Give Me My Sword(3)
「『力』は、簡単に人の心を狂わせてしまう」
庭に広がっていく心理領域。
その暗闇の中、蒼く輝くギターを手に響はつぶやいた。
「想いも、痛みも、理想も、すべては力一つでおかしくなる」
まるで予告ホームランのように。
「誰かがそれを教えてあげなければ、人は力に飲み込まれてしまう」
ギターを構える。
「歌は好き?」
いつしか彼が口にしていた言葉。
なぞるように、繰り返すように、口にする。
唇を潤すその言葉たち。その一つ一つが自らを高め、強く導いていく。
己の手を引いて往く様々な言葉たち。しかし響はそれを嬉しく思わなかった。
「私は、大嫌い」
目を伏せ、次に少女を見た時響は覚悟を決めるだろう。
フランベルジュを手にしたそのときから、その覚悟は決まっていた。
だから、改めるだけだ。
どんなものにだって、容赦したりなんかしないって。
⇒Give Me My Sword(3)
「はあ・・・・・はあ・・・・・・・っ」
「まだまだですね。何度やってもうまくいかない・・・・才能が無いのでは?」
組織の地下、あまったスペースで用意されている訓練場があった。
ただっ広い鉄の空間の中、全身から汗を流しながら倒れている少女が居た。
秋風響。髪を縛り、Tシャツとハーフパンツにスニーカーという格好で息を切らしていた。
その様子から既に疲労困憊、何度も何度も努力したであろうことが伺える。それは誰もが知っていたことだし、彼女の事情を知るものであればその情景に胸が詰まる想いだったであろう。
だというのに傍らで冷たく見下す蒼いメイド服の女は辛辣な言葉を投げかけていた。
「ごめん・・・・なさ・・・っはあ・・・・」
「・・・・・・・・・・・謝ったって・・・・」
お互いに言葉が途切れ、気まずい空気になるとフランベルジュは訓練室を去っていった。
しばらく倒れていた響は泣きたい気持ちを抑えながら壁を背に膝を抱え込んだ。
何度やっても、どんなに努力してもうまくいかない。
それどころか、あんなに優しかったフランベルジュに言われる数々の厳しい言葉。
心が、くじけそうだった。
「生きてるか、ねーちゃん」
涙ぐんだ目で顔を上げると、そこには工藤空也とるるるの姿があった。
少女は腰を下ろすと、汗だくの響にスポーツドリンクを差し出す。
「大丈夫っすか?あんまり無理してもしょうがないっすよ」
「るるるちゃん・・・・空也君・・・・うんっ、ありがとねっ」
さすがに喉が渇いていたのか一気にペットボトルの中身を飲み干すつ響は大きくため息をついた。
その様子に少年少女は顔を見合わせ、手を差し伸べ響を引っ張り起こした。
組織の内部は広い。海洋プラントの機能に必要の無い空間は殆ど組織のためのものだといってもいい。
地下に広がる様々な施設には勿論彼ら所属構成員の居住区も含まれている。
地上の都市郡で暮らすものもいるが、所有者たちの大半は組織の中で暮らしている。
それはるるるや空也も同じ事だった。
「やっぱ、うまくいかないのか?フランベルジュの発動」
長い通路を三人で歩きながら空也が訊ねた。
勿論答えはわかっている。でなければこんなに疲労困憊しないはずだ。
響はかろうじて頷いて「うん」とだけ答えると表情を曇らせる。
ジャスティス・・・ディーン・デューゼンバーグが気力喪失に陥って早二週間。
一行に回復する気配の無いディーンの見舞いには、二週間前から行っていない。
イゾルデの誘いで参加した組織だったが、響の手には何も戦うための武器がなかった。
いや、厳密には無いわけではないのだが、響はフランベルジュと戦うことを強く望んでいた。
元々ジャスティスは、フランベルジュ以外にもう一つ理論武装を持っていた。
フランベルジュは独立した理論武装、早い話が吟示により近い存在であり、理論武装を使える人間であれば理論上はフランベルジュを誰でも扱う・・・契約することが出来るはずだった。
そのための特訓を始めてから二週間。一度としてフランベルジュを発動出来なかったのだ。
「仕方の無いことっす・・・・そもそも、他人の理論武装を使うなんて本来ありえないことなんすよ?フランベルジュさんが自由意志を持つ理論武装であることも驚きなんすから、あれを使いこなすって・・・元々のジャスティスさんがすごかっただけです」
