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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

二年目

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エピローグ【ルシンダとニルダ】

 ガジール辺境伯領領都の正式名称は、そのまま『ガジール』という。もっとも、ガジール辺境伯領の住民達は、もっと単純にそこの『領都』と呼んでいる。生涯を自領、下手をすれば自村から一歩も出ずに過ごす領民にとっては、それで話が付いてしまう。

 日本人が『首都圏』と聞けば、反射的に東京近郊を連想するような感じと言えば、理解しやすいかも知れない。

 そんなガジール辺境伯領領都は、一般的に言う『城郭都市』だ。

 街の周囲は厚くて高い城壁で囲われている。これは、南大陸では特別珍しいことではない。『竜種」という人間にとって明確な脅威となる種族が、大手を振って闊歩している以上、辺境の集落は大なり小なり、みな防御壁を有しているのだ。小さな農村でも、丸太を組んだ柵ぐらいは巡らせているし、ある程度大きな街ならば、土壁で周囲を覆っいるのが常識である。

 まして、領都クラスとなれば、石造りの城壁があるのが当たり前だ。この世界では、土や岩石を操作する魔法も存在するため、機械化される前の地球と比べると、遙かに優れた土木建築能力を有している。

 そんな頑丈な城壁に囲まれた領都の中心に位置する領主屋敷の一室で、ガジール辺境伯家長女、ルシンダ・ガジールは、政務に励んでいた。





「やはり、全く影響なしというわけにはいきませんか。なんとか大事にいたらずに、事が済めば良いのですが……」

 ルシンダ・ガジールは木製の椅子に座り、同じく木製の机の上に広げられた報告書に目を通しながら、そんな独り言を漏らす。

 報告書の内容は、群竜討伐隊に若い男を引き抜かれた村々の現状報告である。言うまでもなく、兵士が務まるような若くて健康な男というのは、日常的にも大切な働き手である。兵を集める際、出来るだけ影響が少ないように考慮し、ある程度領地全体から広く兵士を募ったのだが、それでもやはり、影響が皆無とはいかないようだ。

 領地の政務を取り仕切るルシンダとしては、頭が痛い。

 ガジール辺境伯家長女ルシンダ・ガジールは、二十代半ばの未婚女性である。

 しかしルシンダは、『二十代半ば過ぎの未婚女』という、南大陸では呪いにも等しい肩書きから連想されるような、恵まれない容姿をしているわけではない。

 辺境で働く事を優先しているためか、化粧は薄め、宝飾品はネックレス一本、髪や体の香油は皆無と、貴族女としては『失格』と言われそうなくらいに飾り気がないが、容姿そのものは決して悪くない。

 今は仕事の邪魔にならないように一つにまとめているが、長くて豊かな黒髪は香油を付けていない割には艶やかだし、顔立ちそのものも十分に整っている。ただ、「自分を美しく飾る」のではなく、「見る者に不快感を与えない」ことを最優先に身だしなみを整えているため、どうしても「地味」とか「野暮ったい」という評価になってしまう。

しかし、年齢相応な清潔感のあるその佇まいは、『魅力的』と表現してもさほど的外れではないだろう。

 そんなルシンダが日常業務に勤しんでいると、入り口の扉がノックされた。

「ルシンダ様、少しよろしいでしょうか」

 聞き慣れた中年侍女の声に、ルシンダは書類から顔を上げると、椅子に座ったまま声を上げる。

「入りなさい」

「はい、失礼します」

 頑丈な木製の扉を引き開けて入ってきた、恰幅の良い中年の侍女は、ペコリと一礼をした後、口を開く。

「ルシンダ様。たった今、王都よりジョゼップ様が帰還されました。御館様の書状をお持ちで、ルシンダ様との面会を希望しております」

「分かりました。すぐに通して下さい」

 侍女の説明に、ルシンダは欠片の驚きも見せず、淡々と答えた。
実際、予想していた事である。父であるガジール辺境伯から、ルシンダとニルダに「すぐに王都に来い」という指示書が来たときに、「今、自分たちまで領地を離れると領民の動揺が無視できないが、本当に良いのか?」という確認の小飛竜便を飛ばしたのだ。

