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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

三年目

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プロローグ【新年祭、前夜】

 新年祭。

 それは、ここカープァ王国における、一年の中でも特に大きな行事の一つである。

 カープァ王国では、太陽太陰暦を採用しているため、一年の末日は必ず新月となる。その日、カープァ王国の国民は、断食と大掃除をこなす。

 食を絶つことで身を清め、大掃除で住まいを清め、新たなる年を出来るだけ綺麗に迎える、という理屈らしいのだが、正確なところはよく分からない。建国以前から続く、伝統的な行事のため、国民も皆「そういうもの」として、疑問を抱くこともなく、受け入れているというのが、現状だ。

 当たり前の話だが、食を絶てば大概の人間は体を動かすのがおっくうになる。その上で、大掃除という肉体労働をこなさなければならないのだから、一般的に年の末日に、大掃除以外の活動を行う者は少ない。

 だが、別段末日に活動すること自体が禁じられている訳ではないため、ごく一部、特別な事情のある人間は、末日も職務に励む。

 王宮の一室では、その例外に当てはまる二人の女が、向かい合って座り、言葉を交わしていた。




「ご無沙汰しております、アマンダ様。このようなお忙しい日に、お呼び立てして、申し訳ございません」

 ガジール辺境伯家長女、ルシンダ・ガジールは、そう言って対面に座る侍女服姿の中年女に、深々と頭を下げた。

「いいえ、大したことではございません、ルシンダ様。幸い、後宮の大掃除は、清掃担当責任者のイネスが取り仕切ってくれていますからね。今日はむしろ、いつもより余裕があるのです」

 侍女服姿の中年女――アマンダ侍女長は、生来のきつい目つきを少しだけ緩めて、微笑む。

 実際、アマンダ侍女長の言葉に嘘はない。ルシンダがニルダと共に、王都に出てきたのは今から半月ほど前のことだ。当然ルシンダは、王都屋敷に腰を落ち着けた翌日には、アマンダ侍女長に面会の申し込みをしている。その結果、面会日を今日に指定したのは、アマンダ侍女長のほうである。

 アマンダ侍女長にとって、今日が一番面会しやすいというのは、本当のことなのだろう。

 後宮の侍女は、原則退職まで後宮から出ることを許されないが、要職に就いている一部の上級侍女はその例外である。侍女長のアマンダは当然その例外の一人であり、特に女王アウラの信頼も厚いため、こうして王宮内であれば、私的な理由で外部の人間と面会することも許されている。

「…………」

「…………」


 二人は無言のまま、熱いお茶に黒砂糖を入れる。一匙、二匙、三匙……。

 通常は、砂糖を入れずに飲むことが多いお茶に、大量の砂糖を入れる二人は、ふと視線を合わせて、照れたように笑う。

「フフッ、ルシンダ様もやはり、今日はお茶に砂糖を入れるのですね」

「はい、お恥ずかしながら」

 貴族女性としては薄化粧のルシンダは、少し頬を赤らめて、俯くように小さく首肯した。

 一年の末日は、断食の日。だが、断食に水やお茶は含まれない。そのため、普段はお茶はストレート派の者でも、この日ばかりはカロリー摂取のため、大量に砂糖を入れる者が続出するのである。

 どうやら、アマンダ侍女長とルシンダも、その例に漏れないようであった。

 日頃はあまり口にしない、砂糖をたっぷり入れたお茶で喉を潤したルシンダは、静かな口調で話を切り出す。

「アマンダ様。この度、私と妹のニルダが王都に来た理由は、すでにご存じのことと思います。ニルダの『名簿』の件と、プジョル将軍との婚姻の一件です。
『名簿』の一件は幸いにして、大事にならなさそうで胸をなで下ろしているのですが、婚姻の一件に関しては正直対応に苦慮しているところなのです。恥ずかしながら、私も妹も領地から出たことがほとんど無い田舎育ちですので、プジョル将軍のご実家であるギジェン家について、噂以上のことを知らない有様なのです。
 それで、厚かましいことは重々承知の上で、王都に勤めて居られるアマンダ様の知識を頼りにしたいと考え、この場を設けさせていただきました」

