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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

二年目

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第六章3【レンズの可能性】

 その日の夜、後宮に戻った善治郎は、神妙な表情でボナ王女との面談での出来事を包み隠さず、アウラに報告したのだった。

 さすがに寝室でエアコンの風に吹かれながらまったりと話す内容ではないと感じた善治郎の要望で、場所は久しぶりにリビングルームのソファーである。

「ふむ。ボナ王女の意外な素顔や、フランチェスコ王子の出生の秘密に関わる情報など、随分そなたは成果を上げたと思うのだが、なにをそんなに気にしているのだ? その水レンズとやらを双王国が実用化したとして、そんなに大きな問題になるのか?」

 善治郎の懺悔に近い報告を聞き終えたアウラは、ソファーの上で足を組み直すと得心がいかないとばかりに首をひねる。

 それは、ある程度善治郎としては予想していた反応である。

 確かに、凸レンズ一枚だけでは虫眼鏡のような用途しかないため、さほど大きな脅威には見えないだろう。せいぜい、ボナ王女のような細工物をやる人間にとって『便利』という程度だ。

 現に、ボナ王女も大袈裟に感激はしたものの、不審がるまではいかなかった。つまり、気前よくただで教えてくれても、さほどおかしくない程度の物だという認識だ。

 だが、レンズというものの持っている可能性はそんな可愛い物ではない。そのことを善治郎は知っている。

 知っていながら、うかつにもその情報を最も漏らしてはいけない勢力の人間にも漏らしてしまったから、この反省なのである。

 善治郎は、五円玉を取り出すと、改めて説明を始める。

「うん、よく見ていて。まずはこれがボナ王女に見せた、凸レンズ。真ん中が盛り上がって端に行くに従って薄くなっている状態ね」

「ふむ、なるほど。確かに向こう側が拡大されて見えるな。これは結構便利かもしれんな」

 善治郎が差し出す五円玉レンズを対面からのぞき込んだアウラは、改めて感心したように頷くが、やはりさほどの危機感は抱いていない。

 続けて善治郎は一度五円玉を振って穴の水を飛ばすと、先ほどよりも少ない量の水滴をそこに垂らす。

「それで、こっちが凹レンズ。さっきとは逆に、真ん中が一番薄くて端が厚いレンズ。さっきとは逆に小さく見えるでしょ?」

「確かに。だが、これは何の役に立つのだ?」

 疑問を投げかけるアウラを尻目に、「ちょっと待ってて」と断った善治郎はソファーから立ち上がると、リビングルームの隅へと向かう。

 そこは、善治郎が地球から持ち込んだ物の中で、日頃は使っていない物がまとめて一つの箱に押し込められていた。

「ええと、確かこの辺に……よし、あった。これだ」

 その箱を空けた善治郎は、しばらくゴソゴソやっていたかと思うと、青・白・赤の派手な三色柄の細長い布に包まれた、何かを取り出した。

「懐かしいなあ、大学時代のサポーターグッズ。レプリカユニフォームや携帯ストラップなんかは社会人になったときに処分しちゃったけど、タオルマフラーとオペラグラスだけは取っておいたんだよなあ」

 正確にはサポーターグッズなのはタオルマフラーだけであり、オペラグラスは試合観戦に使っていただけで公式のサポーターグッズではないのだが、それは今ここで言及するようなことではないだろう。

 折りたたみ式のオペラグラスは、その表面に色鮮やかな風景画が描かれており、その用途を知らない人間が見れば、ただの飾りにしか見えないかも知れない。

 善治郎はそのアルファベッドで『YOKOHAMA』と書かれたタオルマフラーを箱に戻すと、折りたたみ式のオペラグラスだけを手に持ち、妻の待つソファーへと戻ってくる。

「ゼンジロウ?」

「ほら、これを見て。凹レンズと凸レンズを組み合わせると、こんな物ができるんだ。まあ、凹レンズと凸レンズだけじゃこんな風に正しくは見えなくて、上下左右が反転しちゃうんだけど、事の重大さはこれだけでつかめると思う」