「そう、なんだけど・・・・・・うん・・・・・ごめんね・・・・心配かけて」
響の部屋の前で三人は立ち止まり、響は二人に頭をさげて苦笑した。
「ねーちゃん、あんま無理すんなよ?ねーちゃんはただでさえベルヴェールのやつになんかされたダメージが抜け切ってないんだから、あんまり無理するとマジで後遺症残っちまうぞ」
「そうだね・・・・でもこればっかりはどうにもならないから。私がやらなきゃいけないんだ」
「・・・・・わり、ねーちゃん・・・・俺たちが余計なことしなきゃ、そもそも・・・・」
「え?あ、ううん、いいんだよそれは・・・・・うん、だってもう、そういうことじゃないから・・・・誰が悪いとか・・・誰が正しいとかじゃなくて・・・ただ私が今やりたいからやってることなの。えへへ、こう見えても結構毎日充実してるんだよ?目標とか、なかったから・・・私は」
「・・・・そっか。なんか、俺らに手伝えることがあったら言ってくれよな」
「うん、ありがとね」
二人と別れると部屋に入る。
ベッドと机と棚があるだけの小さな個室。空いていた部屋、ただ寝泊りするためだけの場所。
睡眠時間と食事時間など、必要最低限の出来事以外常時特訓している響にとってはこれで十分だった。
最近は睡眠も食事もろくにとっていないせいか、ひどく体が疲れていた。
汗だくで気持ち悪いシャツを脱ぎ捨ててベッドの上に寝転がった。
ぎしりと音を立ててきしむ硬いベッド。回る天井の換気扇。
「だめだなあ、私・・・・・・」
大きくため息をついて目を閉じればいつでも思い出せる。
ジャスティスを貫いてしまった手の感触。彼が最後に自分にしたこと。
そして、彼が最後の最後に、自分に継げた言葉。
「正義になれ、かあ・・・・」
その真意の程はわからなかった。それを確かめようにも本人は会話も出来ない状況だ。
ジャスティスとの楽しかった日々を思い返しながら、二人の友達のことを思い返しながら、まどろんで。
様々な感情や記憶やこれからの世界に対する不安。
あれから時々痛むようになった左目と、首筋に伸びた黒い侵食痕。
じくじく、痛みが少しずつ増していく。
気を失うようにわずかな間眠りにつき、それから目を覚まして鏡に向かった。
洗面台で顔を洗い、鏡を見つめる。
そこには本人ですら違和感があるほど変わってしまった、鮮やかな金髪があった。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
左目が痛む。
顔を洗うために外した眼帯。ゆっくりと開くと、世界が半分ゆがんで見える。
紅い左目。この世のものとは思えない。それが今の自分の現状。半分は化け物。
あんな事件を起こしてしまうほどに。
「おなかすいたな・・・・食堂・・・・いこうかな」
着替えを済ませ、ふらふらおぼつかない足取りで通路を歩いていく。
食堂に入ってぼんやりしていると、やがて視界がぐらついて体に力が入らなくなり、
「あうっ・・・・・あ、ありがとうございます・・・?」
倒れそうになった体を長い腕が支えていた。
黒衣の長身に全身をがんじがらめに巻きつけた鎖と拘束帯。
御堂鶴来。吊し人の男だった。
鶴来は黙って響を支えると、大丈夫か?と訊ねるように首を軽く傾げた。
「口で言わなきゃわかんねえだろうが、鶴来」
続いてやってきたのは万里双樹だった。
サングラスを外した強面の男に一瞬だけ振り返り、鶴来は無視して食券を購入して行った。
「っていうか食券なんだ・・・・ここの食堂・・・・」
「なんだ知らなかったのか?まあ、お前はここでメシ食ってなかったんだろうがな、秋風響」
「え?なんで私の名前を?」
「フン、お前の名前を知らないやつなんか組織にいねえよ。それより何を食うんだ?カツカレーか?」
「わーカツカレー食べたいなー」
「仕方ねえおごってやるから先に席についてろ。あ、水はセルフサービスだから俺の分も持っていけ」
なんだか妙に庶民的過ぎる状況に気が抜けた響は水を汲んで空いている席に向かっていった。
幸い時間帯は深夜のため人数は少ないが、組織では二十四時間誰もが行動しているためまばらではあるが食事をしている職員の姿がある。
