この手はきっと届かない(2/43)縦書き表示RDF


この手はきっと届かない
作:沢上澪羽



2.週末


「おはよう、圭ちゃん」

光の中で、優月が笑った。
花を持ってきたのか、花瓶には真新しい花がいけられ、窓が少し開けられて窓辺のカーテンがゆれている。
6月の風が心地いい。
風が入れられたことで、独特の病院臭さはいくらかいいようだ。

週末、いつも俺たちはこの病室で顔を合わせる。
そういうことになってから、もう8ヶ月近くが経とうとしている。
毎週、土曜日と日曜日、特別な用事でもない限り、優月はこの病室にやってくる。
だいたいいつも、朝の10時頃から夕方の4時頃まで優月はここにいた。

ここ、兄貴の病室に。



「圭ちゃん、今日は早いんだね」
優月はベットサイドのイスに腰掛けながら言った。
「ああ、今日は何だか早く目が覚めたから」
俺も優月の隣に腰掛ける。

優月との距離はほんの1メートルもない。
柔らかな香りに、俺は軽いめまいを覚えた。
ここが病室じゃなければ、理性を保てるかどうかは謎だった。

「最近学校はどう?」
俺の方を見る優月。

頼むから、そんな至近距離で俺を見ないでくれ。
俺は優月から目を逸らして、自分の足元を見た。
汚れたスニーカーを見つめる。

「別に変わったこともないよ。優月は?」
声が上ずったりしないように、慎重に言葉を吐き出す。

一瞬の沈黙の後、優月は静かに笑っていた。

「なに?」
「ううん、別に。ただ、圭ちゃん、昔は私のこと『ゆう姉』とかって呼んでくれてたなって思い出して」
「そうだっけ?」
「そうだよ。いつ頃から私のこと優月なんて、生意気に呼び捨てするようになったんだっけね」
「…忘れた」

俺はただ汚れたスニーカーをじっと睨み続けた。
本当は覚えているよ。
優月を意識し始めた中3のあの頃から、俺は優月を『ゆう姉』って呼ばなくなったんだ。

ちらりと隣の優月の足元を見る。
綺麗な色の、ヒール。
いかにも大人の女が履いているような。
自分の汚れたスニーカーと見比べると、それが俺と優月の絶対的な距離のような気がしてくる。
ハタチの大学生の俺と、24歳のOLの優月。
優月にしてみれば、俺は未だに出会った頃のまま、ガキなんだろう。
そんなことを思ったら、無性に腹が立ってきた。

「ねえ、圭ちゃん」
「ん?」
スニーカーを睨みつけた厳しい視線のままで、優月を振り返ってしまった。
優月は俺の意味不明な厳しい視線と出会い、驚いた顔をしている。
「…どう、したの?」
「あ、いや、何でもない」
俺は慌てて笑顔を作ってみたけれど、それが成功したかどうかは分からない。
「で、優月は何?」
「え? うん。今日は拓ちゃんちょっと顔色いいなと思って」

俺は目の前に横たわっている兄貴を見た。

「そうか?」

俺には分からない。
俺の目の前にいる兄貴の顔色なんて。
もう8ヶ月も言葉を発しないどころか、俺たちを見ることも無い兄貴。
ただ、存在しているだけに過ぎない。
俺たちを、優月を苦しめ続ける兄貴。

もう兄貴は、昔の面影もほとんどない。
24歳のはずの兄貴は、20歳以上老け込んだように見えた。







ネット小説ランキング>恋愛シリアス(PG12)部門>「この手はきっと届かない」に投票 「この作品」が気に入ったらクリックして「ネット小説ランキングに投票する」を押し、投票してください。(月1回)





ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう