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ロマンス・フライ(3)

常に、少女は優秀であることを求められてきた。

甘えたい盛りだった幼い頃から、英才教育を施されてきた。
実際伊吹伊織かのじょは常に成績優秀だったが、それは彼女が天才だからではなかった。
テストでよい成績をとった時。かけっこで一番だった時。
父親は彼女を褒めて、なんでも好きなものを買い与えた。
教師も大人も、誰もが優秀な子だと口々に言い、それは実際そうだった。
けれどそれは彼女が天才だからではない。
生まれた瞬間から神に愛されたが如く、高い才能を持つ人間は確かに存在する。
だが彼女は決してそうではなかった。
確かに容姿は神に与えられた才能だと言えたが、ほかの能力は一般人となんらかわりない。
それでも彼女が天才だの何だのと言われるような素性を持つのは、ひとえに伊吹伊織という少女が凄まじい努力家であった結果に過ぎない。
彼女は誰かに褒められるために、誰かに認めてもらうために努力した。
なんでも一番になろうとした。そうすれば父は喜んでくれたし、死んだ母も喜んでくれるはずだと信じていたのだ。
当たり前のように裕福な生活をし、褒めてもらうために努力し続けた。
中学校に入って、自分というものを認識する年頃になっても、彼女はただ努力し続けた。
やがて、ほかの同年代の少年少女がそうであるように、自己についてほんの少しずつ、わずかにだがしかし確かに考え始めた頃。
自分が努力して得たはずの数々の才能や呼び名や他者の中のイメージは、ただの重荷にしか見えなくなってしまっていた。
それがつい最近、ここ一年間ほどの彼女の胸にあった寂しさの原因だった。
しかしそれでも自分のやってきたことを否定することはしたくない。そうすることで自分が努力してきたことを無駄にしたくなかった。
だからその寂しさの理由も、寂しいということそのものも、彼女は否定したかったのかもしれない。

伊織はクラス委員だった。成績優秀でありお淑やかと言える彼女は、クラス内投票でぶっちぎり一位だった。
それはいつもどおりのことで、伊織にとっては当然の日常。
しかしそこにはわずかな疑問があったのも確かだった。
ある日中学三年生の彼女たちのクラスで行われた進路希望調査。
伊織は迷うこと無く、上位進学高への入学を希望するつもりだった。
このポートアイランドにある共同学園アイランドスクールは、十分進学高だと言える。
そもそもこの島に住んでいることそのものが一つのキャパシティなのだ。
父が作った島。父の誇りの島。自分が生きてきた故郷。
しかし、そこから見える景色は常に海の青だけ。
遠くにわずかに見通せる本土はあまりにも遠く感じられていた。
子供の頃、誇りに思っていた海上に浮かぶ町。
しかしそれは、いつの間にか伊織の中で自分を縛り付ける檻のようなものに変わっていた。

いつかそんなすべてのものを振り払って、自由になりたい。

だからあえて彼女は本土の高校への進学を希望していた。
進路希望調査の紙をクラス中から回収し、職異室に持っていくことになった時。
夕暮れの教室、いつまでも進路希望調査の紙とにらめっこしている女子がいた。
それが秋風響。彼女がいまいち好きになれないクラスメイトだった。

「早く出さなきゃいけないのはわかってるんだけど、どうしたらいいかなあ、って」

催促する伊織に、響はそんなことを言った。

「伊織ちゃんは、どうするの?」

本土の進学高校に進む事を告げた時、響は少しだけ意外そうに目を丸くして、それから首を傾げ、

「この島が嫌いなの?」

そうたずねた。
もちろん嫌いではない。ただ少し窮屈に思えてきただけだ。
外に出れば自由になれるのではないか?そんな風にただ漠然と考えていただけだ。

「私はまだよくわかんないな。正直言うとね、ぜんぜんわかんないの。みんなはなんだかあっさり決めてたみたいだけど、私はどうしたらいいのか、どうすることが最善なのか、やっぱりわかんないな」

