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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

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第十二章4【関係の変化】

「ゼンジロウ様、足下をお気を付け下さい」

「ああ、ありがとう」

 完全に日が落ちた真っ暗な王宮の廊下を、善治郎は護衛の騎士に前後を固められて、歩いていた。

 灯りは、先導する王宮侍女が持つ油皿の炎だけだ。広くて長い王宮の廊下を小さな灯火一つで照らし出せるはずもなく、周囲は不気味な雰囲気を漂わせている。

 揺れる炎の薄明かりに照らし出される長い人影が、暗い王宮の廊下に映し出される。

 日頃の善治郎であれば、多少の薄気味悪さを感じることもあったかも知れないが、今の善治郎には周囲に気を配るだけの余裕がない。

 つい先ほど、ファビオ秘書官の口から聞かされた情報は、それくらい善治郎に強い衝撃を与えていた。

 視線を足下に落とし、転ばないように最低限の注意を払いつつ、善治郎は聞かされたばかりの情報を頭の中でまとめる。

 サンチョ1世が戦死し、アウラ王女が勝者となったという、その戦場にまつわる一連の出来事について。




 自ら兵士を率いて、兄王の仇である敵国殲滅に全力を尽くしていたサンチョ1世は、中々好転しない戦況にじれ始めていた。

 そこでサンチョ1世は、自らが率いる少数部隊で敵陣に夜襲を決行する。元々この戦いには消極的であった副将のアウラ王女には無断での作戦。

 サンチョ1世が出かけた後、兵士から情報を聞かされたアウラ王女は、『何となく嫌な予感』がして、ララ侯爵軍を借り受け、後を追う。

 アウラの嫌な予感は的中。深夜の行軍中、敵軍の待ち伏せを受けたサンチョ1世は、ろくに交戦もできずに戦死。

『ギリギリ、救援に間に合わなかった』アウラ王女は、国王戦死の報に全軍が動揺する中、『誰よりも早く気を取り直し』、全軍を叱責。王の仇を取るため勇戦。

 真夜中の遭遇戦とは思えぬ見事な指揮で、『敵の本陣を一直線に強襲』するアウラ。

 結果、アウラは見事、敵の総大将である敵国国王を、討ち取ることに成功。

 翌朝、国王を失った両軍は、即座に臨時の休戦調停を開始。

『偶然』両国の徹底抗戦派が、先の夜戦で全員戦死していたため、休戦交渉は素早く進み、『まるで事前の打ち合わせがあった』かのように、その日のうちに一時的な休戦条約が締結。

 アウラは、「サンチョ1世戦死、敵軍と一時的な停戦」の情報を、小飛竜便で王都に報告。

 王都でサンチョ1世の留守を預かっていたアウラの叔父――カルロス2世は、小飛竜便の報告を受けて、三日後に即位。

 ほぼ同時期に敵国でも穏健派の王弟が、玉座を継ぐ。

 これ以上戦闘を続ける愚を悟った両国の新王二人は、戦場で結ばれた休戦条約をそのまま、停戦条約とした。





 情報を頭の中で思い返した善治郎は、暗闇の中、苦虫をかみつぶしたように渋面を作る。

(救援がギリギリ間に合わなかった。戦場での休戦交渉がスムーズに結ばれた。王都の叔父が、王の戦死を聞いてすぐに即位した。その後、正式な停戦条約も、ほんの数日で締結された。
 なにより、一夜の夜戦で偶然両国の徹底交戦派が全員討ち死にしたって、それどんな偶然だよ?)

 ちなみにファビオのいうところでは、カルロス2世が即座に即位したことだけは、さほどおかしくはないのだという。

 元々、「兄の敵を取るまで王都に帰らない」と宣言していたサンチョ1世は、「自分に万が一のことがあったときは、カルロス叔父上に後を託す。速やかに王位を継承し、国の動揺を沈めよ」と、遺言状らしきものを残していたからだ。

 善治郎などは、「そこまで頭が回るなら、最初から国王が常時戦場宣言するな」と言いたくなるが、そこは身内を理不尽に殺された者にしか分からない、感情があるのだろう。サンチョ1世が即位した時点では、他にも数人王族が存在していたため、そこまで危機感を持っていなかった可能性もある。