 詳細を説明するために、ガジール辺境伯が人を送り込んでくるのは、ルシンダにとっては、想定の範囲内であった。

「はい、畏まりました」

 一礼して退出する侍女を、椅子に座ったまま見送ったルシンダは、その頑丈さを優先した素朴な椅子の上で、大きく息を吐き、頭をグルグルと回す。

「……お父様が、説明にジョゼップ卿を跳ばしましたか。これは、いよいよもって、大事のようですね」

 事の大きさを推測したルシンダは、そう呟いて覚悟を決める。

 王都にいるはずの騎士ジョゼップが、このタイミングで領地に戻ってきたと言うことは、女王アウラに『瞬間移動』をかけてもらった以外考えられない。

 現在のカープァ王国では、女王アウラにしか使えない貴重な魔法を使ってもらってわざわざ、腹心の騎士ジョゼップを送り込んできたのだ。相当な大事であることは想像に難くない。

 そうしてルシンダは覚悟を固め、軽く身だしなみを整え、父の腹心を待つ。

「ご無沙汰しております、ルシンダ様。騎士ジョゼップ、御館様の命により、ただ今帰参いたしました」

「ご苦労様です、ジョゼップ卿」

 ガジール辺境伯の腹心である中年の騎士を、ルシンダは席を立って、柔らかな笑顔で迎える。

 辺境伯家の長女であるルシンダは、父の部下である騎士ジョゼップより貴族としては高位のため、礼法に則れば、椅子に座ったまま出迎えても全く問題はない。しかし、父の片腕として先の大戦を戦い抜いた歴戦の騎士に、その身分の差を四面四角に強要するほど、ルシンダは世間知らずではない。

「なんでも、お父様の書状を持ってきて下さったとか。お疲れでなければ、このまま話を進めたいのですが、よろしいですか?」

 ルシンダはそう笑顔で、歴戦の騎士に提案する。元々『瞬間移動』で跳ばされてきた人間が、疲労しているはずもない。

 騎士ジョゼップは、小さく首肯すると、

「はい。そうして戴けたならば、幸いです。御館様より、至急と仰せつかっておりますので」

 厳しい表情を緩めないまま、そう答えた。

「分かりました、では、書状を拝見します」

「は、こちらです」

 ルシンダは、騎士ジョゼップが差し出した書状を受け取ると、その場で即座に開封し、目を通す。

 そこには、現在のガジール辺境伯家を取り巻く状況が、詳細に記されていた。

「……ッ」

 目を通すルシンダの表情が、段々と強ばっていく。ある程度大きな話であると覚悟を決めていたおかげで、比較的動揺は抑えられているが、これはなるほど、ガジール辺境伯が娘二人を王都に召喚するのも頷ける、大事である。

「ジョゼップ卿。あちらで腰を落ち着けて、詳しい話を聞かせてください」

「はッ、承知いたしました」

 表情を引き締める主君の娘に、歴戦の騎士、は形式だけではない敬意の籠もった礼をした。




 飾り気のない木製の椅子に腰を下ろしたルシンダは、同じく飾り気のないテーブルの上に父から届いた竜皮紙を広げ、対面に座る騎士ジョゼップに話しかける。

「これによると、あの子――ニルダの名前が、王家の『名簿』に載っていない件に関しては、写しを持って行けば解決するのですね?」

 ルシンダが最初に確認したのは、腹違いの妹が王家の『名簿』に名を乗せていない、つまり正式に貴族と認められていない件に関してだった。
 可愛い妹が、正式な貴族と認められないとなれば、ルシンダとしても穏やかではない。