クラスメイトたちは適当なことを書いていた。
回収した伊織があきれるほど、その将来設計はあいまいだった。
それは別段珍しいことでも、責められるべきことでもない。
まだ中学生。はっきりいって、子供なのだ。未来のことなんて、世界のことなんて、わからない。
わからなくて当然で、わからないことを疑問にも思わない。
けれど伊織自身きちんと考えて答えを出したのかといわれると、少々微妙だった。
やはりそれも、漠然とした未来へのイメージに過ぎなかったから。

「わかんないから、わかんないなりに、考えるんだ・・・・これからのこと。だから今日は先生に謝って保留にしようかなって思う。だって、だってね、自分がちゃんと納得してないのに、まだ先のことはぜんぜんわかんないのに、決め付けちゃうのはどうかと思うから」

響はそういって微笑んでいた。
その笑顔が無性に気に入らなくて、無性に腹が立った。
この子は自由になりたいなんていう気持ちはわからないんだ。私の気持ちを知らないんだ。
先のことがわからなくても何かしていなきゃいけないことだってある。
立ち止まりたくたって立ち止まることが許されない人だっている。
何の不幸も背負わず、へらへら笑って生きている人に何がわかるのか。
結局そんなのは自分の意思でモノを決められない人間の言い訳にすぎないじゃないか。
世界は止まらないし、時間も止まらない。選んで選んで、その連続で時は成立する。
立ち止まっていたら誰も認めてはくれない。
誰も褒めてはくれない。
しかし何故だろうか?進路希望調査の欄を、伊織は空白のまま提出することになった。


事実、響はその時自我というものを持たない少女だったのかもしれない。
しかしその少女が見ていた未来は、確かに真剣にその瞳に映っていた。
自分もそうやって、未来をきちんと選ぶことが出来たらいいのに。

優柔不断だと、意思がないと決め付けて、見下そうとしていた矮小な心。

見下そうとしていた少女は、いつしか自分というものを正面から見つめ、未来を模索しようとしていた。
その姿があまりにもまぶしすぎて、あまりにも悔しくて、

だからきっとそう、寂しくなったのだろう。


その世界に、人を地に縛り付けるものは存在しなかった。


少女はたゆたう。

まるで、すべての法則から解き放たれ、自由になったかのように。





⇒ロマンス・フライ(3)





「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」

じたばたじたばた。
上下左右の概念ロジックが存在しない空を、ジャスティスは舞っていた。

そこは、無重力空間だった。

心理領域、自由ノ空ロマンス・フライ
伊吹伊織の内在世界。自由を求める心が編み上げた自由の姿りょういき
足元に見える青空の景色を見下ろしながら、飛んでいってしまったサングラスを慌てて回収する。

『ま・・・マスターッ!!急に呼び出さないでくださいとあれほどっ!!!』

何が起きたのかまったく把握できていない彼の理論武装メイドがギターの姿のまま大声で叫んだ。
澄み切った青空。空に浮かんだ高層ビル。大地の存在しない世界。そこにはただ、空がある。
自由ノ空ロマンス・フライには大地が存在しない。ただそこには空があり、重力と呼べるものも存在しない。四方八方ただただ空が広がり、原型となる町並みはただ空に浮かぶ建造物しかない。
それらはまるで本来の役割からはずれ、空を彩る無数の塔のようにも見えた。

「うおっ・・・・マジかよ・・・・無重力って・・・うわ、ぜんっぜんうごけねえーーーーっ!!!」

自由という名の空は、ジャスティスにとって・・・いや、人類にとって余りにも不自由だった。
人は重力というものが存在するからこそ自由に活動できるのだ。
人は空を飛ぶ翼も持たず、水の中を自在に進む鰭も持たない。
あるのは台地を踏みしめ歩くための二本の足だけだ。
無重力状態、しかもまったくの無風である自由ノ空では彼はまったく身動きが取れなかった。
振り返ることも、体勢を変えることも、何一つ出来ない。手足は自由に動いたが、ただそれだけだ。

『ま、マスター・・・・これは・・・・あまりにも・・・・』

「ま、まじで何にもできねえーーー・・・・ッ!!!うわっち!?」

突然背後から飛んできた巨大な棘が背中に直撃し、空をくるくる回転しながら吹っ飛んでいく。
重力が無いということは、一度突き飛ばされたら何かに激突するまでとまらないということ。
そのままのスピードでジャスティスは空に浮かぶビルの一つに突っ込んでいった。
窓ガラスをぶち破り、内部に突っ込んでもなおとまらない。

