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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

三年目

89/93

第一章2【女王の思惑】

「なるほど。辺境の暮らしというのは、中央とは随分違うのだな。領主と平民の距離が非常に近い。少々羨ましくもある」

「そうですね。中央――王都は貴族の数が多いですから、王族や高位貴族が直接平民と接する機会は非常に少ないようです。それに比べると辺境は、貴族の数が少ない分、必然的に私達領主一族でも直接彼らと、言葉を交わす機会が頻繁に訪れます。正直、大変なことも多いですが、非常に刺激的で有意義な経験でもあります」

 その後、善治郎とルシンダ・ガジールの『お見合い』は、恐らく誰も予想していなかったほどに、和やかに続いていた。

 その功績が誰にあるかと言えば、それはもうひとえに、ルシンダにある。

 元々この場が設けられた理由を、ある程度正確に推測できているルシンダは、はなから自分とゼンジロウが結ばれる未来などないと、確信している。

 故に、善治郎と一対一で話が出来るこの場でも、がっつく気配は欠片もない。むしろ、王家の心証を害さないため「実家に咎が及ばない範囲で、出来るだけ穏便に破談に出来るように協力しよう」というスタンスでこの場に望んでいる。

 結果、ルシンダは色恋に繋がるような会話を仄めかすこともなく、ただ「善治郎が自分に興味を持った」という言葉をそのままの意味で解釈し、自分の近況や故郷での日常などについて、面白おかしく話すに留まっていた。

「私が日頃言葉を交わす機会がある平民は、裏庭の職人達ぐらいだな。彼らとの会話は確かに、非常に面白い」

「卓越した職人の技は、一面では魔法を超えますからね。職人の一部には、巧の技に魔法を組み合わせた技術を確立している者もいますし」

「彼らの存在は国の宝だな。守り育てるのはもちろんのこと、後継者を作り、その技を子々孫々まで伝える仕組みがあると良いのだが」

「基本的には賛同いたします。ただ、現在の技を守ることに重きを置きすぎると、長期的には新たな技を生み出す土壌に蓋をすることになりかねませんから、そこが悩ましいところですね」

「確かに。だが、既存の技術の継承だけでなく、技術発展の土壌の保護まで考慮するとなると、個人の裁量でどうこうする話ではないな。私に出来るのはアウラ陛下に具申することくらいか。もっとも陛下ならば、すでに手を打っておられるだろうが」

「そうですね。私は辺境で過ごしていたので人聞きの噂しか知らないのですが、アウラ陛下は職人達の重要性にも、非常に理解のあるお方だと聞き及んでいます」

「そうか。陛下の名声が辺境まで響いているとは重畳だ。私は、これからもそんな陛下を支えていきたいと思う」

「……ご立派な覚悟です」

 妻であるアウラを褒められて、嬉しそうに胸を張る善治郎に、ルシンダはなにか可愛いものを見るように目を細め、小さく笑い返す。

 この場を設けた目的――側室候補となる女との面談という前提と照らし合わせると、善治郎がアウラの事を嬉しそうに話題に乗せるのは少々無神経なのだが、幸いなことにルシンダは善治郎のそうした態度にも、全く不快感を感じていないようであった。