 とはいえ、書面に記されていた情報に間違いが無いのであれば、この件に関しては、さほど心配することはなさそうだ。

 そんなルシンダの推測を肯定するように、対面に座る歴戦の騎士は首肯する。

「はい。アウラ陛下が写しを確認して、控えが間違いなく王家の公式文書であると認められれば、それで問題ありません。写し確認の期日も半年ほどありますので、よほどのことがない限り、大事には至らないでしょう」

 騎士ジョゼップの答えに、ルシンダはホッとしたように肩の力を抜く。書状を読んだ時点で、まず大丈夫だとは分かっていたが、ハッキリ「問題ない」と断言して貰えれば、やはり安心する。

一番気になっていた問題について、確約が取れたルシンダは、少し落ち着いて次の問題について問い詰める。

「となると、私達が王都に上がるときに写しを持って行けばその件は解決ですね。
では次の問題である婚姻話ですが、これはニルダがプジョル将軍の正妻――つまり、『ギジェン家の当主夫人』となるという認識で間違いないですか?」

 書状の文面を素直に読めばそうとしか取れないのだが、それでもルシンダが信じ切れないのは、妾腹のニルダが名門ギジェン家の当主夫人となるというのは、あまり常識的な話ではないからだ。

 だが、そんなルシンダの気遣いを吹き飛ばすように、騎士ジョゼップは強く断言する。

「はい、間違いありません。プジョル将軍は、ガジール辺境伯家との繋がりを欲しています。アウラ陛下の許可も下りました。そのため最初は、ルシンダ様のお名前も上がっていたのですが、諸事情により最終的には、ニルダ様に求婚されました」

 若干言いずらそうに言いよどむ騎士ジョゼップに、ルシンダは表情は固定したまま、素早く頭の中で情報を整理する。

 プジョル将軍の狙いは、ガジール辺境伯家とのつながりそのもの。

 そのため、当初プジョル将軍は、ルシンダに結婚を申し込むつもりでいた。

 だが、結局はプジョル将軍はニルダに求婚した。

 そして、同時期にニルダの名前が『名簿』に記されていないことが発覚。

 つまり、王家――この場合女王アウラはつい最近まで、ガジール辺境伯家にニルダという娘がいたことを知らなかったと推測される。

 それらの事実を組み合わせ、さらにそこに「王配善治郎がルシンダに興味を示している」という極めて不自然な情報を組み込めば、自ずと王都の会談の全体像が見えてくる。

 すなわち、プジョル将軍がその野心の赴くまま、ガジール辺境伯家との婚姻を結ぼうとした。それを掣肘するため『ルシンダには善治郎が興味を示している』という虚言を女王アウラが吐いたのだが、それを受けてプジョル将軍は婚姻対象を妾腹の次女のニルダに移行。ニルダの存在を知らなかった王家は、王配善治郎が『結婚相手のいないいかず後家』に興味を示した、という言質を取られてしまった。

(なるほど、そういうことでしたか……)

 情報から推測して、大筋の現状をある程度正確に理解したルシンダは、内心にチクリと痛みを感じつつも、納得する。

 一面識もない王族が、田舎の大年増女である自分に興味を示すなど、いったいどういう裏があるのか? と書面を見た時は、疑問だったのだが、その話の流れならば納得だ。

(恐らく、元々は、プジョル将軍に対する、牽制の『虚言』だったのでしょうね。『ゼンジロウ様が私に興味を示している』というのは。と、なると一番気の毒なのはゼンジロウ様ですが……)

 王家の策略のために、自分のような大年増に『興味を示した』ことになってしまった王配に、ルシンダは自分の立場も忘れて同情する。

 とはいえ、ガジール辺境伯家の立場からすれば、王家の失態に同情するよりむしろ、つけ込むべきなのだろう。

「…………」

 しばし、頭の中でこの一件をどう生かすべきか考えたルシンダは、静かに口を開く。

「分かりました。それならば、私はニルダを連れて、王都に向かいます。チャビエルがこちらに戻ると当時に、出立できるように準備を整えておきましょう。チャビエルは年内中には、帰還するのですね?」