 そう言うと善治郎は、折りたたみ式のオペラグラスを開き、簡単にピントを調節するとアウラに手渡した。

 今は夜なので外を見ることはかなわないが、このリビングルームは広いし、オペラグラスの倍率は三倍程度だ。その効果を実感するには部屋の中でも十分である。

「なッ!? なんだ、これは!?」

 善治郎に言われるがまま、オペラグラスをのぞき込んだアウラは、予想通り驚きの声を上げる。

「それは倍率が三倍だけど、レンズ次第ではもっと倍率の高いものもある。

 現時点で、ボナ王女は凸レンズしか知らないし、ましてや凸レンズと凹レンズを組み合わせるという発想がすぐに思いつくとは思えないけど、技術的には今すぐできてもおかしくはないんだ」

 実際、地球の歴史上でもレンズの誕生と、レンズを組み合わせて使用する『望遠鏡』や『顕微鏡』の誕生には、大きなズレがある。

 そう考えると、そこまで焦る必要はないのかもしれないが、希望的観測は危険だ。

 アウラは、何度かオペラグラスをのぞき込み、無言のまましばし考え込む。

 遙か遠方を拡大して見ることができる装置。そのコアパーツである『レンズ』が魔道具でしか実用化できないとすれば、この道具は双王国の独占品となる。

 やがて、結論が出たのか、アウラは今日まで善治郎にはほとんど見せたことのない厳しい表情を向けると言うのだった。

「確かに、これは『失態』だな」

「うん……ごめん」

 殊勝にわびる夫に、女王はその赤い長髪を揺らすように小さく頭を振ると、溜息をつく。

「まあ、やってしまった物はしかたがない、というのは少々事が大きくなりそうだがな。
 現実問題として、こちらがとれる対処方法は、次善として交渉で優先的にその水レンズの魔道具を譲ってもらうようにすること。最善は、そなたの血筋から『付与魔法』の使い手を生み、同様の生産体制をカープァ王家で確立することか」

 予想はしていたが、不本意な方向に流れる話に善治郎はあらがうように、代案をあげる。

「後は、ガラスの製造にもっと力を入れる、って方法もあると思う。あのオペラグラスは強化プラスチックっていう別な物質でできてるけど、俺の世界ではレンズは主にガラスで作るんだ。

 だから、ガラスの製造技術を確立して、同時にそのガラスをレンズ状に磨く職人を養成すれば、レンズを『魔道具』からただの『高級な道具』まで引き下げることができると思う」

「やらかして」から夜までの間に、対処方法を考えていたのだろう。善治郎は、よどみない口調でそう対策を提示して見せた。

「なるほど、そちらも一考の価値はあるな。だが、まずは何をさておいても、そなたへの対策だ。
 今回の一件で確信した。ゼンジロウ、そなたはボナ王女に対しては異常に警戒が薄くなっているぞ。自覚はあるか?」

 妻の鋭い指摘に、善治郎は言葉に詰まる。

 特定の女に対して警戒が甘いと、妻に指摘を受ける。やましいところはないのだが、ものすごく罪悪感を刺激される言葉である。その指摘が事実であるという自覚があるから、なおのことだ。

 善治郎はどもりつつも、なんとか視線はそらさずに答える。

「ええ、それは、まあ、確かに、自覚はある、かな? なんて言うのか、やけに話しやすいんだよね。妙に波長が合うって言うか、馬が合うというか……」

「ふむ……」

 夫の弁明に、女王はあごに手をやり、考える。善治郎に自覚があるのは、不幸中の幸いだ。そうであれば、こちらから強めに釘を刺しても、嫉妬からの束縛などと勘違いされることもあるまい。

 そこまで思考を巡らせたアウラは、自分が善治郎に嫌われることを恐れていることを自覚し、内心苦笑を漏らした。

 もっともそのような思いを顔に出す女王ではない。

「そなたにもその自覚があるのならば、話は早い。悪いが、ゼンジロウ。今後そなたは、今回のようなボナ王女と二人きりで会うのは禁止だ。
 そなたにその気がなくとも、向こうに悪意がなくとも、意図せずに今回のようなことになりかねん。いいな?」

 そう、厳しい表情を崩さずに言ってのける。

 善治郎にしてみれば、念を押されるまでもない話である。

 確かに馬の合うボナ王女との会話は楽しい一時であるが、国益に反してまで押し通すようなものではない。

「うん、分かった。今後ボナ王女とのつきあいは、『フランチェスコ王子のお目付役』としての立場に限定するよ」

「ああ、すまんがそうしてくれ。悪いな、今回の一件だって、元を正せば私がそなたをボナ王女のところに送り込んだのに、このような前言を翻すようなことを言って」

「いいよ、気にしないで。結果はこうなっちゃったけど、あの時点ではアウラの意見におかしなところはなかったんだし、最大の問題は、俺の隙の大きさなんだから。
 俺が謝るのが筋なんであって、逆はおかしいよ」

