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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

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第九章【命の価値、時間の価値、金の価値】

「むうう……これは、予想以上だな」

 王宮の執務室で、座り慣れた蔓を編んだ椅子に腰をかけたアウラは、手に持つ竜皮紙に目を落とし、陰鬱そうな溜息を漏らした。

 主の溜息に答えるように、斜め後ろに立っていた細面の秘書官が口を開く。

「はい。兵士の特別給料や運搬用の荷竜車はともかく、鈍竜、走竜の餌や、武器・防具などの消耗品が、予想以上に値上がりしています。少々見積もりが甘かったと言わざるをえません」

「うむ……」

 秘書官の言葉に、女王アウラは今一度苦虫をかみつぶしたような表情でうなる。

 大戦末期には品薄で高騰していた軍需物資が、終戦直後には需要が急激に細ることで急速に下落し、さらにそれからある程度時間がたつと供給が絞られる事によりまた、徐々に値上がりする。

 そのごく当たり前の物価の上がり下がりを、アウラ達は少しばかり読み間違えていた。

 まだ終戦直後の値下がり状態で見積もりを出していたのだが、いざ市場の声を聞いてみると、すでに供給は絞られ初めており、必然的に値は上がり始めていたのである。

 無論、実際には市場から物資を買い上げてそれを兵士に配るような泥縄な対応を取るわけではなく、王宮の倉庫にある物資を放出し、その倉庫に備蓄物資を改めて買い求めるというワンクッションがあるので、この場ですぐさま大変なことになるわけではない。

 しかし、今回の一件でも立証されているとおり、軍事行動というものは突発的に起こるものだ。「今は軍需物資の値段が高いから、様子見」などと呑気な判断を下すわけにはいかない。

「いっそ、『戦時銀貨』で支払ってやりたくなるな」

「今それをやれば、王宮の経済的信頼はがた落ちです」

「分かっている、言っただけだ」

 相変わらず平坦な口調で、容赦の無い現実を突きつける秘書官に、女王はまた一つ溜息をついた。

『戦時銀貨』とは、その名の通り、戦時中に国が乱造した銀貨のことである。その実態は、銀貨と呼ぶのも躊躇われる銀の含有量が1割を切るどす黒い貨幣だ。

 幸いにしてカープァ王国では塩を国の専売にしている上に、塩は国産銀貨でしか買えない(しかも国産銀貨であれば、いつ作られた銀貨でも等価として扱う)ようにしているため、ばかげたインフレは起こらないが、終戦後経済に余裕が生まれ次第、可能な限り戦時銀貨を回収することが不文律となっている。

「財政的に厳しいのであれば、切り詰めることは可能ですが。少々荷竜車の数を多めに見積もっていますから、そこを削れば鈍竜の餌代も削れますし、貴重な工兵の出兵も減らせます。工兵を出兵させる際には、特別手当がかさみますから」

「うむ……」

 秘書官の提案に、アウラは無言のまま悩む。

 アウラが今回の増援に、過剰なくらいの荷竜車を用意しようとしたのは、増援の兵士の多くが新兵だからだ。

 心身が未熟な新兵は疲労しやすく、疲労した兵士は命を落としやすい。

 それを防ぐには行軍中、定期的に荷竜車に兵士を乗せてやればいい。結果、疲労の蓄積は減り、兵士の死亡率は目に見えて下がる。また、工兵を多めに用意して、野宿の環境をよりよく整えてやることでも、長期行軍の負担は大きく軽減できる。

