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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

二年目

64/94

第七章1【発病】

 時は過ぎ、酷暑期と呼ばれるカープァ王国でもっとも厳しい季節がようやく過ぎ去った頃。

 カープァ王国後宮は、かつてない緊張に包まれていた。

「…………」

「…………」

 朝の予定を延長してこの場に止まっている女王アウラも、本日の予定をキャンセルして今日一日ここから動かない覚悟を決めている善治郎も、そろって固唾を呑み、そのときを待っている。

 周囲には、この一年強で気心の知れた後宮侍女達が控えているが、今は彼女たちも気安く主に声をかけるどころか、本来の職務であるお茶出しもできずに、壁際で硬直している。

 その針のようにとがりきった沈黙は、入り口の扉がノックされるそのときまで続いた。

「ッ!」

「入れッ!」

 たたきつけるような余裕のないアウラの声を受け、その人物は女王とその伴侶が待つリビングルームに入ってくる。

「失礼します」

 と、アウラの声にもひるむ事なく落ち着いた渋い声で答え、入ってきたのは白いモノが混ざった長い髪と同色の口ひげが特徴的な、白い長衣をまとった初老の『男』。

 王室付き医師、ミシェルである。

 広いリビングルームに入ってきたミシェル医師は、後ろ手に扉を閉めるがそのしめた扉を背負うようにその場に立ち、部屋中央部のソファーに座る女王夫妻に近づこうとはしない。

 どうやらそれは、最初から決まっていたことらしく、アウラも善治郎もミシェル医師のその態度を叱責することはなかった。

 ミシェル医師は、食い入るような視線をこちらに向ける女王と王配を均等に見ると、

「結論から申し上げますと、カルロス殿下は『赤斑熱』を煩っておいでです」

 そう無情に、現実を突きつけるのだった。






 カープァ王国第一王子カルロス=善吉・カープァの異変に最初に気付いたのは、当然ながら常にその側に控える乳母のカサンドラであった。

 赤子であるカルロス王子が明け方に泣き出すのはいつものことであるが、今朝の泣き方はいつもとは違ったのだ。

 カサンドラは、カルロスの泣き声だけでその要求が、おっぱいか、うんちか、おしっこか、はたまたただむずがっているだけか、聞き分けることのできる乳母の見本のような女である。

 いつもより甲高く、そのくせどこか弱々しいその泣き声に、カサンドラはすぐさま仮眠を取っていた侍女をたたき起こし、アウラとミシェル医師の元へ一人ずつ走らせたのだった。





『赤斑熱』。その病名を聞かされても、理解できない善治郎は緊張の表情を崩さず、ミシェル医師に問う。

「ミシェル医師、その『赤斑熱』というのは?」

「はい。その名の通り顔や体に赤い斑点が出る熱病です。赤い斑点は見た目だけで痛みやかゆみを伴う事もないのですが、高熱がしばし続き、喉が腫れます。
 発熱期間はおおよそ、三日。一般的に体力のある成人男女ならば、安静にして栄養をしっかり取れば命に関わることは少ないですが、体力のない乳幼児や老人の場合、この病が原因で命を落とすことも珍しくはありません」

 ミシェル医師の言葉を理解した善治郎は、リビングルームのソファーの上で冷たくなった指先をこすり合わせる。

「つまり、善吉の場合は命に関わる、と?」

「カルロス殿下は、幸いにしてこれまでの栄養状態も良いですし、成長も順調です。乳幼児としては体力に恵まれていますので、そう悲観することはないと思われます。
 そうですね、九割方は大丈夫でしょう」

 九割は大丈夫。その言葉に、思わずホッと安堵の溜息を漏らす善治郎であったが、隣に座るアウラは厳しい表情を崩さずに忠告する。

「ゼンジロウ。ミシェル医師の言葉はそのままの意味だぞ。言い換えれば、カルロスと同じ条件の病人が十人いれば、そのうち一人は命を落とす、という意味だ」

「あ……」

 妻の指摘に、善治郎は言葉を失った。

 生存率九割。裏を返せば死亡率が一割。十人に一人が命を落とす状況。そう言われれば、全く楽観できないことは明らかである。

 我が子がこの状態で、平然と座視できる親は極少数派だろう。

 当然、そんな少数派ではない善治郎は、空回ししがちな頭を精一杯巡らし、現状を打破する方法を模索する。

「あ、それなら、『治癒の秘石』を使えばッ!」

 いかなる傷病も一瞬で癒やす魔道具。その存在を思い出した善治郎が勢い込んでそう言うが、『女王』の反応は芳しくなかった。

 女王アウラは硬い表情で唇をかむと、

「難しいな。現在我が国が保有する『治癒の宝珠』は三つ。四つ目はいつ手に入るか、分からぬ状態だ。
 その状態で、貴重な『治癒の秘石』を、九割方助かる赤子のために使うというのは、貴族達からの反発が大きすぎる」

