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トライアングルの片隅で
作:みゆみゆき



第五章 電車の窓


 涼子と加奈はもう半年余り学校に行っていない。
 高校二年生になったある朝、一番はやくに登校しているはずの加奈が、始業間近になっても顔を見せない。風邪でもひいたのかな、と話しているうちに始業のベルがなりはじめた。私は昨日の放課後、いつまでも帰りたがらなかった加奈のことを思い出していた。
 一限目の授業が始まって、私は、黒板に向かっている教師の後ろ姿をぼんやり眺めていた。すると、教室の後ろの扉がそろそろと開いて加奈が滑り混むように席についた。私は、加奈にむかって「どうしたの」と小声で話しかけた。加奈は微かに首を横に振って鞄から教科書を取り出した。それっきり教科書に顔を近づけて顔もあげない。最前列に座っている涼子に目をやると、上着とスカートの間からグレーのTシャツをのぞかせて、眠っている。
 授業が終わって、遅刻した理由を問いただしても加奈は何も答えずにうつむいているだけだった。
「ほっとけばいいよ。言いたくなったら自分から言うでしょ」
 涼子は加奈の机を手のひらで軽く叩くと、眠くてしょうがない、と言いながら自分の席に戻って机に伏せてしまった。
 私は加奈のそばにしゃがんで、最近、目に見えて太りだしたウエストのあたりを見ていた。スカートのホックが外れたままの状態で、その上から脂肪がぷくりと盛り上がっている。
 膝の上に涙が滴り落ちて、加奈は唇を細かく震わせた。
「帰ろっか」
 囁くように問いかけた。加奈は何も答えない。
 私は机に伏せている涼子の肩を揺すって、帰るよ、と耳元で言った。
「なんで」
 目をこすりながら私を見た。私が加奈の方を目で合図する
 涼子は短くため息をついて鞄を机の上に乱暴に置いた。そして、
「早くしないと、次の授業、始まるよ」
 そう言って、ひとりで教室から出ていってしまった。

 住宅街の公園は、朝から降り続いている雨のせいで人けがない。 私たちは、屋根の下のベンチに並んで腰掛けている。ブランコも滑り台もしっとりと濡れて、黙って雨の音に包まれていると心の中にまで雨がしみ込んでくるようだ。私は、目の前に出来た大きな水溜まりをじっと見ている。幾つもの雨粒がその表面に輪っかを描いては消えていく。親指の爪程の石をその中に強く投げ込んでみる。しかし、その小さな音は圧倒的な雨の音にまたたくまに沈んでしまった。
「もう、学校、行きたくない」
 加奈が聞き取れないほどの声でそれだけ言った。膝の上で両手をきつく握りしめている。私は加奈の気持ちが切羽詰まったところまできているのを感じて、かける言葉が見つからなかった。
「じゃ、行かなきゃいいよ」
 涼子の切り捨てたような言い方にどきりとする。もちろん、わざとであるということはわかっている。わかっているのに私は涼子の言葉をくるむような優しい言葉を懸命に探そうとしてしまう。
 しかし、重ねるように続けた涼子の言葉が、そんな私を撥ねつけた。
「私も行かないから。それでいいよね」
 涼子はそう言いながら、鞄で自分の脛を何度か叩いた。
「いたずら電話ばかりかかってくるんだ」
 加奈の声は小さくて震えている。
「電話相談室ですう、とか言って、まわりで笑ってて」
 そこまで言って、顔を覆った。
 何人かのクラスの男子が思い浮かんだ。教室の後ろの方に集まって、何が可笑しいのかいつも笑っている。その野卑な笑い顔が頭のなかに浮かび上がり、私は軽く頭を振った。
「あんな奴ら、ほっとけばいいじゃん、馬鹿なんだから」
 涼子も同じことを考えていたらしく、馬鹿、のところに力を込めてそう言った。
「はじめはそう思ってたんだけど。何度も、何度も、夜中とかかかってきて」
 加奈の声が切れ切れに続く。肩が小刻みに震えていた。
「なんか、すっごい嫌なことばっかり、言ってきて」
 加奈のしゃくりあげる声が雨に吸い込まれていく。
 私は靴に飛んだ泥を見詰めたまま、身体を固くしていた。
「泣いてたら、駄目だよ」
 涼子の声が、低く響いた。
「あいつらの思うつぼじゃない」
 涼子は怒りをぶつけるように、髪止めをはずして遠くヘ放り投げた。そして、鞄の中身をその場にぶちまける。
 教科書、ノート、ぺンケース、ブラシなどが音をたてて足元にちらばった。
「なんで泣いたりするんだ。あんな奴らの為に。なんで泣いたりするんだ」
 ひとりごとのようにつぶやきながら、それらをひとつひとつ拾いあげては、次々に水溜まりの中に投げ込んでいく。涼子の長い髪が、その度に大きく揺れた。
 教科書の表紙の文字が、瞬く間に泥にまみれていった。

 通勤時間をはずれた地下鉄は乗客もまばらだった。
 私たちはひと言も話さないまま、扉の前に並んでいる。傘から滴る雨水が足元に盛りあがった。私は、傘の先でそれをのばしながら、涼子の言葉をかみしめていた。
「私も行かないから」
 何の迷いもなく言いきった。私は、そんなこと言えない。加奈の苦しみを思んばかる振りをして、結局、自分を守っているのだった。
 上目使いに電車の窓を見る。そこに写った彼女達は、やはり俯いていた。その心の中は私には分からない。
 再び床に目を落とすと、涼子が傘の先で何かを書いている。Jhon、Paul、と丁寧に書きこんでゆく。私は、その横にRingoと加えた。
 顔を上げると、窓に映った涼子が私に笑いかけた。
「これから毎日、昼間っから聴けるんだよ、いいでしょ、ね、加奈」
 加奈は微かに頷いた。
「沙羅も、放課後、来るといいよ」
 私を窓ごしに見つめる。その視線が私の心の中を射ぬいていった。
 かなわない。私は決して涼子にはかなわないのだと、静かに思った。

 翌日から二人は学校に来なくなった。












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