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ブルーベージュの彼女

作者:nyaok



 彼女のブルーベージュの髪は夏の終わりの曇り空によく馴染んだ。

 「地球人ってどうして“知らなくなったもの”にこだわるのかしら」

 ティーカップを傾ける華奢な指示器官と、風変りな口癖を思い出す。彼女は僕の研究テーマ『アノ星人の崩壊期忘却のランダム性』の研究意義を最後まで理解できなかったのだ。ガラス張りのテラスの向こうには彼女たちアノの異質性を示す独創的なフォルムの宇宙船が一隻停泊していた。

 地球のZ大学準教授である僕が、星間比較生物学の研究者としてその宇宙人と面会したのはこの夏三回。初めて会ったのは彼女の生後八日目である。まだ仔猫ほどの大きさで、小さくて愛らしい風貌だったが、二回目に会った四十五日目には既に大人びていた。そして三回目の今日、彼女はもう壊れかけている…。
 彼女たちアノはたったニヶ月の寿命でありながら、もしくは二ヶ月だからこそか、恐るべき知性と地球人には計り知れないほど鋭敏な知覚を備えている。寿命を終えるとものの数秒で身体の九十七パーセントを崩壊し、今度はXX(地球の言語では表記できない、敢えて代替するなら種か胎児、あるいは蛹に近い単語で表現できる)となって、地球の陽歴に換算しておよそ二百年をかけて自らを再構築する。この崩壊と再生は本来の寿命を終えるまでに五百回以上繰り返されるという。
 ところが再生された身体も精神も、以前と同じでは決してない。XXはやがて崩壊前の記憶から将来的に最適と思われる身体を再構築し、前世代となる記憶は整理され、不可欠と判断されたもの以外を容赦なく全て忘却する。その判断はアノの意識下では行われない。人間も昨日のことを全て覚えてはいないし、地球では鳥は空を飛び、蛹は羽化し、トカゲは脱皮する。それらとなんら変わらない、純粋な生理現象なのだ。
 その生態ゆえに、アノの志向、価値観には地球人のような曖昧なところがない。崩壊し再生される際に失われた記憶(もっとも彼女たちは失われた、とは捉えない)は無価値だと判断されるため、たとえ親兄弟、恋人、親友であろうと忘れてしまえば、新しい自分にとっては無意味なものになる。そして自身も、親しい者が再生するとき、新しくなった彼や彼女に忘れられていたなら、いとも容易くそれを受け入れるというのだ。

 地球では僕の研究分野である星間比較生物学を修める学者は少ない。かつて地球は、他星の学者たちによって、自らも知らずにいた生物学的事実を幾つも突きつけられた。そのうちの二、三は充分な文明を発達させた我々にも、未だ理解を超えた代物だ。宇宙にはそれこそ星の数ほどの観点があり、価値基準がある。理解できない事実が確かにある。
 アノは今、かつての地球人と同じように全宇宙の生物と比較されている。その一例は、アノたちが自分たちの再生時に最も価値のある記憶だけが選択的に残されるという主張を検証するものだ。果たして、整理され残された記憶は本当に価値のある掛け替えのないものなのだろうか?また、失われてきた記憶たちは本当に無価値だったのだろうか?
 アノとコミュニケーションをとっていると分からなくなるのだ。地球人の尺度で計ってはならないのかもしれない。しかし僕は疑う。ひょっとして消される記憶は単なるランダムなのではないだろうかと。彼女たちが信奉している選ばれた記憶は、前時代的な根拠のない占いのようなものなのではないかと。『アノ星人の崩壊期忘却のランダム性』、それこそが僕の研究テーマである。

「あなたの言っていることよく分からないわ」
 宇宙港のカフェで行った二回目の面会で、僕は彼女に自分の研究内容を説明した。字の形が面白いという理由でメニューから選んだヘーゼルナッツラテを飲みながら、彼女は疑問を呈してくれた。
「そもそも、“次の私の世界”の記憶がランダムに知らなくなったとしても、何かの規則に従って知らなくなったとしても、その二つの何が違うのかしら?」
 その物言い。アノは地球と交易を始めたとき、希少金属や宝石はおろか、絵画や彫刻にも、自然や生態系、食物などにさえなんの興味も示さなかった。彼女たちが貪欲に輸入を求めたのはただ一つ、言語だ。言葉を持たなかった彼女たちは、地球に存在する歴史上のあらゆる言語を調べた。そしてその中から自分たちに使いやすい文法と単語を抜き出して、人間には理解不能な高次元言語を作り上げた。無論彼女たちはその下位言語として、地球上の主な言語は全て扱うことができる。
 したがって語彙は異なっても、彼女たちは我々と同じ文字と同じ音を使うことが可能なわけだから、話をするのに翻訳は必要ない。しかしときに、今のような奇妙な言い回しに悩まされる。例えば彼女たちには忘れるという概念がない。だから、忘れるのではなく“知らなくなる”のだ。
 原理がどうであれ、結果だけに従うという原始的な考え方。昔は地球人も亀の甲羅に入ったヒビで事の吉凶を盲信していた。アノの忘却はまるで占いのようだ。当たるも八卦、当たらぬも八卦。しかし僕に付き合って地球のカフェで、自分には栄養にもエネルギーにもならないものを摂取してみせてくれる彼女に、そんな価値観の違いを押し付けることはできなかった。

