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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

二年目

72/93

第十章2【二つ目の魔法】

 夕刻。

 いつもより少し早めに後宮に戻ってきた善治郎は、いつも通り素足にTシャツ綿パンというラフな服装に着替え、リビングのソファーの上で体を休めていた。

 フランチェスコ王子とボナ王女の接待には、最近慣れてきたため仕事による疲労はさほどでもない。代わりに、今善治郎の頭を悩ませているのは、昨晩アウラから聞かされた『側室問題』である。

 理性的には「来るものが来たか」という理解だが、感情的には「全力で逃げ道を探す」といった反応である。

「アウラが超絶的に出来た嫁さんだから、今のところは家庭円満だけど、間違っても俺自身は女の人の扱いに長けた人間じゃないからなあ……」

 ソファーの背もたれにだらしなく背中を預けた善治郎は、そのまま薄暗い天井を仰ぎ見る。

 もちろん、善治郎も知識的には、高位の貴族や王族が複数の伴侶を娶ることが、ごく当たり前であると理解はしている。特に、南大陸では王家イコール『血統魔法』のため、王族がより多くの子を作るのは、ある意味最大の義務と言っても良い。

 さらに、現在のカープァ王国で成人している男の王族は善治郎一人しかいないとなると、「ご託はいいから、まずは子作りを頑張れ」という国内貴族達の物言いにこそ正当性があると、分からない善治郎でもない。

 だが、頭で理解が出来るのと、それを実行できるのとは全く別の問題だ。

 アウラは、善治郎のことを「感情的に折り合いがついていない」と考えているが、それだけではない。より正確に言うならば、「側室を娶るだけの器が自分にあるとは思えない」と、能力的に不安も持っているのだ。

 己を知っていると言えるだろう。深い関係を持った複数の女との間を、問題なく保つというのは決して簡単なことではない。

 アウラは女王という要職にあるため、昼間は後宮外に出ているが、これは例外である。一般的に一度後宮に入った女は滅多なことでは後宮から外に出ない。

 一方善治郎も最近でこそ、王宮で仕事をすることも増えたが、それでもアウラに比べれば後宮で一日を過ごすことがずっと多い。

 結果、アウラのいない後宮に善治郎と側室だけが残されるケースが多発することが予測されるのである。

 もちろん、同じ後宮に住むと言っても、側室が善治郎と同じ建物の中に居を構えるわけではない。だが、仮にも側室なのだから、同じ後宮で過ごしていて時間をもてあましていれば、会いに行くべきなのかも知れない。

 しかし、側室はあくまで側室だ。正妻に当たる女王アウラよりも側室といる時間が長くなるようでは、対外的にまずいだろう。

「つまり、側室が来たら、俺は側室の顔を立てつつ、でもアウラのほうにより愛情を注いでいるように見せる。でも、側室の機嫌を損ねないようにもする……できるわけないって、そんな超絶難易度の人間関係の構築」

 正妻であり、女王であるアウラと、側室の女との間には、目に見える形で格差を設ける必要がある。その上で、なおかつ側室の女の機嫌を損ねないようにする。そんなことが出来るのであれば、善治郎には稀代のホストの才能がある。

 もちろん、そんな才能は欠片もない善治郎としては、そんな難事が自分に降りかかるのは、何とか遠慮したい。

「……まあ、アウラの予想がドンピシャで当たっていたら、最終的には側室は取らなくてすむみたいだから、まだそこまで悲観することはないかな。それに、仮にもアウラが認める側室なんだから、ある程度しっかりした人だろうし」

 そうは言いつつも、善治郎も自分の言葉に自信がもてない。

 妻であるアウラの審美眼や、その心遣いを疑っているわけではない。しかし、アウラは善治郎の妻である前に、カープァ王国の女王なのだ。

 たとえ、善治郎の生活に多少の不具合をもたらす女でも、その女を側室に入れることがカープァ王国、もしくはカープァ王家にとって大きな益となると判断すれば、側室に入れる可能性は十分にある。

「ああ、なんだか本気で俺の立場、『深窓のお姫様』じみてきたなあ……」

 善治郎の口からこぼれる愚痴は、少しばかり深刻なものであった。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆




