FILE.19 傷付いたモノ、複雑なオモイ
翌日は、昨日の疲れが出たのか、コナンは八時過ぎに医師の回診があるまで全く目を覚まさなかった。有希子はコナンの無事を再確認すると、色々とアメリカで手続きをするからと、名残惜しそうに発って行った。優作を霊安室に眠らせたまま―。
入院生活というのはまるでやる事がない。気になっていたベルモット達の容体をしようと、博士が見舞いに来ると残した有希子のメッセージを無視し、看護師に聞いた集中治療室へ向かう。
ベルモットの容態については聞いていたものの、改めて直接血の気の失せた白い顔のベルモットを見ると、とても辛い気持ちになる。目の前の長椅子では疲れて眠ってしまった哀が寝返りを打っていた。
「彼女の友達かね?」
小さく硝子を叩く音とともにコナンが振り向くと、硝子の扉越しに、集中治療室の中から温和そうな老医師が微笑みとともに立っていた。
「うん、病室にいなかったから、ここかなーって思って」
「そうか、お嬢ちゃんなら、朝方まで一睡もしないでじーっと心配そうにあの女性を見ていたんだが、何しろ彼女の体調も良いとはいえなくてね、鎮痛剤をあげたんだよ。よく効いてすっかり眠ってしまったようだ」
親切な事に、老医師は小さな毛布を出して来てくれる。
「ありがとう」
コナンは哀にそれを掛けながら丁寧に礼を言う。そしてもう一度無機質な部屋に横たわっているベルモットの方を見遣った。
「案ずる事は無いよ、大分快方に向かってるし、こんなにも心配してくれる娘がいるんじゃから」
老医師がプロの目になったとき、コナンはようやく胸を撫で下ろした。
「じゃ、わしは朝の回診があるから」
老医師が去ると直ぐに哀が目覚めた。
「…私、寝てたの?」
素早く起き上がった哀は、コナンを見つけて問うた。
「無理もないさ、意識が戻ったばっかなのに、一晩中起きてたって?体力が付いていかないだろ」
哀は目を擦り、欠伸を噛み殺しながら硝子の部屋を覗き込む。
「峠は越した、ってさ。お前、何でベルモットがそんなに心配なんだ?」
哀は真剣に考え込む。
「…私を庇ってくれたから。それに、彼女が私の叔母って知る前は、怖かったし、憎んだけど、何故か今は穏やかで、彼女に生きて欲しい、って思うの。唯一残った、私の家族なのよね」
ぎこちなく紡がれた言葉達は、滑らかな科白よりよほど信じられる気がした。
「そっか…」
家族、その響きにコナンは少し哀しそうな表情になった。正真正銘の家族だった。そう信じていたのに、自分は両親の闇の部分に気付かず、それを追っていたなんて。
「灰原」
急に真剣な口調で躊躇いがちに哀の名を呼んだコナンに、哀は一瞬動作を止めて彼に見入った。
「…証人保護プログラム、受けないかって話があるんだ」
哀の表情が引き締まる。以前、哀はFBIからその話を持ちかけられ、断ったことがある。
「…工藤くんはどうするの?」
コナンが言葉に詰まる。哀は視線を斜め下にずらした。
「難しいわよね…誰にとっても」
声のトーンを落としながら哀が呟く。
「私たちも覚悟を決めるべきかもね。組織の残党がいつ襲い掛かってくるかも知れないし」
コナンも言葉を呑み込んだまま神妙に頷いた。予想どおり、ジンの遺体も瓦礫からは発見されなかった。これが一体どんな騒動を引き起こすのか、見当もつかないが、黙っているほど大人しい奴らではないだろう。既に、病院に入り込み、隙を窺っているのかもしれない。その時、階段から足音が響いて来て、二人は話を中断した。
「哀くん、新一くん。ここにおったのか」
「博士…」
複雑なコナンの胸の内を知ってか知らずか阿笠は遠慮がちにコナンから距離を取り、哀の横に腰を降ろした。
「二人とも、本当にすまんかった」
徐に頭を下げた阿笠に、哀は戸惑いの表情を見せた。コナンは頭を垂れた阿笠をじっと見つめていた。
「博士…。何故、謝るの?」
哀が阿笠の肩に手をやり、顔を上げるように諭す。
「わしは、君たちの父親と旧知の仲でありながら、二人を止める事ができなかった。わしが彼らを止めていれば…二人と、そしてエレーナさんも絶命する事はなかったじゃろうに」
涙に濡れた瞳を隠すように阿笠は更に俯く。哀はきっぱりと言い切った。
「博士のせいじゃないわ…。運命の輪は回りだしたら本人にしか止められない。だから、もう気にしないで。一つ一つ、責任を背負っていたら、私は幾つの罪を背負わないといけないか…現に私は、毒薬を作り出してしまった。博士がしたことは、取るに足らないことよ」
暫しの静寂の後、コナンは阿笠の身体が震えていることに気がついた。哀は背中を摩りながら、小さな子を宥めるように優しく、尚も話し続ける。
「博士は、私を匿ってくれた。私が博士の傍にいれば、工―いえ、彼が手を出さないと知っていたから。おかげで、私は今、生きてここに居るのよ」
哀はコナンの表情の変化を読み取り、名前を呼ぶのをやめた様だった。
「ありがとう、博士」
今まで見せたことの無い、優しく柔らかい笑みを投げかけ、哀はゆっくりと手を阿笠の皺の寄った手の上に置いた。
「哀くん…すまんの…ありがとう」
そんな二人をコナンはバツの悪そうに見つめ、徐に話を切り出した。
「博士、一緒に父さんの所…霊安室に行ってくれないか」
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