「ゼンジロウ様の存在は、アウラ陛下に取って大きな助けとなっている事でしょう。それは断言できます」

 王都に入って何日もたっていないルシンダだが、アマンダ侍女長から当たり障りのない善治郎とアウラに関する情報は聞かされている。

 その情報と、ここでの善治郎の言葉を照らし合わせれば、目の前に座る男が、女王の伴侶として非常に力となっていることは疑いない。

 それは、この国では極めて希有な資質だ。

 ルシンダは典型的な地方領主貴族であるため、自領を第一に考える人間である。だが、自領の安定・繁栄には、国自体が安定してくれた方が良いことも、理解している。

 そう考えると地方貴族にとっても、善治郎の存在は非常にありがたい。

 女王アウラは有能な為政者だが、女の王というだけで反発する者も珍しくない。

 現状を正しく認識できる者ならば、女王を支えることに理性では理解出来るだろうが、感情まで納得させられるかというとそれはまたの別問題だ。

 接触時間の短い臣下ならばともかく、日常を共にする伴侶の場合は、理性だけで理解できても感情が追いつかなければ、日々の生活そのものがストレスとなってしまう。

 そうしたストレスに耐えられるだけの強靱な精神力と、定期的に何らかの手段でストレスを解消できる手段を持ちうる男。それが、ルシンダが当初考えていた『女王の伴侶に最適な男』の条件であったのだが、善治郎はそんな条件を遙かに超える女王の伴侶の適格者だ。

 そもそも、女王を支えるという立場に、全くストレスを感じていないのだから、これ以上の適格者はいないだろう。

(ゼンジロウ様とアウラ陛下の仲を良好に保つ。それがこの国の安定には欠かせない。そうすることが結果として、ガジール辺境伯領の安定にも繋がるのでしょう)

 今回の「お見合い」に、情報収集という意味で大きな意義を見出した辺境伯家の長女は、目を細めて上品に笑う。

「ゼンジロウ様の有り様は、アウラ陛下に取って最善の寄り添い方です。そして、それはカープァ王国全体にとっても最善の選択と言えるでしょう。今更と思われるかも知れませんが、改めてお礼申し上げます。
 ゼンジロウ様が我が国にもたらして下される益は、一見すると分かりづらい物ですが、国にとっては何より大事な、『安定』というものなのです」

「大したことではない。私は望むがままに振る舞っているだけだ」

 ルシンダの言葉に、善治郎は口元を綻ばせる。

 思い返してみれば、自分とアウラの関係を、全面的に肯定して貰ったのはこれが初めてかもしれない。

 女王の風下に立つ事を良しとする男に、感情的なしこりを感じる人間は多いし、そうでない者でも「女王と仲良く出来ているのならば、そろそろ側室を」という方向に話を持ってくる。これは、女王アウラ本人すら例外ではない。

 だが、ルシンダはそんな善治郎のあり方を、全面的に肯定してくれた。

 あくまで女王の伴侶として、裏から女を支え、女王一人を愛し、愛される善治郎がいるからこそ、今この国は、王が女という異例な状況にもかかわらず、これほど安定しているのだ、と分かりやすい理由を付けて。

「だからこそ、ゼンジロウ様の有り様は尊いのです。今のお気持ちを忘れずに、末永く陛下との関係を保って下さることを、臣下として望んでやみません」

 ルシンダは、控えめな笑みを浮かべたまま、小さく頭を下げた。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆





 王配善治郎との『お見合い』を無事終えたルシンダ・ガジールであったが、彼女はまだ王宮を後にすることは許されていない。

 ルシンダがその足で向かったのは、王宮の別な一室であった。

 入り口の扉の前を固める近衛兵にルシンダが来訪を告げると、しばらくして入室の許可が下りる。

「良く来たな。婿殿の『我が儘』に付き合ってもらい、大義であった。まずはかけよ」

「はい、アウラ陛下」

 その部屋でルシンダを待っていたのは、他でもない。

 ルシンダが先ほどまで談笑していた男の妻。女王アウラその人であった。





 既婚男性と二人きりで話をして、その直後にその男の妻に詰問される。

 現代人の感性では『修羅場』の三文字が頭をよぎる状況だが、南大陸の貴族社会では取り立てて珍しい状況でもない。

 とはいえ、そこは感情ある男と女の話だ。

 正妻が側室候補を呼び出すというのは、カープァ王国でもよくて『今後の釘刺し』、悪ければ『宣戦布告』のためであることも珍しくない。

 故に、呼び出されたルシンダは、穏やかな表情の下でそれなりに緊張していた。机の下で上品に揃えた手の平に、気持ちの悪い汗が滲むのを自覚する。

(アウラ一世陛下。お父様のお話でも、これまで集めた情報でも、非常に理性的な人物と聞き及んでおりますから、まずは問題ないとは思いますが……)