 小さく頭を下げるルシンダに、アマンダ侍女長は細めたことで険の増した目つきで、きっぱりと答える。

「今の私は、後宮を預かる身。外部に漏らすことの出来る情報は、極めて限られていますが、それを承知の上でのお言葉でしょうか、ルシンダ様?」

 そうしたきつい対応も、ある程度予測していたのか、ルシンダは表情一つ変えることなく殊勝に首肯する。

「はい。もちろん、アマンダ様の立場は承知しております。私としても、特別王宮や王家の秘匿情報を知りたいという訳ではないのです。ただ、王宮で一般的に知られている情報が知りたいだけなのです」

「それでしたら、私である必要はないのでは?」

「仰るとおりなのですが、今回は時間がありませんので」

 アマンダ侍女長の指摘に、ルシンダは困ったような苦笑を浮かべ、首を横に振った。

 アマンダ侍女長の言うとおり、一般的に王宮で流れている噂レベルの情報を欲しているのならば、接触の難しい後宮侍女長を引っ張り出す必要は無い。それなりに社交を行えば、いずれ聞こえてくる話である。

 しかし、ルシンダの言うとおり、それでは虚実入り交じった情報の取捨選択にどうしても時間がかかってしまう。噂話というものは、面白おかしくするために、意図せぬ虚報が混ざっているものだ。そんな噂話から真実を選りすぐるには、複数の情報源を持ち、矛盾点を洗い出す必要がある。今のルシンダには、その時間がない。

 そのため、緊急措置として、アマンダ侍女長という、人格的にも能力的にも信用のおける人物を、情報ソースとして選んだのである。

「分かりました。他ならぬ可愛い姪の頼みですからね。もちろん、職務上問題のない範囲に限らせてもらいますが」

 アマンダ侍女長は、生来のきつい顔つきを大幅に緩め、笑顔でそう請け負った。

「ありがとうございます、アマンダおばさま」

 ルシンダも、安堵の笑みを浮かべて小さく頭を下げる。

 ちなみに、正確に言えば、アマンダ侍女長とルシンダは、叔母・姪の関係ではない。ルシンダの父であるガジール辺境伯とアマンダが従兄妹の間柄なのだから、もう少し遠い血族である。

 アマンダは、ガジール辺境伯家の分家筋の人間だ。ガジール辺境伯家の王都屋敷の管理を任されている家柄であり、その関係上、地方領主の一族でありながら、中央貴族とも繋がりが深い。

「それでは、何からお話ししましょうか」

「はい。では、プジョル将軍のお人なりや、今回の婚姻に関して王都ではどの程度噂されているのか、差し障りのない範囲でお教え下さい」

 ルシンダは、腹違いの妹が円満に嫁ぐことが出来るよう、情報収集に力を注ぐのだった。




 アマンダ侍女長の情報は、先に断ったとおり、特別深いものでも詳しいものでもなかったが、虚報の混ざらない真摯なものであった。

「貴重なお話を、聞かせて頂きました。ありがとうございます、アマンダ様」

 一通り聞きたいことを聞き終えたルシンダは、対面に座る遠縁の女性に小さく頭を下げる。

 その表情には、多少ながら安堵の色が広がっている。アマンダ侍女長から聞いた情報で、ある程度明るい先の見通しが立ったのだろう。

「お忙しいところ、私の我が儘に付き合って頂き、感謝の言葉もございません。この埋め合わせは、後日必ず致します」

 すっきりした顔でそう言ったルシンダの、今にもこの場を立ち去ろうとしている雰囲気を察したアマンダ侍女長は、小さく小首を傾げて尋ねる。

「ご質問は、本当にそれだけで良いのですか?」

 アマンダ侍女長の意図が掴めなかったのか、ルシンダはキョトンとした顔で、言葉を返す。

「はい。うかがいたいことは、おおよそ全て伺ったと思います」

 本当に分かっていない様子の従姪じゅうてつに、アマンダ侍女長は問いの言葉を重ねる。

「ルシンダ様は、先ほどからニルダ様の嫁ぎ先であるギジェン家と、それに関する噂しか聞いておられません。ですが、婚姻話が持ち上がっているのは、ニルダ様お一人ではないはずです。ルシンダ様ご自身にも、お話が上がっているのでしょう? ゼンジロウ様について、聞かなくても良いのですか?」