 無情な妻の言葉に、善治郎はきわめて珍しいことに激昂する。

「でもッ! 善吉はこの国の第一王子でしょ! 現時点で一人しかいない正当後継者の命より『治癒の秘石』の方が大事だって言うわけ!?」

 出会って以来初めて、夫から噛みつかれた女王アウラは、一瞬痛そうな表情を浮かべるも、すぐに『女王』の顔を取り戻し、諭すように言う。

「確かに、カルロスは我が国における最重要人物だ。しかし、いなくなればすぐさま国政に影響がある立場の人間ではない」

「ッ」

 冷たい妻の言葉に、息を呑んだ善治郎が何かを言うより早く、ミシェル医師が落ち着いた声で口を挟む。

「ゼンジロウ様。厳しい言い方になりますが、この国では王侯貴族でも、十歳までに平均して四回から五回は、このくらいの病を患うのが一般的なのです」

「四回か、五回……」

 その明確で無情な数は、煮えたぎっている善治郎の頭を冷やすに十分な説得力があった。

 現在カープァ王国の保有する『治癒の秘石』は三つ。対して、カルロス王子が将来的に同じくらいの病気を患う回数は平均して、四回か五回。

 単純にそれだけで間に合わない。

 まして、今後善治郎とアウラの間にはもっと子供をなす予定なのだ。この程度の病で切り札を切っていては、全く数が足りないという無情な現実が、善治郎の頭にも徐々に理解される。

「ごめん……ちょっと頭に血上ってた」

 ガクリとソファーの上で首を折る夫に、アウラは小さく「よい」とだけ返す。

 実のところ、善治郎の存在がなければアウラはこの状況でも、カルロスに『治癒の秘石』を使用していたかもしれない。

 アウラはもっとも濃いカープァ王家の血を引く人間であるが、女である。一人の女が一生に出産可能な人数というのは、どうやったところで限られる。

 ましてや、出産に伴う安全管理が万全とは言いがたいこの世界だ。一度目の出産で、本人も知らないうちにもう妊娠できない体になっている可能性も、ないとは言い切れない。

 しかし、ここに善治郎という王家の血を色濃く引く、『成人した男』が一人加わると、その子の希少性は一気に下落する。

 しかも、善治郎はカルロスという子を孕ませた実績がすでにあるのだ。

 極端な話、カルロス王子に思い入れのない一般の貴族達からすると、例えここで王子が死んでも「この度は残念でしたね。がんばって次の子を作って下さい、ゼンジロウ様」といった感想になる。

 逆に、もし善治郎本人が同レベルの病気を患った場合には、貴族達はむしろ『治癒の秘石』を使うべきだと言ってくるだろう。例え命が助かったとしても、長期間高熱を出した場合には、生殖能力を失うことがあるという話は、この世界でもある程度の教養人であれば知っている事実である。

 無情な話ではあるが、カープァ王国の国益だけを考えれば、現時点ではカルロス王子の命は善治郎の睾丸よりも軽い、ということだ。

 そんな事実をまさか本人に伝えるわけにもいかず、アウラは沈黙を保つ。

 一方善治郎も、少しは頭が冷えたのだが、だからといって妙案が浮かぶはずもない。

「それなら、ジルベール法王家の治癒術士を招くのは……」

「現時点で、『瞬間移動』が使えるのは私一人だ。その場合は、私が魔法で単身双王国に跳ぶ必要がある」

「その『赤斑熱』の専門医とかはいないの?」

「ミシェル医師に失礼だぞ。ミシェル医師はこの国における医師の最高位だ。どの分野であれ、彼以上の医師などそうそうおらぬ」

「もちろん、この病気に特別効く薬なんかは」

「あれば、とうに使っている」

「だよね……」

「…………」

 思いつく限りの稚拙な案は、全てその場でアウラに切って捨てられた。

 室内は暗く静まりかえる。

 打つ手がない。いや、打つ手がないのならばあきらめもつくが、正確には『治癒の秘石』という絶対的な手札があるのに、政治的な立場がそれをきることを許さない。

 これが王族というものか。善治郎は初めて自分の立たされている立場の重さを実感した。

 わがままを押し通せば、この場で治癒の秘石を使うことも不可能ではないだろう。だが、そうすれば国内の貴族から大きな反感をかうだろうし、国外の王族からは蔑まれる。

 善治郎一人が蔑まれるのであれば、むしろ望むところだが、この場合は王という立場にありながら、それを止められなかったアウラに飛び火する可能性が高い。

 だが、我が子の命がかかっている時に、政治的な立ち位置を考慮して最善手を打つことを躊躇うなど、親として愛情が足りていないのではないか、という罪悪感がどうしても頭から離れない。

