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目覚める夜に抱いた願いは

作者:奏多
 ――一体どういうことなの?

 今までにも、何度かそう思ったことはある。
 でもこれは間違いなく、十五年生きてきた中で一番不可解なものだ。

「まさか御仏の元に旅立ったと思ったら、息子の嫁を恨んでた女の娘に生まれ変わり?」

 つぶやいてから、いくらなんでも夢を見過ぎじゃないかと首を横に振って、自分の頬をつねる。
 ……痛かった。

「夢では……ないの?」

 御簾越しに聞こえる川のせせらぎの音で満たされた部屋の中に、わたしのつぶやき声が異質なもののように響いた。

「少し混乱しているだけなのではないかしら……。わたし、確か髪を下ろそうとしたのよ」

 完全に独り言だけれど、わたしは自分に言い聞かせるように声に出した。

「当てつけのつもりだったのよね? それは覚えているわ。間違いなく。髪を下ろして、それをお祝いの品だと嘘をついて、葵姫に送りつけようと思ったのよ」

 幼い頃から慕っていた雅仁親王様。
 彼に入内することが決まったのは、中務卿の宮の忘れ形見だった葵姫……いえ、今は養子縁組をして左大臣気の三の姫になっている。
 彼女が宮中に入ってしまっては、そうやすやすと物を何かに紛れて届けさせることも難しくなる。
 だから左大臣家の別邸にいるらしい今のうちに、切った髪を届けさせ、その後わたしは自害するつもりだった。

 その話が広まれば……間違いなく彼女は呪われた姫と呼ばれるようになる。私の呪詛が成功しようとも、成功しなくとも、悪いことが起これば「葵姫は祟られているから」と言われるのだ。
 そうして彼女に約束されていた栄光の全てに、染みを作るつもりだった。

 むしろ、この方法しかもう考えられなかった。
 わたしは葵姫を呪詛したことが雅仁様に知られ、そのため父の右大臣からも叱責されて、この宇治の別邸へ遠ざけられたのだ。
 別邸で引きこもらせ、病弱なふりをさせている間に、呪詛の件が他に漏れないように処置をし、時が経ったら何食わぬ顔でどこかの公達と結婚させられるのだろう。

 でも、そんなことで諦めきれない。
 雅仁様に恋したのも、あの方と仲良くなったのもわたしが先だった。
 恋を詠んだ歌をいただいたのもわたしが先。
 あの葵姫は、その後から出てきて全てを攫って行ったのだ。

 彼女は貧しさから賤の女のような出で立ちで顔を晒して外へ出歩いた上、雅仁様の馬にはねられそうになった。
 雅仁様が情けをかけて家まで送ったのが、全ての間違いの始まりだった。

 せめて、葵姫の血筋が宮家の直系でなければ。雅仁様は葵姫をあれほど気に掛けることはなかった。
 彼女の血縁を探し、貧しい暮らしぐらいは詫びに改善してやろうと、世話のできる人を探したりと心を砕かなかったら、彼女の琵琶の腕のことも知らず……彼女に魅了されることはなかったのかもしれないと、今でも思う。

 唇を噛みしめたわたしに、御簾を揺らして風が吹きつけた。
 振り向けばそこに、薄らと白く透ける影があった。
 息を飲む。
 視線をそらすことができない私の前で、風に揺らめく絹織物のようなそれは、揺らいだ瞬間に女の顔を浮かび上がらせた。
 わたしとよく似た面差しの……母の顔を。

 ……祥子(しょうこ)、必ず女御に……。

 聞こえているささやき声に、思わず自分の体を抱きしめる。
 もしかすると、これは幻聴なのかもしれない。
 死の床で母は何度もそう繰り返した。あげく死後まもなく、幽鬼となって現れるようになったから、最後の言葉を思い出してしまっている可能性はある。
 けれど、何度見てもぞっとする母の亡霊に、でもいつものように消えてくれるよう、謝る気持ちが湧かない。
「わたしの努力が足りないのですね、必ずやあの女を排除して私が女御になりますから」という言葉が出て来ない。

 むしろ怖いながらも、別な恐れを感じている自分に気づいた。まるで自分を恨んでいる他人と目を合わせてしまったような、そんな恐怖。
 そして反発する気持ち。
 だって『もう一人の記憶のを持つわたし』は、彼女が女御にはふさわしくないと思い、その異母妹の方を女御にするべしと決めたのだから。

 そう、わたしは以前にも、別な人間として生きていた。

 以前のわたしは、二代前の帝に仕えた皇太后だった。自分が使えた帝は既に亡く、けれど次代の帝に一族の者が入内する運びになった。
 その時の女御選びが難航し、一族の中で発言権の強いわたしに決定がゆだねられることとなった。
 わたしは様々な話と、あまりにも彼女が自分が選ばれないわけがないという強気な態度と、周囲への配慮が期待できないことから、宮中で女御達と諍いを起こさずに過ごせないだろうと判断し、排除したのだ。
 その娘が……こうして今を生きているわたし、藤原祥子の母親だったのだ。