「こな・・・くそっ!!」

蒼ノ詩フランベルジュを白塗りの床に突き刺し減速するとなんとか停止することが出来た。
ここでとまることが出来なかったら向かいの窓から飛び出し、そのままどこかへ行ってしまうところだった。
顔から噴出すようににじんだ冷や汗を拭い、コートを脱ぎ捨てた。
この空間では何かに激突するまで止まれない。逆に言えば何かにひっかかったりしたらそのまま大きく予定した行動とは違う結果になりかねない。
無駄に丈の長いロングコートはこの空間では下手をすると邪魔になるだけだった。
黒いワイシャツのボタンをいくつか上から外し、ズボンのベルトを閉めなおす。

「あーくそ、めんどくせえ心理領域だな・・・・っ」

どこかのオフィスらしい空間。宙に浮かぶ無数のデスクを蹴り継ぎ、ビルの外壁まで移動する。
ここで出来る移動は、モノからモノへの飛び移りしかない。何かジェットエンジンでもつんでいればそうでもないのだろうが、あいにくジャスティスの能力は空を飛ぶためのものではない。
そして出来る攻撃と言えば、命中率の異常に低い一撃離脱ヒットアンドアウェイかモノを投げつけることしかないだろう。
とりあえず急いで確認するべきは共に領域に引き込まれた伊吹伊織がどうなったか。
そして敵が先ほど打ち込んできたものがいったいなんなのか。

「隣のビルまでいけるか・・・おりゃああっ!!」

隣のビルまでは3,400メートルほどといったところか。
勢いを付けて壁をけりつけ、飛んでいく。
その途中、上空(ジャスティスから見て)から降り注いだ1メートル強ほどの大きさの無数の棘。

「やっぱ撃ってきたか・・・・!」

棘の数は6発。そのうち4発はギターで叩き落したが、一発が肩にかすった時その衝撃で体が横に回転してしまい、そのままもがいていると最後の一撃が後頭部に直撃。縦に回転しながら下に位置するビルの外壁に激突した。
普段の彼ならばあんな攻撃なんともない。そもそも一撃一撃の威力はたいしたことがないのだ。
だというのにまったく持って対応がうまく取れない。強打した頭を抑えながら起き上がった。

「何飛ばしてんだアレ・・・・・」

『ようやく状況が飲み込めて来ました。マスター、あの蜘蛛のような姿をしているのが今回の吟示ぎんじですか?』

「ああ、そうか・・・お前には見えるんだったな、フランベルジュ」

人間の視界は所詮正面とその周辺に限定される。見えている角度で言えば、サイドとバックはまったくと言っていいほど視界には入らない。
背後方向からの攻撃は無重力空間では非常に防御しづらいと言える。
本来重力下では発生しないような死角スキも、ここではいくらでもあるのだ。
しかし本人には直接目視出来ない死角も、手にしたギターならば補うことが出来る。
蒼ノ詩フランベルジュは特殊な理論武装だった。ギター状態でも360℃の視界を持つ。
その視覚情報は人間にとってはピンと来ないものだったが、要するに全方向を同時に把握できるのだ。

『マスターの死角を常にとるように、背後で吟示は移動していますが・・・・しかしまるで空を歩いているように見えますね・・・無重力空間で、何故あのような重力下のような動きが・・・』

心理領域ロマンス・フライが与える影響、効果というものはそこに存在する限り万人に等しく与えられるものだ。
それが発生させた張本人いおりであれ、その所有権を奪い取った吟示くもであれ、その影響はジャスティスとなんらかわらない。
しかし吟示は平然と空を渡っているのだ。それは異常事態だった。
そのからくりを見破ろうにも、距離は何百メートルも離れているし、そもそも死角。
ジャスティスにはまったくどうしようもない事態だった。