 ゆえに、ここで金をけちるということは、イコール兵士の命を軽視することに他ならない。

 それを理解した上で、悩まなければならないのがアウラの立場だ。

 王としての視点に立てば、時として国民の命より、国庫へのダメージ軽減を選択しなければならない場合もある。

 だが、今回の場合は、幸いにしてアウラは非情な決断を下すことはなかった。

「いや、駄目だ。やはり、兵士の安全には変えられん。ここで若い男を無造作に死なせると、ダメージが大きすぎる」

 現在のカープァ王国において、五体満足な若い男はそれだけで貴重な人材なのだ。

 多少の財政負担ぐらいでは、この天秤は覆らない。

 しかし、そう結論を出したところで、財政負担が予想以上だったという事実の重さは変わらない。

 中年の秘書官は、その細いあごに手をやると、

「では、予算はいかがしますか? そういえば、ゼンジロウ様の尽力で、『王領の水車』に関する予算が随分と浮く算段になったと、聞いておりますが」

 そう提案する。しかし、アウラはその提案を一考することもなく却下した。

「それは駄目だ。枠を超えて予算を動かせば、元の枠に戻すのは至難の業だからな」

「確かに、それはその通りです」

 女王の答えに、秘書官は素直に肯定の意を示す。

 このあたりは、財政区分が未熟な王国の弊害だ。アウラや善治郎の私財である『王家の予算』と、軍や王領の発展に費やされる『王国の予算』との間に明確な区分がないのである。

 その区分は、基本的に『前例にならう』という形を取っている。そのため、『水車の改良とその修繕の仕組み』を改善したことによって生じた『最初の予算』を、王軍のために使ってしまうと、来年以降も『前例』にならい、王軍の予算に組み込まれてしまう可能性が大なのだ。

 少なくとも、プジョル・ギジェン将軍は間違いなくそう主張する事だろう。

 それは、王家としては面白くないし、王家の私財が王軍に流れると言うことは、例えわずかでも王家の力が削がれることを意味する。

 アウラとしては、はなはだ面白くない結果だ。

 忌々しい思いを振り切るように頭を一つ振ったアウラは、溜息交じりに答える。

「最悪の場合は、『特別予算』から出す」

「それは、後の折衝が少々面倒なことになると、予想されますが?」

 かなり控えめな表現で将来の懸念を言葉にする秘書官に、アウラは小さく肩をすくめる。

「仕方があるまい。本来はそのための『特別予算』なのだぞ」

「建前上はそうなっておりますな」

 秘書官は、これ以上無いくらいに含みのある口調でアウラのマネをするように肩をすくめた。

『特別予算』とは、言ってみればいざというときのための臨時予算のことである。あえて使用目的を明確にしておかないことで、いざというときに柔軟に対応できる予算を確保しておくという名目の予算なのだが、こうしたモノの常として、何十年もその状態が続いたことで、前例にならう形で『特別予算』の使い道は固定されている。

 その特別予算から今回の軍事費の足が出る分を払えば、どこかが割を食うことになる。そうなれば、割を食った部署の関係者が反発するのは火を見るより明らかだ。

 その折衝は決断を下した王であるアウラの責務である。それは理解しているが、同時にその困難さも理解しているアウラは、今からそのときのことを考えると正直頭が痛い。

「どうにかして、群竜討伐が早期解決すれば、全て問題は解決するのだがな」

 思わず、アウラの口からそんな希望的観測が漏れる。言うまでもなく、軍事行動に伴う必要経費は、その日数に比例して上昇する。つまり、問題が早期に解決すれば、その分予算は少なくてすむ。

「確かに、予算的にはそうなった方がありがたいですな。ですが、その場合、責任者であるプジョル将軍の功績がよりいっそう光り輝くことになりますが?」

「むう……」

 秘書官が冷静に告げる言葉に、不都合な現実を見せられたアウラは、再び不機嫌そうに考え込むのだった。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆





「なるほどねぇ、予算の問題はどこにでもついて回るんだ」

 その日の夜。

 いつも通り、夕食後の時間を愛する妻とリビングルームで過ごしていた善治郎は、昼間の話を一通り聞き終え、そう端的な感想を漏らした。

 酷暑期が過ぎた最近は、日が落ちた後ならばあえてエアコンの設置してある寝室に逃げ込まなくても良いくらいには、気温が下がる。

 気温さえ気にならないのであれば、ベッドと最低限の椅子・テーブルしかない寝室よりも、ソファー、テレビ、パソコンなどの設備がそろっているリビングルームの方が快適だ。

 ラフな部屋着姿の善治郎は、黒い革張りのソファーにゆったりと腰を下ろしたまま、隣に座る妻に目線を向ける。

「でも、結局のところ、どっちが問題なの? 早期解決してプジョル将軍に功績を稼がれるのと、長期化して財政に負担がかかるの?」

 善治郎の言葉に、女王は不機嫌そうに即答する。

「それは、当然長期化して財政に負担がかかる方が、ずっと問題だ。というより、いかにプジョル・ギジェンが私にとって政敵とは言え、国難の解決にあたっている人間の苦戦や失態を望むようでは、国王失格だろう」