 それでも油断は禁物だと、ルシンダは心を引き締める。

 政治や軍事においては極めて冷静で有能な人間でも、色恋沙汰になると全く感情制御が出来ない、という話も珍しくない。

 そんなルシンダの内心などつゆ知らず、女王はいつも通りの威厳ある笑みを浮かべたまま、話し始める。

「いきなりこのような場に呼び出して緊張しているかも知れないが、それは無用な心配であるとまずは最初に明言しておく。この場で其方がどのようなことを言ったとしても、それを理由に其方やガジール辺境伯家に不利益をもたらす事はない。故に、私の問いに答えて貰いたい」

「はい、承知いたしました」

 殊勝な態度で小さく頭を下げるルシンダだが、もちろんアウラの言葉を鵜呑みにはしていない。

 アウラは比較的誠実な君主だが、政治に携わる人間が誠実一辺倒であるはずがないことは、ルシンダもこれまでの人生で嫌と言うほど思い知っている。

 そもそも最高権力を握る女王の心証を害してしまったら、それ自体がもう歴とした不利益なのだ。いくらアウラ自身に約束を守る意志があったとしても、感情の奥底で嫌悪感を持ってしまうと、無意識のうちにその相手を避けるようになる。

 例え無意識レベルでも、女王に距離を持たれるというのはそれだけで無視できない不利益を生む。

「うむ、では単刀直入に聞くが、其方はゼンジロウとどのような話をしたのだ? そして、ゼンジロウはどのような態度であった?」

「はい。ゼンジロウ様は勿体なくも、私めに興味を持たれたとのお言葉でしたので、主に私のガジール辺境伯領での日常をお話しさせて頂きました。ゼンジロウ様の反応は、あくまで私の私見ですが、楽しんで頂けたのではないか、と考えております」

「……ほう」

 ピクリと片眉を動かす女王に、辺境伯家の長女は穏やかな笑みを崩さず、言葉を続ける。

「私も非常に楽しい時を過ごさせて頂きました。私は今後、降って湧いた妹の結婚の調整で体が塞がってしまうので、ゼンジロウ様に改めてお礼申し上げることは出来ないと思いますから、陛下からもよろしくお伝え下さいませ」

「…………」

 ルシンダの少々露骨な物言いに、女王は表情こそ変えないものの、しばし不自然な沈黙を保つ。

 女王であるアウラに伝言を頼むというのは、厳密に見れば少々無礼な願いである。もちろん、ルシンダがその程度の常識も知らないと言うことはありえない。

 そもそも、ルシンダはガジール辺境伯家という高位の貴族なのだ。善治郎に礼を言いたいのであれば、正式な手続きを踏んで十分な時間をかければ、もう一度善治郎と会うこともそう難しくはない立場にある。

 それなのにあえて少々礼儀から外れる形で女王に伝言を頼むのは、ルシンダの「私はこれを機会に、ゼンジロウ様との誼を深める意図はございません」というアピールなのである。

「ふむ…………」

 アウラはしばし考える。

 ルシンダの態度は、アウラとしては少々予想外であった。

 こう言うと失礼だが、アウラとしては、なんだかんだ言って、二十代の半ばも過ぎて未婚の貴族女が、王族の側室入りの機会を自分から辞退するとは思っていなかった。

(しかもわざわざ「降って湧いた妹の結婚」についても触れた。ひょっとして、婿殿が自分に興味を示したという裏側まで推測出来ているのか?)