 どれだけ難問に直面していても、そのことばかり考えていては息が詰まる。

 夕食をすませて入浴の準備が整うまでの時間を、善治郎は妻である女王アウラと共に、リビングでテレビに向かって過ごしていた。

 画面の中では、若い男のアイドルグループが、百人の鬼を相手に都内で大規模な『缶蹴り』を行っている。

 缶蹴りのルールは簡単だ。隠れた参加者を鬼が発見し、缶を踏めばその参加者は捕まる。逆に鬼が缶を踏む前に参加者が缶を蹴り飛ばせば、それまで掴まっていた参加者達も全員逃げて良い。鬼は蹴られた缶を拾ってきて元の位置に設置するまで、参加者の捜索を初めてはならない。

 言ってみれば、「かくれんぼ」と「鬼ごっこ」を融合したような遊びである。

 これならば、善治郎からルールを教えてもらえば、日本語が理解できなくても内容は理解できる。おかげで、善治郎の隣に座るアウラも、それなりに楽しそうだ。

「おっ、見つかったぞ。今度こそ、捕まるか? おお、走る走る……おお、やっぱり駄目だったか。これで残りは何人だ?」

「ええと、確か……あと二人、かな?」

 さほど、熱心に見ていたわけではない善治郎は、首を傾げながら自信なさげにそう答える。

 夫婦そろってぼうっとテレビを見る。これはこれで貴重で、充実した時間の過ごし方だ。

 同じソファーに隣り合って座る妻の体温を、右肩に感じるだけで善治郎は幸せを実感する。ここで妻の肩に腕を回すのも一興だが、この後すぐ、一緒の入浴が待っているのだ。今しばらくは、我慢した方がよい。

「それにしてもこの者達が使っている道具も興味深いな。近づくと光ったり音が鳴ったりして、他者の接近を知らせる。このようなモノがあれば、非常に役立ちそうだ」

「いや、あれは双方合意の元、発信機と受信機を持っているから成り立つんであって、人間の接近を自動で察知できるものじゃないよ。意外と使い道は少ないんじゃないかな」

 こんな時でも、実用性について考える妻に、善治郎は苦笑しつつそう言葉を返す。

「むう、そうか。しかし、何度見てもそなたの住んでいた街には圧倒されるな。正直、あれらの建築物が全て人間の手によって作られたとは信じがたい」

 都内全体を使った鬼ごっこのため、画面上では当然ながら都心の建築物が見て取れる。

 乱立する高層ビル。アスファルトで完全に舗装された道路。そして、そこを走り抜ける無数の車両。アウラの目には、ほとんど神代の世界にも写る。

 もう何度目かになる会話ではあるが、自分の母国を褒められて悪い気はしない善治郎は、少し得意げに笑う。

「うん、まあ世界の成り立ちがこっちと違うからね。俺も、こっちで竜種を見たり、魔法を体感したときには、今のアウラと同じような感想を持ったよ」

 重馬の倍以上ある体躯の走竜を人間が自在に駆り、人間が道具も使わずに火を放ったり、水を生み出したりする。善治郎の『常識』ではこちらの世界のほうがよっぽど信じがたい。まさに伝説や物語の世界だ。

「比喩ではなく、文字通り世界が違うということだな。しかし、無い物ねだりである事は分かっているのだが、それでも羨ましいぞ。特にこの自動車という道具。大型トラックとやらがほんの百台ほどもあれば、物流に革命を起こせるのだが」

『ほんの』と言いつつ『百台』という要望が出るあたり、さすがは大国の女王様である。一国に取って意味を持つ影響力を及ぼすには、最低でもそれくらい必要だと言うことだろうか。

「さすがにあれの作り方は皆目見当もつかないからね。っていうかこの国の冶金技術じゃ、内燃機関どころか、蒸気機関だって再現は不可能なんじゃないかな?」

 意外と真剣な妻の口調から、ひょっとしたら本気で欲しがっているのではないかと懸念した善治郎は、そう釘を刺す。

「まあ、そうだろうな。詳しい中身は見当もつかぬが、逆に見当もつかないくらいに複雑である事ぐらいは分かる」

「うん、工学系の大学を出た人ならもう少し力になれるかも知れないけど、俺のそっちの知識は高校止まりだからなぁ。正直、自転車の原理でも手に余るよ」

「自転車というと、そなたを最初にこの世界に呼んだときに乗っていたあれだな? あれならば、学者や技術者達に見せたぞ。非常に驚いていた」

「あ、そうなんだ。なんか、参考になりそう?」

「うむ、自転車そのものを複製するのは難しいにせよ、そこに使われている技術は随分と勉強になったようだな。場合によってはなにかに応用できるやもしれぬ」

 自転車はあれでいろいろな技術の塊である。

 ハンドルやペダルに使われている『クランク』機構。ペダルと後輪をつなぐ『チェーン』機構。そして、ハンドル下から車輪に繋がる『ブレーキ』機構など。この世界では未知の技術がいくつも使われている。