 現実にはそこまで理想通りにはいかんのが、人の心というモノだがな、と付け加えつつ、アウラは苦笑した。

「んー、ってことは、早期解決できるならそれに越したことはない?」

「私個人、さらには私達『王家』に取っては、少々やっかいなことになるが、『王国』にとってはそれが最善だろうな」

 王と王家、そして王国の利害関係は、大部分において重なり合うものの、完全に一致するとは言えない。

 王国全体にとっては益となることでも、そうすることで特定の有力貴族の名声が高まるのであれば、相対的に王家にとっては不利益が生じる。

「早期解決か……うーん」

「ゼンジロウ?」

 ソファーの上で腕を組み、深く考え込む夫に、アウラは不審げに声をかける。

「どうした? 何か気にことでもあったか?」

 アウラとしては、ただの愚痴めいた情報交換のつもりだった。少なくとも、善治郎が思い悩むような余地はないと思うのだが、現に夫は隣でしきりにうなっている。

 妻に問われた善治郎は、いったんうなるのをやめて、素直に答える。

「あ、うん。ちょっと確認したいんだけどいいかな?
 確か、『塩の街道』が不通の原因は、巨大群竜の率いる大規模群竜の仕業なんだよね? それで、今回援軍要請をしたのはプジョル将軍。援軍要請の理由は、戦力が心許ないと言うより、大規模な山狩りをやるには人手が足りないことが主な理由。この認識で間違いない?」

「うむ。間違いない。付け加えるのならば、元々群竜退治はガジール辺境伯の第三男子、チャビエル・ガジールの担当だった。しかし、彼は自分と辺境伯軍では戦力不足と判断し、王都に援軍要請をしてきた。これが一度目の援軍要請だな。
 その結果、援軍として向かったのがプジョル将軍率いる竜弓騎兵団だ。それでも、今度は手が足りなく、再度援軍の要請がきた、というのが今回だな」

「チャビエル・ガジールね。その人は、今どうしているの?」

「チャビエル卿はそのまま辺境伯軍ごとプジョル将軍に合流している。全体の指揮権は当然プジョル将軍にあるが、辺境伯軍はそのままチャビエル卿が率いているようだ」

 その行動から、若いチャビエルの真っ直ぐな野心と健全な責任感を感じ取ったアウラは、にやりと口元に笑みを浮かべる。

 一方、その答えを聞いた善治郎は、

「ん? チャビエル卿も一緒? え?」

 と、何か引っかかった様子だったが、今の会話の流れには必要の無い疑問だったのか、一度脇に置き、話を戻す。

「まあ、いいや。俺が思うに、この一件は、討伐対象である群竜の群れが森の奥に潜んでいることが、最大の問題なんじゃないかと思うんだけど。
 純粋に戦力だけで言えば、倒して倒せない事は無いんだよね?」

 善治郎の言葉に、アウラは小さく一つ首を縦に振り、肯定する。

「ああ、群竜は本来そこまで恐ろしいものではないからな。流石に、プジョル将軍が想定しているとおり、五百以上いるようであれば、人的被害を出さずに殲滅は難しいだろうが、単に勝利するだけならば、『竜弓騎兵団』だけでも不可能ではないだろう」

 もっともこのあたりは精鋭である『竜弓騎兵団』を基準にした評価である。一般的な地方領主軍にとっては、群竜の群れはそれだけで結構な難敵である。少なくとも同数で相対したいとは思うまい。

 女王の返答に、善治郎は我が意を得たりとばかりに、パチンと両手を合わせると、

「ああ、やっぱり。それならさ、もし、何らかの手段で群竜達をこっちが意図した戦場におびき出すことができれば、後は問題なく殲滅できる、よね?」

「おそらくは、な。巨大群竜がどの程度の強さかは分からぬが、所詮は群竜だ。完全武装の騎兵の手に余るとは考えづらい。実際、プジョル将軍の報告でも、二度五十匹前後の群竜と交戦したらしいが、どちらも死傷者は出さなかったとある」

