あいつ 〜序章
作:サー・トーマス



4 離別


 あいつは俺と会って一年後、大学2年のとき、イギリスに渡った。

 サッカー留学というやつだ。
 そして俺たちは終わった。

 その時の話をしよう。

 あいつがイギリスへ行くと言い出したとき、俺は反対した。あいつの将来を考えた訳じゃない。
 全く俺のエゴからだ。

 俺のベッドで行為を終えて微睡まどろんでいるとき、俺の腕の上で何か考えていたあいつがこちらへ向いて口を開いた。
「・・・大介、・・・俺、イギリスに行く」
 俺はびっくりしてあいつを見た。前髪が額の真ん中で別れ、頬に垂れている。美しい顔の造作と優しい頬の輪郭によって、始めて見る者に女と言っても分からないだろう。

「イギリスの大学へ留学の話があるんだ」
 俺は最初、冗談かと思った。
「・・・行って良いだろ?」

 あいつが俺から離れると言っている?俺は頭が混乱してあいつを凝視していたが、
「が、学業をどうするんだ!サッカー選手になるなんてうまくいくか分からないぞ!」
 ああ・・・次にあいつが言う言葉を俺は分かっていた。

「俺の夢だったんだよ!」
 あいつが半分体を起こして言った。撫で肩の柔らかい胸のライン。俺が愛してやまないあいつの体。
 俺は絞り出すような声で聞いた。
「・・・どのくらいだ!」
「1年か2年・・・向こうのリーグに入れたら・・・もっと」
「お・・・俺はどうすりゃいいんだ?」
 俺は膝を抱えて拗ねたように言った。あいつは俺を下から見ていた。
「・・・大介は小説家・・・俺はサッカー選手になる夢があるだろ。いつまでもこんなことをしていられないだろ?」
 俺はびっくりした!
「こ、こんなことだと!」
 あいつは眉を怒らせて言った。
「そうさ!こんなことだよ!」

 俺はあいつの言葉に逆上した。
 俺がこれほど愛しているのに『こんなこと』だと!
 思わずあいつの頬を平手で打った。はじめての暴力だった・・・そうさ、最初のあの日だって暴力は振るってない。あいつは抵抗しながらも受け入れてくれた。声を出すなり俺を蹴上げるなりして逃げる事は可能だった筈だ。
 俺の心臓は、後悔と喪失の恐ろしさに震え上がったが、次の瞬間、どす黒い怒りに張り裂けそうになった。

 あいつは下を向いて痛みを耐えていたが、目を上げた。
 その目は決意の色を湛えていた。
「これが答え?・・・分かった!」
 あいつはベッドを降りて下に散らばっている下着とバイク・スーツを取ろうとした。
 俺はあいつを叩いたことを本当に後悔していたが、あいつを追ってあいつの肩を掴み、乱暴にこちらを向かせた。

「行かせるものか!お前は俺のものだということを分からせてやる!」

 俺はそのとき、どうしようもないくらい傲慢だった。まだ俺の性欲は充たされていなかった。あいつを服従させたいという欲望で、俺のものは再び充血していた。

 あいつをその場で組み臥した。
 あいつの左手を罪人の様に後ろに捻った。左肩を上にして寝かせた。左の乳首を荒々しく貪り、左腿を上げさせて俺のペニスをあいつの俺だけの『口』に差し込んだ。あいつの肛門は数分前の交合に、まだ柔らかく熱く濡れて開いており、俺のものをぬるりと受け入れた。

 あいつのたぎるような体の中!あいつの粘膜の襞という襞が俺の肥大しているものに絡む!
 あいつは目を瞑り俺の律動に応えている。息が荒くなった。

 どうだ、お前の体は俺を求めて居るんだ!俺から離れるなんて絶対に許さない!