そして二十四時間営業の食堂という状況がなんだか笑える。
「待たせたな」
万里はカツカレーが乗ったトレイを二つテーブルに置いた。
響の正面の席に座ると黙々とカレーを食べ始める。
「あ、ありがとうございます・・・・・・」
「いいからさっさと食えよ。冷めちまうぜ」
「あ、そうですね・・・いただきまーす・・・・はむはむ・・・・んあああっ!!おいしい!!」
「・・・・・・・・・今まで何食ってたんだ?」
涙目になって喜んでいる響をジト目で眺めながら万里はカレーを掬っている。
しばらくの間響は黙々とカレーを食べ続けた。喉にカツがつっかかり、水で流し込む。
その様子を眺めていた万里は思わず吹き出し、
「お前は野良犬か」
「え?何がですか?」
「つーか、口にカレーつきすぎ」
「んんっ・・・・・お、おとーさーーーん!!」
「意味わかんねえから。少し落ち着け」
「寝てないからふらふらなんですよう」
カレーを食べ終えた響はようやく落ち着いたのか腹を摩りながら一息ついた。
そこに来てようやく目の前の人物がまったく知らない人物であることを思い出した。
「あ、あのー・・・・どちらさまで?」
「万里双樹だ。別にナンバーズとかじゃねえ。役職は一般の所有者ってところだな」
煙草を口に銜えて火をつけようとしたが、ここが禁煙であることを思い出ししぶしぶしまいこんだ。
「聞いたぜ。フランベルジュを使いこなすために必死らしいな」
「えっ?ど、どこでそれを?」
「ガキ二人から。あいつらのおかげでその話を知らないやつは一人もいねえぞ」
「う、うう・・・・」
「一つ聞いてもいいか?」
「はい?」
「どうしてフランベルジュを使いたいんだ?お前は元々一般人だし、わざわざそんなものが使えなくたって生きていけるはずだ。この世界の厳しさも、わかっているだろう。戦うにしろ、お前には優れた理論武装があるんだろ?だからこそベルヴェールのやつはお前を狙ったんだ。だというのにフランベルジュにこだわるのは何故だ」
それはもっともな質問だった。
響はあくまでジャスティスの知り合いに過ぎず、今まで遭遇したいくつかの事件も彼女が解決したわけではない。
ベルヴェールが目を付けるほどの力を持つであろう灰ノ王城を使えばその限りではないだろうが、だとすればフランベルジュにこだわる必要はないはず。
その理由は勿論、彼女とジャスティスの関係を知る者であれば予想に苦しむことではないのだが・・・。
「ジャスティスさんみたいになりたかった・・・のかもしれません」
ゆっくりと、思い返すように、振り返るように、響は言う。
「色々あこがれてたんだと思います。彼の象徴はギターだったし、それに私、ジャスティスになりたいんです」
「正義の番号入にか?何の戦闘教育も受けていないガキが?」
「無謀だってことはわかってます。意味ないかも、とも思ってます。でも、やりたいんです」
「その結果、シュズヴェリイやフランベルジュに詰られて責められて、多くの時間と未来を奪われて、大事なお友達とも会えなくてもか?」
伊佐美や伊織とはもう二週間以上連絡を取っていない。
あたりまえだ。組織の本部から一歩も出ていないということは、そういうことになる。
所詮彼女たちはここに立ち入ることが赦されない人間たちなのだから。
住む世界が違う、という言葉がしっくりくる。響は自らその境界を踏み越えたのだ。
そこまでする理由があるのかどうか。覚悟があるのかどうか。
「正直わかりません」
「わからない?」
「でも、今はこうする以外に思いつかないから・・・・」
寂しそうに、不安そうに、少女は俯きながらつぶやいた。
そうする他に道を知らず、そうする他に自らを許せないからこそ、踏み越えた世界の境界。
その先にどんなものが待っていたとしても、それを受け入れること。
だからこそ、それこそ、きっと彼女がベルヴェールに必要とされた理由なのかもしれない。
「率直に聞くけどよ、お前はどうしてフランベルジュが使えないと思ってるんだ?」
「えっ?あ、それは・・・・・」
言葉を濁し、つらそうに目を伏せる。
「私のことが、嫌いなんだと思います・・・・彼女、ジャスティスさんのこと・・・好きだったから」
「ふうむ・・・・・半分正解ってとこか」
「へっ?半分?」