 先ほどは小刀を持ち、一房掴んだ自分の髪に当てようとした瞬間に、皇太后だった頃の記憶が蘇った。
 心が乱れ、驚いてしまい、持っていた小刀も手から取り落としてしまったのだ。

「因果な……」

 そうとしか言えない。というか、じっと部屋の隅からこちらを見つめる女の幽霊がいるのだ。何か声でも出していないと、怖くて仕方ない。
 子供の頃からまとわりつかれ、母親が怒っているのだと思って怖がり続けてきた祥子としては、もう姿を見るだけで責められているような気持ちになる。
 一方、前世の記憶を元にして見ても、恨みを込めて自分を見つめてきたことを思い出し、恨まれていると思うと呪われそうで恐ろしい。

 けれど前世の記憶が蘇ったせいか、わたしはただ怖がって許しを請う気持ちで心がいっぱいになることはなかった。
 ただひたすら、この目から解放されたいと思った。
 もしかすると別な人間だったという意識が芽生えたせいで、心の半分くらいが、母のことを他人のように感じたからかもしれない。

 だってわたしは十分に頑張った。
 他にできることは、葵姫に自分の髪を送りつけた上で、釣殿から池に身を投げて祟ることぐらいだ。
 だからといって、なぜわたしが死ななければならないの、と今なら思えるのだ。

 元々雅仁様に恋をしてしまったのも、全てはこの母の亡霊のせいだ。
 帝の女御にならなければと言う母の亡霊は、雅仁様と親しくし始めたら、見えなくなった。
 だから彼の傍にいれば救われると思った。でなければいくら幼くても、叔母を訪ねて行った御所で、積極的に彼のことを探しに行ったりなどしなかった。
 迷う怖さよりも、ただ母の亡霊から逃れたかったからできたことだったから。

「……この亡霊さえ、いなければ」

 わたしは小刀を懐にしまい直して、炎がゆらめく灯台の柄を手にした。
 普段から身動きすらあまりしない深窓の姫でも、灯台を動かすことくらいはできる。

「燃えてしまえばいいのよ」

 火は全てを浄化する。
 だから燃やしてしまえばいい。
 わたしは灯台を一気に亡霊に向かって投げつけた。
 灯台が倒れた瞬間は、一瞬火が消えたように見えた。けれど皿から溢れた油にさっと炎が広がり、近くにあった几帳の布を燃え上がらせる。

 それでも母の亡霊はそこにいた。
 病んで頬がこけたあの頃の顔で、じっとわたしを見つめてくる。
 どうあっても消えてくれない。女御にならなければ、意味がないとでもいうのだろうか。

 体が震える。
 でも唇を噛みしめ、私は懐にしまった小刀を取り出す。
 鞘を払って両手でしっかりと持った。
 近づくのは恐ろしい。けれど、それで全てから解放されるなら。

 ……その時のわたしは、本気で幽霊を小刀でさせると思っていた。かなり正気を失っていたのだろう。
 逃れたいという一心だけで、足を踏みだそうとして――。

「危ない!」

 私の腕を引いて止め、それから小刀に気づいたその人が、わたしの手から取り上げた。
 それは、墨染めの衣を着た人だった。

 彼を見てとっさにわたしが思ったのは『良かった』というものだった。
 雅仁様じゃなかったから。
 でなければ自分が何をしたかわからない。発作的に小刀で刺そうとしたかもしれない。

 ただ、そのお顔が雅仁様に似ている。
 誰だろうと思いつつも、私は母の亡霊を振り返った。亡霊の姿はどこにもない。
 ほっとするわたしを、僧侶が部屋から連れ出した。その時には、彼が連れてきたらしい何人もの男達が、僧侶の指示で火を消し始めている。
 わたしはそのまま別な部屋へ避難させられたのだけど……。

「大事ありませんか? 一の姫」

 右大臣家の一の姫だからだろう。僧侶はそう尋ねてくる。
 ようやく顔を隠すことも忘れていたわたしは、袖で口元を隠してうなずいた。

「それにしても。なぜ火をつけたあげく刃物を振り回していたのか……。雅仁の奴め、俺に自分の尻拭いばかり押し付けやがって」

 嘆息とともに彼はうつむいて、小さく毒づいた。
 その言葉に目をまたたく。
 しかも身動きしたせいで、彼の布を巻きつける形の帽子が脱げかけて、しっかりと残っている髪が見えるのだけど……。

「僧侶様では、いらっしゃらないのですか?」
「あ、しまった」

 彼は慌てて布を深く被るものの、見てしまった記憶を消せるものでもない。そのことに思い至ったのだろう。諦めたように彼は言った。

「東宮様のご命令でな。君がいろいろと画策しないように見張れといわれてきた。むしろ君はそれほど錯乱しているようにも見えないが……。なのになぜ、屋敷に火をつけようと?」