 俺のあいつを犯す姿は、美しい奴隷を欲望の赴くままに嬲る、圧制者以外の何者でもなかった。
 粘膜の摩擦に十分慣れていた俺の一物は放出するまで長い時間が掛かった。射精の長さと間隔もいつもよりも長かった。俺は絶頂の間、阿呆の様に口を開けて声を出していた。あいつの『子宮』に俺の精子を注ぎ込むという情念が全てを支配していた。

 出し切るとあいつの上気した顔を掴んで長い口づけをした。あいつの舌をさっきやったよりさらに執拗に吸った。あいつは目をとろんとさせ俺を見ている。

 後戯が終わると、俺はあいつをベッドに寝かせるために、優しく抱いて立たせた。あいつは浅く息を突いて、ぐったりと俺に体を預けている。

 俺は勝利感を感じていた。あいつを肉体で説得したと思った・・・

 そのとき、俺は股間に激しい痛みを感じ、睾丸を押さえて蹲った。
 あいつが強烈な足蹴りをくれたのだ。あの最初の時でさえ、あいつはそんなことはしなかったのに。
 あいつは俺を見下してよろりと壁に背を付けた。あいつの内腿には、今俺が注いだ精液が流れていた。苦痛で動けない俺に言った。

「俺はあんたの精液処理係だったんだね」
 そして俺に宣告した。
「・・・大介さん、さよなら」

 あいつは大学を中退して渡英した。最後に俺の悪友達と飲んだ。あいつは、俺とのことは何事もなかったかのように悪友達と談笑し、名残を惜しんだ。
 H、S、N達はあいつの将来への挑戦を心から祝福していた。
 あいつは遂に俺とは一言も話さず、俺と目が会うとすぐ目を外向けた。その目には『軽蔑』と既に俺に興味などないというメッセージが見て取れた。

 俺はあいつが去ってから数ヶ月、酒に溺れた。大学にも行かなくなった。

  * * *

 あれから2年経った。

 俺はぎりぎりの成績でやっと大学を卒業して、フリーのライターをしていた。聞こえは良いが、毎日、出版社や広告主を回り、小口の注文を取り、生活の糧を得ていた。
 あの下宿を出て行く余裕もなく、学生のころの困窮振りも同じだ。

 海外のニュースであいつの活躍を時々見ていた。あいつは大学サッカーから英国のリーグにスカウトされ、その俊敏さと容姿の良さから、人気を内外で博しだしていたのだ。
 TVの映像で見るとその動作は結構男っぽい。喧嘩っ早くグランドで相手に掴みかかることもある。だが、俺は奴の一挙一動に、俺との睦言の間に見せた美しい表情を垣間見ていた。

 俺はあいつの写真が出た雑誌を買い漁り、あいつの残した下着の匂いを嗅いで自慰を繰り返した。
 あいつの下着は乾ききっていたが、俺の哀れな鼻腔にはまだ微かな芳香が感じ取られた。

 もはやあいつは絶対に手の届かないところに行ってしまった。あいつほどの者が何故、一瞬の間でも俺の前などに現れたのだろう。

 あのとき、渡英するのに賛成し、許してやれば『こんなこと』という言葉も無く、文通ぐらいはしていたのかも知れない。あいつは俺に許しを得てから行こうとしたのだから。そして帰ってくれば、また愛し合えたかも知れない・・・

 俺が最後にしたことは、あいつを『性の奴隷』にしようとしたことだ。
 あいつへの最も許されぬ裏切り。

 俺は自分に絶望し、あいつを忘れようと仕事に没頭した。しかも、あのときから俺は小説の続きを書けなくなっていた。

 だが、ある時ふと思った。
 ・・・そうだ、あいつのことを書こうと。
 もう取り戻せないあいつへの愛を、この歴史小説に込めよう。そしてそこに登場する中年武士にその恋を成就させるのだ!

 俺はそれから少し元気を取り戻し、仕事の合間に執筆を進めて行った。


 ある日、外回りの途中、昼飯を食べるために場末の中華料理屋に入っていた。俺のテーブルから、壁の角に置かれた小型の古びたテレビを見ていた。
 お昼のワイドショーで司会者が言った。
「次はイギリスのサッカー界で大活躍、そして人気上昇中の、チャーリングクロス・デスパラーズの柳生林太郎さんです!」

 俺は頬張っていた麺を吐き出しそうになった。

 あいつが白いTシャツとぴったりしたジーパンで上段から登場した。

 司会者の所まで降りてくる時に、肩まで伸びた髪がふわと舞った。長い首が艶めかしく、腰と腿を包むジーパンはぱんぱんに張っている。一見、女のようなシルエットだ。その運動選手らしからぬ中性的な容姿に、生中継のスタジオに駆けつけた女性フアンからため息が湧き上がった。