「せめて、先に『森の祝福』にかかっておられればもう少し安心していられるのですが。アウラ陛下、『森の祝福』を煩っている者に心当たりはございませんか?」

 改善のしようのない現状から目をそらすように、そう少しずれた話題を提供するミシェル医師に、アウラも便乗する。

「駄目だな。今のところ、後宮に入れても良い人間で『森の祝福』の患者はいない」

『森の祝福』とは、善治郎も以前に煩ったこのあたりの風土病である。

 その『森の祝福』という異名は伊達ではなく、生涯に一度しかかからず、よほどのことがない限り死病とはならず、一度かかると万病にある程度の効果を持つ抗体を体内に残すという、まさに『万能予防薬』と呼ぶしかない特徴を持っている。

 無論、体の弱い乳幼児の場合は『森の祝福』で命を落とすケースも少なからずしてあるのだが、その後の人生を考えれば、早い時点で『森の祝福』にかかっておくことが結果として一番生存率が高い。

 そのため、アウラも信用できる貴族の子女で『森の祝福』を煩った者がいれば、後宮に招いてカルロスにうつしてやろうと企んでいるのだが、運悪くその機会には恵まれないまま、カルロスは先に『赤斑熱』を煩ってしまった。

「…………」

「…………」

 再び、重苦しい沈黙が場を支配する。

 これ以上、我が子のためにしてやれることはない。王の責務がある以上、移り病を煩っている者を見舞うことは許されない。

 そのことを理解したアウラは、一つ大きく息を吐くと、ソファーから勢いよく立ち上がる。

「よし、ミシェル医師。カルロスのことはそなたとカサンドラに任せる。遅れたが私はこれから王宮会議に出る。
 そなたの腕は信用している。最善をつくせ」

「はい、全力を尽くす所存です」

 終始落ち着いた表情を崩さず、一礼する初老の医師からアウラは視線を、ソファーに腰を下ろしたままこちらを見上げる夫へと移す。

「ゼンジロウ、そなたはどうする?」

 問われた善治郎は、ソファーにぺったりと腰を下ろしたまま、しばし考えた後、

「……いや、これは今日は無理だ。ここにいても何にもできないことは分かっているけど、王宮に出ても仕事ができる精神状態じゃない。とんでもない失態をやらかしかねない」

「そうか。確かに、無理をするほど立て込んでもいないからな。しかし、そなたが直接カルロスを見舞ってはならぬぞ?」

「ん、分かってる」

 釘を刺すアウラに、善治郎は素直に首肯する。

 健康な成人男性であり、『森の祝福』も受けている善治郎は、たとえ『赤斑熱』を煩ったとしても、危険は全くないと言っても言い。しかし、それでも二日や三日は寝込むことになるし、なにより善治郎はアウラと床を共にしているのだ。

 カルロスから善治郎へ、善治郎からアウラへという経路をたどって『赤斑熱』が移れば、事だ。

 例え二,三日程度でも、国王が寝込めば王宮は、機能が麻痺する。王は病魔から我が身を遠ざける義務がある。

「それでは、言っても無駄かもしれぬが、あまり思い詰めないようにするのだぞ」

 そう言い残したアウラは、「思い詰めない」という見本を見せるように、頭を切り換えたきびきびとした足取りで、後宮を後にするのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆

「うぐ……ぐうう……!」

 後宮のリビングルームに一人残った善治郎は、何もできない自分へのいらだちを込めるようにして、魔法の自主練習に打ち込んでいた。

 最近少しずつできるようになってきた、『魔力出力操作』の訓練。多種多様な魔法を使いこなすには、必要不可欠な技術だ。

 自分が今『瞬間移動』の魔法を使えれば、双王国に治癒術士を呼びにいけたかもしれない。

 そんな思いが、善治郎に魔法の練習を強制する。

 もっとももし善治郎が『瞬間移動』の魔法を使えたところで、九割は死なない病気を癒やすため、高い金のかかる治癒術士の召喚が認められない可能性も十分あったのだが。

「ふうう……くう……」

『魔力出力操作』は、別段体の力を使うわけではないので、本来そんな疲れるものではないのだが、まだコツの掴めていない善治郎の場合は、無駄に全身に力が入ってしまう。

 そのため、全身にじんわりと汗が滲む。

 しかも、どうしても病魔に苦しむ愛息の姿を想像してしまうため、集中力が途切れがちで、全くといっていいほど成果が上がらない。

「ああ、くそっ!」

 珍しく口汚い言葉を吐いた善治郎は、汗を飛ばすように頭を振ると、ソファーから立ち上がり、壁際に立つ冷蔵庫へと向かう。

「ふう……これは、今日はやるだけ無駄かな」

 銀の水差しに入った湯冷ましをグラスに注ぎ、それを一息であおった善治郎は、思わずそんな弱音を吐く。

 だが、実際魔法の訓練というのは総じて集中力を求められるものが多く、その集中力が全く発揮できない今の精神状態では、自主訓練が意味をなしていないも事実であった。

「アウラは思い詰めるなって言ったけど、それができれば苦労はないよな……」

 内心は自分と同じくらいに心配しているだろうに、表面上はしっかりと切り替えて仕事に向かっている妻を、善治郎は心底尊敬する。

「ひょっとして俺、日本で結婚して子供を作っても、こんな感じだったのかな?」

 ソファーに戻った善治郎はつい、そんなとりとめもない独り言を漏らす。

 もしそうだとすれば、サラリーマンとして随分致命的な弱点を負っていたものだ。

 もっとも現代日本の場合、医療機関にかける信頼度がこちらよりもずっと高いため、安心して医者に任せられるのかもしれないが。

「あー、駄目だ。ゲームでもやるか」

 どうやっても、思考が全て息子の安否へと繋がってしまう。善治郎が、少しでも気を紛らわせようと、久しぶりにテレビ台の中から据え置きゲーム機を取り出し、配線をつないだそのときだった。

「失礼します、ゼンジロウ様」

 唐突に入り口の扉がノックされ、聞き慣れた侍女の声が響き渡る。

「はいっ、どうぞ。入って良いよ」

 反射的に入室許可を出しつつ、善治郎は内心訝しむ。

 何事だろうか? まだ、昼食の時間には早い。同じ室内に人がいることを好まない善治郎の嗜好を知っている後宮侍女達は、明確な用事がない限り声をかけない。

(ひょっとして、善吉の容態に異変があった?)

 思わず悪い方向に想像を働かせてしまうのは、この場合は仕方がないだろう。

 入ってきたのは、えんじ色の侍女服を隙なく着こなした中年の侍女――アマンダ侍女長だった。

 善治郎は緊張を高める。侍女長が直接くるとなると、いよいよただ事ではない。

 そんな主の緊張を知ってか知らずか、中年の侍女長は堅苦しいほどに完璧な礼をすると、淡々とした口調で話し始める。

「ゼンジロウ様。さきほど、王宮よりファビオ様の使いが来られました。
 なんでも、双王国のフランチェスコ殿下が、『カルロス殿下を見舞いたい』と申し出ているそうです」

「……は?」

 予想外の話の流れに、言っていることを理解できなかった善治郎は間の抜けた声を上げる。

 しばらくして、言葉の内容を理解した善治郎は、論外と言わんばかりに、顔の前で手を振る。

「いやいや、あり得ないでしょ、いくらなんでも。闘病中の善吉を、他国の貴人と会わせるなんて、どっちにとっても良いことなんかないよ。だいたい、ボナ王女ってならまだ分かるけど、フランチェスコ王子じゃ『男子禁制』のここには入ってこれないでしょ?
 なに、それとも病気の善吉を後宮から連れ出せって言ってるの?」

 感情の高ぶりに任せてそこまで、まくし立てたところで善治郎は気付く。

 こんな論外の話を、あのファビオ秘書官が自分のところまで通すはずがない、という事実に。

 案の定、アマンダ侍女長は、それまでの善治郎の言葉を受け流し、伝言を続ける。

「なんでも、フランチェスコ殿下が主張するには、『自分はこの地に来る際、用心のため多数の『治癒の秘石』をジルベール法王家から頂戴してきている。見舞いを許してもらえるのであれば、そのうちの一つを、カルロス殿下のために使用する用意がある』とのことです」

「ッ!!」

 善治郎の反応は劇的だった。

「すぐに会う! 王宮に出るから、着替えの用意をして!」

「はい。では、隣室にお進み下さい。そちらで全て用意を調えてあります」

 大声を上げる主人に、侍女長はどこまでも落ち着いた声で、そう答えるのだった。
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