「確かにやつはジャスティスに惚れてたろうな。だがお前のことは恨んではいないと思うぜ」
「彼を殺したのが私でも、ですか?」
一瞬。
その目と言葉が、余にも自虐的で冷たく光るナイフを連想した。
以前の少女には無かった、罪悪感を有するが故に生まれた鋭さ。
それがこれからどのように彼女に影響を及ぼすのか・・・。
言葉を続ける。
「フランベルジュは、本当はジャスティスの理論武装じゃねえ」
「知ってますよ。もしそうだったらジャスティスさんが再起不能の今、彼女も動けないはずですからね。でも、どうしてそういうことになったのかは理解できないんですけど」
「ほう、馬鹿ではないらしい。そう、ジャスティスの理論武装がフランベルジュなのだとしたらあれは独立して思考できないし行動も出来ない。現実に存在することも出来ないし、あいつが意思を失ったら消えちまうはずだ。それがなぜ今もなお動き回っていられるのかってことだ」
「・・・・・彼女は、ほかの誰かの理論武装ってことですか?」
「それもまた半分正解だな。あいつの主はもう今はいないんだよ」
「今はもういない?」
「ああ、心だけ、意思だけでさまよってる亡霊みたいなやつだ。あいつの主は、とっくの昔に死んでしまったんだからな」
「・・・・・・・・・え?あの、もしかして、ですけど、その・・・・」
「ああ、フランベルジュは先代のジャスティス・・・・お前の姉貴のもんだ」
渚とジャスティスの関係はざっと聞いていた。
しかしそういう裏があったということも、彼が何故渚を殺したのかということも謎のままだった。
そうではないか、と。そんな気は、していた。
フランベルジュの外見はどこか渚に似ているし、言動は全くの別物だったがその言葉や心のあり方に近いものを感じていた。だからこそ彼女のことを信じていたし、彼女を好きになったのかもしれない。
今となっては全て、過去の事だが。
苦しくなる胸を押さえて俯く。
そんな響を見て万里は軽く笑い飛ばすと、
「ちゃんとフランベルジュと話し合ってみたらどうだ?大丈夫だ、あいつがお前を嫌うはずがないだろ」
「でも・・・・・」
信じることは苦しい。
それを痛いほど知ってしまったから。
自分のことも、相手のことも、信じることが恐ろしい。
「人と人が理解しあうのは難しい。相手の気持ちはわからねえし自分の気持ちは伝わらない。ちゃんと意思を疎通させるためにはお互いがどんなに苦しくても悲しくても寂しくても痛くても言葉を交わして何度も何度も相手をちゃんと見なきゃならねえんだ。ビビって泣いてたって状況は打開できねえぞ」
「・・・・・・・・・は、はい・・・・でも・・・・」
「でももモズクもねえんだよ、さっさといけホラ」
「は、はいいっ」
慌てて走り去っていく響を見送っていると背後から声がかかった。
「・・・・・・・・・・・・・後輩育成、か?」
「うおっ!てめえっ、俺の背後に気配を消して立つんじゃねえっ!!」
丼を持ったまま真顔で立つ鶴来を怒鳴りつけたが、本人は眉一つ動かさない。
それどころかどうやらキムチ丼らしいそれをひょいひょい口に運んでいた。
黙々とキムチを食べる鶴来の姿に何を言えばいいのかわからなくなる。
「おい鶴来、なんで立って食ってるんだ?あと無言でキムチはやめろ」
「・・・・・・・・人の食事内容に口を出さないでくれ・・・・」
そりゃごもっともなんだけど。
結局となりに座った鶴来と万里は並んでカレーとキムチを食べる。
初めてそれを見た人間たちは軽く避けて通りたいシーンである。
「鶴来。お前もやはり、あの小娘を気にかけているのか?」
「・・・・・・・革命を起こすカードであることには違いない・・・が・・・・そういう仕事的な面ではなくとも・・・・個人的に興味は尽きない・・・・」
「ほう、お前がそんなこと言うなんてくそめずらしいこともあったもんだな」
「・・・・・・・・・・渚には・・・・昔、何度か世話になったしな・・・」
「渚か・・・・つくづくバカ女だったが、なんだかんだ、ここの面子はみんなあいつに影響されてたんだな」
禁煙であることも忘れて煙草をふかし、遠い目で少女の姿を思い返す。
古くから組織にいる鶴来や万里にとって、渚は勿論のこと、響も気にかかる存在なのだ。
