初異世界
俺はスーツ姿になり、外へと繰り出した。
お金持ちの御子息といった雰囲気になってしまったが、気にしたら負けである。
外に一歩出ただけでは薄暗くて異世界感が伝わってこないが、土壁のような建物の壁や、石畳の地面。それに独特な匂いを含んだ空気が、ここは日本ではないと教えてくれた。
ダンジョンから路地裏へ出て真正面。
先を見ると、路地の切れ目から明るい陽が射し込んでいるのが分かる。
あの奥は表通りに出るのかもしれない。
俺はそう思って、逸る気持ちを抑えつつ慎重に歩を進めた。
ちなみに、エリエゼルは外に出られないので単独でのお出かけだ。
少し歩き、建物の角に立つと、目の前に広がるのは店などの少ない狭い通りだった。
見た限り、人は疎らで何の店か分からないような建物や家屋らしき建物が並んでいる。色も殆どが薄茶色で角張ったデザインの建物ばかりで面白みに欠ける。
人の服装も確かに変わっている。麻の服のような雰囲気ながら刺繍や染め方も明らかに独特なもので、原色を使ったカラフルな物から淡い色合いを組み合わせた可愛らしい雰囲気の物まで様々である。
だが、これでは東欧の田舎に旅行に来ましたと言われても納得してしまいそうだ。
異世界の大きな都市と聞いて期待していただけに、俺は何とも言えない気持ちで通りに出た。
道を歩く人から好奇の視線を向けられるのを感じながら、俺は足早に通りを歩いてみる。
道の先にはまた開けた場所に出そうな雰囲気があり、奥の方には一際大きな建物もあるようだ。
俺はまた少しだけ気分を高揚させて道を進んだ。
開けた場所、俺が立っている通りと広い通りとが合流する交差点。
そこに立った時、俺はやっと異世界の中に自分が存在していると認識することが出来た。
幅二十メートルはありそうな大通りに、店先に商品を並べた店舗が立ち並んでいる。所狭しと人々が通りを行き交っており、大きな馬車も何台も見えた。
そして、頭に動物の耳を生やした人間もだ。
猫の耳が生えた女の子。犬の耳が生えた青年。兎の耳が生えた美女。
まさに地球では存在し得ない異世界である。
よくよく見れば、やたらと綺麗な人がいると思ったら耳が長く尖っている者もいた。
あれがエルフという存在なのだろう。
「これが異世界か…」
俺は子供の声でそう呟くと、足取りも軽く通りへと飛び出した。
この頃には、外へ出てもすぐに帰るように念を押していたエリエゼルの言葉は忘却の彼方にあった。
「旨そうだなー」
俺は露店に売ってある何かの肉の串焼きを眺めつつ通りを歩いていた。
色んな店や様々な人種にも興奮したが、実は一番興奮したのは武器屋だったりする。
重厚感のある巨大な剣や斧、鋭い刃が先に付いた槍。
ワクワクしながら武器を見て、安売りしてあるロングソードは軽く手に取ってみたりもした。
まあ、買えないんですが。
俺は前を歩いている狐耳のお姉さんの尻尾を眺めながら、通りをかなり奥へと進んだ。
すると、通りの奥に巨大な壁が建っていることに気が付いた。よく見れば、その壁は一直線に左右に広がっており、壁の下には門のようなものがあった。
城塞都市とかいうやつだろうか。
「つまり、街の端まで来たってことか」
俺はそう口にすると、ようやくダンジョンに帰るという選択肢を思い出して踵を返した。
その瞬間、俺の視界に気になる風景が映った。
視線をそちらに戻すと、何かの店らしい建物があり、その扉は開け放たれていた。
一際綺麗な外観の建物で、壁や扉の周りには綺麗な布が掛けられており、清潔感とセンスの良さを感じさせる店作りだ。
だが、扉の中に見えるのは奥に向かって左右に並べられた檻である。
俺は不安な気持ちと好奇心が綯い交ぜになったような心地で店の入り口に近付き、顔を覗かせて中を見た。
白く塗られてはいるが、四角い無骨な檻が向かい合わせに二列、ずっと奥まで並んでいる。
そして、その檻の中には、椅子に腰掛けた人間の姿があった。
手前の方の檻は全て美しい女性である。服は露出の多めなドレス風の服を着ており、人によっては長い髪をリボンで結んでいたりもする。
だが、皆が首に金属の光を放つ首輪らしき物を付けているのが、他の部分とのギャップに感じられて不気味だった。
「…奴隷」
俺がそう呟くと、一番手前の檻に入った美女が俺を見た。
赤い髪の綺麗な女性だ。年齢は20歳頃だろうか。檻にはレミーアと書かれていた。
この美女の名前だろう。
「まあ、素敵な服ですね。見たことの無い服を着る貴方は貴族の跡取り様でしょうか? 気品がお有りですもの」
と、レミーアは俺にそんなことを言って柔らかく微笑んだ。
俺はその様子に少しホッとすると、周りを見ながらレミーアに近付く。
「ここは、奴隷屋さん?」
俺がそう聞くと、レミーアは目を一度瞬かせて笑い出した。
「そうですよ。奴隷屋さんです。そして、私は今一番売り出し中のおすすめ奴隷のレミーアです。宜しくお願いしますね?」
レミーアはそう言うと、椅子に座ったまま優雅なお辞儀をしてみせた。
全く奴隷には見えない、堂々としていて優雅なレミーアに、俺は自身の知識や常識で知る奴隷とは違う存在なのだろうと思った。
俺が何と返事をしようか悩んでいると、レミーアの正面の檻に入っている金髪の兎の耳を生やした美女が俺に気が付いた。
「あらぁ! 可愛いお客さん! 貴族か大商人の御子息ね! ねぇ、どっちかしら?」
レミーアと同じ格好をしたその美女は元気よくそう言うと、朗らかに笑った。
檻にはシャロットと書かれていた。
俺はシャロットの方を見て、口を開く。
「い、いや、どちらでもないけど…」
俺がそう言うと、二人は眉を上げて俺の顔を見た。そして、服を確認する。
「…Aランク冒険者の息子なわけじゃないわよね?」
「坊や、お父さんはお金持ってるの?」
二人は明らかに表情に落胆の色を乗せてそう聞いてきた。俺は首を左右に振り、返答した。
「ご、ごめん。お金は無いんだ。お姉さん達、いくらなの?」
俺がそう聞くと、二人は面白くなさそうに背中を丸めて溜め息を吐いた。
「愛想笑いに疲れたわ…子供が買えるわけないでしょ? ほら、どっか行きな」
レミーアは先程までの態度が嘘のような冷たい眼で俺を見て、そう言った。
それに笑いながら、シャロットが足を組んで俺を見下ろす。
「私達、最前列組は一番高いのよ。私が300万で、レミーアが280万。私の方が価値が20万高いの」
「どこが。兎獣人で私と20しか変わらないなら本来の価値は私の方が高いわよ」
「負け惜しみ? ふふふ、カッコ悪いわよ?」
と、俺に興味を失った二人は軽い口論を始めてしまった。
その様子に、やはり奴隷としての危機感など無さそうに見える。
いや、この店で一番高い二人だと言った筈だ。
つまり、高い値段を払えるような上流階級の人が二人を買うから、二人は余裕があるのかもしれない。
では、一番奥の奴隷はいくらなのか。
俺は口論を続ける二人を横目に、店の奥に踏み込んでいった。