 軍事も政治も分からない素人の第三者が口を出すことではない。

 だが、アウラが当事者となると、アウラの夫である善治郎は必ずしも第三者とも言えない。軍事も政治も分からない素人なりに、真剣に考えておく必要がある。

 冷静に考えてみれば、今回の一件は、善治郎の側室問題だけで留まらないはずだ。

 王家に保管されず紛失した『名簿』。そこに記されていた名前が、『ニルダ・ガジール』だけだったとは考えがたい。

 サンチョ1世の在位が一年に満たなかったことと、その身を常に戦場に置いていたことを考えれば、そう多くはないだろうが、ニルダ・ガジールと同様の立場の貴族は他にもいるはずだ。

(そうなると、『名簿』の紛失を公表しないわけにはいかない。で、『名簿』の件を表沙汰にすれば、当然国内貴族は『名簿』が失われた事件――二王戦死戦について思い出す。下手をすると、今更『真相』に興味を持つ人間が出てくるかも知れない)

 いつの間にか、自分の側室話より、妻の過去の戦いに発する出来事に思いを巡らせた善治郎は、そうして王宮を出るまで、一人頭の中で考え続けていた。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆




「ただいま、アウラ」

「お帰り、ゼンジロウ」

 仕事を終えて帰宅する夫と、夫を迎える妻。世間一般では当たり前の光景も、ここ後宮では滅多に見られない光景である。

 普段は、夫である善治郎より妻であるアウラの帰宅が遅いことが多いからだ。

 ソファーから立ち上がり、善治郎を迎えるアウラは、すでに部屋着に着替えており、髪や体から香油の匂いもしていない。どうやら、先に入浴をすませたようだ。

「ふう、夜が更けてから後宮に戻ってくると、電気のありがたみを実感するね」

 リビングルームを明るく照らし出すLEDスタンドライトの白色光に、善治郎は何度も瞬きをして、眼を光に慣らす。

 人通りがほとんどない裏路地まで街灯が立っていた現代日本とは違い、こちらでは人のいない空間は原則真っ暗闇だ。先導する王宮侍女、後宮侍女が持つ油皿の灯りだけを頼りに、王宮から後宮のリビングルームにたどり着くと、少々大げさな言い方になるが「人の領域に無事帰ってきた」ような安堵感を覚える。

「そうであろう。夜に昼と同じだけの光源があるというのは、生活を一変させる効果があるのだぞ」

 そう言いながら、アウラは善治郎の脱衣を手伝う。善治郎が王宮で着ているのは、和服のように前を閉じて帯で縛る、カープァ王国の民族衣装である。こうして妻に脱衣を手伝ってもらうと、何となく仕事帰りのサラリーマン夫婦になったようで、少しくすぐったい。

 ファビオ秘書官から聞かされた話のせいで、強ばっていた自分の表情が緩んでいくのを、善治郎は実感する。

「風呂の用意はすでにすんでいるぞ。私は先に入らせてもらった」

「ん、了解。それじゃ、俺も早速入ってくるわ。上がったら夕食をすませて……それから、少し話をしよう」

「うむ、分かった」

 真面目な表情で真っ直ぐ妻の顔を見据えてそう言う善治郎に、女王は口元を固く引き締め、神妙に頷くのだった。





 入浴と夕食。その二つを一人で手早く終えた善治郎は、足早にリビングルームに戻ってきた。

 後宮の廊下も、王宮同様に暗いが、王宮と違って後宮ならばLEDランタンが使えるため、夜の移動もさほど不自由しない。

「ただいま」

 Tシャツ綿パン姿でリビングに戻ってきた善治郎は、LEDランタンを消灯して棚に戻すと、待っていた妻に短く挨拶をし、ソファーに腰を下ろす。

 風呂上がりには、そのままパジャマに着替えることも珍しくない善治郎だが、今夜は部屋着として使用している、Tシャツと灰色の綿パン姿だ。無意識のうちに、今夜の話し合いが、長いものになると確信しているのかもしれない。

「お帰り、ゼンジロウ。なにか、飲むか?」

 戻ってきた夫を笑顔で迎えた女王は、そう言って5ドア冷蔵庫に向かい、手ずから夫をもてなす。

「ん、ありがとう。それじゃ、果実水をもらおうかな」

「分かった、氷はどうする?」

「入れて」

「了解だ」

 甲斐甲斐しく夫の世話をするその姿は、女王という権力者ではなく、献身的な妻のものである。むしろ、一般的な貴族の妻ならば、侍女に任せるような雑務を自らこなすのだから、女王らしくないとさえ言える。