「女の子は乗ってないのか?あいつの図体4メートルくらいあんだろ?」

『ほかに人の姿は見当たりませんね。この辺りにはいないようですが』

「まあいいや・・・・どっかで隠れてるのかもしんねーしな・・・うわっ!?」

三度目の棘による攻撃。今度はビルを背に構えていたおかげで何とか打ち落とすことに成功した。
そして飛んできたものが何であるかも確認できた。

「これ、『脚』か」

蜘蛛の吟示が放っていたのは自らの脚だった。
脚の一本一本をまるで投擲武器のように射出し、しばらくすると脚がまた生えてくるのだった。
リロードにある程度の時間がかかるものの、この空間では遠距離攻撃は絶対的に有利だ。
殴る蹴ると言うジャスティスの戦闘スタイルでは命中する見込みがほとんど無い。

「しかしまいったな・・・・・このままじゃ埒が開かない」

降り注ぐ鋭い棘を打ち落としながら、ジャスティスはぼやいた。
このままでは埒が開かないのは事実だった。いつまでたっても近づくことすら出来ないだろう。

「にしてもあの子・・・・どこいったんだ?」





「何なの・・・・・ここ・・・・・?」

伊織は青空の中を漂っていた。
そこは自分にとって限りなく自由に近い場所だった。
自分を取り巻くすべては存在しない、自分を地に縛り付けた重力ロジックもそこにはないのだ。
だというのに、まったく身動きがとれず、果てしなく広がる青空に不安を募らせる。
これが、本当に自由だというのだろうか?
ジャスティスの言葉を思い出す。
この世界が自分が生み出したもので、あの蜘蛛のような吟示も自分自身であることはわかった。
それは心理領域に来れば誰でもわかる。直感的にわかる。本能的にわかる。
目が覚めて、一日が始まった時、それが自分であるかどうかを確認する必要などないように。
当たり前に、それは自分が描いた心の内に他ならなかった。

「これが自由・・・・・・・・・?」

体を動かすことも出来ないこれが本当に自由なのか?
人は所詮、何かに縛られているからこそ生きていけるものなのだ。
それは重力も責務も何も変わらない。
伊織は、伊織と言うものを縛り付ける法則たちによって守られてきた。
人は翼を持たないから空を飛ぶことにあこがれることが出来た。
不自由だから自由を求めてる事が出来る。
実際に自由になった時、あらゆるものから解き放たれた時、そこにあるのは無為な自己だけだ。
自分を取り巻く環境のすべてが本当は自分にとって必要なもの。
そんなことに、やっと気づいた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・パパ」

自分は本当はずっと寂しかったのだと思う。
そんなのはそう、本当はずっと前から気づいていたのだ。
人は一人では生きていけない。人は連続性と集団性コミュニティを繋げて生きてゆく。
友達と呼べるものが、一人でもいたのならよかったのに。
悲しくもないのに涙が溢れる。それは自由な不自由の中、大空を漂い青く染まってゆく。

「バカみたい・・・・」

消えてしまいたかった。
自分は一人ぼっちだった。寂しかった。悲しかった。苦しかった。
そんなことに気づくために、どれだけ多くの時間を費やしたのだろうか?
誰より優秀であるために努力し、手にしたものはなんだったろう?
確かに名声と呼べるものは手に出来たのかもしれない。しかしその存在は周囲にとっては近寄りがたいものであり、近寄ってくるのは友達とはとても呼べないようなものたちだった。
だからいつも一人だった。不自由だと思っていた。
しかしそんなすべてのわずらわしく感じるものたちが、自分にとって必要なものだったのだ。
そんなものにすがらなければ生きていけない人の弱さに嫌気が差す。