 アマンダ侍女長の直接的な問いに、やっと言いたいことを理解したルシンダは、思わず苦笑を漏らす。

「それは、二重の意味で出来ません。
 まず第一に、アマンダ様にとってゼンジロウ様は、直接お仕えしている主です。そのアマンダ様のお立場では、ゼンジロウ様に関する情報は、些細なものでも職務上漏らすことの許されないもののはず、それを聞き出すような破廉恥な真似は、出来かねます。
 そして、第二に私は自分の置かれている状況が、どのようなものであるか、確信に近い推測が出来ております。なぜ、ゼンジロウ様が、一面識もない私ごときに「興味を示す」という言動を取られたのか。その流れが推測出来る以上、私は『ゼンジロウ様に取って』不本意な結果とならない着地点を探りつつ、そうすることでガジール辺境伯家に対して、王家から何らかのご配慮を引き出すことを望む次第です」

「…………」

 気負いのない笑顔で、きっぱりと言い切るルシンダに、アマンダ侍女長は、小さく深い溜息を漏らした。

 アマンダ侍女長の立場を慮り、職務に触れる問いは最初から行わないという心遣い。遠く、ガジール辺境伯領にいながら、又聞きの情報をつなぎ合わせて、善治郎がルシンダに「興味がある」という言質を取られた背景を、正確に読み取る知性。
 そして、王族の側室入りという千載一遇の好機を前にしても、我欲を優先させることを思いつきもしない、利他的な思考。

 地方領主貴族の娘として、それは模範的とも言えるあり方だが、親族であるアマンダ侍女長の目には、少々危うく映る。

「ルシンダ様。本当によろしいのですか? ゼンジロウ様の簡単な人となりをお教えするくらいでしたら、私の立場でも問題はないのですよ」

 アマンダ侍女長の念押しに、ルシンダはしばし考え込む。

「そうですね……確かに、何も知らずに接すれば、意図せず失礼を働いて、ゼンジロウ様を不快にさせてしまう恐れもあります。
 アマンダ様、前言を翻してみっともないですが、やはり少し、ご教授願えますでしょうか?」

「……承知いたしました」

 あくまで、周囲を慮る思考の元、前言を撤回したルシンダに、アマンダ侍女長は、今一度、深い溜息を漏らすのだった。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆




 その頃、後宮では、年末の大掃除が執り行われていた。

 大掃除と言うだけあり、この日の清掃は、大がかりなものである。そのため、普段は各部門に割り振られる若い侍女達も、この日ばかりは、全員が掃除にかり出される。

 さらに、リビングルームと寝室に関しては、善治郎も手を動かしているくらいだ。

 一般的に、王族や高位貴族が自ら炊事、洗濯、掃除といった雑務に手を汚すことは推奨されないのだが、この年末の大掃除だけは例外である。年末の大掃除は一種の『神事』であるため、王侯貴族が自ら掃除をしても、問題とはならない。
 もっとも、善治郎の場合は、電化製品を始めとした、侍女達にメンテナンスを任せたくない品々があるため、日常的に清掃をしているのだが。

 ともあれ、現代日本人である善治郎にとっても、年末の大掃除はなじみ深い風習だ。

 ものぐさで汚部屋一歩手前の生活をしていた大学生時代も、仕事が忙しすぎて物理的に部屋の掃除をする余裕がなかった社会人時代も、流石に年末の大掃除だけは毎年行っていた。

「よし、それじゃ始めるか」

 GパンTシャツ姿の善治郎が、最初に向かったのは、机の上に乗っているパソコンである。

 どのみち素人の善治郎では、大したメンテナンスができるわけでもないが、それでも年に一度くらいは、カバーを外して中にたまった埃を払うくらいのことはやった方が良い。

「よいしょっと」

 慣れた手つきでパソコン本体から伸びる各種コードを引っこ抜いた善治郎は、ドライバーでカバーを止めているネジを緩めると、慎重な手つきでパソコンのカバーを外す。

「うわっ……」

 中を見た善治郎は、反射的に眉をしかめた。覚悟はしていたが、それでもやはり埃でパソコンの内部が白く曇っている様を目の当たりにするのは、気分の良いものではない。

 日本にいた頃は、使い捨てのエアスプレーを使って内部の埃を払っていたのだが、あいにくこちらの世界には、そうした道具は持ってきていない。 だが、代わりにこの世界には、魔法がある。