 問われて、わたしは急いで様々なことを考えた。
 雅仁様は温情からこの人を差し向けたわけではないだろう。そして彼は、本気で苛立ったような声音からすると、雅仁様に多少なりと反発を感じているらしい。
 だったら、と思った。
 もしかするとわたしに同情してくれるかもしれない。

「亡霊が現れたのです。怖くて、逃げようとして灯台が倒れてしまって。それでも亡霊が近づいてきたから、誰も側にいないので、立ち向かうしかないと……」

 怖かったのは本当だったから、思い出して涙目になりながら身震いすると、彼は、やや同情してくれたようだ。

「それは気の毒というか、勇敢すぎるというか」
「ですから、お坊様がいらしてくださったからだと安心していたのですけれど……」
「それで、大人しかったのか」

 彼は納得したようにうなずいた。どうやら信じてくれたようだ。
 そのことにわたしはひどく安心する。思えば母の亡霊のことなど、誰にも話したことはなかった。雅仁様にでさえ。

「ならば、この場から移動しましょう。良ければ、近くに私が所有する別邸があります。どうも屋敷の中とはいえ、情緒が不安定のはずの女性を一人きりにしたりと、ここの環境も良くないようだ」

 確かに母の亡霊がいた場所からは遠ざかりたい。小火を出してしまったのだから、きっと父の右大臣もますますわたしに怒りを募らせるだろう。

 今のわたしには落ち着く余裕が必要だ。
 そして考えなければならない。
 恋して捨てられたわたしが、報われる方法を。
 葵姫をその座から引きずり降ろすことができれば、きっと心安らげる日々を手に入れられる。
 必要があれば、雅仁様も……。

 わたしの恋を終わらせるためにも、葵姫の苦悶する姿と、今のわたしのように何もかもうしなったあの方の姿を見たかった。
 わたしの心を弄んだことを後悔し、泣いて詫びる無様な姿を見たら……きっと、わたしは思いきることができる。
 こんな考え方をするのは、もう一人分の記憶が蘇ったせいなのだろう。それまではただ葵姫だけを恨んでいたけれど、今のわたしは自分の苦しみをあの方にも味わわせたくてたまらないのだ。
 自分と同じになったと確認できたら、きっとわたしは満足できる。

 そのためにもこの方についていこう。何よりも彼の傍にいる今、不思議と母の亡霊は見えない。
 と、そこでわたしは重要なことを思い出す。

「あの、貴方様のお名前は? わたしをどちらの家へお連れになるのです?」
「ああ失礼した。私の名前は秋義」

 その名前だけでわかった。彼は雅仁様の異母弟。秋義親王……でも今は。

「式部卿の宮様?」
「ご存じでしたか。姫のお父上には、後から私が連絡を入れよう」

 わたしはしっかりとうなずいて、秋義様についていったのだった。


 その後、いくらか月日が経った頃に、東宮雅仁様が落飾され、東宮の位を退かれることになった。
 東宮様の女御がそれに付き従って、京の隅にある院に共に移り住まれた。
 代わりに次の東宮となったのは、雅仁様の叔父。
 それと前後して、わたしは秋義様の正妻となっていた。

 こうなるまでの間には、色々とあった。
 ようやく一番何が欲しかったのかがわかったわたしは、揺るがずに行動し続けられたのだけど、その支えになったのは、昔皇太后として過ごした知識。
 それが、わたしの願いを叶えるための力になってくれた。

 わたしは今日も、自分を許して欲しいという嘆願と同時に、わたしへの美辞麗句を書き綴ったあの方からの手紙を待っていた。
 なにせわたしは、秋義様からご紹介いただいた陰陽師の手を使い、あの方の正妻となると同時にまた現れた母の亡霊を、正しく恨むべき相手へと送ったのだから。
 今頃は毎晩のように「なぜ娘を女御にしなかったのか」という恨み言をささやかれているはず。

 お気の毒だけれど、恐怖と共に、一生わたしのことをお考えになれば良い。
 でもわたしがあの方を救う気はない。
 あの方には父右大臣が受領の娘に生ませ、必要ないからと打ち捨てられかけた私の異母妹を向かわせた。
 食うや食わずの生活に陥るところを救われ、あの娘はいたくわたしに感謝してくれている。わたしが言う通り、雅仁様をご病気の方として優しく接するだろう。

 泣くばかりの葵姫に、雅仁様もどうにもできず、顔を合わせない日の方が多くなっているらしいので、きっと優しい異母妹に魅かれてくれるだろう。
 女御という立場を追われ、左大臣に恨み言を言われ続けたらしい葵姫は、それを見てどう思うだろう?
 それを想像するだけで、私は心から幸せだと感じられるようになっていた。

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