排他的であるはずの鶴来がわざわざ手を出すほどだ。響にかけられた期待や情は大きいのだろう。
「お前、教えてやればいいだろ?せっかく番号入なんだから」
「・・・・・・・人の心の扱いなど、管轄外・・・・教えられたところで・・・・・理解できるものでもない」
「まあ、そりゃな。わかってるさ、ただの冗談だよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「それにしてもお前・・・・・どうでもいいけどそのキムチ丼、ハイペースで食って辛くないのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・辛い」
「・・・・・・そうか」
そんな男二人の会話は露知らず、響は通路を走っていた。
走るだけ走ってからようやく気づいた。フランベルジュに会ったところで、何を言えばいいものか。
ちゃんと考えながらゆっくり歩けばよかった。なんでまた走ってしまったのだろうか。
「お姉ちゃんの理論武装・・・・・・・・じゃあ、お姉ちゃんの心、なんだよね・・・・」
その事実は少なからず予想できたものだった。
しかしだからといって、はいそうですかと受け入れられるほど軽いものでもない。
それは喜ぶべきことなのか。それとも、悲しむべきことなのだろうか。
肉体を失い、生命としての理論から外れ、意思だけで存在する人形。
そんなものになってしまっても、ジャスティスについていった姉の気持ち。
それを、わざわざ妹が殺してしまったのだ。その理由は自分にある。
そう、誰かが悪かったわけではない。
それぞれがそれぞれの出来る形での責任の取り方をしただけのことだ。
それでも、それぞれに非があり、それぞれに理があるのは当然。
あの時こうしていなければ、こうだったなら。様々な要因と偶然によって作られているものが未来というものなのだとしたら、この皮肉な結果に対してどんな言葉を紡げばよいのか。
考え事をしているといつもは長く感じる通路もあっという間だった。たどり着いたのは病棟。
ジャスティスの部屋のドアノブに手を伸ばし、聞こえてきた声に手を止めた。
わかっていたのだ。ここにきっとフランベルジュはいるだろうということに。
今のジャスティスと触れ合うということは、ただ拒絶されに来ているのと同義だ。
それでもフランベルジュは彼の所に向かうことをやめようとしなかった。
この、二週間。
響は、もう彼から目を逸らし、逃げ出してしまったというのに。
『どうしてディーンは、あの時あんなことを言ったの・・・・』
壁を背にして宙を眺めた。悪いとは思っても、壁越しの声に耳を傾けてしまう。
『あの時、あの場所、あの状況じゃなければ・・・・響だってあんなことしなかったのに。どうしてわざわざ、自分が殺されるためだけにあんなことを?』
ベルヴェールに捕らえられ、暴走した響の心理領域。
様々な人々の心の闇を吸収し、既に正気を保てなくなる直前だった。
そんな状況じゃなければ、そう、自分だって・・・。
『・・・・・・響を助けようとしたんでしょう?』
「・・・・え?」
『心理領域の暴走は本人にしか止められない。強い心理的ショックを与えるか、本人がそれを制御するだけの強い意思を発揮するしかない・・・・あなたがしたかったのは、響を強く・・・いえ、彼女に自覚させたかった・・・・自分の力の使い方と、心の闇とを』
「・・・・・・・・・私の・・・・・心の闇?」
胸に手を当てる。
そうだ。あの時だって感じたはずだ。
確かにあの行動を後押ししたのはベルヴェールと、ジャスティス自らの言葉と、そして心理領域で知覚不能になった大量の悪意だったかもしれない。
それでも、そうだ。それを実行したのは、自分の殺意に他ならない。
無自己であるということは、結局のところ誰とも関わらないということだ。
全てを許し全てを受け入れたところでそれは誰かと関わったということにはならない。
人は様々な心や相容れない意見とぶつかり合い、そうして少しずつ自分の世界を広げていく。
全てを許し全てを受け入れてしまうということは、最初からそこに何もないのと同じことだ。
それに最初から秋風響は無自己なんかじゃなかった。
怒ったり泣いたり笑ったり、時には取り返しのつかない間違いを犯してしまうような。
ごく普通の、未熟すぎる女の子に過ぎない。
それを、神子だの。
世界を変えるだの。
そんな重荷を、ただの少女が背負えるはずもない。
最初からそんなのはわかっていたことだ。彼女は世界を愛している。全てを許したいと思っている。
それでも、そう、『世界を変える資格』があったとしても、彼女自身がそれを望んでいない。
人の心も、この世界の闇も、全ては全てがあって均衡を取っている。
全てが一長一短であり、どれが悪いとかどれが間違っているとかそういう問題ではない。
そんなのはあたりまえのことだ。
自分自身の心がわからず。
毎日が本当はつらくて悲しかったのにそれにも気づかず。
そうして生きてきたこの十五年間。そのことをただ気づかせるために。
「・・・・・」
ドアの前から逃げるように駆け出した。
馬鹿なのはジャスティスではなく自分のほうだった。
そうだ。彼はきっと、そんなくだらなくて当たり前で誰もが気づくようなことを教えるために。
響本人が別に特別でもなんでもないただの女の子だと教えるために。
かつて同じ重荷を背負わされ、普通で在る事を世界に拒まれた少女のようにならぬよう。
たったそれだけのために彼はやってきたのか。
「ううっ・・・・うわああああーーーっ!!」
足が縺れて転び、どうしようもない悲しみと後悔にさいなまれ。
今まで何があっても動じなかった・・・いや、動じることさえ知らなかった未熟な少女が。
大声を出して。人目も気にせず。ただ不出来に泣いていた。
「ちくしょう!くそお!なんなんだっ!わたしっ、なんなんだよおっ!!!」
何度も壁を叩き何度も頭をぶつけ、顔をくしゃくしゃにして、止め処なく溢れ出す涙を拭うこともせず。
「何やってたんだよう!あの人たちと過ごした日々から、何か学ばなきゃいけなかったのに!何をのんきに・・・のんきに楽しい想いなんかしてたんだよう!!」
楽しいことを教えに来た青年。
人と触れ合うこと、一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入る幸せを教えてくれたメイド。
友達と。親友と呼べる少女。
誰かと繋がりあえる、そう、お互いを嫌っていてもきっかけさえあれば。教えてくれた少女。
そう、全ては全てからのメッセージだった。
あの白衣の男の言動でさえ。
世界中から聞こえてきた呪いの言葉でさえ。
痛む左目でさえ。
どんなものにだって意味はあって、どんなものにだって言葉があった。
「わたしはっ・・・・わたしはなにやってたんだ・・・・」
自分に出来ることは、ただ受け入れることだけだったのに。
そんなくだらなくて無駄だらけの才能しかないのに。
受け入れて学び、歩み進むことをやめてしまったら、一体何が残るというのか。
「歩みを止めるな・・・・目を閉じるな・・・・」
あの時言われた言葉。彼はあんな状況でも笑っていた。
自分を信じていたからだ。そうに違いない。思い込みかもしれない。自嘲だったのかもしれない。
けれどそう信じることの何が悪い?都合よく考えて前に進むことの何が悪いか?
お利口で、小利口で、人の痛みや心がわかるからって、間違うことを恐れていてはいけない。
「やるって決めたんだ・・・・何度失敗したってあきらめてたまるもんか・・・・」
涙を拭って立ちあがる。もう不幸だなんて思ったりしない。
全ての人たちが自分に投げかけてくれた言葉を無駄にしたりなんかしない。
「やらなきゃ・・・・・絶対にやらなきゃ・・・・ジャスティスさんのためにも・・・・・」
これから先、きっと彼が救うはずであった数々の人々を救うためにも。
その責任が自分にはあり、
その義務が自分にはあるということ。
「待っててください・・・・・ジャスティスさん・・・・」
眼帯に触れ、強く決意する。
「必ずあなたの心を、取り戻して見せますから」
目指す先に居るのはベルヴェール・ロクシス。
ジャスティスとさえ互角に渡り合った世界最強の所有者。
倒すためには、それこそ世界を全て変えてしまうほどの力が要る。
強くならなければならない。何度も戦って傷ついて傷つけて。
救わなければならない。出来る限り多くのすべてを。
だったら、もう迷っている時間なんかないだろう?