「消してよっ!!全部っ!!!消え去ってよ!!私がっ!!!」

叫ぶ。

「私は一人でいいっ!!!私はずっと、ずっと、これからも、これまでも・・・・っ」

涙ながらに叫ぶ。


けれど彼女はまだ知らない。

この世にある限り、その不自由と自由の間に揺れ動く限り、
己の存在と他者の存在の間でもがき続ける限り、



本当に心の底から叫ぶ声に、応えない世界なんて、ないということを。



「一人は寂しいよ」

両手で耳を閉じていたのに聞こえた声。
きつく目を閉じていたのに見える姿。
肩に置かれた手。そっと開いた涙で滲んだ視界の中、誰かが微笑んでいる。

「一人でいいなんて寂しいこと言わないで。あきらめたりしないで」

「・・・・・・・・・え?」

真っ先に目にしたのは、まるで宝石のように輝く真紅の瞳だった。
それはまるでこの青い世界の中、全てに逆らうように鮮やかに輝いていた。
宙を舞った黒い眼帯。息がかかりそうな距離、目の前にある笑顔。
秋風響。何をどうやってそこに現れたのか、さっぱり理解できない。
蒼い蒼い、青空を切り取ったようなエプロンドレスを纏って、少女は微笑んでいた。
そして抱きしめる。小柄な体で、同じく背を丸めて涙する少女を。

「秋風・・・・さん・・・・・?」

「きこえたよ、あなたの声」

本当は、昼間に会った時からそれは響の目に映っていた。
寂しそうな伊織の表情。そしてその周囲に広がる幻想世界。
直接目で見なくてもわかる。寂しい気持ちは、悲しい気持ちは、誰かと繋がりたいと、子供のように泣きじゃくるその気持ちは、響にはよくわかるから。
その背後で揺れ動く吟示むいしきの姿も、見なくたってわかるのだ。
それが、彼女の理論武装。それは理論武装と呼べるようなものではない。形もなければ意味もなく、理由もなければ意義もない。
理論武装と言うものは、本来誰かを攻撃したり、身を守るためにあるものだ。
それが本来の意味ことばとしてでも、それは変わらない。
自分の意思や意見、思いで他人の思いを弾くために存在する。
だから、理論武装ロジックウェポン吟示たにんのりくつを倒すことが出来る。

だから、仮に。
他人の悲しみや苦痛、寂しさを察知し、受け入れる。そんな力だとしたら。

それは、理論武装せめることばなんかじゃない。

「あなたの事情も一切合切、私にはわからないよ」

けれど笑う。

「でも、寂しいって気持ちに、偽りなんかないんだよ」

だから笑う。

「寂しい気持ちから、そんな自分から、逃げ出したりしないで」


理論武装、無為ノ声ヴァレンシア


個人としての彩を持たなかった灰色の器。
それはきっと、自己がないからそんな色をしていたのではない。
誰かを受け入れ、誰かの色をその世界に宿すために、きっとそうあったのだ。
誰かの声を、心理領域たすけをよぶこえを察知し、自在に立ち入る力。
左目に宿った呪いのようなそれは、決して人の声を無視することは出来ない。

見る必要のない痛みが、この世界にはいくらでも溢れている。
救えるものなど多くは無い。
それを知らないことで幸せに生きていく道もあるというのに。
そういった全てを見逃すことが出来ないのなら、その眼帯の奥の真紅の瞳は呪いでしかない。
しかし、それを受け入れてて誰かに手を差し伸べるだけの器を持つのなら。
それは、あるいは、万物を救うことすら叶いかねない、神からの贈り物。

それがどれだけ、自分に無為なことだとしても。

「もう一回、がんばってみようよ。今度はきっと、うまくやれるから・・・・ねっ?」

手をつないで微笑んだ。
誰かに手を握ってもらうのは、伊織にとってどれだけ久しぶりのことだったろう。
かつて幼かった頃、父と手をつないで歩いた。
離れてしまったいくつかの手をもう一度繋ぎたくても、それがうまく出来ない不器用な自分だから。
手をとって笑う響のことが、余りにも、余りにも・・・・・まぶしく映る。

「ごめんなさい・・・・っ」

涙が溢れた。それは嬉しくて、そして悔しくて流れた涙。

「本当はきっと私、ずっとあなたたちと友達になりたかったんだわ・・・・っ」

「そっか」

「なのに・・・・なのに私・・・・っ」

「そこから先は、ちゃんとここから出られたらにしようよ」

手を取り合ったまま青空の中を泳いでいく。
もうじき遠く離れた場所にあったビルにたどり着くだろう。

「かわいそうだけど、残酷かもしれないけど、この世界も、もう一人の自分も・・・・現実も心も、全てはあなたが認めて、自分で理解して、そして考えて答えを出さない限りかえられないんだよ」

