら交響楽団とかいうコンサートは見たことがあるが、これほどの感動は無かった。
俺は感嘆し、思わず両の掌を打ち合わせて拍手をした。
「良いじゃないか。感動したぞ」
俺がそう言うと、エリエゼルは少しだけ照れたように微笑み、席を立ってこちらに頭を下げた。
俺の傍に歩いてくると、エリエゼルは笑顔で口を開く。
「楽譜通りに、機械的な演奏しか出来ませんが…」
「そんなことないさ。素晴らしい演奏だった。ちなみに、今のは?」
「今のはベートーヴェンのピアノソナタ第17番、テンペストです」
「ああ、なんか聞いたことのある曲だと思ったんだ」
俺達はそんなやりとりをしながら笑い合った。
奏者の居なくなったピアノを眺め、俺は頷く。
「これなら全く問題は無いな。いやぁ、俺もギターは少しだけ弾けるから演奏するか迷ったが、エリエゼルに任せよう」
俺が苦笑交じりにそう言うと、エリエゼルは目を見開いて感嘆の声を漏らした。
「まあ、そうなんですか? それは是非一度聴いてみたいです!」
「いや、ごめん。エリエゼルのピアノを聴いた後にはとても聴かせられん。また酔っ払った時にでもな」
俺が曖昧に笑ってそう断ると、エリエゼルは残念そうに眉尻を下げて返事をした。
「絶対ですよ? 楽しみにしていますからね」
悪戯っぽい微笑みを浮かべるエリエゼルに少しだけ心臓の鼓動を速めながら、俺は照れ隠しに後頭部を片手で掻いて後ろを振り返った。
「…さて、朝はダンジョン作りだな。今日は作りたいものも…」
俺は床板をはがしながらそう呟き、ふとあることを思い出した。
「そうだ。緊急時に使う抜け道を少し整備するか。今は誰でも入れるような状況だしな」
俺がそう言って床板を元に戻すと、エリエゼルは首を傾げながら口を開いた。
「そう言えば、ご主人様が言っていた抜け道も避難場所も私には見つけられなかったのですが…」
「こっちにあるぞ」
半信半疑というわけではないが、怪訝な顔を浮かべるエリエゼルに俺は付いてこいと手招きして厨房に向かった。
食堂と同じく随分と広いキッチンに、巨大な棚や業務用の冷蔵庫、休憩用の簡易的なテーブルと椅子がある。
壁際にある棚と冷蔵庫の間に約一メートルほどのスペースが空いている。
その壁に近付き、俺は壁に手を置いて上に持ち上げた。
すると、壁が上にスライドして暗い通路が姿を現した。
「な?」
俺がそう言って後ろを振り向くと、エリエゼルは悔しそうな顔で通路を睨んでいた。
「…まさか、上に壁が動くとは」
どうやら、この壁もエリエゼルは調べたらしい。その時にこの隠し通路に気付けなかったのだろう。
俺は小さく唸るエリエゼルから視線を外し、笑いを堪えて奥に続く通路を見た。
「とりあえず、中から鍵を掛けられるようにしとけば大丈夫だな」
俺がそう言うと、後ろではエリエゼルがブツブツと何かを呟く声が聞こえてきた。
「上…何故分からなかったのでしょう…横には動かそうとしてみたのに…悔しい…」
俺は思わず吹き出し、声を出して笑ってしまった。