 ちなみに、その前に行ったチャビエル率いるガジール辺境伯軍単独での群竜討伐では、複数の負傷者と一人の死者を出している。その事実を鑑みれば、即座に自分の手に余ると判断を下したチャビエルの決断は、間違っていなかったと言えるだろう。

 善治郎は、ソファーに深く腰をかけたまま、あごに手をやり、考えながら意見を述べる。

「それならさ。こっちが布陣しているところに、群竜をおびき寄せることができれば、かなり話は簡単にならないかな? 少なくとも、大規模な山狩りをやるよりは時間も、兵士の負担も少なくてすむと思う」

 善治郎の当たり前と言えばあまりに当たり前な言葉に、一瞬あきれかけたアウラであったが、すぐさま思い直す。

 この婿殿は、腹案もなく意見を言う質ではない。こう言うからには、なにか腹案がある可能性が高い。

「どうやって、おびき寄せる?」

 アウラは、ソファーの上で体ごと夫の方に向き直るとぐっと身を乗り出す。

 妻の勢いに押されるように、少したじろぎながら善治郎は、

「うん。確か、その大規模群竜の群れは、ボスである巨大群竜の命令に従って動いているんだよね? それも、吠え声で命令を下している。
 それなら、その吠え声を俺の『デジカメ』で録音して再生すれば、向こうの行動をある程度誘導できないかな、って思ったんだけど」

「……なるほど」

 今度は、アウラが考え込む番だった。

 善治郎がマナー訓練や、呪文の練習に使っている様を見ていたから、デジカメのことはアウラも知っている。

 確かに、あの道具で再生される音声は、ほとんど本人の声と区別がつかないくらいに似ていた。再生される音声には魔力が籠もらないため、『言霊』は働かないが、それはこの場合問題にはならないだろう。

 元々、群竜の吠え声には魔力は籠もっていない(籠もっていたら『言霊』が働いて、群竜と人間も言葉が通じるはずだ)。

 しかし、だからといって、デジカメの再生音に群竜が騙されると決まったものではない。

 地球上の生き物を例に挙げても、機械で再生された『求愛の歌』などに騙される動物もいるが、鋭く聞き分ける動物もいる。また、声を上げる際同時に、匂い(フェロモン)を発するため、根本的に音声の再生だけでは騙しようがない生き物もいる。