穏やかにビルにたどり着いた二人の肩が窓ガラスにぶつかり、かすかに軋んだ。
青空を写し取る無数の窓の海の上を二人は泳いでいる。

「それにしても酷いよ、ジャスティスさん・・・・・」

響は一連の出来事を知っていたわけではない。
ただ、この空間を無理やり引っ張りだしたのは彼だということはわかる。
それは伊織に自分ときちんと向き合ってほしかったのだろうが・・・そこは推測するしかない。
一緒に露天を開いていたフランベルジュがいきなり消えた時、響は目を丸くして停止した。
何せ目の前から人間が一人消え去ったのである。そりゃびっくりだ。
そしてそれは、ジャスティスが彼女を呼び出したということでもある。
だから、感じるように目を閉じてその場所を探った。
慌てて後片付けをして、病院に向かって走りながら眼帯を外した。

空へ飛び込むように、坂道を駆け下り、ジャンプして、自由ノ空ロマンス・フライに飛び込んだ。

「きっとなんとかなるから。だから伊織ちゃん、諦めないで」

「・・・・・・・・・諦めるも何も・・・・・私は・・・・」

「絶対にあなたの心を消させたりなんかしない」

どうしてだろう?
何故、この少女はここまで自分に対してやさしく出来るのだろうか。
それはすでに疑問であり、謎でしかない。
わからないのに、涙が止まらなかった。

自由であるということは、不自由であるということ。
不自由であるということは、自由であるということ。

そんなことに気づけた時、きっと世界は違って見えるのだ。

「な、なかないでよう・・・・?本当はね、あなたのこと私ってなあんにも知らないんだ。だから、もしかしたらとは思ってたんだけど、もうどうしようもない状況だったりするのかな・・・?」

「違うわ・・・ふふ、違うのよ・・・・・ああ、なんだかすっきりしたわ」

「そう?」

「ええ・・・・・嬉しくって、悔しくって、でもやっとわかったの。私、あなたの事が好きだったんだわ」

「えへへ〜♪私もそうだよ〜」

「うそばっかり・・・私のことなんか知らないんじゃなかったの?」

「うっ・・・・まあ、それは・・・・・これから知っていけばいいことだし」

「・・・・・・・・・・そうね」

二人は手を取り合い、踊るように宙を舞った。
そしてビルを蹴って、飛んでいく。

この世界の在り方に異議を唱えるために。







「うおおおおおおおおおっりゃあああああーーーーッ!!!!」

ビルを蹴って高速で飛び出したジャスティスは一直線に蜘蛛へ迫っていく。
放たれた無数の棘を弾き飛ばし、接近する。
蜘蛛は何も無いはずの空を移動して避けようとするが、

「いっけええええ!!!蒼ノ詩フランベルジュッ!!!」

ジャスティスはそのままビルに向かって突っ込んでいった。
しかし彼が去り際に投げつけたギターは、蜘蛛に向かって飛んでゆく。
それもまた蜘蛛はやすやすと回避し、ビルに突っ込んだジャスティスへ視線を向ける。

そしてそこで、異変に気づいた。

吟示の真横に、蒼い光のラインが引かれていたのだ。
それは、ギターとマスターを繋ぐ絆とも言えるきずな
弦に導かれ、一直線に、ジャスティスが飛んでくる。
それはすぐ目の前まで迫っていて、吟示は対応出来ない。

「捕まえたぜ?」

その体に取り付いたジャスティスは青空に手を差し伸べて叫ぶ。

GiveMeこのてにMySwordつるぎを!!」

空にはじけた光の粒。
一度その構成を分解された蒼ノ詩フランベルジュはジャスティスの手の中で再びその形を取り戻す。

そして振り下ろす。

「つかまるものがあれば、こっちのもんだ」

回転し残像を残して唸るギター。

吟示くもの頭部に、必殺の雷撃音叉ブルーハウンドが炸裂した。



落ちてゆく。ジャスティスをも乗せたまま。

虚空の空に光った蒼い雷鳴。

そして影は、ありもしない地に向かって墜落していった。




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