 プライベート空間に他人が入ることを嫌う善治郎にあわせて生活をしてきた結果、貴族の妻としては少し外れた献身を身につけつつあるアウラである。

 ともあれ、果汁と砂糖で味を付けた冷水と氷を入れた赤・青二つの切り子グラスを両手に持ち、女王アウラはソファーに戻る。

 赤いグラスを自分の前に、青いグラスを善治郎の前に置き、アウラがソファーに腰を下ろしたところで、善治郎は一つ大きな深呼吸をした。

「ファビオ秘書官から、話は聞いたよ。かなり予想外の出来事があったみたいだね。とりあえず、ルシンダさんはフリーのまま、俺が興味を示した形になっちゃったんだね」

 一目で分かるくらいに、複雑な感情を飲み込んでそういう善治郎に、女王は少し目を伏せる。

「すまん、私の失策だ」

「ん」

 流石に今回ばかりは善治郎も「そんなことないよ」とは言えない。誰がどこからどう見ても、十割アウラのせいなのだ。アウラが謀略を企てなければ、間違いなく陥らなかった窮地である。

 本人が悪くないときの謝罪は、否定して慰めてやるべきだが、本人が悪いときの謝罪はそのまま受け入れてやった方が、失態を犯した人間の心理的負担は軽減される。

 小さく頷いてアウラの謝罪を受け入れた善治郎は、硬い表情で言う。

「それじゃ、アウラには、貸し一つね。で、ファビオ秘書官にも確認したんだけど、俺がルシンダさんを王都に呼んで対面するのは、もう確定事項なんだよね?」

 問いと言うより、確認に近い善治郎の言葉に、女王は殊勝な表情のまま、小さく首肯する。

「そうだ。こうなった以上、ルシンダ嬢を呼ばぬ訳にはいかぬ。一応、形の上ではそなたが積極的に興味を示し、私がそれを公然と応援した形になっているからな。この状態で、ルシンダ嬢を呼ばないという選択肢はない」

 ショックな言葉ではあるが、自覚していたことでもあるし、ファビオ秘書官に指摘されたことでもある。

 善治郎は比較的落ち着いた様子で、妻の言葉を『女王の言葉』として受け入れる。

「了解。それについては、ちょっとファビオ秘書官に耳の痛い事を言われたよ」

「何を言われた?」

 ファビオ秘書官の耳の痛い話。身に覚えがあるのだろう。反射的に眉をしかめて問うアウラに、善治郎は苦笑しつつ、素直に答える。

「俺の立場で、生涯側室を拒絶し通すという『我が儘』は通用しない。だから、ルシンダさんのことも無条件で拒絶しないで前向きに考えろ、ってさ」

 きつい言葉ではあるが、異論の余地もない正論である。

「……アイツは、言葉を飾ると言うことをせんからな」

「こういうときはね。第三者がいる場ではフォローもしっかりしてくれる、最適な補助役なんだけどねぇ」

 ファビオ秘書官に対する愚痴では、共感する女王夫妻である。ファビオ秘書官が得難い忠臣であることは間違いないのだが、口うるさい人間を好きになる理由はない。

 ともあれ、ここで秘書官に対する愚痴を並べても意味がないため、善治郎は話を進める。

「まあ、言っていることはもっともだと思う。というわけで、それなりになんとか、ちょっとだけ、最低限、前向きにルシンダさんと向き合ってみようと思っているんだけど、さ。ねえ、アウラ?」

「ん? なんだ?」

「率直に確認させてもらうけど。この一件に関して、アウラは俺の味方と思って良いの?」

「む……そう、だな」

 善治郎の追求に、アウラは少し言いよどむ。

 善治郎の言いたいことは明白だ。元々、女王であるアウラから見れば、善治郎が側室を持つことは、推進する理由はあれども、拒絶する理由はどこにもない。その立場のアウラが、「側室を拒否したい」という願望を持つ善治郎の味方であるほうがおかしいのである。

 善治郎にここまでハッキリとした言葉で答えを求められた以上、ごまかしは通用しないと理解した女王は、小さく息を吐く。

「表向きは徹頭徹尾、全面的な敵、だ。私は、プジョル将軍とチャビエル卿の前で、ルシンダ嬢がそなたの側室となることを期待すると、発言をしてしまっているからな。どうあっても、ルシンダ嬢の側室入りに反対する言動は取れぬ」