「はっ、左様です。しかし、よろしいのですか? 入れ代わりでルシンダ様が王都に立つとなりますと、来年の領地の『新年祭』はチャビエル様がお一人で取り仕切ることになるのですが」

 年越しを祝う『新年祭』は、ここ南大陸では盛大に祝われる一大行事だ。いつもは、領地の政務を取り仕切るルシンダが指揮を執っていたのだが、そのルシンダが年明け前に王都に向かうと言うことは、必然的に来年のガジール辺境伯領の『新年祭』は、チャビエルが取り仕切るしかない。

 年若く、経験の浅いチャビエルの心配をする騎士ジョゼップに、ルシンダは苦笑を浮かべつつ、ハッキリと答える。

「そうです。来年の『新年祭』はチャビエルに取り仕切ってもらいます。今回の武勲で、チャビエルも正式に次期辺境伯という立場を確立しましたからね。今後は政務は苦手、とも言っていられません。もちろん、出立する前に、周囲の者には十分に言い含めておきます」

 辺境伯という地位を引き継ぐ上で、軍事的手腕ももちろん大事だが、政務も最低限出来るようになっていなければ話にならない。

 幸い、『新年祭』は規模こそ大きなものの、これまで何十年も繰り返し同じ事をやってきた『枯れた』行事である。弟の本格的な実務デビューには最適だと、ルシンダは判断した。

 チャビエルにとっては初めての経験でも、その下で実務を執り行う陪臣や村々の長などにとっては、何度も繰り返しやってきたルーチンワークに近いものだ。最悪、チャビエルは下から上がってくる『具申案』をそのままオウム返しに『命令』するだけで、最低限形は整うはずだ、とルシンダは当たりを付けた。

「そういうことでしたら、私から申しあげる事はございません。全てはルシンダ様のご采配通りに」

 騎士ジョゼップはそう言って、椅子に腰を下ろしたまま、主君の娘に頭を下げる。

 こうした日常的な采配に関しては、ガジール辺境伯以上の実績を残しているルシンダの言葉である。歴戦の戦士ではあっても、政務においては門外漢に近い騎士ジョゼップは、ルシンダの指示に全幅の信頼を置いている。大きな声では言えないが、日常的な政務上の判断に関しては、ガジール辺境伯以上に信頼しているくらいである。

 おおよその話が終わったところで、歴戦の騎士は席を立つ。

「それでは、ルシンダ様。私はこれで失礼いたします」

「はい、ジョゼップ卿。ご足労頂き、ありがとうございます」

 ルシンダもそれに合わせて立ち上がり、退出する父の忠臣を見送るのだった。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆



 それからしばらく後。

 ルシンダは、同じ部屋の同じ椅子の上で、年若い少女と相対していた。

「ルシンダお姉様、お話があるということですが、どういったお話でしょう?」

 そう言って対面に座る少女――ニルダ・ガジールは小首を傾げる。

 ニルダ・ガジールは、椅子に座っていても一目で分かるくらいに小柄な少女である。数え年で十四歳という年齢を加味しても、小柄な部類に入るだろう。
 驚くほど大きな黒い双眼、高くはないが形の良い鼻。小さく顎が細い輪郭と、顔立ちもまず『美少女』と呼んで差し障りあるまい。
 香油できっちりと艶を出している短めのポニーテールと、辺境には不釣り合いなレース飾りの多いワンポースドレスも相まって、一見すると正妻の子であるルシンダよりよほど、貴族お嬢様らしく見える。

