FILE.2 与えられた試練
ようやく、黒の組織を追い詰めた!!
コナンは興奮し、胸を上下させながら、同行していた灰原の腕を掴み、大きな柱の陰に隠した。他の入り口から、FBIの面々も進入しているはずだ。危険な場所にもかかわらず心が躍るのは、念願だった敵の本拠地に足を踏み入れたせいだろう。高鳴る鼓動に沈めと命じるように、拳骨で胸を二度小突いた。
「灰原、ここで待ってろ。奴らが居ないかどうか先に一通り見てくる」
「あ、工藤くん!」
悪いな、灰原。お前を連れて行くワケには行かねーんだ、と心の中で謝り、哀の声を背中に、コナンは足音を立てないように気をつけ、そのビルの階段を駆け下りた。元々、哀を連れていくつもりは微塵も無かった。しかし本人のほぼ強引なの希望で、渋々ながら、同行させざるを得なかったのだ。
だがここからは、何があっても通させない。コナンは階段の傍にある重い鉄製の防火扉を力いっぱい閉めた。大きな音が鳴り響いたと共にロックを掛ける。他の出入り口も、FBIが何らかの措置で封じているはずだ。これで哀は前には進めなくなった。
直ぐにパタパタと足音が聞こえ、激しく扉を叩く音が響いた。
「工藤くん、何してるの!?開けなさい!」
反響した声を二重に轟かせながら、哀の叫びが耳に届く。
「ここから先は危険だ、何が待ってるかわからねぇ!灰原は来るな、足手纏いになる。帰ってろ!」
冷たい言葉を浴びせかけると、微《かす》かに|啜り泣きの声が聞こえ、コナンの胸は痛んだ。しかし、立ち止まっている暇は無い。今の防火扉の音と、この声で、きっと奴らに気付かれたに違いない。
「直ぐにここから離れろ、灰原!」
灰原が早くこの場を離れる事を祈りながら心の中で手を合わせ、コナンはただがむしゃらに走った。
「畜生…どこだ、どこに薬の手がかりが?」
辺りに気を払い片っ端から部屋の中に入り、それらしいパソコンを捜索する。奇妙な事に、一階はどの部屋にも窓が無く、蛍光灯の光が頼りなさげに揺れている。
遠くで慌しい話し声が聞こえ、コナンはあわてて明りを切った。部屋を出ると、案の定数人の足音が聞こえ、じっと扉の陰に隠れて奴らをやり過ごす。壁に張り付いて息を整えた。中でも凍りつくほど冷たかった声、そして姿を見ずともわかる、刺すようなオーラ。ジンが側にいる、相当厄介な事だ。
そして、極力騒音と人気を避けながら書庫のような一部屋に入ったとき、背後で突然人の気配がした。
「そこを動くな」
低く、押し殺した声。背中に何か硬いものが押し付けられたのを感じる。背筋を一筋、汗が流れた。
「ガキがよく一人でここまで来れた、と言いたい所だが、一人じゃないみたいだな。…FBIと一緒か。何者だお前は」
痺れるような、痛いほど息苦しい視線。恐ろしいほど強い殺気だ。鳥肌が立つ。相手の正体を知るのは造作もなかった。夢にまで見た男。執拗に宮野志保を探していた危険な男。そして、宮野明美を利用して殺し、遡れば自分をこんな姿にした張本人。コナンのこめかみを、汗が伝い、コナンは上着の裾でそれを拭いながら、ジンの射るような目を睨み返してみせた。
「Need not to know」
はっきりした声で拒絶する。この男に知られるわけには行かないのだ。せめて、灰原が遠くへ逃げるまでは。
「言うつもりはない、か。せいぜいあの世でいい夢でも見るんだな」
ジンの手の銃が、コナンのこめかみまで持ち上げられる。
殺される―
そう思ったとき、ゆっくりと扉が開いた。扉が開くより一瞬前に、ジンの気が逸れたのに気付き、コナンは感服した。
「…ベルモット、何の用だ」
ドアの入り口に腕組みをして立っていたのは、表向きは外国の女優、クリス・ヴィンヤード。コードネーム=ベルモット。そして、もう一つの顔はそのクリスの母親、シャロンでもある。そう、彼女はある理由により二役を演じていたのだ。以前FBIから聞いた、指紋の話で確証を持った推測。
銃を向けられてるコナンを見ても顔色も変えず、彼女は平然とジンに告げた。