「ひゃー、ほんとにかっこいいですねー。タレントみたいだ!」
 司会者が挨拶するあいつを見て言った。出演している可愛いと騒がれているジャリタレもあいつの前にはくすんで見える。あいつの表情は、毅然とし知的で貴族的な印象を与えていた。

「ほら、女みたいだろ!でも、あれですげえプレーするんだぜ!」
 テレビを見ていたサッカーフアンらしい太った中年の会社員が、得意げに汗をふきふき隣の同僚に言った。
 俺は口から麺を足らして、全ての動きを止めて画面に見入っていた。奥のウエイトレスが盆を持ち、気持ち悪そうに俺を見ている。

「今、イギリスで大人気みたいですね!あのベッカーもたじたじとか」
 あいつは笑って、
「・・・そんなことないですよ。俺なんかまだまだです」
 プロに移籍した時の騒ぎや、得点を入れる瞬間の映像が映し出され、話は弾んだ。本場ヨーロッパのチームの選手の中でも、確かに尋常ではない運動神経と技術の持ち主だ。

 司会者がちらとスタッフの方を見たようだ。目配せをして、にやにやしながら切り出した。
「どうですか?あちらじゃ女の子だけでなく男性の人気もあるっていうじゃないですか!」

 あいつは司会者を見ながら少し考えていたが、
「・・・ええ、よく声を掛けられます」
 司会者は身を乗り出した。
「ほお!そんなときはどうするんですか?」
「君は『タイプ』じゃないよって断りますね。ははは」

「リーグでも声を掛けられませんか?」
「・・・この間、ベッカーの前でボールを抜いてやったら、その後、わざと足を引っかけられて馬乗りになられちゃったんですけど、その時、あとで彼の部屋に来ないかって囁かれて・・・」

「そ、それで・・・?」
「先約があるからって断りました」
「・・・ほ、ほんとに先約が?」
「嘘ですよ!あはは」

 俺の知っている明るいあいつが、そこにはいた。

「恋人はいらっしゃるんでしょう?」
「・・・いましたけど」
「そ、それはどんな方?」
 あいつは少し考えていた。

「男でした」
「えーっ!」
 スタジオは騒然とした。

 あいつは平然と司会者を見ていた。思いがけない会話の展開に司会者は狂喜している。明日にはゴシップ誌や新聞ネタになる!だが、・・・まさか!
「そ、その人は今どちらへ?」
「・・・年上で小説家志望の奴でしたが、乱暴なんで、金玉蹴飛ばして別れました。へへ」
 生放送だった。

 あいつは中性的な容姿と女性的な感性の魅力を、マスコミに与えたようだ。しかもとびきりのアスリートとして。
 俺はあいつが自分を完璧な『男』としてアピールしないのを不思議に感じた。自分の将来に不利になるとは考えてないのか!司会者はあいつのこういう面を引き出してしたり!と思ったろう。だが、乗せたのはあいつ自身だということを俺は見抜いていた。

 やはり、渡英中に誰かと・・・・あいつはやはり『男』に愛される道を選んだのだ!
 俺以外の・・・

 だが、俺はあいつの変わらぬ姿を見て安堵もしていた。背が少し伸びたようだが、体の線は2年前と同じ柔らかさを保っているし、喉笛も髭も目立たない。日本の大部分の選手が髪を染めている時代だが、あいつは染めておらず、昔のように艶やかな後ろ髪を肩までさらりと流していた。

 ・・・今、あいつは日本にいる。長沢に行けば会えるのだろうか?いや、用事で帰ってきたようだから、実家の長野だろう。
 だが、会っても何が起こる?軽蔑以下の『無視』が帰って来るだけだ・・・