「イネス、お願い」

 善治郎がそう言って振り向いた先に立つのは、えんじ色の侍女服を隙なく着こなした中年の侍女――清掃担当責任者イネスであった。

「はい、承知いたしました。中にたまっている埃を、風で払えば良いのですね?」

「うん、よろしく。よっぽどの風圧じゃない限り、中の部品が跳んだり、破損したりはしないはずだけど、一応気をつけて」

 善治郎の言葉に、細身の中年侍女は、ニコリと笑い、パソコンという未知の道具へ向かう。

 机の上でカバーを外されたパソコンの前に立ったイネスは、スッと右手の人差し指を立てると、

『風は我が指先より流れ出て、我が意思に従い吹き抜けよ。その代償として我は風霊に、魔力二十一を捧げる』

 呪文の効果は、すぐに発揮された。イネスの人差指の先から緩やかな風が、細く吹き抜ける。

 イネスは空いている左手にハンカチを持ち、口と鼻をふさいだまま、パソコン内部の埃を風の魔法で吹き飛ばす。どうやら、使用者の意思で風力の調整がきくタイプの魔法らしく、善治郎がエアスプレーで埃を取るより効率よく、埃を吹き飛ばしていく。

 ただし、魔法全般に共通する欠点である『持続時間が短い』という点は解消されていないようで、三十秒もしないうちにその魔法は効果を失った。

『風は我が指先より流れ出て……』

 すぐさま、同じ呪文を唱えて埃取りを再開するイネスの手際を横で見ていた善治郎は、感心したような口調で言う。

「凄いね、便利だわ。その魔法って俺も覚えられるかな?」

 主の問いに、中年の侍女は手は止めないまま、笑顔で言葉を返す。

「不可能ではないでしょうが、相当難しいのではないでしょうか。これは、かなり魔力出力の低い魔法ですから」

 一般的に、魔力量の多い者は、必要魔力の少ない小規模の魔法を苦手とする傾向がある。王族としては最低レベルの魔力しか持たない善治郎も、世間の常識に合わせれば、十分な大魔力保持者だ。

「ああ、そういえばそうなんだっけか。ってことは、オクタビア夫人やアウラに習っても、俺じゃ使いこなせないか。俺の魔力出力調整能力はあんまり高くないらしいし」

 最近になってやっと二つ目の魔法習得に取り組んでいる善治郎は、本人の言うとおり魔力出力調整に長けている方ではない。出力を大きく絞らなければならない、小規模魔法が使えるようになる見込みは低い。

 だが、この魔法に関してはそれ以前の問題だった。

「あの、この魔法――『風の指』は、あまり一般的な魔法ではございませんから、オクタビア様もアウラ陛下も習得しておられませんよ。現在、生きている者で習得しているのは、私一人だけかも知れません」

 少し困ったように笑って言うイネスの言葉に、善治郎は驚きの声を上げる。

「へえ、凄いね、イネス。随分貴重な魔法を知ってるんだ」

「いいえ。それほど大したものではございません。本来、実用的価値のある魔法でもありませんから。私がアウラ陛下の前にお仕えしていた主が、魔法開発に凝っていた方でしたので、その方が開発した、独自魔法をいくつか習得しているだけです。
 はい、これで埃はおおよそ、払い終えたはずですよ」

 イネスは、昔を懐かしむように、目を細めて、小さく笑った。

 アウラの前に仕えていた主、と言う言葉に一瞬驚く善治郎であったが、考えてみればそれはごく当たり前の話である。若い侍女達はともかく、侍女長や各部門の責任者達は、皆アウラより十歳以上年上なのだ。アウラに仕える前の人生があっても不思議ではない。