 特にクランク機構は、きわめて単純でこちらの世界でも容易に再現が可能だ。一番単純な形で言えば真っ直ぐな鉄の棒を二カ所で九十度に曲げて、一の辺と三の辺が平行になるようにすれば、それがクランク機構である。手回し式のハンドル、足でこぐペダル、さらに少し発展させれば、円運動エネルギーを直線運動エネルギー(もしくはその逆)に変換可能なクランクシャフトにもなる。

 そのうち、ハンドルに使われているクランク機構は、この世界でも船の舵などですでに似たような構造を見ることが出来るが、踏み込む力を円運動に変える足こぎペダルの発想はまだこの国にはない。近い将来、人力の動力として大きな意味を持つかも知れない。

 チェーン機構の利点は、単純に二つの円運動を順回転につなげることが出来る点だ。これを歯車で代用しようと思うと、どうしても二つでは逆回転になってしまうため、最低でも三つの歯車が必要にある。しかし、チェーンという代物は形と大きさがそろった十分な硬度のパーツを複数必要とする。こちらも実用化はまだまだ先の話だろう。

 そう言う意味では、一番実用化に近いのがブレーキ機構かもしれない。現在竜車で使われているブレーキは、車輪の軸に緩くまいてある荒縄を引っぱってしめる、という恐ろしく原始的なものしか存在していない。

 元々、竜車というのは自動車と違い、動力である走竜(もしくは鈍竜)が加速減速を受け持つため、ブレーキ機構はそこまで重要ではないのだが、減速からの停止を竜任せにすると、竜への負担が大きい。

 流石に急停止した竜車が竜の尻にぶつかるほど無様な作りにはなっていないが、車両自体も竜に合わせてブレーキをかけてやらなければ、竜車の慣性力が竜に負担をかけるのは間違いない。

 そう言う意味では、ブレーキの性能向上は、竜車の性能を劇的に上げるわけではないが、決して無意味ではない。地味に竜車を牽く竜の負担を減らしてくれるはずだ。

 そうして、時間を潰している間に、浴室担当侍女から、湯殿の準備が整ったという報告が入る。

「よし、それじゃ行こうか」

 テレビのリモコンを操作してDVDを停止させた善治郎は、立ち上がると近くの棚からLEDランタンを右手で取る。そして、左手は妻の右手に。

「うむ」

 どちらからというでもなく、妻の右手と夫の左手は固く握りあわされる。

 女王夫妻は、仲良く手をつなぎ、浴室へと歩き出すのだった。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆




 入浴をすませた後、一足先に寝室へ向かったアウラを見送った善治郎は、パソコンの前に座っていた。

 就寝前の魔法と文字の自習時間である。

「よっし、それじゃやりますか」

 パソコンの前でそう呟く善治郎が、今取りかかっているのは、ワープロソフトの単語登録だ。

 随分前に善治郎は、こちらの世界の文字を外字登録して、パソコン上で表記できるようにしてある。

 しかし、それだけではこちらの世界の文章をパソコンで打つのは非常に手間がかかる。例えば「apple」に相当する五文字の単語があるとする。その場合、aの外字を登録してあるキーを押して変換、pの外字を登録してあるキーを押して変換、もう一度pの外字を登録してあるキーを押して変換、と文字数分だけ変換を繰り返す必要があるのだ。

 短文ならばともかく、長文になればこの作業がどれだけ面倒かは、容易に想像がつくだろう。

 そうした面倒を解決するために、善治郎は使用頻度の高い単語から順に、コツコツとワープロソフトに単語登録をしているのである。

 最初は、「善治郎」「アウラ」「カープァ」などの個人的によく使う固有名詞。次は、英語で言うところの「the」や「a」に相当する冠詞。さらには、「of」「to」「in」などの前置詞。そして、「and」「or」「if」などの接続詞。

 暇を見つけては、少しずつ単語登録をしていったおかげで、今ではかなりの単語が一文字ずつ変換しなくても、単語単位で変換が可能になっている。

 その成果はあり、最近はかなりキーボードで文章を打つペースが上がっている。善治郎は日本にいた頃から、手書きよりもキーボード入力のほうが慣れていた人間だ。実際に単語や文法を覚えるには、手で書いたほうが効果的なのだが、ワープロソフトに慣れ親しんでいる人間としては、文字は紙に書くよりディスプレイ上に書きたい。

