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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

三年目

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第二章1【情報収集の段階】

 新年を向かえて一ヶ月ほどがたった、ある日。

 カープァ王国王都は、いつもより少しだけ雑然としていた。

 王家の所有する、国内貴族全員の名を記した『名簿』。その『名簿』に欠落があることが公式に発表されて約一月だ。

 ひょっとして自分もそうかも知れない。そんな心当たりのある地方貴族が、地元に連絡を取り、『名簿』の写しを持参して上京してきた第一陣が、現在王都に詰めているのである。

 もちろん、彼らはニルダ・ガジールのケースとは違い、大多数の前で儀式のような手続きをするのではない。王宮の一室で文官達が写しを確認し、女王アウラが『名簿』に名前を書き加えるだけだ。

 作業としては単純で、第三者的に見れば何の問題もない作業だが、当事者の中にはそのまま倒れそうなくらいに緊張している者もいる。

 まあ、無理もあるまい。『名簿』の再登録が認められなければ、その者は貴族ではない、ということになる。

 すでに五年以上、貴族として生きていた人間にとって、例え万に一つの可能性でも、「お前は貴族ではない」と言われる立場に、突然立たされたというのは恐怖以外の何物でもないだろう。

 とはいえ、『名簿』の再登録を申し出ている者は、現時点ではまだ両手で数えられるくらいの人数に過ぎず、その親族を数に入れても『名簿』問題で騒いでいるのはごく少数といえる。

 大多数の貴族は、タダの物見高い野次馬に過ぎず、野次馬の興味というのはさほど長続きしないのが世の常だ。

 他に衆目を集める大きな出来事があれば、なおさらである。

 現在、王都に詰める貴族達の興味は、ギジェン家のプジョル将軍と、ガジール辺境伯家の次女ニルダの婚約へと移行していた。






「では、ガジール辺境伯家では、主にルシンダ嬢が動いているということか?」

「はい。辺境伯ご自身は軍関係の知り合いに顔を繋いでいるだけで、もっぱらルシンダ様がニルダ様を連れてあちこちの社交界に出席しているようです」

 王宮の一室で、女王アウラは密偵でもある金髪の侍女からそう報告を受ける。

 女王は椅子に深く腰を下ろしたまま、顎に手を当てて考える。

「ふむ。ということは、ニルダ嬢の結婚が終わるまでは、ルシンダ嬢へのアプローチは控えておいた方が無難、か」

 独り言のような女王の問いに答えたのは、後ろに控えている中年の秘書官だ。

「左様ですな。ルシンダ嬢は地方領主貴族らしく、血族への情が深い女性です。妹であるニルダ様のご結婚を円滑に終えるため尽力している現状、下手な動きは禁物でしょう」

 プジョル将軍とニルダ・ガジールの結婚は、プジョル将軍から申し込んだものだが、ガジール辺境伯家にとっても願ってもない縁談である。

 ニルダは、物心つくまで村娘として育っていたという特殊な事情があるため、どうしてもガジール辺境伯家側が下手にでる毛色が強い。

 ファビオ秘書官の主張の正しさを認めた女王は、一つ溜息を吐く。

「やむを得んな。しばらくは、情報収集に止めておくか。しかし、その情報がどうも集まらぬな。ある程度は覚悟していたが、予想を超える情報の少なさだ。マルグレーテ、その後はどうだ?」

 話を振られた金髪の侍女は「はい」と一つ頷いた後、不本意な結果を告げる。

「芳しくありません。元々ガジール辺境伯家は、地元の発展に力の大半を注いでいるため、中央で繋がりを持っている貴族はほとんどいません。ルシンダ様ご自身もほとんど辺境伯領から出てきたことのないお方ですし、領外に噂が広まるような派手な逸話も皆無の模様です」