「ん、ありがとう。それじゃ、一度カバーを付け直して、試しに電源を入れてみるか」

 善治郎は、魔法で中の埃を払われたパソコンにカバーをかけ直し、ドライバーでネジを止めながら、イネスとの会話を続ける。

「独自魔法って、他にはどんなのがあるの?」

「ご期待に応えられず、申し訳ありませんが、たいしたことない魔法ばかりですよ。『風の指』『水の手』『火の爪』『砂の腕』。他にも『炎の翼』だの『土の尾』だの、どれも使い道のない魔法ばかり。そうした魔法を開発することで、魔法語そのものの研究を進めているのだ、と本人は言っていましたけれど、半分以上は道楽だったような気がしますね」

「あはは、なんだか、面白い事を考える人だったみたいだね。そのイネスの前の主って人は」

「そうですね。世間の評価では、『真面目』で『物静か』と言われていましたが、私にとっては気安く、楽しく、でもちょっと困った人でした」

 イネスのその遠い目付きと、過去形で語る口調から、その人物が故人である事を悟った善治郎は、その点に関して詳しく聞くことを避けた。少なくとも、掃除をしながら交わす雑談で、聞き出して良いたぐいの話ではなさそうだ。

 そうしているうちに、リビングルームの扉がガチャリと開かれ、人が入ってくる。

 丁度、パソコンのカバーを取り付け終えた善治郎が振り返ると、そこには見慣れた美女――女王アウラの姿があった。

「お、やってるな」

「あ、アウラ。王宮の用事はすんだの?」

「うむ。今日は、いや、今年は終了だ。こっちは大掃除の最中なのだな。どれ、私も少し手伝おうか」

「ありがとうございます、アウラ陛下。でしたら、陛下はゼンジロウ様と一緒に、ゼンジロウ様の私物の清掃をお願いできますでしょうか」

 早速やる気を見せるアウラに、清掃担当責任者であるイネスは、そつなく無難な役割を割り振る。

 生粋の王族であるアウラは、年に一度の年末以外、ほとんど掃除を経験していない。侍女達に混ざって同じ仕事をこなしても、正直邪魔になるだけだ。

 そんなイネスの言外の言葉を察したのだろう。アウラは、苦笑しつつ、

「分かった。ゼンジロウ、私は何をやれば良い?」

 と、素直にイネスの言葉に従う。

「んー、それじゃあテレビの掃除をしようかな。俺はテレビ台の中身を片付けるから、その間にアウラにはテレビの拭き掃除をお願いして良い?」

「うむ、任せろ」

 女王夫妻は、仲良くテレビの置いてある部屋の隅へと向かうのだった。





 テレビ台の中には、テレビに関係する善治郎の私物が多量に詰め込まれている。しかも、原則侍女達には手出し無用と言いつけてあるため、中はかなり雑然としている。

 善治郎は、ひとまず中身を全てテレビ台の中から床に引きずり出し、自らも絨毯の上で胡座を組んで、一つずつ掃除を始める。

 最初に目に付くのは、テレビゲームの本体二つと、複数のゲームソフトである。

「こうやって見ると、かなり埃が付いてるんだなあ。コントローラーは手垢も付いてるし」

 取り出したゲーム機を固く絞った雑巾と乾いた布で拭き終えた善治郎は、続いてゲームソフトにも手を伸ばす。

「そういえば、なんだかんだ言って最近はゲームもあんまりやってない気がする。あ、これなんてまだ封切ってないじゃん。よし、来年中にはこれをやろう」

 封すら切られていないゲームソフト。それは、高校・大学時代に遊んでいたソフトの続編だ。社会人になってから、販売された続編を購入したは良いが、遊ぶ時間など欠片も無かったため、いつの間にか存在自体を忘れていた代物である。

 大掃除の常で、日頃はあまり目にしない物に目を向けることで、ついつい手が止まってしまう。ゲームソフトだからまだこの程度で済んでいるが、これが本や漫画の場合には、「ちょっとこれだけ」と言いつつ、いつの間にか掃除をほっぽり出して、読書タイムが始まることも珍しくはない。

「忘れないように、これはよけておくか」

 その透明なビニールの封がかかったままのゲームソフトを横によけた善治郎は、続いてDVDの掃除に取りかかる。

 DVDをしまってあるのは、電器屋で購入した布製の専用ケースである。ジッパーを開いて中を明けた善治郎は、ケースの内側を簡単にから拭きしつつ、DVDに書き込まれた文字を目で追う。