「歌ってあげる。きみにもきっとわかるはずだから」
蒼ノ詩を頭上で回転させ、かつてそれを手にした男のように構える。
金髪に眼帯、黒衣に蒼のギター。
全てはかつての正義になぞるように、少女は戦う。
「よくも兄さんをっ!!絶対に、絶対に許さないんだからあっ!!!」
暗闇が広がっていく。暗闇、というよりそれは闇の海だった。
全てを覆っていく浅いコールタール。そらは燃え上がるように赤く染まり、まだ日も高いはずなのに頭上に浮かんだのは紅い満月だった。
少女、結城綺羅を映し出す淡い光が作り出した陰だけが、暗い世界で異質なほどに純白。
白い影。それはゆっくりと二次元から三次元、立体へと変化し形状を変化させていく。
影で出来た怪物。とはいえそのシルエットは当然ともいえるがかわいらしい。長い耳と大きくデフォルメされた手足がウサギをイメージさせる。
「理論武装発動・・・・!月影劇場!!」
車椅子に乗ったままの少女に出来ることなど限られている。
移動するのに車椅子を必要とする以上、その能力は遠距離攻撃か遠隔操作だと読んでいた。
白いウサギは長い耳をひょこひょこ動かしながら愛らしい目で響を見つめている。
「か、かわいい・・・・」
思わず和んでしまいギターを回転させる手が止まってしまった。
ウサギはしばらくその場で跳ねていたが、綺羅が指先を軽く動かすと途端に加速し、突っ込んでくる。
不意打ちだった。もちろん見た目から大体の能力は予想できるが、ウサギならではの超加速。
瞬発力を生かした突撃から長い足での回し蹴り。咄嗟にギターで防御したものの、響の体は宙を舞った。
「うわ、早いね」
空中というのは危険な場所であると言える。
空中には足場がない。何もないということは体勢を変えることが出来ないということ。
空に舞った時点で、既にどんな軌跡を描いてどこに着地するのかは予測できてしまう。
そしてそこを攻撃されたら回避する手立ては存在しない。
「うさぴょんキック!」
綺羅が手を振るう。ウサギは地面を低い姿勢で失踪し、黒い水を撒き散らしながら空に舞う。
勿論響に出来る行動はギターで防御するだけだ。そうなるとダメージを軽減することもままならない。
そう、本来ならば。
「重力制御」
響が呟いた言葉。空中を舞っていた響の体が突如ありえないコースに移動した。
当然、落下地点にあわせて蹴りを放ったウサギの足は空振り。
空中を踊るように舞った響は次の瞬間にはいつもどおり、ちゃんと重力どおりに落下して着地していた。
「何をしたの・・・・」
「重力制御っていったじゃん?」
一瞬、響の体はこの世の重力法則から開放され、空中で加速した。
理論武装にはそれぞれ特性や独自の能力が存在する。それは心理領域を展開しているフィールドマスターのほうが断然有利なのだが、理論武装として能力を展開している以上、その能力を限定的にでも発動することは出来る。
だとするとあのギターの能力は『重力制御』だと言えた。
しかしそれがなんだというのか。ギターの能力が重力制御というのもいまいち謎だったが。
そもそも能力は理論武装、つまり心のイメージの形に比例したものになる。
それが何故またギターで重力制御なのか。
「逃げる能力じゃアレキサンドリアには敵わないっ!」
「そうだね。逃げる能力だけじゃ、確かに敵わないね」
響は余裕の表情だった。笑みすら浮かべてアレキサンドリアを見つめている。
その余裕が気に入らない。最愛の兄をあんな目に合わせたのだ。思いっきり意地悪な倒し方をしてやらなければ気がすまない。
「あなたには一番苦しくて残酷なやり方がお似合い・・・・!」
「ふふふ、どんなやり方なのかな?」
「馬鹿にしないでっ!この能力を見たらあなたは地面に這い蹲ることになるのっ!!」
世界に闇が広がっていく。
コールタールの粘つく海がゆっくりと鼓動する。
「跪いて謝って・・・・そしたら、命を奪うのは考えてあげるから」
「命を?奪う?私から?きみが?ふふ、あははははははっ!やってみれば?」
「・・・・・このおっ!!月影劇場ッ!!」
白いウサギが駆け出す。
迫りくる疾風を前に、響は下がるでもよけるでもなく、前に踏み込んだ。
「もう許してあげないんだからーーーっ!!!」
強烈なアレキサンドリアの蹴り。
宙に舞うギター。
轟音を以って、戦いは幕を開けた。
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