「ふむ? あれだけ聡明で有能な人間が、いくら自領に引きこもっているとは言え、ろくに噂に上っていないと?」

 首を傾げる女王に、金髪の侍女はすました顔のまま告げる。

「聡明で有能だからこそでしょう。女が表立った名声を上げることは、南大陸の価値観では決して良い結果をもたらしませんから」

「うむ……」

 女王アウラは、マルグレーテの言葉を元に、ガジール辺境伯家の情報を整理する。

「確か、大戦中は、ガジール辺境伯はほとんど自領に戻っていなかったはずだな?」

「はい。長男、次男が連続して戦死したため、辺境伯は自ら戦場で指揮を執っておられましたから」

 アウラの確認の問いを、ファビオ秘書官がそう肯定する。

「大戦中は、三男のチャビエルはまだ成人前だな?」

「左様です。大戦中のチャビエル卿は、ルシンダ様の庇護下にありました」

「ガジール辺境伯家の陪臣貴族達は?」

「あそこの陪臣家は武人が大多数ですからな。主力は辺境伯と共に戦場に向かっていました」

「……私は当時、ガジール辺境伯領で問題が起こったという報告を受けた覚えがないのだが?」

「その記憶に間違いはございません。事実、ガジール辺境伯領は、大戦中中央に報告しなければならないほどの大きな問題を起こしていません」

「よほど運が良かったのか?」

 胡乱げな顔つきで首を傾げいる女王に、細面の秘書官は一応肯定の返事をする。

「運が良かったのは、間違いのない事実でしょう。大戦中、領内で大規模な自然災害や、強力な竜種が人里に下りてきたことはなかったようですから。
 ですが、それ以外の通常起こりえる問題が発生しなかったのは、やはりルシンダ様の手腕が大きいのではないかと」

 戦が長期化すると、領地は大概問題を多発させる。

 特に、ガジール辺境伯領の場合、領主が領軍を率いて領外に戦争に出ているのだ。

 領軍とは、言ってしまえば領地における若い男手のことである。若い男を戦力として引っこ抜かれた農村が、今まで通りに仕事をこなすのは大きな困難が伴う。

 今まで十人でやっていた仕事を、急に七人でやれと言われたようなものなのだから、無理が出るのは当然だ。

 通常の畑の世話ならばどうにか回っても、畑起こし、種まき、刈り入れなど、季節によっては、人手がなければどうにもならない仕事もある。

 そういうときには、近隣の村同士が少ない人手を融通し合うのだが、当然ながらそこには多種多様な問題がある。

「どの村から人を派遣するのか?」「移動の道中の安全は誰が保証するのか?」「大人数を出す村と、少人数しか出せない村の扱いの差はどうするのか?」等々、難しい問題が山積みなのだ。

 だから、領軍を率いる領主が留守にする領地は、大概問題が多発するし、その問題を自分のところで処理できれば、「優秀な領主代行」と呼べる。

 だが、ガジール辺境伯領では、そもそもそうした問題が一度も発生しなかったという。

「つまり、問題が表面化する前の段階で、問題の芽を全て摘み取った、ということか?」

「もしくは、本当に掛け値無しで一度たりとも、問題を起こさなかったか、ですな」

 アウラは、大きく一つ深呼吸をした。

「……本当になぜ、今日まで無名のままだったのだ?」

 女王の言葉に、秘書官はヒョイと小さく肩をすくめる。

「多種多様な問題を鮮やかに解決するのであれば、誰が見ても有能さがその目に映るのでしょうが、そもそも問題を問題として発生させなければ、傍目には平和な領地の領主代行でしかありませんから」

「……なんだが不安になってきたぞ。ルシンダ嬢を引き抜いたら、ガジール辺境伯領は回らなくなるのではないか?」

 女王は、感心やら不安やら、色々と複雑な感情の交ざった溜息を吐くのだった。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆






 同じ頃、善治郎は後宮の一室で、久しぶりにオクタビア夫人の講義を受けていた。

「……それでは、王都の土地は原則全てカープァ王家が私有しているということか?」

「はい。平民の民家や商店はもちろんのこと、貴族の王都屋敷も土地は王家から借りているという建前になっています。現実的には王都の経済活性化のため、貴族の王都屋敷以外は普通に売り買いが自由化されていますし、王家が地代を取ることもないので、知らない人間の方が多いようですが。例外は、レガラド子爵のお屋敷だけですね」

 一通り、主立った常識については話を聞き終えている今、オクタビア夫人が主に教えてくれるのは、貴族達でも中には知らない人間もいるような、一般常識よりもう少し深い知識だ。

「レガラド子爵? 聞き覚えがあるような?」

 首を傾げる善治郎に、オクタビア夫人が説明する。

「王都の貴族ですから、恐らくゼンジロウ様も一度は御当主と対面しているのではないでしょうか。子爵の長女とは毎日顔を合わせているでしょう。レガラド子爵は王都の元領主一族です」

「ああ、そう言えば、カープァ王国は一度遷都しているのだったか」

「はい。カープァ王国の領土が拡大し、旧王都では不都合が生じたとき、丁度王国の中心部の領土を保有していたレガラド子爵家は、自ら領地を王家に差し出すことを提案したと言われています。その際、レガラド子爵家の屋敷だけは、そのままレガラド子爵家固有のものと定められました。他にも、その時の功績として、王宮におけるいくつかの官職が、レガラド子爵家の『指定席』となっています」

「なるほど」

 感心したように頷きつつ、善治郎は内心で首を傾げる。

(封建国家が遷都するときに、地方領主が自領を進んで差し出すものかな? 王家に都合良く言い伝えがねじ曲がってそうな雰囲気。後で、アウラに聞いてみるか)