「ん、そうか」

 穏やかな反応を返す夫に、赤髪の女王は人知れず小さく安堵の息を漏らすのだった。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆





 深夜。同じベッドで寝ていた夫が完全に寝付いたのを確認した女王アウラは、そっと寝室を抜け出し、隣のリビングルームへとやってきた。

 真っ暗なリビングルームの中から、手探りでLEDスタンドライトを探り当てたアウラがスイッチを入れる。

「ッ」

 闇慣れした目に、LEDライトの白色光は強い。アウラが瞬きを繰り返して、目を光に慣らしていると、リビングルームの扉が小さく三回ノックされる。

「来たか。入れ」

「はい、失礼します」

 アウラの許しを得て入ってきたのは、カープァ王国には珍しい金髪が印象的な侍女であった。

 表向きの肩書きは、若き後宮侍女の一人でしかないが、その実態は後宮と王宮の侍女達に深く広い情報網を持つ、知られざる重要人物である。秘書官ファビオ、宮廷筆頭魔法使いエスピリディオンと並ぶ女王アウラの腹心の一人である。

 アウラは薄い夜着姿のまま、黒い革張りのソファーに腰を下ろすと、ぞんざいな口調で言う。

「報告を聞こう」

「はい。ボナ殿下の元に派遣している侍女達の報告によりますと、ボナ王女がゼンジロウ様に対し、誘惑するようなそぶりは特になかった、とのことです」

「そうか。となると、ボナ王女個人には本当に裏の目的はないのか?」

 報告を受けたアウラは、あごに手をやり考え込んだ。

 シャロワ王家が善治郎の血筋を狙っているのは、こちらとしては覚悟の上だ。

 本命は、善治郎が『瞬間移動』の魔法を覚えて、双王国の王宮を訪れたときだとしても、こちらにいる間にボナ王女がそれなりのモーションをかけるのではないか、と気を配っていたのだが、今のところこれと言った報告は入っていない。

 特に今回は、向こうの仮住まいにターゲットである善治郎が一人で向かうという絶好のシチュエーションだったのだ。何らかのアクションを起こすのではないか、とアウラは一抹の不安を抱いていたのだが、結果は今聞いた通りである。

「しかし、その割には、婿殿はボナ王女にやけに気安いな。これは、ただの偶然なのか? だが、婿殿の女の好みなど、遠く南大陸中央部の双王国が知っているはずもないだろうし……」

 側室を押しつけようとするカープァ王国の貴族達でも、善治郎の女の好みは未だ把握できずにいる。強いて言えば、女王アウラとはきわめて仲睦まじいというのが、唯一判明している事実だが、女王アウラとボナ王女にはこれといった共通点もない。

 ここで考えても結論は出なさそうだ。ただ、「女の勘」などと非論理的なことを言う気は無いが、どうも善治郎とボナ王女の距離感が気になる。

 王宮の名花として名高いオクタビア夫人にも、若さと自信に満ちあふれたファティマ・ギジェンにも、そして日常的に接している後宮の侍女達にも、善治郎はあそこまで気を許した例はない。

 白状すれば、その警戒心の底に流れているのは女としてのドロドロとした感情である事もアウラはしっかりと自覚している。

 しかし、幸いにして女王という立場から見ても、異国の王女と自分の伴侶の関係に肘鉄を入れることには、一定の正当性がある。

 将来的に、善治郎が側室を持つことは止められない未来だとしても、その一人目が異国の王女というのは、絶対に避けるべきだ。

「わかった。今後もボナ王女につけている侍女達には大きな異変があれば知らせるように、通達しておけ。ただし、あちらに気付かれて警戒されるのが一番まずいからな。定期連絡その他は必要ない。
 基本的には、ボナ王女の言うことを聞く忠実な侍女として、振る舞わせろ」

 自分の言動の原動力が感情であると自覚しつつも、その行動の正当性を求め自分に言い訳をする。

 珍しい女王の女らしい反応に、目の前に立つ金髪の侍女は気付いたのか、一瞬口元に小さく笑みを浮かべる。

「……はい、承知いたしました」

 だが、女王アウラに気付かれる前にすまし顔を取り戻した侍女は、その長い金髪をサラリと流すように一礼をすると、そう言い残し、静かに退室するのだった。
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