「君たちは自分の意志で決められないことに寛容だな」
「自分で決める何かは美しくないわ。最も美しいのは、すでに決まっていることだもの」

 僕は押し黙った。

 つまらない地球人の昔話だが、僕にはかつて好意を抱いてくれる一人の少女がいた。僕はもう大人で、その子のことをなんとも思わずに年月を過ごしていたが、やがて成長した彼女の美しさにふいに心を奪われた。しかし彼女は僕への気持ちを、思春期に置いてきたようだった…。
 もし恋が叶っても、アノのように再生した恋人に忘れられていたら、どんな気持ちになるだろう。大切なはずの思い出が無価値だったとしたら。
 「すれ違いの恋が沢山起こりそうだな」と僕が言うと、彼女は「恋愛にすれ違いなんてないのよ」と返した。「次の世界で“知らない”なら、その人は元々私の恋人ではなかったのよ」とも。
 忘れようとすればするほど、強く記憶に刻み込まれる。地球人はそういう風にできている。だから悲惨な事故や、辛い体験は忘れることができない。身体は再生することがなく、壊れてしまえば元に戻すことは難しい。アノが少し羨ましかった。肉体を作り直し、記憶を整理する彼女たちにとっては、一生癒えることのないような障害など存在せず、トラウマという用語も理解できないのだ。

 僕はこれまで、彼女たちの二百年の再生期とたった二カ月の活動期は余りにアンバランスすぎると論文で指摘してきた。しかもこの周期に個人で多少のずれがあり、アノたちが同じ悠久の時を生きているにもかかわらず、一度再生期がずれたなら何百年、何千年、あるいは永遠に会うことがないということを。
 だからアノには結婚や家族という概念がないし、血の繋がりという感覚すら希薄だ(もっとも彼女たちに血液は流れていないが)。人間以上に高度な社会を営みながら、彼女たちは容易く、配偶者や肉親と別離する。出逢ったことすら、忘れてしまう。

 三回目の面会の今日。
 様々なことを思い返しながら、ダッフルバッグに白衣を詰め込んで、自宅を出る。僕は車に運転を任せて、車内で彼女の脳と呼ぶべき記憶器官から取り出したこの二カ月間のデータの分析を続けた。
 僕の後を継ぐ研究者が、再生を完了して二百年後に戻ってくることになっている彼女の記憶と、崩壊前の彼女の記憶を比較検討するだろう。その記憶選択がサイコロを振るようにランダムでなんの意味も持たないものなのか、それともアノたち自身の気づいていない絶対的な価値基準によるものなのかを。地球でこのテーマを研究しているのは僕だけではないが、地球人がアノと邂逅してからまだ一世紀しか経っていないため、今は亡き最初の研究者の成果を見ることすら、少なくとももう一世紀は待たねばならない。つまり、僕は結果を知ることができない。

 ゲートでIDチェックを受けて、広大な宇宙港の敷地に乗り付けると、風に靡くことのない硬質なブルーベージュの髪がちらりと視界に入った。軽く手を振って見せると、振り返りはしないが、思い出したように彼女の髪が風に游ぎ始める。見送りは僕と、外交官とSPを含めても五人。一人目のアノが地球に降り立ったときには数百人の関係者と地球政府首相がいたことを考えると、星間生物の距離は随分と近くなった。

 隣に立つと、彼女の体表に痛々しいほどの崩壊の兆しが見て取れる。彼女はまだ生後二ヶ月で、崩壊してXXになるのは初めてだが、不安はないという。「アノはみんながそうだもの」。一晩眠るようなものなのだろう。僕だって、今夜眠りにつくことに不安はない。これは彼女にとっておそらくこれから十万年に亘って行われる崩壊と再生の、五百回の内の一回目に過ぎない。


 曇り空の下。彼女が地球を発ったその日、ブルーベージュの青味は暮れて、限りなく灰色に近づいていた。握った手はひび割れていた。
 僕はふと、彼女の崩壊する瞬間を目撃したいという劣情にも似た欲求に襲われた。零れ落ちる彼女の破片を、その重みを両の手のひらで受け止められたらいいのに。その中に僕の記憶がなければいい。白衣のポケットにXXとなった彼女をそっとしまって、連れて帰るのもいい。
 しかしそれは許されない話だ。アノが無力な状態で再生期を過ごす安全な場所は、その星は、彼女たちの法律によって定められ、全宇宙的に隠匿されている。
 彼女の言うところの“次の私の世界”に、この地球での生活が、例えば僕の記憶が引き継がれるかどうかは分からないと言う。もし継がれたとしても、その次はまた分からない。彼女たちは忘れ続けるのだから。
「僕は二百年後に君のことを覚えてる自信がないな」
 何食わぬ顔でジョークを呟く僕に、笑う宇宙人。
「あなたもXXになればいいのよ。本当に大切なことだけ残して、あとのことは何もかも知らなくなってしまえばいいの。何が大切かは再生したときに分かるわ」
 彼女は僕のことを憐れんでいた。その高度な知性で、目の前の地球人に忘れたくても忘れられない辛い思い出が沢山あるのだと、とっくに気づいていた。

「地球人は覚えておきたいことはずっと覚えていられるの?」
「うん、多分ね」
 覚えておきたい、なんて言葉を彼女が使うとは思わなかったから、俯いていた僕は驚いて顔を上げた。

 君のことはずっと覚えてる。地球人は何が大切か自分で決められるのさ。












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