 もっとも、遷都自体が数百年前の出来事だ。正しい歴史は、王家でも失伝している可能性が高い。真実はすでに歴史の彼方なのかも知れない。

 そんなことを考えていた善治郎であったが、ふとオクタビア夫人が、まだ何か言いたそうな顔をしていることに気付く。

「ああ、話の腰を折ってしまったか。続けてくれ」

 自分が考え事をしていたせいで、説明を止めてしまったのだと善治郎は判断したが、オクタビア夫人の内心は違った。

「いえ、先ほどの話はあれで終わりです」

「む? だが、何か言いたそうに、見えたのだが?」

 善治郎の追求に、淑女の鏡と呼ばれる夫人は恥ずかしそうに少し視線を泳がせた後、頬を少し紅潮させて白状する。

「それは、私も少々考え事をしていたのです。下世話なことをうかがうようで恐縮ですが、ゼンジロウ様は最近王都に流れる噂を耳にしておりますでしょうか?」

「意図的に集めているつもりはないが、必然的にある程度は耳に入ってくるな。今、王都を騒がせている噂と言えば、『名簿』の件か? それともプジョル将軍とニルダ嬢の結婚か?」

 ある程度自信を持って聞き返す善治郎に、オクタビア夫人は小さく首を横に振る。

「いいえ。そのどちらでもありません。ニルダ様の姉君、ルシンダ様のお噂です」

 ルシンダ。その名前を聞いた善治郎は、ビクリと体を震わせる。

 そんな王配の反応を、オクタビア夫人は行儀良く気付かない振りをして、話を続ける。

「不躾な問いを重ねて恐縮ですが、一月ほど前、ゼンジロウ様はルシンダ様と対面する機会がございましたね?」

「そのことが噂になっているのか?」

 舌打ちしたい気持ちで、少し声のトーンを下げる善治郎に、オクタビア夫人は重ねて首を横に振る。

「いいえ、その逆です。『全くと言っていいほど、噂になっていない』のです」

「む?」

 さほど察しの良い人間でない善治郎は、とっさにオクタビア夫人の言いたいことが分からなかった。

 その反応を受けて、オクタビア夫人は丁寧に説明する。

「ゼンジロウ様の側室問題は、誰もが耳をそばだてている問題です。そのため、夜会や立食会である程度長く会話を交わしただけでも、『側室入り』の噂が立つのです。ギジェン家のファティマ様、ベルビデス辺境伯家のレティシア様、双王国のボナ殿下、それに私さえ、一時的に噂が立ったくらいです」

 最初の三人は何となく身に覚えがあるが、流石にオクタビア夫人と噂が立っていたというのは、寝耳に水だ。

 マルケス伯爵夫人オクタビア。その呼び名通り、既婚者である。

 善治郎からすると、驚くしかない話だが、そこまで言われると今回のルシンダ・ガジールが「全くと言っていいほど、噂になっていない」のが異常事態であることが分かる。

 夜会などで少し長めに話しただけの少女や、家庭教師として後宮に出入りしているとはいえ、有力貴族の正妻である女ですら、「側室候補」という噂が立つのに、一対一で非公式の対面を果たした女が、ほとんど噂になっていない。

 比べてみると、明らかにおかしい。

「ですから、一部の耳ざとい人間が首を傾げています。今回のルシンダ様に対する対応だけ、違う、と」

 噂に上がって当然の行動をしているのに噂に上がらないのは、誰かが情報を操作しているからだ。

 その誰かの正体は、素直に考えれば、善治郎達王家だろう。

 そして、これまでは噂を流れるに任せていた王家が、なぜ今回だけ、噂の打ち消しに動いたのか? と考えたとき、逆説的な考えに思い至る者も出る。

 すなわち「今回のルシンダ・ガジールだけは本当に側室候補だから、情報統制に動いているのだ」という結論だ。

「それは誤解だな。ルシンダ殿に、私が特別な配慮をしたという事実はない」

 きっぱりと言いきる善治郎の言葉は、全面的な事実である。善治郎も、アウラも、今のところ何もしていない。

 動いたのは、全く自覚のないルシンダ本人である。

 自分のような人間と噂が立てば、王族に迷惑がかかる。という考えから、社交界でその手の話を振られる度に、巧みな話術で「誤解を解いて」回ったのだ。

 その結果、貴族社会の大多数には「誤解が解けた」のだが、一部の情報の裏まで読む目ざとい人間には、大きな違和感を残してしまった。

「左様でしたか。ですが、一部の深読みする貴族達には、誤解が広まりつつあるようです。差し出がましいとは思いましたが、あえて忠言させて戴きました」

「いや、差し出がましいなどと、とんでもない。オクタビアの忠言は、いつもありがたく聞かせて貰っている。これからもよろしく頼む」

「はい、ゼンジロウ様」

 度量を見せる善治郎に、オクタビア夫人は花が綻んだような笑顔で、小さく頭を下げるのだった。
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