 それは考えすぎだとしても、ルシンダが用心深く、善治郎から距離を取り、社交辞令的な言葉でこの場をやり過ごそうとしていることは間違いない。

「ルシンダ。其方ならば気付いていると思うが、此度の面談にはゼンジロウと其方との仲を発展させようという意図があったのだ。そのことについて其方自身はどう思う?」

 これは、遠回しに話をしていてもラチがあかない、と睨んだ女王はズバリと切り込む。

 そこまで直接的な言葉は予想していなかったのか、ルシンダは一瞬驚きに目を見開いたが、すぐに元の柔らかな笑みを取り戻し、

「光栄なお話です。ですが、私ごときでは余りに身に余るお話。ゼンジロウ様にはもっと相応しい、若くて魅力的な女性がすぐに見つかりましょう」

 そう言ってスルリと身をかわす。

「確かに、我こそは、と売り込んでくる女は非常に多い。だが、ゼンジロウ自身が興味を示したのは其方なのだ」

「その経緯は父から聞きましたが、それは本当にただの興味だったのではないでしょうか。今は妹とプジョル将軍の結婚が決まり、王都も騒がしくなっていますし、このような忙しい時期だと分かっていれば、ゼンジロウ様もそのようなことは、仰らなかったのではないでしょうか?」

 ニルダとプジョル将軍の結婚話がなければ、善治郎がルシンダに興味を示すこともなかった。

 その物言いから、女王は今度こそ確信する。

(決定だな。どこから推測したのか知らぬが、この女は婿殿が自分に興味を示したという言質が、私の失策によることを確信している)

 ルシンダ・ガジールという女の本質に触れたアウラは、目の前の女そのものに少し興味を覚える。

「そうか。其方の主張は理解した。では、ゼンジロウの側室として、其方ならばどのような女が相応しいと思う?」

 ここからは砕けた世間話、と主張するため、少し座り姿勢を崩した女王は、そう対面に座る同世代の女に問う。

「それは……私の口から陛下のお耳に届ける言葉ではないと愚考いたします」

「なに、そんな堅く考えなくとも良い。ただの興味本位の話だ。なあ、ファビオ、お前も興味があるだろう?」

「はい、アウラ陛下」

 女王は振り返り、斜め後ろに立つ細面の秘書官に声をかける。

 女王付とはいえ、一回の秘書官に過ぎないファビオには、公的な場では自らの意志で言葉を発する権利を持たない。その秘書官を会話に加えることで、アウラはこの話が『私的な世間話』であると協調しているのだ。

 これは、かわしきれない。そう悟ったルシンダは小さく深呼吸をすると、口元の笑みを少しだけ強め、言葉を発する。

「承知いたしました。では、私の私見を述べさせて頂きます。ゼンジロウ様は現状のままが一番です。いない側室がゼンジロウ様に取って最高の側室でしょう」

 その言葉はさすがの女王にとっても相当に予想外だったのだろう。極めて珍しいことに、アウラは臣下の前で素の驚きの表情を露わにする。

「側室は……必要ない?」

 ルシンダは驚きを隠さない女王に、少しだけ真面目な表情で首肯する。

「はい。現在、王国が戦後からさほど時間がたっていないのにこれほど安定しているのは、ひとえに王であるアウラ陛下のお力によるものです。そのアウラ陛下が十全に力を発揮するために、一番大事なことは王家の安泰であることは、誰からも異論の入らない事実でしょう。
 そして、現状のアウラ陛下とゼンジロウ様のお二人。この状態に、他の誰を加えたところで、大なり小なり王家は安泰から遠ざかります」

「しかし、それでは国内貴族が黙っていまい。男の王族が、妻を一人しか持たないなど、前代未聞だぞ?」

 強いて言えば先代国王であるカルロス二世はその生涯を独身で通しているが、それは彼が幼い頃の病が原因で生殖能力を失っていたから許されただけの話である。そのカルロス二世でさえ、側付きの侍女と恋仲になったと噂が立ったときは、「ひょっとして子供が出来るのでは?」と期待を持たれたのだから、南大陸の王族にとって子をなすことがどれほど大きな意味を持っているか、分かるというものだ。