 しかし、現実には、ニルダは『付け焼き刃のお嬢様』だからこそ、このような格好をさせられている。

 生まれついての貴族であるルシンダの場合、髪を香油で固めなくても、質素で動きやすいドレス姿になっても揺るがないくらい、貴族らしい立ち振る舞いがしっかり身についているのに対し、数え年で九歳まで村娘として育てられてきたニルダの場合、下手に動きやすい髪型、服装をゆるすと、即座に『お里が知れてしまう』のだ。

 田舎には不釣り合いのドレス姿は、いうならば未だ外せない『淑女矯正ギプス』なのである。

 そんな見た目は立派な小さな淑女の大きな双眼を見返し、ルシンダは自然と表情を緩めつつ、答える。

「今日、王都からジョゼップ卿がお父様の書状を携えて、帰還されました。その書状に、記されていたのですが、近々貴女には、王都に上がってもらうことになりそうです」

「私が、王都に、ですか?」

 姉の言葉に、妹はその大きな瞳をパチパチと瞬かせ、驚きを露わにする。同時にその瞳には、隠しきれない期待と喜びの色が滲む。

 ニルダも来年には、数えで十五歳。まさに年頃の娘だ。花の王都への憧れは、当然その小さな胸に大きく育っている。

 無意識のうちに少し前のめりになる妹の様子に、ルシンダは内心で苦笑しつつ、説明を続ける。

「ニルダ、遊びに行くわけではないのですよ。貴女に王都でやってもらうことは、主に二つあります。まず一つ目は……」

 そう言って、ルシンダは『名簿』の記入漏れの件を、出来るだけソフトな言い方で妹に告げる。

 だが、どういった所で事実は変わらない。自分が正式な貴族と認められていない、と知らされた少女は、口元に小さな手を当て、不安の声を上げる。

「そ、それでは私はどうなるのですか、お姉様?」

 不安げに大きな黒い瞳を潤ませる妹に、ルシンダは努めて落ち着いた笑みを投げ返し、

「大丈夫ですよ、ニルダ。その件に関しては、こちらが保管している『写し』を確認して貰えれば、すぐにでも『名簿』に名前を再登録して下さると、確約を頂いておりますから」

「そうですか」

 ホッと、胸をなで下ろす妹を愛おしむように、ルシンダは少し目を細めつつも、釘を刺すことも忘れない。

「ですが、当然王都では、貴女も陛下と拝謁することになるはずです。粗相のない受け答えを心がけて下さいね」

「そ、そうですね。分かりました」

 指摘を受けたニルダは、今更気付いたように、緊張で顔を強ばらせる。

 九歳でガジール辺境伯家の娘となってから今日まで、礼儀作法については厳しく躾けられてきたニルダだが、その成果を身内以外に披露する機会には、幸か不幸か恵まれずに今日まできた。その最初の機会が、国のトップ相手だというのだから、緊張するなと言うのが無理な話だ。

 無意識のうちに唇を固く引き締め、膝の上で両拳を握る妹に、ルシンダは優しげな笑みを向けたまま、話を続ける。

「大丈夫ですよ、ニルダ。私が教えたとおりに振る舞えば、問題ありません。それよりも、大事なのは、その後です。先ほど、貴女が王都に向かう用事は二つあると言ったでしょう?
 そのもう一つの用事は、縁談なのです」

「縁談? 私に、ですか?」

 急な話に驚きの表情を浮かべるニルダだが、縁談そのものを嫌悪している様子はない。ガジール辺境伯家にもらわれてきてから今日までの教育で、家の都合で自分の結婚が決まることは、理解しているのだろう。

「それは、お父様が持ってきた話なのですか?」

 驚きが去った後にはむしろ、どこか期待するように、興奮で頬を少し紅潮させるニルダに、ルシンダは笑顔で首を横に振る。

「いいえ。先方から来た話です。貴女も名前くらいは聞いたことがあるのではないかしら? ギジェン家の現当主にして、王国の将軍。プジョル卿が、貴女に結婚を申し込んでいます」