「『あの方』に頼まれたのよ。侵入した少年を連れて来い、ってね。どうやらその子のことみたいじゃない? 丁重にもてなさなくちゃね」
ジンは苦々しげに銃口を下ろした。気分を害されたというように舌打ちする。
「もう少しで殺す所だった。…さっさと行け。死期が少し延びたに過ぎん。ほんの少し、な。鼠どもにも言っておけ」
含みのある口調でそう言い不機嫌そうに鼻を鳴らすジンを宥めるように、ベルモットは肩を竦めてみせた。
ベルモットは、コナンを助けてくれたのか。明らかに黒ずくめの仲間のボスが、小学生に会いたがるなどとは考えられない。そう考えながら、コナンは胸を撫で下ろした。とにかく、窮地は脱したのだ。
ジンが入り口を顎でしゃくると、コナンはジンの動向を注意深く見つつ、ベルモットの方へと歩いていった。
「さぁ、来なさい」
強く腕を掴まれ、顔を歪める。後ろからは冷たい視線が刺すように注がれているのがわかった。出て行ってドアを閉めるとき、ジンが物凄い形相で睨みつけているのが見え、コナンはベルモットに感謝した。
「助かったぜ…ベルモット、どうしてあんたが俺を?」
早足で更に奥に進んでいくベルモットに、コナンが訊ねた。
「助ける?」
「あぁ、てめーらのボスが俺を呼んでるなんて、嘘だろ? 第一何処の組織のドンが、俺みたいな小学生を呼ぶんだよ、どうせジンに嘘ついてくれたんだろ。通り魔事件に恩を感じて」
「残念ね、外れよ。Cool guy いいえ、工藤新一。聞いてたわ。信じられなかったからしばらく私自らが調査したけれど…」
長い髪を振り払った、余裕綽々なベルモットの態度。その艶っぽい女から出た言葉にコナンは大きく目を見開いた。その言葉の意味を考え胸が激しく打つのを、必死で悟られないようにする。ベルモットが自分の正体に気づいているだろうことは想定内だった。自分の母であり、シャロンの旧友である有希子によって、自分の幼い頃、つまりコナンの姿の写真を見せられていてもおかしくはない。だが、一言がコナンの思考力を停止させた。
「聞いてた、だと?」
「…驚いた?この先に答えがあるわ。知りたいのなら入るのね」
立ち止まったベルモットは、白い扉の前で、コナンに入るように促した。
"答え"
何の答えだ。何故ベルモットは俺の正体を知っているんだ。石になる魔法でもかけられたかのように重い身体。
「答え?一体何の…」
辛うじて出た声はしわがれて、喉はカラカラに乾いていた。知りたい。しかし、嫌な予感が頭を過る。
「入れば判る事よ…Cool guy」
高飛車な彼女からは想像できなかったどことなく静かで優しい声に、コナンは少し落ち着きを取り戻した。
「道案内ありがとう、ベルモット」
ベルモットは、穏やかに微笑むと、ある"物"を持たせて踵を返した。
「使うかどうかは、自分で決めなさい。私が今あなたと行けば、有希子を悲しませる結果になるから、さようなら。Good luck」
コナンの手に、ずっしりと重い感触が残された。それを、何の躊躇いもなくズボンのポケットに仕舞った。
"有希子"
ベルモットが紡いだその名前から、コナンの頭には、既に、黒幕の正体が浮かんでいた。きっと、今の自分は顔面蒼白に違いない。考える事を、意識的に拒否していた人物。考えたくなかった人物。
運命の扉を、開く…
ゆっくりとドアノブに手をかける。
ノックなど、他人行儀な事はしない。
外れていろ、こんな推理。ギュッと目を閉じて深呼吸した後ドアをに手をかける。恐る恐るその手首をひねった時―そこに広がっていたのは、大きな窓、そして革張りの椅子、大理石の机。革張りの椅子は、コナンに背中を向けていた。
どうしようか。
一瞬、とても帰りたい気持ちになった。今は未だ、知りたくない。いや、これを現実のこととしてしまいたくは無かった。今この瞬間、夢だと誰かが目覚めさせてくれればいい。そう考え、一向に起こされない夢を呪った。
その時―革張りの椅子が、くるっと百八十度回転した。
「まさか…」
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