 女王の正論に、辺境伯家の娘は少し困ったように眉の間に皺を寄せる。

「それはその通りなのですが、そうした状況はゼンジロウ様にとっては極めて負担が大きいのではないか、と思うのです。確か、ゼンジロウ様は少々特殊な生まれのお方なのでしたね。失礼ですが、アウラ陛下は市井の民の結婚観をご存じでしょうか?」

「む? いや、知らないな。戦時は、戦場で市井の兵士とも多少は言葉を交わしたが、流石にそこまで深い話をする機会はなかったからな」

 そう言って首を横に振る女王に、ルシンダは一つ頷くと、慎重に言葉を選びながら説明を始める。

「それでしたら、少々理解は難しいかも知れませんね。私は見ての通りの辺境の女です故、市井の者ともそれなりに交流がございます。ですから、こうした役に立たない知識も耳に入ってくるのですが、原則市井の民では、男と女は一対一で結ばれるのが『常識』なのだそうです」

「まあ、それはそうなるであろうな。一般的な市井の男では、経済的に複数の妻を娶ることは負担であろう」

 頷く女王に、ルシンダは一つ首肯すると言葉を続ける。

「はい、その通りです。ですが、そのような状態が何世代も続くと、一人の男に一人の女という状態は、経済的な理由ではなく、風習・常識として固まってしまうのです」

 一般的な田舎村の場合、複数の妻を娶ることが許されるのは、村長、相談役、若衆頭などに限られる事が多い。腕と運に恵まれた猟師などは、時として村長よりも経済的ゆとりがある者もいるのだが、そうした者が二人目の妻を娶ると、「浮気性」「女にだらしがない」という悪評が立つのだという。

 王国の法律では、男が複数の女を娶ることは、身分にかかわらず、当事者達が納得すれば誰でも許される事になっているはずなのに、現実としてはそうした『王国の法律』よりも『村の風習』が強いのだ。

「ですから、そうした価値観で育った市井の男は、一人目の妻を娶った後、他の女に言い寄られると大体大なり小なり皆戸惑います。特に、「真面目」で「誠実」で「一人目の妻を心底愛している」男ならば、言い寄る女の存在を本当に煩わしく思うようです」

「なるほど、興味深い話だ」

 アウラは、頬が緩みかけるのを、意志の力で抑えつつ頷いた。

「真面目」で「誠実」。そして、「一人目の妻を心底愛している」男。ルシンダが善治郎をそう評価してくれることが、アウラにはくすぐったくてしょうがない。自覚はあっても、第三者から夫の自分に対する愛情を指摘されると、どうにも照れくさいものだ。

 そんな女同士のやわらかな空気に、細面の中年男が冷や水を浴びせる。

「しかし、ルシンダ様。ゼンジロウ様は王族です。王族には、王族の義務がございますが、それについてはいかがお考えですか?」

 ここは私的な場、しかも最初にアウラがファビオに話を振っているのだから、彼が会話に口を挟むのもおかしな話ではない。

 ファビオ秘書官のいつも通りに冷徹な言葉にも、ルシンダは柔らかな笑みを崩さすに、

「それは、深い事情を知らない私が断言できることではありませんね。ですが、その王族の義務というのが、女王とその伴侶の間を崩壊させる危険を冒してまで、果たさなければならないほど大きなものなのか。ファビオ様はいかがお考えですか?」