「そういえば、結局DVDもあんまり見てないなあ」

 テレビがそれなりに好きだった善治郎は、気になった番組は定期的に録画してDVDに落としてあるのだが、こちらに来てから見たのはほんの数本だけだ。

 アイドルグループが村作りに挑戦する番組はそれなりに見ているが、まだ全部は見ていないし、ドラマのたぐいは、『江戸末期にタイムスリップした医者のドラマ』と、『咄家に弟子入りしたヤクザのドラマ』を見ただけだ。

 他にも、『無口・無表情で異常なくらいに有能な家政婦のドラマ』、『一流の板前が高校の臨時講師になって高校生とレストランを開くドラマ』、さらには、『天才バーテンダーを主人公としたバーを舞台としたドラマ』など、まだ見ていないドラマのDVDが多数ある。

 だが、そうしてDVDを整理している善治郎を、今一番悩ませるのは、それらとは一線を画する三枚のDVDであった。

「俺、なんで、これ捨てないで持ってきたんだろうな……」

 そう後悔の念が籠もった溜息をついた善治郎は、挙動不審としか言いようのない仕草で、チラッチラッと妻であるアウラの動向に目を配る。

 善治郎の手元にある三枚のDVD。それは、『アダルト』と呼ばれるたぐいのDVDである。善治郎も若い健康な男なのだから、当然日本にいた頃には、その手のDVDにも手を伸ばしていたのだ。

 大半は、こちらの世界に転移する際、処分してきたのだが、どうしても手放すのに惜しい『お気に入り』だけは、捨てずに持ってきてしまったのである(もちろん、全て巨乳・爆乳モノだ)。

 そのことを、今の善治郎はもの凄く後悔している。

(まずったよなあ。考えてみれば、一人でエロ動画を見ることが出来るようなプライベートスペースなんてどこにもないんだから、持ってきた意味ないよ、これ)

 むしろ、今となっては、ただの爆弾である。

 善治郎の私物でも、DVDを再生できる機器はパソコンとテレビだけである。このだだっ広い上に、防音など全くされていないリビングで、エロ動画を見る度胸が、善治郎にあるはずもない。

 しかも、最近はアウラも電化製品の使い方に慣れてきたため、自分でDVDを再生できるようになっている。

(どうする、いっそ間違った振りをして割って捨てるか? いや、駄目だ。アウラには『時間遡行』の魔法がある。優しくて気が利く、うちの嫁さんが、貴重な異世界の品に『時間遡行』を使わないはずがない)

 その場合には、続けてアウラは言うだろう。「よし、念のため再生してみよう」と。もし、そんなことになれば……。

(その場合、俺は死ぬ。アウラが怒ったら物理的に死ぬ。暖かい笑顔で許してくれたら、精神的に死ぬ。どっちにしろ、俺は死ぬ)

 いつの間にか、掃除の手を止めて苦悩する善治郎の頭上に、明るい声がかけられる。

「どうした、ゼンジロウ? 手が止まっているぞ。大変なら、後は私が代わろうか?」

「ひゃっ!? い、いや、何でもない。大丈夫、大丈夫だから、俺がやる。これは俺がやるから!」

 アダルトDVDを手に持っているところに、妻に声をかけられた善治郎は、これ以上ないくらいに動揺した声を上げる。

 アウラはもちろん、リビングで掃除をしていた若い侍女達も、驚いたように手を止めてこちらを見ているくらいなのだから、相当大きな声を出してしまったのだろう。

 だが、アウラは夫の不自然な取り乱しように、それ以上追求することなく、

「うむ、そうか。では、手を止めずにな。絶食しながらの掃除は大変であろうが、それが終われば、砂糖と果汁をたっぷり入れたお茶を用意させる故、今しばらくの我慢だ」

 と、優しい笑顔で言う。

「う、うん。そうだね、やっぱり朝からなにも食べてないと、体も頭も働きが落ちるなあ」

 アウラの言葉に、格好の言い訳を見出した善治郎は、そう言ってバタバタと掃除を再開する。

「うむ、頑張ってくれ」

 テレビに雑巾をかけながら、挙動不審な夫を見下ろす妻の顔には、『ニヤニヤ』とした笑みが浮かんでいた。
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