 俺は今、書き残していた歴史小説を完成させようとしていた。

 戦国時代に時を移して、あいつの化身と俺の化身の邂逅と恋の成就の話だ。当時の『衆道』の風俗は周知であろうから、男同士の『契り』の物語も読者に受け入れやすいだろう。
 例えば、織田信長と小姓の森蘭丸も衆道の関係にあったと言われる。本能寺で、信長の側で果てた蘭丸は信長への契りを貫いた、と考える人もいる。主従の関係の深さを衆道に置き換えただけかも知れないが。命を賭けた『契り』が、現代人に、何か裏にあるのだろう、と勘ぐらせるようだ。

 俺は推敲に推敲を重ね、独自の作風の仕掛けを練り、色々なサイドストーリーを絡め合わせた。

 ある夜、下宿で推敲に疲れ、夏になっても出している裸炬燵の上で俺はうたた寝をしていた。
夢うつつに階段を上がってくる足音を聞いた。俺の部屋の前で止まったようだ。多分、HかSだろう。就職したあいつ等は、困窮している俺に、時々差し入れを持って来てくれるのだ。戸が開いた。

 ドアが閉まった。俺は炬燵の上に胡座で突っ伏したままだ。疲れ切っていた。次に悪友の誰かの胴間声がするはずだ・・・空気が動いた。
「・・・?」
 俺は悪友の気配がしないので不思議に思って顔を上げ、目を懲らした。集中するために部屋は薄暗くしてノートパソコンのバックライトだけで仕事をしていたが、今はそれは省電力機能のために消えている。黒い人影。どこかで見た、いや、見慣れた・・・・

「相変わらず汚いね・・・」
 俺は目を疑った!
 あいつはブーツを脱いでキッチンへ上がり、俺の居る居間に入ってきた。あの銀色がかったバイク・スーツだ。俺にはシミがある場所まで分かる。俺は胡座を描いたまま後ずさろうとした。

「・・・やあ、大介さん。元気?」

 俺は声が出ない。遠い昔失った愛がまた戻った?・・・いいや、そんなことはない。甘えるな。俺はあいつを『性の奴隷』にし続けたのだ。そう罪を宣告されても言い逃れは出来ない・・・
 その証拠にあいつの声の調子は冷ややかだった。愛情のひとかけらも感じられない、乾ききった言葉。

 恋人だった頃、甘えたような声をして、笑いながら入ってきたあいつの姿が脳裏に去来した。
 それなのに何故、こんな処へ!苦痛では無いのか?俺に犯され続けた部屋に!

「・・・ど、どうしてここへ?」
「ふふ、どっかで一回聞いたような質問だね。でも誤解しないで。別の用事で来たんだ」
 あいつは俺の前に炬燵を挟んで胡座を描いて座った。

 懐かしそうに部屋を見回すと、
「みんな、元気?」
「・・・あ、ああ。時々ここへ来るよ。もう色々に就職しているが」
「会いたいな、みんなに!」
 俺の期待はやはり虚しかった。俺に未練があるはずはない。だが、あいつにとって俺の悪友達は懐かしいのだろう。

 俺はぼそりと言った。
「・・・明日、電話してみるよ」
 あいつは命令する様に言った。
「あの『サッド・カフェ』で集まりたい」
 すくっと立って、
「今、長沢の爺ちゃんの家にいるよ。集まる時間が決まったら電話して」

 あいつは玄関に行こうとしたが、ふと足を止め横に動いて、俺の寝室の戸を開けた。あいつと俺が何度となく愛しあった部屋。
 俺は慌てて立ち上がろうとしたが、炬燵に脛を酷くぶつけて蹲った。
「うぐっ!」
 無様だった。

 手探りすることなく電灯をつけたあいつは、俺のベッドの上にあいつが2年前に残していった、黒いナイロンのビキニパンツがあるのを見た。下にはあいつが写った雑誌のグラビアと丸めたティッシュが散乱していた。
 あいつは哀れそうに微笑むと、
「あまり過ぎると体に悪いよ!」
と言って、出て行った。



 お気づきのように、この物語は同性の恋であるが故、引きつけれられ、求められ、疑い、憎愛の感情が交錯します。本編はこの後、大介が書いた小説の映画化の話しまで発展し『俺たち』の愛のいくさが語られます。ハリウッドに乗り込むというスケールが大きな話にあります。全編はAUの小説サイトなどにてお読みになる事が出来ます。






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