 さらに、善治郎は表計算ソフトを使い、こちらの世界の言葉にカタカナの読みと日本語の意味を付け加えた、簡易辞書のようなものも作っている。

 こちらも、まだ登録してある単語は数百語程度だが、一人で文字の勉強をするのに多少は役立つようになってきている。将来的には、この表計算ソフトのデータを見れば、どんな書物も読み解けるようなものを目指している。

 もちろん、それが完成する前に善治郎自身が、辞書を必要としない語学力を身につけられれば、それに越したことはないのだが。

 そうしている間に、パソコンから無機質なアラーム音が聞こえてくる。

「あっ、もう時間か」

 それは、善治郎が事前にセットしておいたパソコン上のアラームアプリが、規定の時間が過ぎたことを知らせる音であった。

 登録すべき単語は無数にあるため、こうして時間を制限しておかなければ、ついついやり過ぎてしまう。そのため、夜の文字の勉強は、どれだけキリが悪くても、一時間で絶対にやめる、と善治郎は自分で制限を設けていた。ただでさえ、元々深夜残業のせいで夜型生活が身に染みついている善治郎である。少しでも油断すると、すぐに生活のリズムが昔に戻ってしまう。

 慣れた手つきでマウスを操作して善治郎が次に立ち上げたのは、表計算ソフトの別ファイルと、デジカメの動画データである。

 デジカメの動画データは、アウラによる魔法の実演動画であり、表計算ソフトのファイルには、これまで行ってきた魔法の成否判定結果が記されている。

 最初は×が続いていたそのデータも、最近は○ばかりになっている。

 善治郎の垂れ流しの魔力量に最も近い魔法、つまり善治郎にとって一番発動が簡単な魔法である『簡易結界』は、ここ最近一度も失敗していない。

 アウラからも、「一般的な意味では、『習得した』と言っても良かろう」とお墨付きをもらった。ちなみに、一般的な意味では、と断りがつくのは、こういう落ち着いた状況では容易に使えるようになった魔法でも、少し心身に負担がかかる状況では全く発動しなくなるからだ。

 魔法の発動に必要なのは、「正しい発音」「正しい魔力量」そして、「正しい認識」である。この場合、問題となるのは「正しい認識」だ。

 魔法が発動した状態を、脳裏に鮮明に描けなければ、魔法は発動しない。もっと簡単に言えば、少しでも気を散らしてはアウト、ということだ。

 現実問題としては、善治郎程度の練度では、少し心身に負担のかかる場面に遭遇すれば、魔法は全く発動しなくなる。

 とはいえ、基本的に後宮と王宮から出る予定のない善治郎には、ストレスのかかる環境での魔法発動に慣れるより、次の魔法の習得のほうが優先度が高い。

「よし、それじゃ始めるか。まずは復習から。『我が指先を基点に、球形に世界を切りとれ。その代償として我は、空精に魔力三百五十九を捧げる』」

 呪文は当たり前のように効果を発揮した。パソコンの前に座る善治郎を中心として、周囲に薄く光る結界が形成された。『簡易結界』の魔法である。すでに「習得した」と言っても過言ではないレベルで身につけている魔法だが、一応念のためこうして暇があると、復習を欠かさない。

「うん、大丈夫だな。問題なく発動した。問題は、次なんだけど……」

 続いて善治郎は、少し眉間に皺を寄せると、「二つ目の呪文」を唱える。

「マヴァルザム……」

 自分では正確に発音したつもりなのだが、言霊による翻訳が行われなかった。つまり、どこか間違っていたということである。


「ああ、やっぱり駄目か。成功率低いなあ……」

 善治郎は、表計算ソフトに×印を打ち込みつつ、溜息をつく。今のところ二つ目の呪文を正しく発音できるのは二十回に一回程度だ。

「しばらくは、発音練習だな、こりゃ。魔力の出力調整や、イメージ訓練は後回しだ」

 魔力の出力調整の練習は最近ずっとやっているためある程度成果が出ているが、まずは正しい発音が出来なければ、どうにもならない。

 当初の目標は、「魔法の発動」ではなく、「言霊が働く呪文の詠唱」である。そう決めた善治郎は、体から立ち上る魔力量は垂れ流し状態のまま、発音にだけ注意して、二つ目の呪文を唱える。

「よし、それじゃ改めて……ムァヴァルザム……駄目か。もう一回、マヴァリゥザム……これも駄目」

 結局この日は、表計算ソフトに×の印が十個綺麗に並ぶのだった。
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