 そこまでは予想の範疇であった善治郎は、動揺することなく先を促す。

「表向きは、ね。じゃあ、裏向きは?」

「裏向き、というより実際の行動としては、ルシンダ嬢次第だな。私も、ルシンダ嬢の人となりを見極める必要がある。そして、ルシンダ嬢が後宮を任せるに不安のある人間だと判断すれば、表向きはともかく、実際にはルシンダ嬢の側室入りを阻害するために行動を起こす。側室として可もなく、不可もない程度の人間の場合は、原則中立だ。まあ、女王としてはそなたに側室を持ってもらいたいのは事実故、ある程度はルシンダ嬢の応援に回るが、別段ルシンダ嬢に拘る必要はないし、未来永劫はともかく、もうしばらくそなたが側室を持たない生活を続けたい、という程度の要求は受け入れる余地があるからな。
 そして、ルシンダ嬢が側室として相応しい人間だと私が判断した場合は……その、なんだ。積極的にルシンダ嬢の味方をするであろうな」

 それはつまり、善治郎の敵となることを意味する。

「むう……」

 善治郎は腕を組み、鼻の周りに皺を寄せ、唸る。

 分かっていたことだが、やはりこの問題に関しては、善治郎と女王アウラの利害は絶対に一致しないのだ。私人としてのアウラとは感情の一致を見るのだが、アウラは私人としての感情を、公人としての判断に優先させることは原則ないため、実利的な意味はない。もっとも、精神的な意味では「アウラも本当は自分と二人きりの夫婦生活を望んでいる」と知ることで、随分と善治郎の心を慰めてはくれる。

「ねえ、ひょっとして、アウラはさ。今回の一件、『良い機会』だと思ってない?」

 珍しく少し疑るような口調でそう言ってくる夫に、女王は一瞬眼を横に逃がしかけたが、すぐに覚悟を決め、首肯した。

「まあ、正直に言えば、少しな。そなたが側室を拒絶する気持ちは、私人としては嬉しいが、公人としては看過できるものではないからな。ファビオではないが、これをきっかけに多少はそなたが側室に対して前向きになってくれれば、と思っているのは確かだ」

 女王アウラとしては、善治郎にはそう遠くないうちに、側室を持ってもらわなければならないと、考えている。純粋に『血統魔法』の継承者を多く残すという観念だけでみても側室の存在は必須だし、側室を拒否し続ければいずれは国内貴族の不満も、抑えきれないところまで高まると推測される。

 その場合、怖いのが、事実が正確に伝わらない可能性が極めて高いということだ。
「善治郎が側室を拒絶している」という事実と、「アウラが善治郎に自分以外の女を近づけないようにしている」という誤解を、カープァ王国の常識で比べた場合、残念ながら誤解の方が圧倒的に信憑性が高い。

 ジリジリと包囲網が狭まりつつある事を肌で感じた善治郎は、ブルリと体を震わせた後、現実から目をそらすように話を移す。

「ああ、そういえば、今回の一件でアウラが失敗した直接の原因は、ガジール辺境伯家にアウラの知らない次女がいたからなんだよね? で、その理由が『名簿』を先々代王が、戦場で紛失したから。ってことはさ、これってそのガジール辺境伯家の次女、確かニルダっていったけ? その子だけの話に収まらないんじゃないの?」

 善治郎の懸念は、当然ながら女王アウラも気付いていた話である。

 女王は深く一つ頷くと、

「うむ。サンチョ陛下の在位は一年に満たないし、在位中の大半を戦場で過ごしたため、さほどの人数はいないだろうが、何人かはニルダ嬢と同じ立場の者がいると考えた方が自然であろうな。
 これは王家の失態だ。こちらから釈明し、改善に努める義務がある。もっとも、これを好機と捉えて、邪な企みを抱く者がでないとも限らない故、控えのサインは確認するし、期間も一年程度に限らせてもらうがな」

 そう少しだけ眉の間に皺を寄せ、断言した。

 先の大戦で一族を打ち減らしてしまったのは王家にだけではない。後継者を失った貴族が、領民の中から目端の利く者や、魔力の高い者を連れてきて「実は、この者は我が一族の人間で、サンチョ陛下の名簿に名を連ねていました」と言い出す可能性もある。

 もちろん、アウラとしても中小の貴族家をむやみに潰すつもりはないため、後継者がいない家が、養子などを取って家の存続を訴える場合には、原則許可をするつもりでいる。だが、それは一般的に、貴族にとって許可をくれた王家に対する大きな『借り』となるはずなのだ。しかし、そこでサンチョ1世の名簿紛失に話を絡められると、逆に王家の引け目になってしまう。