「え? プジョル将軍!? それ本当!? お姉ちゃん!」

 驚きのあまり、小さな淑女はガタンという行儀の悪い大きな音を立てて、椅子から立ち上がる。

 言葉遣いといい、立ち振る舞いといい、完全に「化けの皮」が剥がれている。

「ニルダ、お行儀が悪いですよ」

「え? あ、御免……じゃなくって、申し訳ございません、お姉様」

 姉の指摘を受けたニルダは、「やっちゃった」と言わんばかりに、右手で口元を押さえると、今更ながら取り繕うように椅子に座り直す。

 ニルダが我を忘れて、興奮してしまうのも無理はない。

 プジョル・ギジェンと言えば、先の大戦におけるカープァ王国最大の英雄だ。ニルダがまだ村娘だった頃でも、名前を耳にしたことはあるくらいの有名人である。

 噂話や吟遊詩人の歌で聞いていた『英雄』の元に自分が嫁ぐと聞かされれば、ニルダが驚くのも無理はない。

 早速、夢見心地に大きな瞳をキラキラと輝かせるニルダに、ルシンダはわざと一つ大きな溜息をつき、釘を刺す。

「ニルダ。先ほどのようなお行儀の悪いことをするようでしたら、とてもではないですが、王都には連れて行けませんよ。いいですね」

「はい、気をつけます、お姉様」

 実のところ、ニルダの王都行きはガジール辺境伯の命令なのだから、ルシンダにそれを禁止する権限などないのだが、そんな事は分からないニルダは、殊勝な顔で、コクリと頷く。

 だが、それでもニルダのその『恋に恋する』興奮は、全く冷めることもない。

「プジョル将軍は、どのような方なのでしょうか?」

 元々はただの村娘だった少女が、九歳の時に突如領主様の娘となり、そして今度は国一番の将軍の下に正妻として嫁ぐというのだから、興奮するなと言う方が無理だ。事実が広まれば、吟遊詩人が放っておかない、最高のシンデレラストーリーである。

 夢見がちな妹の様子に、ルシンダは努めて冷静な声で言う。

「私も、プジョル卿と直接の面識はありませんが、私人としても公人としても、悪い噂を聞くお方ではないですね。ただし、ギジェン家は中央貴族の名門中の名門です。貴女には、その正妻として恥ずかしくない振る舞いが求められます。そのことを忘れないように、いいですね」

「はい、お姉様。頑張ります」

 興奮を抑えきれない妹に、ルシンダは「期待しています」と答え、内心で頭を抱えていた。

(正直、いろいろな意味は不安のある縁談ですが、こちらから断るという選択肢はありませんからね。なんとか、私とお父様で、フォローがきく範囲で収まってくれれば良いのですが)

 恐らくニルダはこのあと自室のベッドに寝っ転がり、ゴロゴロ転がって、喜びを露わにするはずだ。

 国一番の将軍から求婚されるというシンデレラストーリーに、かなり調子に乗っている妹に、ルシンダの内心の不安が高まっていく。

 良くも悪くもニルダという少女は、物事の良い面ばかりを見て、悪い面を見ないところがある。

 特に、自分の人生については、幸せが保証されていると考えているかんがあり、見ていて少々危なっかしい。

 とはいえ、ニルダが自分の人生について、楽観的になるのも、ある意味当然なのかも知れない。

 元々、ただの村娘だった頃ニルダは、吟遊詩人が歌う『王子様に見初められる少女の恋歌』に強い憧れを抱いていたらしい。

 もちろん、当時のニルダにとってそれはただの憧れに過ぎず、そう言う歌のヒロインに自分を重ねて、一時の夢を見るだけが関の山だった。

 しかし、そんな貴族の世界や王子様との恋に、憧れを抱いていた少女の身に、あろうことか本当に「自分は領主の娘だった」という事実が発覚してしまったのだ。しかも、領主はしっかりとその少女を「確かに私の娘だ」と認め、領主一族として迎え入れたのである。