 と、聞きようによってはファビオ以上に冷徹な言葉を返した。

「む……」

 問い返されて言いよどむファビオという、非常に珍しいモノを見たアウラは内心で驚きつつも、それより先にルシンダに問い返す。

「ちょっとまて、ルシンダ。それは、流石に大袈裟ではないか?」

「はい、私が『知る限り』もっとも悪い可能性を、述べさせて頂きました。もちろん、非常に少ない可能性と言われればその通りです」

 そう言ってルシンダは小さく頭を下げるが、その言葉の意味を理解できた女王は全く表情が優れない。

 ルシンダの『知る限り』もっとも悪い可能性ということは、少なくとも市井では、そうして崩壊した家庭が存在していると言うことである。

 そして、アウラは知っている。善治郎が住んでいた異世界というところは、法律で一夫一妻が決められていたという事実を。つまり、「善治郎の結婚観は、貴族よりも市井のそれに近い」というルシンダの推測は、完全に的を射ているのだ。

 そんなルシンダの警告が、女王の胸の奥深くに刺さる。

 考え込む女王の後ろで、細面の秘書官はコホンと一つ咳払いをすると、再度ルシンダに問いかける。

「ですが、王族にそのような甘えは許されるものなのでしょうか?」

「『許される許されない』、という議論の前に、『可能か不可能か』という議論をすませるべきではないか? と提案しているのです。
 例えば、我が領地には一人の猟師がいます。非常に腕の良い猟師で、槍一本で野生の肉竜を仕留め、罠で野生の走竜を生け捕りにする剛の者です。ですが、彼は猟師の必須技能とも言うべき弓矢が使えません。なぜならば、先の大戦で片腕を失っているからです。
 ファビオ様は、片腕の猟師が弓矢を扱えないことを、『甘え』だとお考えですか?」

「ゼンジロウ様が、その片腕の猟師と等しいと、ルシンダ様は仰るのですか?」

「分かりません。体の形と違い、心の形は人の目には見えませんから。ですが、一度お話をさせて頂いただけでも、ゼンジロウ様が一般的なカープァ王国貴族男性とは異なる心の形を為ていらっしゃることは、確信できました。だからこそ、こう申してはなんですが、女王の伴侶という極めて難しいお立場を、あれほど軽やかにこなすことが可能なのでしょう。
 ゼンジロウ様が一般的な男ではないことで恩恵を被っておきながら、ゼンジロウ様が一般的な男ではないことで発する不利益は甘受できないというのは、むしろそれは周囲の人間の『甘え』なのではないでしょうか?」

 そこまで言ったところでルシンダは、いかに『私的な場』とはいえ、流石に突っ込んだ意見を言いすぎた事に気付き、自分を落ち着かせるため、テーブルからカップを手に取り口を付ける。

 カップ越しに、ルシンダは対面に座る女王とその後ろに控える腹心の男の表情を窺うが、予想に反して両者の顔にこちらに対する負の感情は浮かんでいなかった。

 むしろ、興味深げに女王アウラはテーブルに少し身を乗り出すと、ルシンダに対してさらなる助言を求める。

「なるほどな。いや、ルシンダの言葉は実に為になる。実に貴重な忠言であった。心に刻んでおくとしよう。で、それはそれとして、ルシンダ。
 それでもなお、ゼンジロウにどうしても側室を取らせなければならないとしたら、どういう女が相応しいと其方は思う?」

 先ほど言葉が過ぎたという自責の念に囚われているルシンダは、しばし困ったように沈黙を保つが、やがて観念したように口を開く。

「そうですね。どうしても、ゼンジロウ様には側室が必要なのだとすれば、それは、アウラ陛下がお決めになるのが一番なのではないでしょうか?」

「私が、か?」

「はい。そもそもアウラ陛下は、ゼンジロウ様の側室に関しては、どのような条件をお考えなのでしょう?」

「それは、特にないな。もちろん、曲がりなりにも王家と血縁を結ぶのだから、最低限の家柄と本人の資質は見るが、あとは善治郎の好み通りの女を宛がってやりたいと考えている」