 群竜の生態が分かっていない現状、善治郎のその提案は一種の賭に近い。

 しばし考え込んだ後、アウラはゆっくりと口を開く。

「可能性はなくはない。上手くいけば、早期解決可能だ。だが、ちょっと考えただけでも問題の多い提案だな」

 厳しい評価であるが、その自覚はあった善治郎は驚くこともなくうなずき返す。

「うん。問題は滅茶苦茶多いと思う。そもそも、デジカメで再生した音声に群竜が引っかかってくれるのかどうかは、全く不透明だよね」

「いや、悪いがそれ以前の問題だ。そもそも、巨大群竜の「襲撃」の吠え声と、「退却」の吠え声をどうやってデジカメに納めれば良いのか、という問題がある」

「あ?」

 アウラの指摘に、善治郎は虚を突かれたような声を上げた。

「ああ、そうか。そうだよ、それは考えていなかった。俺、間抜けだ~」

 自分の考えの浅さを理解した善治郎は、羞恥に耳まで赤くしながら、リビングルームの高い天井を仰ぎ見る。

 複数のLEDフロアスタンドライトが、まだら模様に照らし出す天井に視線を向けたまま、善治郎は声を上げる。

「うわ~、なんだか「猫の首に鈴をつける」ことを得意げに言い出した鼠の逸話を思い出すわ、今の俺」

 巨大群竜の『襲撃』を命ずる吠え声を録音するためには、巨大群竜が部下達に襲撃を命ずる前に、録音可能な距離に近づく必要がある。

 そこまでこっそり近づくことができるのならば、そんな面倒なことをしなくても、そのまま巨大群竜を退治できそうである。

 だが、自分の浅はかさに落ち込む夫を慰めるように、アウラは苦笑混じりに声をかける。

「こらこら、そこまで悲観するほどひどい提案でもないぞ。どのみち、よほど上手くやらない限り、何度も遭遇戦を繰り返すことになるのだ。
 ならば、最初の遭遇戦で群竜を撃退するときに、上手くいけば、『撤退』の吠え声は録音できるだろう。そうなれば、次からはいざという時、偽の『撤退』命令で、群竜達を混乱させることができる。さらに上手くいけば、意図せず撤退を始める配下に慌てた巨大群竜が、その場でもう一度『襲撃』の命令を出す可能性もある。
 そうなれば、群竜共の攻撃と退却をこっちで操作できるようになるからな。そうとう役立つと思うぞ」

「ん、ありがと」

 アウラが今述べたのは、あくまで想定しうる中で最善の結果が出た場合の話である。それは善治郎にも分かるが、そうしてまで慰めようとしてくれる妻の好意に、短い礼の言葉を返した。

「うむ。とにかく、そなたの提案した『デジカメ』を使って群竜の行動に干渉する、という案は確実性はないが、荒唐無稽と言うほどのものではないし、成功した場合の見返りも期待できる。少なくとも、一考の価値はあると思うぞ。もっとも、最終的な判断を下すのはプジョル将軍だがな」

「あー、そうか。現場の責任者はプジョル将軍だもんなぁ。そうなると、デジカメの詳細な機能がプジョル将軍に知れるのか。それはちょっと不安があるなぁ」

「そうだな。そなたの懸念は分かる。だが、現場の責任者に詳細を伝えずに、後方の人間が前線の作戦に手を加えるというのは、最悪に近いやり方だからな。やる以上は、プジョル将軍には一切合切開かす。
 ようは、リスクとリターンの問題だな。デジカメの詳細をプジョル将軍に明かすリスクと、作戦が早期決着する可能性をあげるリターン。それをどう判断するかだ」

 この場合問題なのは、「プジョル将軍にデジカメの詳細がばれる」というリスクは決定事項なのに対し、「作戦が早期決着する」というリターンが可能性でしかないという点だ。

「なるほど。アウラはどう思う?」

「うむ……難しいな」

 善治郎の問いかけに、アウラはその言葉通り難しい顔で考え込んだ。

「正直、この一件はできるだけ速く解決したい。だから、早期解決の芽がある手はできれば打ちたい。だが、プジョル将軍にこちらの手の内をあかすのはリスクだ。早期解決というリターンがあるのならば、背負ってもよいリスクなのだが、リターンの保証がないのが痛い。
 それに、あまりそなたの道具を公にしたくないという理由もある。まあ、蒸留酒の本格製造を始めようとしているのだから、今更気にすることではないのかも知れぬが、これで早期解決に繋がれば、これもそなたの『功績』ととらえる人間も出てくるからな」

「ああ、その問題もあったか。やっぱりまずいよね。どんなものであれ、俺が功績を立てるのは」

 渋面を作る善治郎の言葉を否定するように、アウラは小さく首を横に振ると、

「いや、この場合はそうとも限らぬ。無論、そなたが功績を立てないのに越したことはないのだが、下手にプジョル将軍一人に功績が集中するよりはましな結果かもしれん。
 今回の一件だけで、一足飛ばしに元帥就任はありえぬが、そのための大きな一歩にはされてしまうからな」

 そう言って、善治郎の懸念を否定した。

 このあたりの判断は、明らかに善治郎がこちらに来た当初とは異なっている。

 これが来た当初であれば、王配である善治郎に名声を稼がれて国を二分する危険を高めるくらいならば、業腹だがプジョル将軍に功績を立てさせる方を選んだはずだ。

 だが、今のアウラは、善治郎の人格には全幅の信頼を置いているし、その能力にも一定の評価を下している。

 善治郎であれば、多少の名声を得たところで、自分の権力を奪うようなマネは絶対にしないだろうし、貴族達に乗せられて、御輿にされないくらいの慎重さもある。

 むしろ、アウラの都合だけを考えるのならば、善治郎がある程度実績を上げて、王宮で発言力を持ってくれたほうがこの先やりやすいくらいだ。

「ふむ。これは、本当に考えてみる価値はあるやもしれぬな」

 アウラは、ソファーに腰をかけたまま腕を組むと、予想しうるリスクとリターンについて熟考するのだった。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆





「そういえば、そなたは先ほどなにやら、不思議そうな顔をしていたな? あれは何だったのだ?」

 デジカメの持ち出しについていったん結論を保留にしたアウラは、ふと先ほど少し引っかかっていた夫の態度について、問いただす。

「不思議そうな顔?」

「うむ。私が「チャビエル卿が、プジョル将軍と合流した」と言ったときだな。少し驚いた顔をしたと思ったのだが」

 そこまで具体的に言われれば、善治郎もすぐに思い出す。

 善治郎は少しばつの悪そうな顔で、頭をかくと、

「ああ、あのときか。いや、大したことじゃないんだけど、ちょっと意外だったからさ」

 そう、視線をそらしながら素直に答えた。しかし、その答えだけではアウラには、何のことか理解できない。

「意外だった? なにがだ?」

 重ねて問う妻に、観念した善治郎は視線を戻すと、素直に白状する。

「うん。ほんと大したことじゃないんだけど。ほら、プジョル将軍って、向上心と野心の塊みたいな奴じゃない。そんな奴が、チャビエル卿だっけ? その人の同行を許したっていうのがちょっと意外でさ。プジョル将軍なら、手柄を独り占めにするために、そう言うのは断りそうだから。実際、断っても任務を達成できるだけの実力あるだろうし」

 善治郎の答えに、アウラは見えないように苦笑をかみ殺す。相変わらず、善治郎はことプジョル将軍に対しては、若干の悪意と偏見が混ざる。本来ならばたしなめるべきなのかも知れないが、元婚約者候補に現夫が対抗心を持っているというのは、暗い喜びを感じずにはいられない。

 ともあれ、感情的にはどうであれ、事実と認識に齟齬が生じていれば、訂正しないわけにはいかない。

「それはそなたの認識が間違っているな。プジョル将軍は、基本的に下の者には寛大だぞ。部下の手柄を横取りするようなマネはせぬ」

「うん? チャビエル卿って、プジョル将軍の部下に当たるわけ? 具体的に言えば、今回の一件でチャビエル卿が第一功をあげたとして、その功績はプジョル将軍にまで波及する?」

 具体性を帯びた善治郎の例題に、アウラはあごに手を当ててしばし考えた後、首を横に振る。

「いや……この場合はそれはない、な。通常であれば、今そなたが言ったとおり、部下の功績のうち何割かは、部下にその役割を割り振った上官の功績にもなる。しかし、王軍のプジョル将軍と、領主軍のチャビエル卿では所属自体が違うからな。
 今回は特別に全体指揮権はプジョル将軍が取る形で合流しているが、功績などは別勘定になるはずだ」

「それならやっぱり、ちょっと不自然じゃない? チャビエル卿だって功績を立てたいから、プジョル将軍と合流したんでしょ? 本来は、この一件で功績を立てて、次期辺境伯として箔をつけなきゃならなかったんだから。それなら、プジョル将軍とチャビエル卿の目的は完全にかち合ってると思うんだけど。
 しかも、プジョル将軍からしたら、チャビエル卿の合流は本来認めなくても問題ない話なんだよね? その時点では、能力的にもプジョル将軍一人で解決できる問題だと判断していたみたいだし、権限的にも本来はチャビエル卿には任務を引き継いだ時点で帰ってもらう方が筋が通ってないかな?」

 頷きながら聞いていたアウラは、段々と善治郎が見えていない部分に気がつき始めた。

 なるほど、善治郎の言うことも一理ある。確かにプジョル将軍は野心家で、功績を立てたがっているチャビエルとでは目的がぶつかり合う。

 法的な根拠に基づけば、チャビエルの要請を断る方が正道であることも確かだ。

 だが、それは少々辛辣な言い方をすれば、戦場という現場を知らない人間の意見である。

「まあ、そのあたりは軍人の性という奴だな。基本、補給や指揮系統の問題が無い限り、手持ちの兵力が増えることを厭う現場指揮官というのは滅多におらぬ。
 恐らくプジョル将軍は、チャビエル卿と直接言葉を交わして、指揮下に組み込めば十分な戦力になると判断したのだろう。
 極端な話、使いこなせる自信さえあれば、戦力は多いに越したことはないからな。例え百の戦力で達成可能な任務でも、二百の戦力があればそれに越したことはないのだ。百の戦力では十の犠牲を出すところを、二百の戦力ならば五の犠牲に押さえられる可能性が高いからな」