 さらに、その後の『領主の娘』として過ごす日常についても、ニルダは極めつけに幸運だった。

 父となったガジール辺境伯は、人間関係に不器用な武人然とした男であったが、不器用なりに新たに発覚した娘への愛情を示してくれたし、何より当時から家を取り仕切っていた姉のルシンダが、実に情の深い女であったからだ。

 もちろん、『領主一族の娘』として、恥ずかしくないよう礼法や教養を叩き込むことに関しては、厳しく当たったルシンダであったが、同時に腹違いの妹に、家族として情愛を分かりやすい形で注ぐことも、忘れなかった。

 昼間は厳しく躾けていても、夜には少女が寂しがらないように、一緒のベッドで寝た。夜、寝るときには、言葉遣いや礼法がなっていなくても一切とがめず、自分のことを「お姉様」ではなく、「お姉ちゃん」と呼ぶことも普通に受け入れた。

 ルシンダ曰く。「ニルダはすでに村娘としての人格がある程度、形成されてしまっている。この歳から、それを完全に消し去ることは難しい。もし、彼女に「お姉様」という呼び方を常時強要したりしたら、彼女にとって私は「お姉様」と呼ばなければならない、一緒の家で暮らす、『怖い赤の他人』にしかならない」。

 ガジール辺境伯家の娘として恥ずかしくない、立ち振る舞いと教養を叩き込みつつ、ニルダにとってガジール辺境伯家が『我が家』と認識して貰えるように、まさに細心の注意を払って、対応したのである。

 大戦後には、ニルダの母親を屋敷の使用人として引き抜き、十日に一度は、母親の元で過ごすことが出来るよう、手配したのもルシンダだ。

 そうしたルシンダの努力はしっかりと実を結び、この数年間でニルダは、表向きは貴族の令嬢として恥ずかしくないだけの立ち振る舞いを身につけつつ、ガジール辺境伯家の人々を「父」「姉」「兄」と慕い、甘えるようになったのである。

 結果、ニルダは、ガジール辺境伯家の娘となり、今日まで幸せな日々を過ごしてきた。

 これが厳しく躾ける一方の、融通の利かない貴族の家にもらわれていったのであれば、「こんな冷たい家で過ごすくらいなら、貧しくても村娘として生きる方が幸せだった」と貴族社会の現実に幻滅することもあったのだろうが、ニルダの身には、そうした貴族社会に幻滅するような怖い出来事が一切起こっていないのだ。

 もちろん、礼法や教養の勉強は大変だが、それもせいぜい「貴族のお姫様も結構大変なんだなあ」という呑気な感想しか出てこない。

 まさに物語の締めの言葉にあるように「こうして、貴族の娘となったニルダ姫は、その後も、ガジール辺境伯家で幸せに過ごしたのでした。めでたし、めでたし」という人生を歩んできたのである。

 そんな、ニルダにさらに降ってわいた、立派な英雄様との結婚話だ。

 ニルダは、「自分にさらなる幸せがやってきた」としか、取っていない。

 ルシンダからしてみると、いろいろな不安要素はあるが、ここで考えていたも仕方が無い。

「王都に立つまで時間が余りありません。礼法のおさらい、お見合い場の注意点など、少々厳しく指導しますから、覚悟して下さい」

「はい、お姉様」

 ドキドキワクワク、そんな擬音が聞こえてきそうな妹の笑顔に、ルシンダは聞こえないように、小さく溜息をつく。

「大丈夫でしょうか、本当に。遠縁を頼るのも気が引けますが、念のため、王都のアマンダおばさまに話を通しておいた方が、良いかも知れませんね」

 元々、苦労性で利他的、そして責任感の強いルシンダは、いつの間にか、自分も王都で王配善治郎と会うという、大きなイベントがあることをすっかり、頭の片隅に追いやってしまうのであった。
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