 貸しを作るはずの話が、借りを作ることになる。そんな馬鹿な詐術に引っかかってやるほど、アウラはお人好しではない。

 ちりの積もれば山となる。一つ一つは取るに足らない中小貴族相手の貸し借りでも、数がそろえば国政にも影響を及ぼす。なめてかかるわけにはいかない。

「とにかく、サンチョ陛下もやっかいな置き土産を残してくれたものだ」

 アウラは、いらだちを隠せない口調で、履き捨てるようにそう言った。

 サンチョ1世。

 その名前を妻の口から聞いた善治郎は、ピクリと体を震わせる。

 アウラの先々代王であり、同腹の弟に当たる人物。そして、アウラがいた戦場で、「偶然」「運悪く」戦死した人物。

 善治郎の表情に緊張が走ったのを、対面に座るアウラが見過ごすはずもない。

「……ファビオから聞いたのか? サンチョ陛下の最期について」

 アウラにしては珍しく、感情を抑制していることが簡単に分かる平坦な声だ。

「うん、一通りは。ただ、ファビオ秘書官が言うには、これは自分の知っている「私心の入らない客観的な事実」だけだから、アウラの私心の入った主観的な事実についてはアウラから直接聞いた方が良い、と言っていたけれどね」

 善治郎の答えと硬い表情から、何となくファビオ秘書官の言う「私心の入らない事実」とやらがどのようなものであったのか想像が付いたアウラは、深く大きな溜息をつく。

「すまん。手数をかけるが、そなたがファビオから聞いた『事実』とやらを、出来るだけ正確に教えてくれぬか?」

「うん、いいけど」

 テーブルに身を乗り出す妻の目力に圧倒された善治郎は、ソファーの背もたれに背中を押しつけながら、コクコクと頷くのだった。






「……って感じ。大体これで全部、かな」

 ファビオ秘書官から聞かされた、サンチョ1世の死に様を善治郎は語り終える。

 聞き終えたアウラは、無言のまま天井を仰ぎ、遠い目をした。

「そうか……あやつめ、本当に客観的な事実だけ語りおったな。ここから婿殿に弁明するも、機密を保つのも、私の自由と言いたいのか……あやつめ、よくよく気の回るやつだ。気が回りすぎて、虫ずが走るわ……」

「あ、アウラ?」

 天井を仰ぎ見て、ブツブツと不穏な言葉を呟く妻に、善治郎は恐る恐る声をかける。

「…………」

 だが、アウラは答えず、しばし沈黙を保つ。

 これはさしものアウラと言えども、そう簡単に答えの出せる話ではない。間違いなく、善治郎はサンチョ1世の死因について誤解している。アウラがここで、腹を割って説明すれば、その誤解は解けることだろう。だが、完全に誤解を解くには、あの戦場でアウラが廻らせた謀略を丸ごと打ち明ける必要がある。

 それはイコール、善治郎を『一人前の王族』として扱うことを意味する。今のような、『女王の庇護にあり、影から女王を支える』という立場から、さらに一歩踏み込んだ立場だ。

 アウラには、ファビオ秘書官の言いたいことが、簡単に読み取れた。

(つまり、ゼンジロウを『一人前の王族』として扱うのであれば、あの戦いであった事実を全て打ち明けて、誤解を解けば良い。しかし、今のような『女王の庇護の下』という甘い立場に置くのであれば、それ以上突っ込んだ機密には触れさせるな、ということなのだろうな)

 少なくとも、私情を優先して、唯一の成人した男の王族でありながら、側室を拒絶し通すのは、『一人前の王族』とは言えまい。

(相変わらず、陰険な手を使うわ。彼奴は本当に私の腹心か?)

 腹立たしいのは、アウラの理性的な部分は、ファビオの主張が一面では正しいことを認めているからだ。

 王族であれば、本来清濁を併せのむ度量が必要とされる。そして、あの戦いでアウラがやらかした謀略は否定の余地もない、『濁』の部分であり、その詳細を善治郎に打ち明けるのであれば、善治郎は清濁を併せのむだけの器があると認めたことになる。

 ならば、感情ではなく国益のために側室を取り、子を増やすという『濁』も飲み込んでくれなければ、困る。と、ファビオ秘書官は言いたいのだろう。

 かなり、余計なお世話ではあるが、言いたいことは理解できる。

「ふう……」

 視線を対面に座る夫の顔に戻したアウラは、大きく息を吐く。

 善治郎を信じて全てを告げるべきか。そこまでは打ち明けずに、今の心地よい関係を一年でも長く続けるべきか。

「…………」

「…………」

 日頃の後宮ではあり得ない、重苦しい沈黙の後、決意を固めた女王は、やがて口を開いた。
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