 彼我戦力差が多ければ多いほど、勝者側の被害は少なくなる確率が高まる。

 その理屈は、善治郎にも理解できる。

「ああ、なるほど。軍隊の損害って、負傷者や死者だもんね。そりゃ少しでも減らしたいか」

「うむ。特に現在の我が国は、大戦が終わったばかりで若くて五体満足な男はそれだけで貴重だからな。できれば全員五体満足で帰ってきて、家庭を築いて欲しいところだ」

「そうか。そうなると俺の考えすぎかな」

 アウラの説明に、善治郎は納得しかけたが、逆にアウラは善治郎に説明することで整理がついたのか、今まで気付かなかったことに気付く。

「まあ、プジョル将軍のことだ。ひょっとすると、『今回の手柄はチャビエル卿に譲って、次期ガジール辺境伯とよしみを結んでおく』ぐらいのことは考えているかもしれぬがな」

 プジョル将軍にとっては、今回の手柄を独り占めにしても目的である『元帥』の位には手が届かない。一方、チャビエルにとっては、今回手柄を立てる意味は大きい。元々は三男坊で、領民には今一顔も名前も知られていなかったチャビエルは、ここで明確な手柄を立てておかなければ、辺境伯位を継ぐのに不安が残る。

 そう考えれば、下手に手柄に固執するより、次期辺境伯という将来の重鎮を自分のシンパに組み込むことを優先してもおかしくはない。

 それくらいの損得勘定はできる男である。

「ふーん、やっぱり有能なんだ、プジョル将軍って」

 少し不機嫌そうな夫の言葉に、アウラは苦笑する。

「本当にそなたは、プジョル将軍には、偏見がまざるのだな。まあ、なんだ。妻としてはそう言う態度も嬉しいといえば嬉しいのだが、女王としては王族と将軍の確執は困るぞ。
 そもそも、私との婚約に関してはむしろプジョル将軍は被害者とさえ言えるのだからな」

「う……ま、まあ、そう言われてみればそうか。女王の婚約者候補にまでなったのに、直前で俺にもってかれたわけだから」

 少々自虐的な善治郎の言葉に、アウラは苦笑しつつもうなずき返す。

「正確には私が、そなたを持ってきたのだがな。ともあれ、プジョル将軍ほどの大貴族の当主が、あの歳でまだ未婚というのは、きわめてまれなのだ。
 そう言う意味では、私の婚約者候補となったことで、男として無為な時間を過ごさせてしまったということに……」

 説明を続ける途中で、アウラは語尾を濁し、なにやら真剣な表情で考えこむ。

「どうしたの、アウラ?」

 隣に座る善治郎が問いかけるが、それに答えることもなく、アウラはブツブツと呟きながら思考に没頭する。

「そうだ。あやつは、まだ独り身なのだ。しかし、大規模貴族同士の婚姻には、王家の許しが……だが、両家の強い要望があった場合、今回の功績も加味すれば……」

「アウラ?」

 名前を呼ぶ夫の声にも応えず、女王は眉間の皺を深めて、苦い表情を浮かべる。

「まずい……そうなると断ることができん。最悪の場合、かなりまずい結果になりかねんぞ。なにか、手を打たねば……」

「…………」

 どうやらこれは声をかけるだけ無駄だ、と判断した善治郎は、黙って妻の考えがまとまるのを待つ。

 それから数分後。考えをまとめたアウラは、キッと口元を引き締めた表情で、善治郎に向き直ると、

「ゼンジロウ。すまないが、協力してもらえないだろうか。最悪の場合、今度こそ本当にそなたに『側室』を取ってもらうことになるやもしれぬ」

 そう、衝撃の発言をするのだった。
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