「失礼ですが、あえて断言させて頂きます。そのお考えが、根本的に間違っているのです」

「なんと?」

 目を丸くする女王の表情が、会話の先を促すための作り物であることを見て取ったルシンダは、内心で安堵の溜息を漏らしながら、持論を述べる。

「ゼンジロウ様のご希望はすでに出ております。妻はアウラ陛下お一人で良い。それ以外の女は、そもそもいらないのです」

「つまり、側室は駄目なのか?」

 首を傾げる女王に、ルシンダは首を横に振る。

「いいえ。そうではありません。その上で、それでもなおゼンジロウ様に側室を娶らせようというのであれば、大切なのは、その女性がゼンジロウ様にとって『二番目に愛する女』であることよりも、一番愛する女である『アウラ陛下とゼンジロウ様の関係を極力邪魔しない女』である事のほうが大事だ、と申しているのです。
 つまり、アウラ陛下に取って都合の良い女を捜すべきなのです」

「それは流石に……いや、だが確かに……それで良い、のか……?」

 あまりに予想外な助言に、さしものアウラもしばし呆然とする。

 だが、善治郎は女王アウラを心底より愛している、という前提に立てば、確かに筋道の通る話である事も理解できる。

 たとえて言うならば、何か一つの趣味に没頭している人間に、「それだけでは世界が狭すぎるから、なにかもう一つぐらい趣味を持て」と強要しているようなものだ。

 その助言を受け入れたとして、一つ目の趣味に没頭している人間は、二つ目の趣味を選ぶ場合、純粋に「二番目に興味のある趣味」を選ぶだろうか?

 結論から言えば、まず選ばない。

 最優先されるのは「一つ目の趣味の邪魔にならない」という一点だ。一つ目の趣味が、金のかかる趣味であるならば、二つ目の趣味は無料で出来るものを選ぶだろう。一つ目の趣味が時間のかかる趣味ならば、二つ目の趣味は時間のかからない趣味を選ぶだろう。そして、一つ目の趣味が体力的にきつい趣味ならば、二つ目の趣味は、体に負担のかからない趣味を選ぶに違いない。

「ゼンジロウ様の側室をアウラ陛下主導で選ぶべきだという理由はもう一つございます。それは、責任の所在を明確にしておく為です。
 ゼンジロウ様の側室を必要としてらっしゃるのは、アウラ陛下であって、ゼンジロウ様ではございません。
 それなのに形だけ決定権をゼンジロウ様に委ねるのは、少々卑怯なのではないでしょうか。それくらいならば、いっそアウラ陛下主導で側室を選ぶことで、どこまでも陛下の都合で付けられた側室であると、明確にしておいたほうが、後日、お二方の心情的にも納得がしやすいのではないかと考えました」

「確かに、それはそうだな」

「ゼンジロウ様の側室であると言う意識より、アウラ陛下の部下という意識が先に立つような、理性と能力を兼ね備えた『奥を任せる女の部下』を探すつもりで選べば、ゼンジロウ様に取っても、どうにか妥協できる側室となるのではないか、と愚考する次第です。そうした女性ならば、出しゃばってゼンジロウ様とアウラ陛下の邪魔にならないように立ち回るでしょうから。
 無論、側室の役割を果たすためには、最低限ゼンジロウ様が『女としての魅力を感じる』女である事は、大前提ですが」

「なるほどな……。いや、実に為になる意見だ。一度其方の意見を念頭に置いて、考えてみるとしよう」

 そう答える女王は、口元に意味深な笑みを浮かべるのだった。





 やがて、話を終えたルシンダ・ガジールが退出すると室内には、女王アウラとその腹心、ファビオ秘書官だけが残される。

「…………」

「…………」

 しばし、無言のまま、女王とその腹心は微動だにしない。やがて、その沈黙を破ったのは女王アウラであった。

「どう思う、ファビオ。先ほどのルシンダ嬢の意見は?」

「いやはや、何とも耳の痛いお話でしたな。確かに私は、ゼンジロウ様に『甘えていた』と言われれば、痛い心当たりは多数ございます」

 善治郎が変わり者である事で、助かっていた面があるのならば、善治郎が変わり者である事で生じる不利益は、周りがフォローするべきだというルシンダの意見には、一理ある。

 小さく肩をすくめる秘書官に、女王は笑いながら言う。

「珍しいな、お前が言い負けるというのは。まあ、それは良い。それよりも私が聞きたいのは、ルシンダ嬢が言っていた婿殿の側室の条件についてだ」

「非常に突飛な意見ですが、確かに的を射ていると思いました。まあ、アウラ陛下にそこまで惚れ込む男がいるとは、想像の外でしたので、私では絶対に思い至らない結論ですな」

「言ってろ。まあ、だが、お前も賛成と言うことか」

「はい。ですが、決して簡単な条件ではございませんな。なにせ、『奥を任せられるほどに、才覚と人格に信頼の置ける女性』など、カープァ王国広しと言えどもそうそう居られますまい」

 そういうファビオ秘書官の物言いは、もの凄くわざとらしい。

 そんな秘書官の悪のりに、女王も便乗する。

「確かに、そんな女がいるのならばお目にかかりたいものだ。現状一人しかいない成人男の王族の側室に入ってなお、欲望に負けずに理性で振る舞える女など、そうそういてたまるものか」

「そうですな。私の心当たりは、『先ほどまで陛下の対面に座っていた女性』くらいですな」

「ほう、奇遇だな。私もその女しか心当たりがない」

 女王と腹心の部下は、視線を合わせてニヤリと笑う。

「陛下。言うまでも無いと思いますが、逃がしてなりませんぞ。万が一、ゼンジロウ様の側室にならないとしても、あの方は最低限陛下直下の部下として迎え入れるべきです」

「言われるまでもないわ。まったく、あれほどの女があの歳まで独り身で残っていてくれたなど、奇跡だぞ」

「しかし、先ほどのルシンダ様のお言葉は、笑いをかみ殺すのに必死でした。理性と能力を兼ね備えた『奥を任せられる部下』のような女などと。聞くものが聞けば、自分を売り込む強烈な自己主張にしか聞こえません」

「ああ、しかもその線は絶対無いと断言できるのが嬉しい。なにせ、ルシンダ嬢自身は、『婿殿が女としての魅力を感じる女である事』という大前提を自分が満たしていないと決めつけているからな」

「無理もないことかと。よもやゼンジロウ様の常識では、二十代の半ば過ぎが『結婚適齢期』であるなどと、予想している方がおかしいでしょう」

 カープァ王国の女の結婚適齢期は、数えで十五歳から二十歳。善治郎の感覚とは、十歳近くずれている。

 もちろん、アウラにしても、ファビオにしても、ルシンダ・ガジールに対するイメージはまだ第一印象だけだ。今後、細かくその人となりを調べていけば、あらも出てくることだろう。

 だが、現状では彼女こそがいきなりトップに躍り出た側室の第一候補である事は、間違いない。

 たった一度の面会だけで、善治郎とアウラの関係を見抜いた知性。女王とその腹心に対しても、臆さず耳に痛い助言を入れられる胆力。そして、どこまでも自分の幸せではなく、自領の安定のために尽力できるその性質。

「ファビオ。婿殿の予定を調べておけ。そして、婿殿が午前か午後、どちらか丸ごと仕事が入っている日に、私の半休を入れろ」

「はっ。承知いたしました」

 それは、非常に珍しい命令であった。通常、アウラは出来るだけ自分の休みと夫の休みが重なるようにしている。そうすることで、少しでも夫婦が共に過ごせる時間を確保するのだ。

 そんな日頃の習慣に相反する命令を下した理由は、他でもない。

「その時を見計らって、アマンダにルシンダの人となりについて問いただす。まずは、身近な情報源から洗っていく。忙しくなるぞ」

 そういう女王の笑顔は、とても夫の側室選びをしているとは思えない、晴れ晴れとしたものであった。
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